第参章~情けと道連れの旅路~ / 第三節

「だ、誰かァ!」

「こらっ! 騒ぐなっ!」

 大山猫の聖霊人が、二人の兵士に絡まれている。相手が帝国軍という事もあってか、酒場の酔客たちも、気にする素振りは見せても、我関せずという姿勢を貫くようだ。ワシは……

「……“同類”を見捨てる事など、出来ぬわな……」

 ……誰にも聞こえないように、小さく独り言ちる。結論は定まった。最早、悩む事も無い。

「やぁやぁ、其処なる者共よ!」

 ワシはなるべく派手に、宿屋のドアを開け放つ。兵士たちと大山猫は、一斉にワシの方へ視線を送った。

「な、何だ、貴様は?」

「名乗る程の者ではない。」

「我々は盗人を連行するところなのだ。用件があるなら早く言え!」

 ゆっくりと、仰々しく前に歩を進める。空はすっかり暗くなり、月明かりと兵士の一人が持つ松明だけが、辺りを照らしていた。

「いやなに……こちらが心地好く酒を嗜んでおるというのにな、主らが騒々しく騒ぎ立てるものじゃから、気になって仕方ないのじゃよ。」

「我々は盗人を詰問していただけだ。気になるのはそっちの勝手だろう!」

 兵士たちは、まだワシの容姿に気付く様子を見せない。想定通りである。人の目は暗闇での視力に優れないし、宿屋の建物が月の明かりを遮っている所為で、ワシは今、夜の帳より暗い影の中にいる。ワシの身が月光に曝されるその時まで、兵士たちを誤魔化す事ができそうだ。

「酒場の客たちも、怪訝そうしておったぞ。そんなところで騒いでないで、主らも一緒に呑んだらどうじゃ?」

「何ぃ?」

「互いに盃を交わせば、些細な憂さなど晴れるということよ。今夜は呑んで寝て、明日になったらソヤツを連れていけば良い。」

「しかし……その間、この盗人はどうする心算だ?」

 ……もうじき、月明かりの中に出る。チャンスは一瞬しかない……

「ワシが見ていてやっても構わんが……」

「酔客如きに……なっ!?」

 兵士たちの目が、ワシの容姿を捉えたようだ。月明かりに照らされて、夜風に靡く白銀の髪が、夜闇の中に煌めいた。

「貴様は確か、先日の報告にあった……」

「今じゃッ!」

「何っ!?」

 ワシの掛け声に合わせて、大山猫の聖霊人が兵士たちの拘束を振りほどく。ワシに注意を向けた所為で、手元が疎かになったようだ。

「ふっ……!」

「貴様っ!……えっ?」

 兵士たちから見れば、一瞬の内にワシが消え去ったように見えた事だろう。然もありなん。逃げ出した大山猫に兵士たちの視線が奪われた瞬間、ワシは素早く跳躍し、兵士たちの頭上を越えたからだ。

「てやっ!」

「がっ!?」

「とぅっ!」

「うぐぅ!?」

 兵士たちの背後に着地しつつ、一人の蟀谷こめかみに手刀を食らわせる。続けざまに、振り向いたもう一人には、鳩尾みぞおちに膝蹴りをお見舞いする。人体急所への打撃……“当身あてみ”である。蟀谷を打たれた方は即座に卒倒し、鳩尾に膝が食い込んだ方は、息を詰まらせ失神したようで、膝を引き抜くと同時に、その場にドサリと倒れ込んだ。

「ふぅ……手加減とは難しいものじゃな。」

 このままでは、こいつらが目覚めた時に、また厄介な事にもなりかねん。思案しながら背後を見ると、そこには空の馬止めがあった。これ幸いと、ワシは兵士たちを馬止めに担ぎ込んで、そこに置かれた藁積みに連中を放り込む。

「あ、あのゥ……」

 一仕事終えて外に出ると、可愛らしい大山猫がこちらを見詰めていた……何じゃ、戻ってきたのか……

「た、助けてくだスって、どうも……」

「礼なら後で聞くから、ワシに付いてこい。」

 話を遮られてキョトンとする大山猫の手を引き、ワシは宿屋の中へと退散する。外で長話をしていては、目覚めた兵士たちの相手を再びする羽目になるからだ。

「マスター、一体何事が……」

「シェラタン、宿代を1グル追加じゃ。」

 話をするなら密室の方が良い。ワシは亭主に話をつけ、助けた大山猫の聖霊人をワシらの部屋に匿った。因みに、宿代の方は、事情を察した亭主が5シルフルにマケてくれた。実に相場の1/4の価格である。

「はぁ、寝床ばりでネぐ食いもンまでしぇられデ、オラぁ幸せもンでがス……あむ……」

「我らの、保存食が……」

 ガックリと項垂れるシェラタン。

「仕方があるまい。例え濡れ衣だとしても、盗人だ何だと騒がれておった者を堂々と食堂で食わせるワケにもいかんて……」

 可愛い大山猫が、干し肉に囓りついている。実に、豪快に。余程、腹が空いていたようだ。

「ぷはぁ~……ごっつぉさまでござりス。」

「実に見事な食いっぷりじゃったな。」

「干し肉の残り枚数は……(ブツブツ)……」

 シェラタンが、鞣し革で出来た肩掛け鞄の中を検めながら、ぶつくさと何事か呟いている。あの鞄は、シェラタンがローブの下に隠し持っていたもので、旅に必要な物が一通り仕舞ってあるのだ。

「さて……事情を訊く前に、名前を訊いておこうかの。オヌシ、名は何と申す?」

「オラでがスか? オラぁ、クァトゥル族の“アン=ナトラ”っつゥもンでがス。“ナトラ”って呼んでけさイ。」

 “ナトラ”……か。ワシの好きな響きだ。

「では、ナトラ……何故なにゆえ、帝国軍の兵士共なんぞに絡まれておったのじゃ?」

「えっとォ……オラぁ、あン時はいぎなシ腹減ってダもンで、つい……」

「つまり、本当に食糧をくすねた、という事か?」

 ワシの問いに、土下座で応えるナトラ。

「そン通りでがス! ゴメンなしてくなイ!」

「全く……これでは言い逃れできんではないか……」

 ワシは、兵士共が言い掛かりをつけて、ナトラを連れ去ろうとしていたのだと踏んでいたが、まさか、本当に窃盗を働いていたとは……

 しかし、よくよく考えると、相手が帝国軍だったのもまた事実だ。食糧程度の窃盗事案なぞ霞んで消える程の所業を行っている連中が相手なら、ある意味、いい気味である。“ざまぁみろ”と言ったところか。

「ふぅ……まぁいい。帝国軍から聖霊人を救い出せただけでも御の字というものじゃ。」

「ゴメンなしてけるンでがスか?」

「うむ、許す。少なくとも、ワシの手を煩わせた事に関しては、な。」

「わぁ、あンがとなイ!」

 満面の笑みを浮かべて胸元に飛び込むと、ワシの事をギュウッと抱き締めたナトラ。顎の下に頭を潜り込ませてスリスリするものだから、素肌にモフモフの毛が当たってこそばゆい。

 これが“ハグ”というものなのだろうか。随分と開けっ広げな感謝の仕方である。抱き返してやろうかとも思ったが、シェラタンが羨望の眼差しを向けているので、思い止まった。

「……どうした、シェラタン?」

「そんな……思いっきりマスターに甘えるなんて、ワタシには、そんな……」

 ……何じゃ、甘えたいのか? 遠慮する事はないと言うに……

「オヌシのモフモフ具合からしたら、逆にワシが甘えたいところなのじゃがなぁ。」

「っ!?」

「エ? お連れさんモフモフなンでがスか?」

 今、シェラタンはローブを脱いでいる。羽毛がある所為か、下衣は身につけていない。毛皮の袖無しベストと、同じく毛皮で出来た膝上丈の半ズボンのみを着用してしているようだ。やはり、全身を隈無く覆う羽毛が、衣服の代わりを果たしているらしい。

「そっ、そんな、何と畏れ多い事を……と言うか、獲物を見るような目でワタシを見るのは何故ですか!?」

 ……実に素晴らしいモフモフだ。抱きついたら、とても心地好さそうである。

「えいっ。」

「う、うわぁ!?」

「おォ、そンならオラも!」

 ワシは堪らず、シェラタンの胸に飛び込んだ。実際、並び立つとワシより二回りほど高い身長を持つシェラタンの胸元であるから、実に飛び込み甲斐がある。と言うか、こんなモコモコでフカフカなものを見せつけられては、我慢できよう筈も無い。ナトラも後に続き、モフモフの羽毛に顔を突っ込んだ。

「んはぁ~、あったけぇ……」

「うむ、至高のモフモフである。野宿せざるを得ない時は、オヌシに抱き付くのが一番じゃな。」

「そ、そんなぁ……」

 毛布代わりにされて悲嘆の声を溢すシェラタンを余所に、ワシとナトラは至福の一時を満喫したのであった……

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