第捌章~帝都騒乱、兆せし革新~ / 第一節

「……ター、マスター!」

「んんん……?」

 頭のぼやけが晴れていく。どうやら、“魂の領域”とやらからは、無事に脱する事が出来たようだ。ワシは安心と共に、瞼を開ける。

「……シェラタンか。」

「あぁ、ご無事でしたか! 良かった……」

 視界には、酷く心配した気配が見える、安堵の表情を浮かべたカンムリカラカラの顔が見える。しかし、周囲の様子は、気絶する前とは一変していた。

 壁を埋め尽くす本棚も、抜けるような夜空も見えない。円卓も無い……というより、何もない殺風景な部屋。蝋燭の火だけが、唯一の灯りである。強いて共通点を挙げるとするなら、石造りであるという事だけか。

「それで、ご気分は如何ですか?」

「……最悪じゃな。寝覚めは悪いし身体も痛い。ワシはあれから、どのくらい眠っておった?」

「ざっと一晩くらい……と言ったところでしょうか。とは言え、ここでは太陽が見えませんので、正確な時間は判りかねますが……」

「それより、ここは“星蛇の虚”では無いようじゃが……事情の説明を頼む。」

「……余り、聞き心地の好い話では無いと思われますが……」

「構わぬ。」

「では……」

 シェラタンがおもむろに語った、今のこの状況に至る経緯に、ワシは驚きを隠せなかった。

 ワシが気絶した後、皆でワシの事を介抱していたようなのじゃが、その時、“星蛇の虚”の隠れ蓑となっている酒場“霧煙る黄昏亭”の亭主が、血相を変えて飛び込んできたという。何でも、東方の守護を任されている筈の“帝国軍第Ⅱ軍団”が、鉄鱗山へと帝都から派兵された“第Ⅰ軍団”所属の“第五師団”をその麾下へと引き入れ、総勢数万にも及ぶ大軍で以て帝都を包囲しているらしい。市民に喧伝されたその目的は、“帝国上層部に巣食う邪な聖霊人を炙り出し、帝都を人間の手に取り戻す為”だそうだ。

 何とも物騒な話である。しかも、運の悪い事に、連中が言うところの“邪な聖霊人”たちは、一ヶ所に纏まっていた。そう、“星蛇の虚”に、である。

 連中の狙いは我々……そう気付いたゲオルギウスは、クェルブ翁から教わったという隠し通路を解放した。この隠し通路は、帝都の外……東の“アルギエバ大森林”にある“とある場所”まで、一直線に地下を貫いているという。ワシは気絶していて動けないので、一行の中で一番の力持ちであるエラセドが担いでいく事になる……筈だったのだが、その算段をしている最中に、気絶している筈のワシが、その口から言葉を発したのだという……

『我を敵の手中に収めるべし。』

 ……その場にいた全員が、この発言に驚愕した。しかも、その声は平時のワシのものとは異なり、洞窟に響き渡った音の残響にも似た“響き”が混ざっていたという。エラセドが諭すも意に関せず、次のように言葉を続けたらしい……

『我が敢えて敵の術中に落ちれば、彼の者ら、汝らへの切り札を得たとして、その心に慢心を抱かん。慢心、己が身を滅ぼすとも知らず。我、身中の獅子となりて、彼の者に牙を剥くであろう。その時こそ、革新はきざせり。』

 ……何ともはや、我ながら大見得を切ったものである。とは言え、ワシにその記憶は無い。となれば、原因は一つ……“戒律の主クェーゴルムル”、アイツの仕業に他ならない。

 その後、この詩的な言動は、大まかな作戦の流れを告げたという。要約すると……ワシが第Ⅱ軍団に敢えて捕まる事で、他の者の逃げ道でもある“星蛇の虚”を連中から隠蔽。連中は交渉のカード……というより、逃げたアルシェたちを釣り出す“エサ”としての利用価値がワシにある事から、直ぐには殺されない為、その隙に、ゲオルギウスの近衛部隊とエラセドの麾下にあった元鉄鱗山駐屯部隊を緊急招集して、最低限の戦列を整える。その後、痺れを切らした連中がワシを処刑するとなれば、帝都内部の全ての意識は、これから殺されるワシへと集中する筈。その間隙を縫って、隠し通路を逆走し、帝都内部へと潜入。ワシが何故知っているのかは不明だが……恐らくは、“戒律の主クェーゴルムル”が知っていたのだろうが……、例の隠し通路は帝都各所に秘密の出入口を持つという。そこを通れば、迅速且つ効率的に兵を帝都全域へと配置できる。そして、いざ処刑の時となったら、潜伏していた全部隊が波状的に蜂起。同時に、帝都の内外を繋ぐ全ての門扉を封鎖し、内部の軍勢を孤立させる。その騒ぎに乗じて、ワシは処刑台から離脱し、凱旋したアルシェたちと共に、敵軍指揮系統の頂点にある“軍団長”を撃破。如何に大軍勢と言えども、頭を失えば烏合の衆に変わりは無い。後は、アルシェが“第Ⅱ軍団”の臨時最高指揮官となって指揮を執れば、事後収拾が容易になるだけでは無く、国民が望む“強い皇帝”をアピールもできる……という事らしい。

 確実なように見えて、実は大博打でもある……何とも、“戒律の主アイツ”らしい作戦だ。契約を結んだ以上、助けてもらうのは道理というものだが、この助け方は如何なものか。何か一つでも失敗すれば、ワシはあの世へ真っ逆さまである。しかし、これが、あらゆる事物の根源たる“戒律神”の述べた事であるなら、これは“ただの可能性”ではない。“ヤツ”が自信を持って“ある”と言えば、それは間違いなく“ある”のだ。“無い”という事はあり得“無い”。“あれ”はそう言う存在なのである。

 しかし、どうしてもワシから離れたくないと駄々を捏ねる者がいた。ここにいるシェラタンである。その駄々を聞いたワシ……というか“戒律神”……は、シェラタンの同伴を許したという。不自然でない形で“第Ⅱ軍団”に捕縛される為には、介添えが不可欠である……との事だ。その介添えとして、シェラタンを選んだらしい。

 全てが定まった直後、上に戻っていた亭主が再び飛び込んできた。帝都の外で包囲していた軍勢の一部が、帝都内部へと侵攻してきたらしい。どうも、帝都に詳しい“第五師団”が手引きしたらしく、その内訳は、“第Ⅱ軍団”の軍団長が直々に率いる精鋭1個中隊と、“第五師団”所属の1個大隊との混成部隊……総勢、およそ600人との事だ。無論の事ながら抵抗は無く、速やかに全域が制圧されたらしい。事ここに至り、軍団長は、新皇帝が憎むべき聖霊人であると市民に公表……現在、所在不明の皇帝に対し、元老院に因る弾劾裁判を経た退位と国外追放、或いは処刑を行う為、その居場所を密告した者には褒賞を与える……とまで言ってのけたそうだ。

 最早、一刻の猶予も無い。ワシとシェラタンを残し、アルシェ、ゲオルギウス、エラセド、それとナトラは、件の隠し通路を通り、すぐさま帝都を脱出した。残されたシェラタンは、ゲオルギウスに教わった通り、隠し通路を隠蔽……すると、気を失っている筈のワシの身体が、まるで意識を取り戻したかの如く動き出したという。驚きっぱなしのシェラタンを引き連れ、ワシの身体は外へと向かい、中央広場へと出て、100人程の兵たちと大立ち回りを演じた末に、二人諸共、囚われた……そして、今に至る、という事のようだ。

「あの時……マスターは、ワタシも知らない“未知の魔術”を行使しておいででした。あの魔方陣に刻まれた文字や数字は、生涯で一度も拝見した事がありません。」

「ほぅ……?」

「宙を舞う“漆黒の魔力球”は、頑強な鎧を纏った兵士たちを、それに触れた四肢を枯れ枝の如く、直撃した者はされました。それでも血気盛んな兵たちに取り囲まれると、次の瞬間には既に、マスターは離れた空中へと転移し、宙を浮遊していて、取り囲んだ兵たちは、巨大な“魔力球”に引きずり込まれ、そして……」

「……そして?」

「……“魔力球”が弾けるように消え去ると、そこには何もありませんでした。消滅してしまったのです。跡形も無く、それこそ影すらも残さずに……」

 ……“戒律の主クェーゴルムル”め、一体何をしたというのじゃ……恐らくは、魔術的に“重力”を操っていたと思われるが……

『……今は……我が架け橋となろう……“魔導”と“科学”の……架け橋と……』

「……何じゃと?」

「マスター……?」

 ……やはり、シェラタンには聞こえていないか……ワシは、心の裡に耳を澄ます。

『……これは“力”……架け橋は“力”となる……それを如何様に使うも……汝次第……』

 ……確かに、力は使い様だ。特に、“重力”を操るとなれば、その“力”は使い方次第で、救いにも災いにも転じる可能性がある。

『……ゆくゆくは……汝こそが……架け橋となるべし……』

「……判った。じゃが、今はその時ではない。」

『……然り……今は今を切り抜けるべし……全ては宿命さだめに向かうが故に……』

 その言葉を最後に、“戒律神ヤツ”の声は聞こえなくなった。

「あの、マスター……一体誰と話しておられたのですか?」

「……“ワシだけの神様”と、じゃよ。」

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