第玖章~“魔導科学研究所”、始動~ / 第四節

「“研究所”……ですか?」

「うむ、そうじゃ。」

 屋敷の食堂にて、仲間たちに“事情”を語っていたところだ。“自宅”が必要となった真の理由を、である。

「しかし、その……“研究所”、でしたか?……具体的にはどのような施設なのです?」

「書いて字の如く、物事を“研究”する場“所”じゃ。細かいところは研究の内容に因って千差万別じゃが、大まかな仕事内容は次の通り……

 先ずは情報収集じゃ。研究をしようにも、その元手となる情報が無ければ始まらん。情報と言っても、形無いものだけとは限らんぞ? 研究に役立ちそうな物品の収集も必然じゃ。

 次に、入手した情報を精査し整理する。この情報はもっと詳しく調べてみよう、この情報について調べるのは次の機会で好い……などと、手に入れた情報・物品を整理整頓する事で、今後の研究を円滑に進める事が可能となるのじゃ。

 さて、研究の本番はここからじゃぞ。整理した情報と物品を元に、実際に研究を進めていく。さっきも言った通り、具体的な研究の仕方は、その内容に因って事細かに変わる。例えば……そうじゃな……歴史を研究してみると仮定しよう。その場合、目的は歴史の実態を解明する事じゃ。その為に、収集した資料を読み漁って内容を考察してみたり、歴史的な遺物を調べてみたり……場合に因っては、外に出て遺跡を調査する事もあるだろう……これを“フィールドワーク”と呼ぶ事もある……。そうして、この世界でかつて起きた事を解き明かしていく……これが歴史の研究と言うワケじゃ。

 一度の研究である程度の事が解れば、その研究は成功と言える。じゃが、そう一筋縄で行くものでないのが、研究と言うものじゃ。何かを解き明かせば、更なる謎も呼び起こされる……呼び起こされた更なる謎を解き明かす為には、更なる研究が要されると言う事じゃ。その更なる研究の為には、更なる情報が必要となるから、また収集する。研究とは、その繰り返し……終わりなき探求の旅路なのじゃ。そして、その旅路の拠点となるのが、“研究所”と言う事よ……」

 ふぅ……と一息吐き、ナトラの淹れたコーヒーを一口。芳しい薫りが口の中いっぱいに広がる。苦味と酸味、そして、コクとキレのバランスが心地好い。因みに、聖霊人の言葉では“カッフィ”と呼ぶそうだ。

「……ワシはな、この世界の事をもっと知りたいのじゃ。何故ワシが、この世界の常識を喪い、この世界の常識からかけ離れた“知識”を得たのか……それを解き明かす為には、この世界を解明する必要がある。それも、今までとは異なる視点からな。その為にも、この“研究所”は不可欠なものであると、ワシは確信しておる。更に言えば、世界を解明する為の研究に因って生じた“副産物”が、この世界の発展に役立つかもしれんしな。」

「“副産物”……とは?」

「どう例えれば、解りやすかろうかな……カタツムリを知っておるか?」

「はい。雨降りになると、草の葉に現れる虫ですね。」

「カタツムリの殻は、濡れると汚れが滑り落ちるという性質を持っておるのじゃが、これを研究に因って見出だしたとする。これは、殻の表面にある微細な構造が齎す特性なのじゃが、この構造を皿の表面に施したとしよう。すると、どうなる?」

「えっとォ……カタツムリの殻ァ濡れッと汚れ落ッからァ……」

「川の水でそそげば、簡単に汚れが落ちる皿の出来上がり……というワケじゃ。」

「おォ! そりゃ便利でがスね!」

 ……この国では綺麗な水が比較的豊富であるようだ。とは言え、無論、家の中に蛇口などある筈も無い。川縁に屈んで行う皿洗いは、大変な重労働ともなろう。その上、水で落ちない汚れは、竈の灰を用いてこそぎ落とすのだから、余計に大変だ。そんな重労働から、皿表面の加工一つで解放されるのだから、喜ばしい事この上無い筈である。

「なるほど……本来の目的は“カタツムリの殻の性質を解明する事”……ですが、それを解き明かした事で、便利な物も作れるようになる……と言う事なのですね。」

「そう言う事じゃ。それもこれも、“研究をする為の場”が無くては話にならん。故に、ワシはこの屋敷を“研究所”としても使っていきたいのじゃ。」

 三人がワシに視線を合わせ、頷く。

「ワタシは、マスターの為さる事でしたら、迷わずに着いていきますよ。」

「オラぁ、まだ難スぃ事解んねェけど……面白おもスろそうだシ、一緒ヌやるス!」

「面白そう、と言うのは確かだな。オレも出来る限り協力しようと思う。」

「……かたじけないのぅ。」

 ……判ってはいたが、いざ言葉として聞くと、感謝の念が溢れてくる。やはり、絆で結ばれた仲間と言うものは、良いものだ……

「それで、先ずは何から始めるのですか?」

「……うむ。取り敢えずは、下準備を進めていこうと思う。」

「具体的には?」

「“アルギエバ大森林”に、ワシの家があるじゃろう?」

「あぁ、あの大樹をくり貫いて造られた家ですね。」

「そこの書斎に置いてある書籍類を、この屋敷に移したいのじゃ。どのようなものが今後の研究に役立つか判らない以上、既に手の内にあるものは一ヶ所に纏めておきたい。」

「それなら、オレに任せてくれ。」

 エラセドが何故か自信満々に応える。

「はて……オヌシは、ワシの家の所在を教えていない筈じゃが……」

「その“大樹をくり貫いた家”なら、先日、利用させてもらったばかりだからな。」

「……と、言う事は……まさか!?」

「そう……“あの地下通路”は、オマエさんのうちの床下に通じてたって事さ。」

 これは驚きである。霧煙る黄昏亭の地下、賢人会議の本拠たる“星蛇の虚”から続く秘密の地下道が、まさか、ワシの家へと繋がっていたとは……確かに、ゲオルギウスは“アルギエバ大森林のどこか”へと通じていると、クェルブ翁から聞いたとは言っていたが……

「更に言うと、その地下道はこの屋敷にも通じてるらしい。さっき、ワインセラーの方に降りてみたんだが、“星蛇の虚”にあったのと似た紋様を見つけたんだ。先日の作戦で利用しなかった出口は幾つもあるから、その内の一つかもしれんな。」

「では、そこを潜って地下道へ出れれば……」

「あぁ、距離こそあるが一直線だから、曲がりくねった街道を行くよりは楽に着ける筈だ。あの“大樹の家”にな。」

「……ちょっと待て。ワシの家……もとい、“大樹の家”が、全人員の集合場所となったのじゃな?」

「そうだが……?」

「あそこへ通じる道は一本も無いし、道標となるようなものも皆無じゃ。その上、木々の生い茂る森では方向感覚が狂う……どうやって、あの場所に人を集めたのかが気になってな。」

 迷ったら遭難不可避の大森林……あの場所へと帰る為の“手続き記憶”を有しているワシなら兎も角、森の歩き方を知らぬ者が、森を貫く街道から一歩でも踏み出せば、そこは果てしなく続く迷宮と同義の場所である。合計で400名もの人員を、どうやって迷わせずに、あの“大樹の家”へと導いたのだろうか……

「あぁ……それだったら、アルシェ陛下のお陰だな。」

「アルシェの?……そうか、アイツはあの森の生まれじゃったな。」

「そうだ。陛下は、森の更に奥にある“アゥルファル族の隠れ里”まで飛んでいって、一族の者たちを何人か連れて来たんだ。アゥルファル族は森の民……彼らが導く事で、帝都潜入の為の人員は迷わずに“大樹の家”へと辿り着く事が出来た……と言う次第さ。」

 ……これは、陛下とアゥルファル族の者たちに感謝せねばなるまい。彼らがいなければ、作戦が頓挫していた可能性すらあるだけに、その功績を軽く見る事は出来なかろう……アルシェには、力を惜しまずに協力しなければならんな……

「……よし! では、じっくりと事を進めていこうかのぅ。」

「ところで、マスター。」

「何じゃ?」

「その“研究所”の名前など、お決めになっては如何でしょうか。」

「ほぅ……何故じゃ?」

「何と言いましょうか……ただの“研究所”では、何となくしっくり来ないと言いますか……」

 ……研究所の名前、か……ふむ、確かに、“研究所”とだけあっても、何を研究しているのかが判らないのは事実……

「それに、特定の名称があれば、役に立つ場面もあるとは思いますよ。」

「それもそうじゃな……ふむ……」

 さて、何と命名しようか……ワシの知識は“科学”に根差している……この世界の常識は“魔導”に根差している……この世界の常識とワシの知識の融合……“魔導”と“科学”の融合……そう、“魔導科学”!

「……よし、決めたぞ。」

「おぉ! では、この“研究所”の名は……?」

 ワシは椅子から立ち上がり、息を深く吸い込んだ……

「……今日からここは、“魔導科学研究所”じゃ!」

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魔導科学研究日誌 -EPHEMERIS MAGISOLOGIA- 狐塚蓮華 @Renge_Kitsunedzuka

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