第弐章~“科学”と“魔導”は邂逅す~ / 第二節

「ワシの名前……」

「そうです。」

 考えたこともなかった。記憶を喪ってから初めて誰かと親しく会話したからだろうか。一人きりでは、名乗る必要がなかったのだから。

「うぅむ……」

 改めて考えてみれば、自分の名すら思い出せもしない。はて、どうしたものだろう。折角、名を知り合う仲となったのに、テキトーに名乗っては失礼に当たるというものだ。

「ど、どうされました?」

 シェラタンが心配そうにこちらを見ている。余り待たせるワケにもいかない。ここは素直に全てを話すべきか……

「うむ、実を言うとな……」

 そう切り出して、今までの経緯と自らの記憶に纏わる現状をなるべく簡潔に要約し、斯々然々かくかくしかじかと説明した。

「そうでしたか……それでは、ご自身の名前すらも……?」

「うむ、全く思い出せん。どうしようか?」

「さて、どうしたものでしょう……?」

 二人して頭を抱える。不思議な事に、息はピッタリなようだ。やはり、初めて会った気はしない。

『……時に、マスター……』

「ん……?」

『……生き続けるのは、“我々”です……』

 その時、ふと脳裏に声が木霊した。この声は、記憶を喪った時に見た夢の……いや、まさかな……

「どうされました? 何か、思い出されましたか?」

「いや、そう言う事では無いが……」

 考えを一新させようと、何の気なしに窓の外を見遣った。窓の上には、ひさしのように一本の太い枝が突き出している。その枝先に力強く繁っているのは、一塊のヤドリギ……ヤドリギ?

『……その名前はね、古い北方の言葉で“ヤドリギ”を意味するんだ……』

 またも、脳裏に言葉が掠む。優しげな男の声……今まで一度も聞いてはいないが、酷く懐かしさを感じさせる……

『……アナタがヤドリギのように力強く育ちますように……そう願って名付けたのよ……』

 今度は明るげな女の声……何だろう、この懐かしさは……これは、幼き頃の、父と母との記憶……?

『『……“ニハル”……』』

 そして、二人の声は、一つの名を、脳裏に力強く響き渡らせた。“ニハル”……ヤドリギを意味する古い北方の言葉……それがワシの名前……

「……あ、あの!」

「……んんっ?」

 心配そうな声に、ふっと我に帰る。傍らではシェラタンが、心許無げな表情を浮かべていた。

「どうした?」

「あ、いえ……外を見たまま、ピクリとも動かなくなってしまわれたので、つい……」

「ふふっ、オヌシは心配性よのぅ……案ずるでない。今のは、名前を思い出していた故じゃ。」

「え……お、思い出されたのですか?」

 驚愕と安堵が入り雑じった表情を浮かべるシェラタン……何ともはや、表情豊かなカンムリカラカラよのぅ……

「うむ……どうやら、ワシの名は“ニハル”と言うらしい。」

「“ニハル”……」

「古い北方の言葉で、“ヤドリギ”を意味するようじゃ。」

「……実に良い名前ですね!」

 ……妙に喜ばしげではないか? 相手の名前を褒めるというのは社交儀礼の一つではあるが……どうも、これは初対面の者に対する態度ではないようだ。

「むぅ……オヌシ……」

「な、何でしょう?」

「本当に初対面か? オヌシと話していると……何と言うか、初めて会った気がせんでのぅ。」

「はぁ……初対面なのは間違いないと思われるのですが……」

 シェラタンは、右の手(翼?)を嘴に添え、考え込むような仕草をする。どうやら、コイツにも何か引っ掛かる事があるらしい。

「何と言うのでしょう……初対面の筈なのに初対面のような気がしないというのも、また事実なのです。アナタの“ニハル”という名前も、初めて聞いた気がしませんでした。ずぅっと昔から聞き慣れていたような、懐かしい響きがしたのです。」

「ふむ……もしかすると……」

「もしかすると?」

「ワシとオヌシは、“前世”で繋がりがあるのやも知れんな。」

 途端にキョトンとするシェラタン。“前世”という単語が余りにも現実離れしていたのだろうか。

「“前世”……ですか。」

「うむ。では一つ、講義をしようか。」

 そう言って、ワシはやおら立ち上がる。

「先ず初めに……魂は実在すると思うか?」

「肯定します。」

「そう思う根拠は?」

「“魔導”の分野において、まず始めに語られるのが“魂の実在”なのです。この世界には、大源マナという不可視にして普遍なる力の奔流が存在すると言われます。この大源マナが人や物に宿ると、小源オドと呼ばれる個別の力となります。小源オドの様相は宿った人や物に因って千差万別なのですが、この様相を決めるのが魂であると説かれるのです。」

「なるほど……」

 色々と判らない単語が目白押しである。だが、今は話を続けるとしよう。

「……では、魂が実在するとしよう。ならば、その“実在する魂”とは一体何であるのか。」

「それは……」

「ワシはそれがエネルギーであると考えておる。」

「“えねるぎぃ”……?」

 ……頭上にハテナが浮かぶような表情と仕草じゃな……

「オヌシの判るように言うならば……大源マナ小源オドと同じ“力”、と言ったところか。」

「魂が……? 大源マナ小源オドと同じだと言うのですか?」

「うむ。」

 喫驚した様子のシェラタン。“魂とは力である”という考えが意外なものであったらしい。

「考えても見よ……池に石を投げ入れたら、水面には何が起こる?」

「波紋が水面に広がる筈です。」

「波は何が起こした?」

「投げ入れられた石ですね。」

「石が大きくなれば波はどうなる?」

「波は高くなるでしょう。」

「ならば、その石を魂だと仮定してみよう。同じように、水面に立つ波を小源オドだと仮定し、池の水を大源マナだと仮定する。すると、どうじゃ?」

「えぇっと……魂が大きくなれば小源オドが強くなり、小源オド大源マナに及ぼす影響もまた……はっ!」

 どうやら、理解してくれたようだ。

 魂がエネルギー……即ち“力”であるなら、同じ“力”である(と思われる)大源マナ小源オドと干渉するのは当然の事。光が当たると、当たった箇所が熱くなる……これは、光エネルギーが熱エネルギーに変換された結果と言えるが、それと殆ど同じ事である。例え、それらが魔術的なものであろうとしても、だ。

「うむうむ。ワシの言っている事は、大体そういう事じゃ。」

「なるほど……魂に関する波に因んだ例え話は、ワタシも教わった事がありましたが……」

「ほぅ、どんな話なのじゃ?」

「先程の説話と大方は同じです。

 “湖を 手漕ぎ舟にて 漕ぎ出せば

   櫂の生む波 人に由りけり”

 ……と言いまして、湖を大源マナ、櫂の生む波を小源オド、手漕ぎ舟に乗る人を魂と捉えます。この例えは、“魂は個々人で異なり、その有り様によって小源オドの様相が変化する”という事を説いているのです。ですから、魂は、“純粋な力”というより、“意思そのもの”というような解釈だったのですよ。」

「なるほど……だが、見ている側面が違うだけで、その根底にあるものは同じのようじゃな。」

 ……それにしても、風流というか何というか、五七五七七の“短歌”とはなぁ……

「ワシはのぅ、魂とは志向性を持つエネルギーじゃと思っておる。」

「えっと……その……“シコウセイ”とは……?」

「何処か何かへ向かおうとする性質……とでも言えばよいか。本来は“意識”に関する性質なのじゃが……エネルギーという意味での魂に限った話ならば、それは“意思を持つ”という意味合いになる。」

「魂そのものが……意思を持つ……?」

「うむ……魂そのものが持つ“意思”は、単純なエネルギーの振る舞いとしては限りなく弱い。だが、ワシらの肉体がそれを増幅する。結果としてワシらは、何かを考えたり、何かを感じたりできる……という事じゃ。」

「ほぅ……」

 シェラタンは、深く嘆息した。

「オヌシは“クオリア”という言葉を聞いたことがあるか?」

「いえ……」

「“クオリア”とは、端的に言ってしまえば“感覚体験”の事じゃ。海の青さ、さざなみの音……そう言った感覚的な体験の事を総じて言う。

 ワシが考えるに、“クオリア”とは“魂の抱く感覚”なのではなかろうか。」

「魂が……感覚を抱く……」

「そして、魂がエネルギーであるとするならば、その振る舞いには“体験クオリア”の影響が残る。“初対面なのに初めて会った気がしない”のは、“体験クオリア”としての感覚が魂に染み着き、それが増幅された結果ではないか……そう考えておるのじゃよ。」

「……今現在の記憶が残るよりも過去、つまりは“前世”で、ワタシとアナタは出会っていて、その“体験クオリア”が魂に刻まれている……という事ですか?」

「うむ。」

 ……無事伝わったようで何よりじゃ……

「はぁ……そのような事は今まで考えもしませんでした。実に有意義な講義でしたよ、“マスター”。」

「……“マスター”?」

 何とも充実感に満ち溢れた笑顔で、妙に聞き慣れた敬称を言い放つシェラタン。

「……あぁ、すみません。師匠の事を思い出していたら、つい……」

「そ、そうか……」

「どうしましょう? “ニハル殿”とお呼びした方がよろしいでしょうか?」

 ……うぅむ、それはそれで他人行儀な感じがして、何となくしっくり来んな……

「……いや、“マスター”のままでよい。」

「は……畏まりました、マスター。」

 斯くして、白いキツネとカンムリカラカラ……“科学”の研究者と“魔導”の求道者は、“”巡り会ったのである……

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