第一章・その5

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「またすごいのを保護してきたわね」


 勇者同盟のトレーニングルームで、俺たちと同じく、青いブレザーを着た渋谷先生があきれたように言ってきた。俺の隣で聖菜が不服そうな顔をしている。


「研究対象になるから、状況が許す限り、魔王軍の生体組織は持ち帰れって、規約にあったと思いましたけど」


「そりゃ、そうだけど。でも、生きている状態で、しかも、まったく傷つけずに、手をひいて連行してきた、なんてのははじめての事態だったそうよ。上も驚いてたわ」


「でしょうねえ」


「おまけに、それをやったのが、妖魔を一度も滅ぼしたことのない、あなたたちだったとはね。今回の件で、あなたたちの評価、一気に変わると思うわよ」


「え、そうなんですか!?」


 渋谷先生の言葉に、俺の隣の聖菜が嬉しそうな声をあげた。


「うげえ」


 これは俺の声である。渋谷先生が眉をひそめた。


「何ようげえって?」


「俺、無意味に高く評価されて、変に期待されるのって、好きじゃないんですよ。期待外れでがっかりされると、こっちも傷つくし」


「だったら期待に応えればいいでしょう」


「無駄にがんばるのって、余計に好きじゃないんですよ」


「何よそれ最っ低」


 俺の横で、聖菜が小さくつぶやいた。


「べつにいいじゃないか。ハリウッドのアメリカンドリームじゃあるまいし、そんなに根性ださなくたって、いまの時代は普通に生きていけるんだ」


「ご先祖の勇者様が泣いてるわよ」


「俺は俺だ。ご先祖に敬意は払うけど、同じ道を歩く義務はないだろう」


 間違ったことは言ってないと思うんだが、俺の視界の隅で、聖菜の表情が変わった。さすがに切れたらしい。


「あなたね――」


「ふたりともいい加減になさい!」


 渋谷先生が小さい声で叱咤してきた。聖菜が大人しくなる。本職は、俺たちの通っている学校の教師だからな。生徒である以上、俺たちは頭があがらない。


「とりあえず、あなたたちが魔王軍を保護してきたというのは、高く評価されると思います。あの魔王軍が何者なのかは、いま現在、上が調べてるから。難航してるそうだけどね。過去の、魔王軍の目撃情報と照らし合わせてるけど、ひとつも一致してないらしくって」


「つまり、新顔ですか」


「新顔って言ったらいいのか新種って言ったらいいのか」


 渋谷先生がため息をついた。


「あの娘、特に抵抗もしないで、私たちの質問に、普通に答えてるそうよ。言ってることが常軌を逸してるから、本当に信用していいのかどうか、担当者も判断に苦しんでるみたいだけど」


「どんなこと言ってるんですか?」


「まだ、私には言う権限が与えられてないわ」


「ですか」


 じゃ、無理に聞くわけにも行かない。俺は渋谷先生から視線を逸らし、トレーニングルームの壁に目をやった。時計の時刻は夜の十時である。


「俺たちの見周りは、これで終了ですね。じゃ、俺、帰りますから」


 家に帰って、シャワーを浴びて、明日は普通の高校生活だ。ほとんどの生徒たちは、勇者同盟のことも、魔王軍のことも知らない、普通の人間たちである。俺も普通の人間として行動することにしていた。まあ、だいたい寝不足で、普通の教師にお叱りを受けたりするわけだが。


「待ちなさい」


 家に帰ったら、シャワーを浴びて――と思いながら渋谷先生に会釈をして、そのままトレーニングルームをでようとしたら、渋谷先生が静止の声をかけてきた。もう話は終わったと思っていたのに。


「まだなんかあるんすか」


 振りむいたら、同じく帰ろうとしていたらしい聖菜も、ちょっと妙な顔をして渋谷先生のほうを見ていた。


「あ、聖菜さんはいいの。恭一くん、あなたよ」


 渋谷先生が聖菜に笑って言ってから、真顔で俺のほうをむいた。


「俺なんかやりましたか?」


「巡回にでても、妖魔も滅ぼさないでサボってばっかりじゃない」


 渋谷先生の代わりに聖菜が言ってきた。


「俺は渋谷先生に聞いてるんだけど」


「ふん、怒られろ」


 ひどい言葉を残して聖菜がそっぽをむいた。そのままトレーニングルームをでていく。


「私も思春期のころはああだったわね」


 でていった聖菜のほうを見ながら、渋谷先生がつぶやいた。


「反抗期の反対って言ったらいいのかしら。とにかく勇者の一族として、きちんとしなければならないって思いこんでて、がちがちに固まってたっけ。思いだすわね」


「コンビ組んでるんだから、少しは俺を見習えばいいのに」


「あなたは昼行灯すぎるのよ」


「昼行灯ってなんですか?」


 質問したら、渋谷先生があきれたみたいな顔をした。


「それくらい辞書で調べなさい」


「スマホで調べろって言ってこないあたりに年齢が感じられますね」


「何か言った?」


「独り言ですよ」


「だったら、次からは、もう少し小さい声で言うことをお勧めするわ」


 渋谷先生は笑っていなかった。さすがにこれはムカついたらしい。なるほど、このへんがこの人の切れるボーダーラインだな。踏み越えないように気をつけておこうと考える俺の前で、渋谷先生が、名前の通りの渋い顔で俺を眺めた。


「とりあえずきてくれる? あなたの保護した魔王軍と、あなたを会わせるから」


「はあ。――はあ?」


 考えなしに返事をしてから、あらためて俺は妙な声をあげた。


「なんでですか? 俺はやることをやりました。これ以上、何かやる義務はないでしょう」


「あなたの保護した魔王軍が、あなたに会いたがってるのよ」


「あ、そうなんですか。それはいいけど、それって、俺にも拒否する権利はあるなじゃないんですか?」


 早く帰ってシャワーを浴びて寝たい。そう思ってる俺の前で、渋谷先生が苦笑した。年齢関係の俺の発言に対して、一発やりかえしたって顔である。


「保護された魔王軍の、ただの要望なら、突っぱねることも可能でしょうね。ただ、これは私の命令でもあるわ」


「なんでそんな命令だすんですか?」


「あの魔王軍が言ったのよ。あなたと会わせて話をさせてくれれば、全部話すって」


「あ、なるほどね。司法取り引き的な、そういうことですか」


 とりあえずは納得しかけ、それでも俺は質問した。


「それで、その魔王軍の言う、全部話すっていうのは、具体的にどういうことなんですか?」


「だからさっきも言ったでしょう?」


 渋谷先生が、いたずらっぽく、自分の唇に人差し指をあてた。


「私は、それに関して話す権限を与えられていないのよ」

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