第漆章~新生、“賢人会議”~ / 第四節

「ん……んぅぅ……」

 ゆっくりと瞼を開く。身体の自由は許されているようだ。しかし、眼前には暗闇しか見えない。

「ふぅ……酷い目にあった……」

 妙な声が聞こえたかと思ったら、金槌で執拗に叩かれたかの如く脳を揺さぶられて、気を失い……気付けば、真っ暗闇の只中に一人きりとは……

 取り敢えず、身体を起こし、立ち上がってみる。認識的には、地面と下向きの重力はあるようで、暗闇の中に立つことはできた。しかし、その地面を視認する事はできない。しゃがんで手を伸ばしてみても、地面があると思われる面を素通りする。物理的には存在しない地面に立っている……何とも理解し難いが、そんな感覚だ。

 周囲に明確な光源が無いにも関わらず、自己の身体を視認する事はできる。だが、ワシの肉体が光を放っているとか、そう言う事は一切無い。ただ、視認できるのだ。それ以上でもそれ以下でも無いが、理由や原理は一切不明である。

 兎にも角にも、奇妙極まりない空間だ……いや、そもそも、巨視的マクロな空間であるかどうかさえ不明なのだ。ここが物質的空間である論拠も、そうでない論拠も見当たらない。全く……ここは一体何なのじゃ?……

『ここは、魂の領域。ありとあらゆる理の底。』

「何奴……!?」

 気を失う前に聞いた声が、暗闇の中に木霊した。

『我は、汝ら人の子が“戒律の主クェーゴルムル”と呼ぶ存在。』

「オヌシが……?」

『左様。然れども、我はこの領域そのものであり、認識する者に因って、その姿を変える。正確には、存在そのものが変容する。』

「存在が変わる……」

『然り。神を信奉する者にとって、我は神そのものである。魔導を究める者にとって、我は源素エーテルの奔流である。科学を解する者にとって、我は根元たる情報モナドである。』

「……言い方は遠回しじゃが、要するに、オヌシは世界の根源そのものである、という事か?」

『左様。然るに、我は無数の側面を持つ。人がその外面に、無数の仮面を被るが如く。』

 仮面……心理学で言うところの“ペルソナ”の事か。外部の状況に対し、外面を変化させるその様は、正に“言い得て妙”と言えるだろう。

 観測する者に因って、その存在を変える“曖昧”な存在……いや、“曖昧”である事こそが“絶対的”な存在、と言うべきか。“世界の根源”を表現する数多の側面は、その全てが“true”であり、そして、同時に“farce”であるのだろう。“真偽”は観測者に因って切り替わり、その者にとっての“絶対的”な根源となる。他者にとっては、また別の“絶対的”根源であるように振る舞う。その“真偽”の振る舞いは、まるで、重ね合わせの状態にある量子のようだ。

「なるほど……例えば、“戒律神”としてのオヌシは、ある者にとっては真実であり、別の者にとっては真実でない……というのが、オヌシの真理か。」

『真理は一様に非ず。真理とは、食い違う無数の真実の総体である。合わせ鏡の無限回廊、その無数の層に浮かび上がる、互いに相容れない存在の影……それこそが、我が真理。』

「ふぅむ……然らば、ワシが認識するオヌシは、神か? 魔導の根源か? それとも、万物の理論か?」

『いずれにも非ず。しかし、その全てである。』

「ほぅ……どれでも無いが、どれでもある、と……存在の収束が起きていないのならば、ワシはまだ観測者たり得ぬという事か。」

『否。汝は既に観測している。我は、汝が認識し得る全ての形に収束した。我が声を聞くは、斯くしてある事なり。』

 ……既に? しかし、目の前には暗闇しかない。物質的で無いにしても、認識の中に現れていないというのは妙だ。

『姿を視たくば、目を凝らせ。汝の思うがままに、我が姿は現れるであろう。』

「目を……っ!?」

 言われた途端に、世界が一変した。暗闇は全て目映い星空に変わり、足元には輝く魔方陣が現れる。その魔方陣は、魔術的な図形の中に、無数の数式が書き込まれたもの……

『これが、汝の望む我が姿である。』

「そうか……オヌシは全て認識者次第の存在なのじゃな?」

『左様。然れども、我は“存在”に非ず。“存在”とは結果……故に、我が“存在”たり得るかは、汝の認識次第。』

「ほぅ……ところで、ワシに資格ありとの事じゃが、その“資格”とは何ぞや?」

『我が側面の多くを、同時に認識できる事……これが“資格”である。』

「……それが“資格”たる由縁は?」

『根源に対し、複数の認識を併せ持つ事……これ即ち、一つの理に縛られぬ者であるが故。我は全てであり、全てではない。一つの理に生きる者、我が声を聞く事能わず。我は真実の総体であるが故に、我が声は、食い違う無数の真実が発するもの……謂わば、“真実の微弱な波動が相関的コヒーレントな干渉を起こし増幅された音波”である。それを捉える者は、複数の理を認識する者……それこそが、我が使徒に求められる才覚。故に、これは“資格”である。』

 ……物理的な解釈でワシの解りやすいように解説してくれるとは、何とも心優しい神様である。

「なるほどのぅ……それで、オヌシはワシを使徒にするのか?」

『それは汝次第である。しかし、汝はならざるを得ない。』

「……何故じゃ?」

『汝が次のように考える故……“資格ある者には義務がある”と。』

 しかし、それはワシの考えであって、“神の意思”とは異なるのでは……

『我は真実の総体……故に、我は確固たる“自己”を持たぬ。我が意思は認識者の意思であり、我が願いは認識者の願いであり、我が望みは認識者の望みである。我は汝の写し身……我もまた、汝の前では“仮面”に過ぎぬ。それも、汝が“仮面の理論”を解するが故に。』

 ……“これ”はワシの一側面を投影しているもの……故に、ワシの思考や知識が反映されている……その為には、複数の理を認識できなければならない……なるほど、それで“資格”なのか。

「……なれば、ワシの使命は何じゃ?」

『我は今、ここに代弁する。汝が使命は、“世界の解明”なり。』

「“世界の解明”……」

『然り。使命を果たせば、汝が求むる結論へと到達するであろう。」

「そうか……それは丁度良かった。」

 ……ワシがこの世界で為そうとしている事そのものなのは、非常に助かる。向かうべき道筋は、正しいようだ。

『使命を科す事、これ即ち、契約なり。汝、我と契約を結ぶは“否”か? それとも“然り”か?』

「“然り”じゃ。望むところよ。」

 刹那、足元の魔方陣が一層強く輝いた。左手に違和感を感じる。確認すると、左の手の甲に紋様が浮かび上がっていた。蛇遣い座の紋章(⛎)を中心に据えた、数式の書き込まれた魔方陣……足元のそれを同じ紋様である。

『……我が印を以て、汝との契約は成された。我は揺蕩う全ての根源、故に汝の写し身。なればこそ、我は汝を助ける宿命さだめなり。これは、汝にとっての“真”であり、他者にとっては“偽”である。努々、忘るる事勿れ。』

「深く心掛けるとしよう。ところで……」

『汝が願いは須らく聞き入れる。我は汝の写し身であるが故に。』

 どうやら、要望は素直に聞いてくれるらしい。さて、何を頼もうか……

「……そろそろ戻ってもよいか? いつまでも気を失っていては、皆に心配を掛けてしまう。」

『承知した。既に門は開かれている。帰還を望むならば、背後の門を潜るべし。』

 振り向くと、そこには光が渦を成していた。無数の星々が、銀河を形作っているようにも見える。

「あれを通ればいいのじゃな?」

『然り。我は門より汝に語り掛ける。対話を望むなら、心に門を思い浮かべよ。然れば、我は対話に応じる。』

「了解した。では、またな。」

 ワシは、光の渦へと歩いていく。次第に強まる光に包まれて、ワシの意識が“浮上”していく。

『……忘るる事勿れ……我が語るは汝の“真”、我は他者の“真”を語らぬもの……努々、忘るる事勿れ……』

 響く警句を聞きながら、光に飲まれたワシの意識は、“魂の領域”から完全に離脱した……

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