第参章~情けと道連れの旅路~ / 第四節
「オラぁは“アクベンス地方”っつゥ
「水と森の都“カルキノス”がある事で有名な地方ですね。」
「シェラタンはどこの出身なんじゃ?」
「ワタシは“ハマル地方”の出身です。高い山岳に囲まれた地方で、世間から“秘境”などと呼ばれる位の辺境なんですよ。」
夜更け、宿部屋で談笑する三人。今の話題は、出身地に関するあれこれ、だ。ワシが“喪った記憶の手掛かりになるかも知れない”と、二人の生まれ故郷についての話を訊いたのが切欠となり、今に至る。因みに、ナトラにもワシの記憶に関する事情を話しておいた。シェラタンと違い、コイツがこれからワシと連れ立つかは判らんが、事情を知っている知り合いが多いに越した事は無い。情報網は拡げておくに限るというものだ。
「なるほどなぁ……いずれは訪れてみたいものじゃ。」
「どちらの地方も、此処“レグルス地方”からは遠く離れていますからね。」
「因みにじゃが、今いる此処“ラサラス”から、“レグルス地方”の端までは、どのくらいの距離があるのじゃ?」
「えぇっと、東に抜けるとすれば……隣国“クァルブ大公国”を越えて、更にその隣の“アルアサード大砂海”を越えれば、一応は最短でレグルス地方の端に至りますね。」
……実に遠そうじゃなぁ……
「徒歩なら、どの位かかりそうじゃ?」
「徒歩ですか? そうですね……“クァルブ大公国”は然程大きくない国ですが、森林と高地が国土の大半を占めています。強行軍で行けば、入り口とは反対側の国境まで辿り着くまで、10日程と言ったところでしょうか。」
「ほぅ。」
「しかし、“アルアサード大砂海”との境界には、“セィフ=エンシス山脈”があります。とても高い山岳が、そのまま国境を守る壁として機能しているワケですね。この山を越えるには、最低でも5日は必要になります。」
無事に国境付近まで辿り着けても、キツイ登山が待っているというワケか。
「更に、山の向こうの“アルアサード大砂海”は、その名の通り、広大なる灼熱の砂漠です。“大砂海”の砂は、一粒一粒が非常に細かく、まるで水のように振る舞います。その性質故、“砂上船”という専用の船がなければ、移動する事も侭なりません。因みに、“アルアサード大砂海”には国家が存在していませんが、砂の海に浮かぶ“島々”に暮らす人々が、各々“首長”を立てて、村や町という小さな単位で暮らしており、その町村が主体を成す共同体“アルアサード首長共栄圏”が存在しています。」
……水の如く振る舞う砂、か。それが広大な砂漠全土に広がっている、と……これは研究のし甲斐がありそうじゃ……
「先程も述べた通り、“大砂海”を越える為には“砂上船”が必要です。“砂上船”は帆船ですので、風向きにも因りますが、大体1ヶ月位あれば、“大砂海”を越える事が出来ると思います。」
……1ヶ月!? 水のように振る舞うとは言え、砂の上を航行するのだから、海上とは条件が大きく異なるとは思われるが……それほどまでに広い、という事なのだろうか……
「……総計すると、大体1ヶ月半は掛かるという事になるのじゃな?」
「はい。ただ、かなり行程を切り詰めていますので、余裕を持って目指すならば、その倍は必要になるかと思われます。」
実質3ヶ月の旅程か。目指してみるのも一興だが、先ずはこの国から脱出する事が先決だな。
「んで、“ご主人”はこれからどうすンでがス?」
「“ご主人”……?」
そんな風に呼ばれる筋合いは無い筈だが……
「シェラタンさンが“マスター”って呼ぶンだぉン、“マスター”って“ご主人様”て意味でがショ?」
……間違ってはおらん。一般的な意味では間違っておらん。だがな……
「……シェラタン。」
「……はい。」
「ワシに対する“マスター”の呼称は、一体どっちの意味で使っておる?」
「それは勿論、“師匠”という意味合いで……」
「あんレ? そンなら“お師さん”て呼んだ方がえェでがスか?」
……何でコイツはワシの事をいちいち尊称したがるのだろうか。立場上は対等な筈なのだから、普通に名前で呼べばよかろうものを……
「……“ご主人”でも“お師さん”でも、好きな方で呼べばいい。じゃが、一つ条件がある。」
「何でがショ?」
「何故、ワシの事を尊称するのか、それを教えてくれんか?」
「ソンショー?」
……ちょっと言葉が難しかったか?……
「つまりな……“ご主人”も“お師さん”も、目上の者に対して使う呼び名じゃ。仕えている雇い主や尊敬する師匠に使う呼び方なのよ。」
「それが、ソンショー?」
「そうじゃ。それを何故ワシに使うのか、という事を訊いておる。」
「何でっテ……何デ?」
首を傾げるナトラ……そんなにも不思議な問いなのか、これが?
「ワシとオヌシは対等な関係の筈じゃ。ワシはオヌシの命を救ったかもしれんが、それだけで尊敬を期待する程、ワシは自惚れてはおらんし……ワシとしてはな、オヌシとは友でありたいのじゃよ。」
「エ?」
「“ご主人”とは、仕える者が主君に対して使う呼び名……ワシに対してこれを使うという事は、オヌシがワシに仕えているという事になってしまう。これでは友ではなく、主君と家臣じゃ。
仕えるという事は、主君の為に命を投げ出す覚悟のようなもの……ワシはそのような事を、大切な友に強いたくはない。」
「………………」
「じゃから、オヌシの意図を聞かせてもらいたいのじゃよ。
ナトラは惚けたようにワシを見つめている……話が重すぎたか?……
「……何てェか、オラぁご主人が好きヌなっツまったンでがス。」
「……はぁ!?」
一瞬、思考が凍結した気がする。どうして、そういう結論に落ち着くのか、正直言って理解できない。
「
「さっきみたいな……というのは、あの小難しい話の
「んだんだ! オラぁ、ご主人みてェに
……ワシの考えすぎだったらしい。コイツは純粋に、ワシの事を尊敬しているようだ。とは言え……
「……だからと言って、“ご主人”というのは……」
「いグねェでがスか?」
「別に悪いと言っているワケでは無いが……」
「だってェ、オラご主人さ着いデいグって決めちまったンだぉン。」
……何、だと……?
「一生いっしょヌいる人さ“ご主人”って言うの、いグねェ事でがスか……?」
空色の瞳を輝かせながら、期待の眼差しを向けてくるナトラ……これは、ワシの負け、じゃなぁ……
「……よかろう! オヌシも付いてくるがよい!」
「やったァ! いぎなシ好きだっチャ、ご主人!」
吐き捨てるように宣言するなり、再び抱き付いてきたナトラ。前回よりもいとおしそうに、頭を擦り付けてくる。忘れていたが、コイツは大山猫だった……全く、ネコの愛情表現そのままじゃて……
「シェラタン……」
「はい、何でしょう?」
「どうしてこうなった……?」
「それはマスターのカリスマが成せる業と存じます。ワタシもそのカリスマに惹かれ、アナタ様を師と仰ぐのですよ。」
……ワシのカリスマ、か……これはまた、検証の難しそうな課題じゃなぁ……
「……ぉい、お客さん……!」
「亭主か?……ナトラ、ちょいと放してくれ。」
ナトラを横に除け、ワシは扉の方へ向かう……ちょっと騒がしくしたのが不味かったかのぅ……
「どうした?」
「今やってきた客の話なんだが、帝国軍の一団がこの街に迫ってきてるらしい。」
帝国軍が? ついにワシらを追ってきたのだろうか……?
「どのぐらいの規模なんじゃ?」
「1個師団、って話だ。詳しい目的までは判らないらしいがな……」
師団……1個中隊が200人だとして、8個中隊編成なら、兵員は全部で1,600人いる計算になる。いくらなんでも、ワシら二人にこの人数を差し向けるのは異常だ。何か他に目的があると鑑みるべきか。
「いずれにしろ、帝国軍の通り道に聖霊人がいるのはマズい。捕まえられて、前線でこき使われちまうぞ?」
「それは願い下げじゃな……」
帝国から逃げようとしているのに、その帝国にアゴで使われては、堪ったものではない。
「元帳と貨幣の方は俺がどうにか誤魔化すから、アンタらは今のうちに逃げてくれ。」
……コイツまでワシらに手を貸すというのか……
「しかし……」
「俺の恩人に瓜二つなアンタを、酷い目に遭わせたくないだけさ。」
……妙にカッコつけおってからに……寿命が縮んでも知らんぞ?……
「……判った。この礼はいつか必ず。」
「あぁ。生きてたら、いつかまたウチに泊まってくれ。」
妙な事になったものだ。道連れの衆は三人に増え、背後には情け容赦無き敵の魔の手が迫る。ワシは、我らの行く末に暗雲が立ち込めるのを、感じずにはおれなかった……
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