第二章・その7

 相変わらず、ユーファは偉そうな表情のままだった。


「魔王軍は負けちゃったっていうし、パパは隠居しちゃって、もう魔王でもなんでもないし。私、そんなのにこだわりなんてないし。私、どうせなるんなら、勇者になりたいし。勇者って、強くて、弱いものの味方なんでしょ? 格好いいじゃない」


「そそそそんな」


「そんなことはいいから、早く妖魔をあの人間のなかから外にだしなさい!」


「はは!!」


 あわててОLが頭をさげ、それから会社員のほうをむいた。


「おい、その人間のなかからでろ!」


 この命令で、会社員がビクンと震えた。一瞬して、背中から半透明の幽体みたいなのが沸きあがってくる。


 これが妖魔だった。魔王軍の残党と違い、物理的な肉体を持たないものが多い。


「こっちにこい!」


 ОLの命令で、妖魔がフラフラとОLのそばまで近づいてきた。ОLが恐る恐るユーファを見あげる。


「あの、言われたとおりにいたしました。これでよろしいでしょうか?」


「そうね」


 ユーファが少し考えた。


「まあ、いいわ。じゃ、次の命令。さっさと帰りなさい。それから、二度と人間に危害を加えないように。あと、勇者と敵対しないように」


「ええ!?」


 ОLが泣きそうな顔をした。気持ちはわかる。ライオンみたいな肉食動物に、これからは野菜を食って生きていけって言ってるようなものだからな。それにしても、ユーファの命令に、魔王軍の残党が一言も反論できないとは。


「何よ、私の命令が聞けないっていうの?」


 ユーファが冷たい視線でОLを見下ろした。ОLがうなだれる。


「わかりました。ご命令のようにいたします」


「ならいいわ、早く行きなさい」


「は」


 言ってОLが立ちあがり、ユーファから後ずさった。一例をしてから背をむける。あわてたみたいに妖魔がОLについていった。


「貴様、ユーファ様に何をした?」


 忘却の彼方の白い霧に入る寸前、ОLがすごい目でこっちをにらみつけてきた。


「ユーファ様は魔王様の姫君だぞ。それをたぶらかすなど」


「恭一は何もしてないわよ! 私から弟子入りしたの!!」


 つづけてОLが何か言いかけたが、それを遮るようにユーファが一喝した。ОLがびくっとなる。


「私は勇者になるって、自分で決めて、こっちにきたんだから! いいからあなたは早く帰りなさい!!」


「はは! 度重なる無礼、誠に申し訳ありませんでした!!」


 ОLがふたたび頭をさげ、すぐに顔をあげた。


「早く行くぞクソ雑魚!」


 そばでひょろひょろしていた妖魔に八つ当たりらしい言葉をぶつけ、そのまま走るようにしてОLが白い霧の彼方に消えた。それを追うように妖魔も消える。


「まったく、魔王軍なんて威勢のいいこと言っておいて、やってるのって、力のない人間をいじめてるだけじゃない」


 ОLの消えた切りの彼方を眺めながらユーファが言い、少ししてからこっちをむいた。


「そうだ。あの気絶した会社員、どうしたらいいの?」


 と聞いてから、ユーファが少し不思議そうにした。


「どうして、そんな変な目で見てるの?」


「――いや、あの、すげーって思ったんだよ」


 仕方がないから、俺は正直に返事をした。ちらっと横を見たら、聖菜はポカンと口をあけていた。ユーファだけが、あたりまえって顔をしている。


「すげーって、さっきの魔王軍の、なんか偉そうな女にいろいろ命令したこと? あんなの普通だと思うけど」


 話しぶりから考えるに、魔王の城で、こういうこと普段からやっていたらしい。


「あのな、普通じゃねえぞ。命令一発で魔王軍の残党が尻尾まいて帰ってくなんて、たぶん、誰も見たことがないはずだ」


「ふうん、そうなの?」


 言って、ユーファが少し考えた。


「まあ、そう言われたら、本当の普通とは少し違うかもしれないけどね。でも私、魔王の娘だから」


「ちょ、ちょっと待って」


 ここで聖菜が口を挟んできた。


「あなた、魔王の娘って、本当だったの!?」


 質問する声が裏返っていた。そりゃ、そうなって当然だろう。その反対に、ユーファは平然としていた。いや、ちょっと訂正。あきれた顔をしている。


「だから、最初からそう言ってたんだけど。信じてくれなかったの?」


「だって、魔王の娘だなんて。そんなのが、なんで私たちと一緒にいるのよ!?」


「だから勇者になりたいんだって、これも言ったと思うけど?」


「――そりゃ、まあ、確かにそうだけど」


 ユーファの説明に、聖菜が困ったように口を閉じた。そのまま、どうしていいのかわからないって顔でこっちを見てくる。


 そんな顔されたって、俺だって、どうしたらいいのかわからない。


「あ、そうだ。いまのОLっぽい魔王軍と、会社員にとり憑いていた妖魔、映像記録は撮ってあるか?」


 仕方がないので、俺は別件の話を振った。聖菜が、あ、と言う顔をする。


「まずったわね。どうだったかな」


 言いながら、自分の胸元のペンダントに手を触れる。俺も同じことをした。驚いていて、マニュアルにある操作をすっかり忘れていたのである。――やっぱり撮ってない。


「それって大切なことなの?」


 ユーファがのんきな調子で聞いてきた。


「一応は重要だな。魔王軍の残党を見かけたら、とにかく映像を撮って、本部で保管することになってる」


「過去に出没した奴だったら、過去のデータから、どういう行動をとるのか予想できるしね」


「あ、そうなんだ。でも、それ、今回は、あんまり意味がないかもね」


 俺たちの説明に、ユーファが天真爛漫な顔で言ってきた。


「だって私、もう二度とくるなって命令しちゃったし。あの魔王軍の――たぶん、幹部だと思うけど、ここにくることは絶対ないと思います」


 途中で敬語になるのが、ユーファの話し方の特徴らしい。それはいいとして、俺はため息をついた。


「話はわかったけど、特別手当がパーになったぞ」


「え?」


「あのな。魔王軍の残党と出っくわしたんだぞ。それで、問題なく追い返した。映像が残っていれば、俺たちの経験したことは本当だって証明できる。そうなれば特別手当がついたはずなんだ」


「私たちの評価自体もあがったでしょうしね」


 これは聖菜だった。せっかくのチャンスをパーにしたせいか、不機嫌そうである。それを見ていたユーファが、よくわからないという表情をした。


「あのさ、お金が欲しいなら、私、むこうに戻って、少しとってこようか?」


「そっちの貨幣なんか、こっちで使えないよ」


「あ、そうなんだ。じゃ、黄金は? 黄金なら、こっちでも普通に価値があるんでしょう?」


「それを金に換える能力が俺たちにはないんだ」


 俺はユーファから目を離し、気絶して倒れている会社員のほうをむいた。


「とりあえず、目を覚ます気配はないらしいな。俺が背負って、勇者同盟の集会所まで運ぶから」

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