第一章・その4
反射で俺は走りだしていた。その隣を聖菜がつづく。俺たちのなかの、勇者の血筋が感知していた。これは、ただの妖魔の暴走ではない。レベルが違う。魔王軍の残党が放つ異形の気配だった。
「忘却の時刻、始動」
俺の横で、聖菜が自分のペンダントに語りかけていた。瞬時にして、俺たちの周囲が白い霧で蔽われていく。俺は腰の勇者剣に手をかけた。呼吸とともに、身体のうちで練りあげた気を勇者剣に込めていく。これで、ただの金属の塊だった勇者剣は、魔族を傷つけられる特性を帯びることになった。
「魔王軍の気配を検知しました」
俺の胸元のペンダントから、カーナビみたいな声が無感情に言ってきた。遅いよ。こっちはとっくに勘づいてる。
「目標まで、あと二〇――一〇メート――三、二、一」
全力で走って距離を詰めているから、どんどん数値が小さくなっていく。白い霧の前方に、どうにも我慢できない、不愉快なほど強大な魔力の塊が見えてくる。感じるのではなく、目に見えるほどのレベルか。
「行くわよ!」
聖菜の言葉と同時に、俺たちは敵側の魔力の渦に飛びこんだ。目で見るより先に、魔力の感じられる方向へ勇者剣をむける。
そこに、俺たちと同年代に見える、肌の白い美少女と、そして、もうひとり。やや背の高い、会社員みたいな格好をした男がいた。一見する限り、普通の人間と異なる個所は見られない。
「――なんですって。人間に擬態したまま、これだけの魔力を放出できるなんて」
俺の横で聖菜がつぶやいた。さすがに驚いたらしい。それは俺も同じだったが、そんなことで動きを止めるわけにも行かなかった。美少女の前まで一気に間を詰め、その腕をとる。――この瞬間、俺の腕にぞわっと鳥肌が立った。
まさか、この美少女は。
「あ、助けて!」
その美少女が俺を見て、悲鳴をあげて抱きついてきた。駄目だな。確認したいことはあとまわしだ。助けを求められてるんだから、ここは行動するしかない。
「離れててくれ」
人を抱きしめたまま戦うなんて器用な真似はできない。俺は会社員――の姿をした魔王軍から距離をとりながら、なるべく優しく美少女をひきはがし、勇者剣をかまえた。魔王軍が俺をねめつけ、わずかに表情を変える。
「この空間に入ってこられるとはな」
「そういう種類の人間だと判断してくれて結構」
「言われなくても、持っている武器を見ればわかる」
魔王軍が、それでも人間の姿のまま、俺に右手をむけた。その状態でも戦えると判断したのか、それとも、人間の姿が、この魔王軍のファイトスタイルなのか。考えながらも、俺はかまえていた勇者剣をバットみたいに水平に振った。同時に爆音をあげて、不可視の衝撃が俺の周囲を走る。
なんなのか、正体は不明だが、俺は敵の攻撃を跳ね返せたらしい。
「驚いたな」
ちっとも驚いていないような調子で魔王軍がつぶやいた。
「以前に会ったか? 俺の技を知ってるような感じだった」
「以前に会った人間を殺さずに見逃した経験があるのか?」
「俺は貴様たち勇者のような殺人鬼ではないのでな」
言いながら、魔王軍が、すいっと三〇センチほど横へ移動した。次の瞬間、さっきまで魔王軍がいた場所に勇者剣が振り降ろされる。
聖菜が一気に間を詰めて、魔王軍を斬り殺しにかかったのだ。空振りとはありがたい。魔王軍が、そのまま歩くみたいに距離をとり、聖菜をねめつけた。
「やはり、勇者と語り合うことは不可能か」
「待て待て待て!!」
あわてて俺は魔王軍と聖菜の間に立った。魔王軍が、はじめて表情を変える。俺の背後では聖菜の気が膨れあがった。
「どきなさいよ恭一!」
「なんだ貴様は?」
「俺は平和主義者なんだ」
聖菜への言い訳を頭の片隅で考えながら、俺は魔王軍にむかって苦笑した。
「すまないが、これでひきさがってくれないか?」
「――なんだと?」
おそらく、俺みたいな勇者と出会ったのははじめてだったのだろう。魔王軍が眉をひそめる。
「貴様、何を企んでいる?」
「話を穏便に済ませようと企んでるんだ」
俺は貴様たち勇者のような殺人鬼ではないのでな――この魔王軍はそう言った。過去に人間を見逃した経験があるのなら、俺もそうしなければならない。
俺の前で、魔王軍がふたたび無表情になった。
「そんな言葉で、俺がひきさがると思っているのか?」
魔王軍が普通に歩いて近づいてきた。――武道で言う無拍子に近い動きだ。こういうのが面倒臭い。大人しく帰ってくれないかな、と思いながらも勇者剣をかまえる横から、予想外の声が飛んだ。
「この人たちを傷つけたら赦さないから!」
俺が魔王軍から救出しようとした、あの美少女の声だった。驚いたことに、これで魔王軍がぴたりと動きを止める。
「帰りなさい! 私の命令よ!!」
美少女の言葉に、少しして魔王軍が美少女のほうをむいた。
「わかりました。またきます」
魔王軍が美少女に会釈し、つづいて俺のほうをむいた。いや、首の角度的に、俺の後ろに立っていた聖菜に目をむけていたのかもしれない。
「運がよかったな」
短く言い、魔王軍が背をむけず、後ずさるようにして、乳白色の霧の彼方に消えて行った。
助かったな。今回も無駄に敵を滅ぼすような真似はしなくて済んだ。いや、俺たちが殺されなくて助かったのかもしれないが。
「あなたって人は――」
考えている俺の背中を、切れかかった聖菜の声がぶっ叩いた。
「ただの妖魔だけじゃなくて、魔王軍の残党まで滅ぼさないなんて」
「まあまあ、大して被害もなかったんだから、いいじゃないか」
言いながら、俺は振りむいた。
「またそんなこと言って」
「それより、問題なのは、そっちの娘だろ」
俺は聖菜から目を逸らし、少し離れた場所に立っている、肌の白い美少女のほうをむいた。
「――あ、そうだったわね」
聖菜が気づいたように視線を変えた。
「だから、勇者同盟で保護して、記憶を消してもらうことになるのかしら」
「そうじゃない。さっき触ったときにわかった」
俺は自分の右手で左腕をなでた。あの、ぞわっとした感覚。
「その娘も魔王軍だ。いまやり合った相手の同類だよ」
「――え?」
聖菜が意外そうな声をあげた。そりゃ、そうなるだろう。魔王軍同士がイザコザを起こすなんて、いままで聞いたこともない事態だった。
「何それ? 嘘でしょう?」
「本当だ」
「――じゃ、あの、どうするの?」
さすがに、自分と大して年齢も変わらないように見える美少女を滅ぼすのは気がひけたのか、聖菜が訊いてきた。
「まあ、勇者同盟で保護するのが基本だろうな」
ほかにどうしたらいい? そもそも、なんで魔王軍同士で喧嘩みたいなことをしていたのか、まったく理由がわからないのだ。ほかの対応方法なんて、何も思いつかなかった。
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