第参章~情けと道連れの旅路~ / 第二節

「今夜の晩飯はどうする?」

「居酒屋の方で食べ物が出るなら、それをいただきましょう。」

 宛がわれた部屋の中で話し合うワシとシェラタン。日は暮れなずみ、西の空をあけに染めている。

「直に夜じゃな。では、そろそろ参ろう。」

「はい。」

 腰掛けていたベッドからすっくと立ち上がり、受付横の居酒屋へと向かった。居酒屋にはそれなりに人がいて、皆、賑やかに酒を呑み交わしている。その中に聖霊人はいないようだが、ワシらの事を異端視するような感じはない。

「おぉ、お客さん……えっと、“レフル族のニハル”さんと、“ファルキ族のシェラタン”さん、だったか?」

「そうじゃ。」

 バーカウンターに立つ亭主が、元帳へと記載した名前で、ワシらの事を呼んだ。どうやら、憶えていてくれたらしい。ワシらはカウンター席に二人並んで座る。

「ご注文は?」

「今ある物で構わんから、食い物と飲み物を。」

「肉類はさっき切れちまったんだ。出せるのはパンとサラダとワインだけだが、いいか?」

「構わん。」

 ……干し肉は持っているしな……

「じゃあ……5コパルで。」

「5コパルですね。」

 咄嗟に、シェラタンが懐から、豆粒のような銅貨を亭主に差し出す。その数は5枚……なるほど、この銅貨一つで、1コパルか。

「毎度あり。では、少々お待ちを。」

 代金を受け取った亭主は、カウンターの中で準備を始めた。

「シェラタン。」

「何でしょう?」

「貨幣について聞きたい。種類は、金・銀・銅の3つか?」

「一般的には、そうですね。“コパル”は銅貨で、これが10枚……つまり10コパルで、銀貨である“シルフル”と交換できます。」

「銀貨は“シルフル”というのか。では、10シルフルあれば……」

「1グルと交換可能です。」

 金貨1グルの価値は、銅貨100コパルに等しい……という事だな。

「我ら聖霊人は、基本的にこの三種類を用いますが、これらと等価な貨幣が存在します。」

「ほぅ……」

「金貨“クリュソス”、銀貨“アルギュロス”、銅貨“カルコス”の三種類です。価値はそれぞれ等価で、例えば、1グルは1クリュソスと交換できます。」

「金貨・銀貨・銅貨が、それぞれ二種類ずつある……という事か?」

「はい。後述の三種類は、今、我々がいる“レグルス地方”において、主に聖霊人では無い普通の人々に用いられています。」

 人間用の貨幣という事か。しかも地方限定と見える。他の地域に赴く際は、両替が必要になりそうだ。

「しかし何故、聖霊人だけが使う貨幣があるのじゃ?」

「詳しい理由は不明ですが、かつて“聖霊人だけの国”があった名残……と言われています。今は、伝説の如く語り継がれるような話ですけどね。」

 なるほど、グルやシルフル、コパルは、その“聖霊人だけの国”の貨幣だった……という伝説があるのか。或いは、伝説では無く、本当に“聖霊人だけの国”というのがかつて実在していて、その時の習慣として、今でも専用の貨幣を使い続けているのかも知れない。

「俺は、あると思うぜ。」

「ん……?」

「“聖霊人の国”の事だよ……お待ちどお。」

 亭主が、木の皿に入ったサラダと、色の濃い丸型パンのスライス、木製のジョッキに注がれたワインを持ってきた。意外と豪勢な見た目である。

「何故、そう思うのじゃ?」

「その国を追い求めてる探検家ってのは、結構な数がいるもんだ。今んところ、見つかったって話は聴いてないがな。」

「ほぅ。」

「何でも、聖霊人たちの貨幣は、地中から掘り出される事が多いらしい。金なら兎も角、銀や銅は朽ち果ててもおかしくないのに、とても綺麗な状態で掘り出されるんだ。そのまま、取引に使えるくらいにな。」

「それは事実です。今、流通している我らの貨幣は、その殆どが発掘品なのです。新造品があるという話は聴いたことがありません。」

 ほぅ、あれらが発掘品とはな。新造のものと見紛う程に良い状態なのは、この目で見て確かめた。

「それに、貨幣が空から降ってきた……何て、眉唾話を聴いた事もある。」

「それはワタシも聴いたことがあります。尤も、そんな事は一度も経験したことがありませんけど。」

 ……降ってくる、とは、また奇っ怪な話じゃな……

「じゃが、それだけで信じるのか?」

「信じちゃマズイのかい?」

 亭主はおどけた様子で問いを投げ返した。

「そう言う事では無い。何か他に、信じる要因がある筈じゃと思うてな。」

「うぅん……何て言うかな……って思ってるんだよ。」

 “”……?

「俺がガキの頃、近場の小さな森で狼の群れに襲われた事があるんだ。」

「ふむ。」

「猟師をしてた親父にくっついて行った時だったんだが、運悪く親父とはぐれちまってな。一人でいるところを襲われたんだよ。あん時は、怖くて身動ぎ一つできなかったんだが、そん時、誰かが颯爽と現れて、狼共を蹴散らしてくれたんだ。」

「それが、聖霊人だった……と?」

「あぁ。顔は見えなかったが、後ろ姿は憶えてる。オマエさんにそっくりな、白い狐の聖霊人だったよ。」

 ワシにそっくりな聖霊人、か……

「それ以来、あの聖霊人には会ってねぇ。親父に訊いたら、“白い狐の聖霊人は数百年に一度しか現れなくて、普段はどこか遠いところにある故郷で暮らしてる”って言うんだよ。だから、俺はそこが“聖霊人たちの国”だと思うのさ。」

 ……白い狐の聖霊人……ワシの、故郷……

「……もし、その“聖霊人たちの国”に行けたとして、件の聖霊人と再会できたら、何と声掛けする?」

「……“ありがとう”って一言、言いたいね。」

「そうか……」

 その一言は、感謝の念に満ちていた。命の恩人に対する、最大にして純粋な感謝の想い。例の聖霊人は……恐らく、ワシではないとは思うが……それでも、その一言は確実にワシの心を暖めたのである。

 そして今、ワシは明確な目標を一つ、見出だした。例の“聖霊人たちの国”があるとすれば、其処は、この世界におけるワシの故郷である筈。なればこそ、いずれは訪れねばなるまい。記憶を喪ったこのワシの、この世界における正体というものを知る為にも……

「いやぁ、それにしても……」

「何じゃ?」

「……オマエさんがうちの宿を訪ねてきた時は、正直、ビックリしたね。命の恩人がやって来たのか、と思ってな。」

「それで、宿代をマケてくれたのですか?」

 何? 本来はもっと高額なのか?

「この辺りの相場では、一人当たり2グルだと思っていましたが……」

「……他のお客には黙っといてくれ。な?」

 ……二人とも、声が小さくなっておるぞ……

「ん? 何の騒ぎじゃ?」

 宿屋の外から、何事か騒ぎ立てる声が響いてくる。声の感じからして……男が二人、年若い女が一人、と言ったところか。

「だかラ、オラはなンもくすねてねぇでがス!」

 これは女の声だ。愛嬌ある声質だが……何というか、物凄く訛っている。

「嘘を吐くな! 我が隊の荷馬車から食糧を盗んだのは判っているのだぞ!」

 これは男の声……“我が隊”と言っている事から、もしかすると、帝国軍か?

「ウソなんて吐いてねぇスよ! 信じてけさイ!」

「腹を空かせた“泥棒猫”め。麻袋に詰め込んで、帝都へ持ち帰ってやろうか?」

 ……“泥棒”? まさか……

「シェラタンは此処で控えておれ。」

「……マスター?」

 ワシは席を立って、ドアの格子窓から外を伺う。

「ヒッ! な、なヌするんでがスか!?」

「決まっている! 帝都の貴族方にオマエを献上するのだ!」

 男共は、その装備からして、帝国軍兵士に間違いない。絡まれている女は……

「や、やめてけレ! ゴメンなしてくなイ!」

 ……少女と言って差し支えない年頃か。だが、彼女は明らかに普通の人間でではない。

 頭頂部には、先端の黒い飾り毛が特徴的な三角耳が生えている。髪は所謂ボブカットだが、全体的にシャギーが入っていて、色はグラデーションが掛かった薄茶色、そして、黒い斑点が目立つ。瞳は空色で、恐怖と困惑に揺れているようだ。服装は、半袖の亜麻布リネン製チュニックの上から、毛皮で出来た袖無しで丈の短いフード付きジャケット、同じく鞣し革製のショートパンツを履いている。ブレーのような下衣は着用しておらぬようだ。手先と足先には何も着用していない。が、衣服や靴の代わりに毛皮がある。髪と同じく薄茶色で、黒い斑点がある、柔らかそうな毛並み。その指先の爪は、黒く鋭い鉤爪……あれは猫科に特徴的なもの。そして、黒い縞模様のある太く短い尻尾……あれは、大山猫だ。大山猫の聖霊人だ。

「だ、誰か! 助けてけさイ!」

 助けを求める大山猫の聖霊人。彼女の両脇には、ワシらをも付け狙う帝国軍兵士……ワシは、どうするべきか……?

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