第参章~情けと道連れの旅路~ / 第一節

「無事、森を抜けたな。」

「はい。次は街道に沿って東へ行きます。国境までは、まだ相当な距離がありますので、気を抜かずに参りましょう。」

 森の外縁に立ち、眼前に広がる光景を眺めるワシとシェラタン。広大な草原に点在する森や林、それらを横切る一筋の道が見える。

 ワシの自宅がある森は、シェラタン曰く、“アルギエバ大森林”と呼ばれている、帝国領土の東側中央部に広がる広大な森林地帯……との事だ。現在位置が帝国領の東側なので、東の国境を目指そう……という事と相成ったワケである。

「しかしまぁ、ルーンとは便利なものじゃな。」

「ですが、できない事も多々ありますよ。」

 此処まで来るのも、実に一瞬の出来事だったのだ。“移動ラド”のルーンに、逆さまにした“束縛ニィド”のルーンを組み合わせたものを使ったのだが、ルーン文字は逆位置にすると意味も反転するようだ。“束縛”を逆さまにしたので“解放”となり、“脱出の為の移動”という意味を持つ“複合ルーン”が完成した……という事らしい。それを木簡に刻み込み、自身の東側に置いて、足で踏みつけながら起動させると、此処……森の東側外縁に転移したのである。

「例えば、“移動ラド”のルーンには距離的制限がありまして、余り遠いところには飛べないのですよ。」

「制限の具体的な距離とかは判らぬか?」

「それは……判りかねますね。組み合わせ次第では制限もマチマチですし。ただ、大まかな目標を定めて使うと、その目標の範疇にある場所の中で、自身に最も近い場所へと飛ぶ事になります。」

 なるほど……例えば“町”に飛ぼうとして使った場合、自身と転移先候補の相対距離に因っては、目的の方角とは真逆の場所にも転移しかねない……という事か。また、目標を“東側の町”に絞り込んだとしても、国境までに複数の町があるなら、その中で最も近い町には転移できても、一足飛びに国境付近まで転移する事は叶わないワケだ。

「……要するに、歩いて行くのが確実、という事じゃろう?」

「はい。正攻法というヤツですね。」

 ……まぁ、食糧はそれなりにあるし、気にする事も無いか。というのも、昨日、塩を揉み込んで吊るしていた生肉が、一瞬の内に干し肉になったからである。

 冗談を言っているワケでは無い。本当に、一瞬で干し肉になったのだ。シェラタンに因ると、“太陽シギル”のルーンを使ったという。“太陽シギル”のルーンには“完成”という意味があり、完成までに時間の掛かる工程に用いると、途中の経過をすっ飛ばして工程を完了させてしまうようだ。

 とても便利である。便利ではあるのだが、一体何が……正確には、物理学的・化学的・電磁気学的に、一体どのような事象が発生しているのかが気になる。機材さえあれば検証してみたいところだが……

 機材……そうか、機材か。そう言えば、ワシの“知識”にあるような工業製品の類い……例えば、工学的な機械など……は、今の今まで一度も目にしていない。出立の準備をする合間、シェラタンからは、以前聞いた政治的な分野以外の、この世界に関する物事についても話してもらったのだが、ワシの知っているような“高度な科学”に関する話題が、ほぼ無いに等しかったのは特筆に値する。初歩的な技術……例えば、“火打石で火を熾す”だとか、“水車式の脱穀機”だとか……はあるらしいが、“電気”が使われていないというのは、正直、驚いた。アイツを困惑させるのは本意ではない為、余り突っ込んでは訊かなかったが、この分だと、化石燃料式の動力機エンジンなども無さそうではある。

 ……どうやら、ワシの“知識”はこの世界の“常識”から見ると、かなり乖離しているものなのは間違いなさそうだ。となると、ワシは一体何者なのだろう。記憶を喪い、今の自分では無い自分の夢を見、この世界の“常識”から遠く乖離した“知識”を持つ……

 ……もしかすると、ワシは記憶など喪っていないのではなかろうか。夢で見た“今と異なる自分の記憶”こそ、ワシが“本当の記憶”であって、“この世界における自分の記憶”など、初めから無いのではないか。あの巨木の自宅も元々はワシのものではなく、酔狂な誰かが作ったものの部屋の中に、ワシが突然現れたのでは……

 ……いや、それでは説明のつかない事柄が、まだ無数に存在する。例えば、書斎に置いてあった薬研についても、ワシは使い方をのでは無く、ようなのだ。つまり、薬研の使い方は感覚的に修得された“手続き記憶”であり、ワシは、以前から薬研を使い込んでいた……という事の証明になる。他にも、ワシはあの自宅にある……科学的には初歩的な……設備や道具に関して、多くの“手続き記憶”を有しているのだが、この事実は、ワシがこの世界で生まれ育ったという可能性を示唆しているのである。

 ……うむ、ワシの正体に関する考察はここまでにしよう。これ以上の考察をする為には、証拠も論拠も、何もかもが足りなすぎる。

「……ター、マスター!」

「……うむ? 何じゃ?」

 はっと我に帰ると、シェラタンが心配そうにワシを呼んでいる。辺りは既に森の外縁ではなく、平原を通る街道の上を歩いているところだった。どうやら、ワシが深い考察に入り浸っている間に、身体の方は随分な距離を進んでいたようである。

「今、敬愛する我が師匠との思い出を語っていたのですが、聞いてましたか?」

「……あぁ、すまん。ワシ自らの事を深く考察していてな、もしかすると聴けていなかったかもしれん。」

 ……もしかすると、どころか、全く聴いていなかったのは内緒じゃ……

「あぁ、そうでしたか。相槌を打っていただけていたものですから、ずっと聞いていただいているものと思いまして……」

 申し訳なさそうにするシェラタン。ワシは無意識に相槌まで打っていたのか。どうやら、ワシの身体は思考と反射が完全に独立して機能するらしい。相手がシェラタンだから良かったものの、礼儀を重んじねばならない相手だった場合は、顰蹙ひんしゅくを買う原因にもなりかねん。今後は気を付けねばな……

「ところで、マスター。」

「どうした?」

「ご覧ください。“ラサラスの街”です。」

 シェラタンが指し示す先には、確かに街並みが見える。街道の両脇に複数の建物が建ち並び、それらは、民家、商店、宿屋などであるようだ。

「国境まではまだ距離がありますが、此処まで来れば帝国の影響力は大分弱まっている筈です。」

「じゃが、油断は出来んぞ? あの山賊共のように、金目当てでワシらを狙ってくる者がおってもおかしくはないからの。」

「……それは、確かに否定できませんね……」

 先日の出来事を思い出してか、険しい表情を浮かべるシェラタン。

「まだ、日は高いが、宿は確保しておくに越した事はない。」

「では、あの宿屋に参りましょう。」

 ワシとシェラタンは、街道を進んで“ラサラスの街”に入った。旅人や町人など、街道を行き来する者たちは、ワシらの事を物珍しそうには見ていないようだ。

「やぁ、いらっしゃい。」

「今夜の宿を探している。二人分じゃ。」

 宿屋に入ってきたワシらに、カウンターの向こう側から応対する宿屋の亭主。がっしりとした体格の男性で、見たところ、普通の人間だ。宿屋は居酒屋を兼ねているようで、複数の丸テーブルと椅子が並んでいるのが見える。

「今夜は……空いてるよ。二人分ね?」

「うむ、幾らかの?」

 元帳を確認し、空き部屋がある事を告げた亭主は、ワシらの姿をまじまじと見つめる。

「アンタら、聖霊人かい?」

「そうじゃが……何か?」

「だったら“グル”で払ってくれても構わないよ。二人分なら、一部屋で2グルだ。」

 “グル”? 言葉尻からして、貨幣の事を言っているようだが……

「2グルですね。では……」

 そう言うとシェラタンは、懐から金貨を二枚取り出して、カウンターに置いた。“グル”とは金貨の事だったか。

「……確かに、毎度あり。それじゃ、ここに署名してくれ。」

 差し出された元帳に名前を記載する。ごく自然と書いたが、一般的な文字はアルファベットであるようだ。

「部屋は何処じゃ?」

「そこのドアから廊下に出て、手前から数えて二番目の部屋だ。」

 亭主はカウンターの右側にある扉を指し示して言った。

「了解した。」

「では、ごゆっくり……」

 亭主の言に従って、指し示された扉を通ると真っ直ぐの廊下があって、右側に扉がずらっと並んでいる。ワシらは、手前から二番目の扉を潜った。鎧戸が付いた木格子の窓が一つ、干し藁に亜麻布リネンのシーツを敷いただけのベッドが二つあるだけの簡素な部屋だ。掛け毛布はベッドの傍らに畳んである。

「ふむ、悪くはないな。」

「街道筋とは言え、国の外れの街ですからね。格が低くても文句は言えません。」

「ワシは雨風さえ凌げれば、どんなとこでも寝れるぞ?」

「それを言ったら形無しですよ……」

 シェラタンは、呆れた様子で肩を竦めてみせた……

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