第捌章~帝都騒乱、兆せし革新~ / 第二節

「腹減ったのぅ……」

 グゥゥ~……と、腹の虫が悲痛な叫び声を上げる。空を見ることが出来ないため、正確な時間は判らぬが、恐らくはもう一週間近く、何も食べていない。無愛想な看守要員が時折やって来て、減った蝋燭の交換をしていく際に与えられる水だけが、唯一の配給だ。並みの人間なら、疾うの昔にくたばっているのではなかろうか。

「捕虜同然の者に食事すら与えないとは……奴らは我々を飢え死にさせる心算なのでしょうか……?」

「そうやって、反乱しようと思う心を抑え込もうとしているんじゃろうよ。腹が空いては戦にならぬ……というヤツじゃ。」

「武士は食わねど高楊枝……なんて諺が、遥か東方の島国にあるそうです。痩せ我慢する事を揶揄して言うらしいですよ。」

 ……コイツは何故そんな諺を知っているのか……

「しかし、連中はまだ躊躇っておるのか? 腹を空かせた聖霊人なぞ、手負いの獣と同じじゃろうて。さっさとワシを処刑すれば好いものを……」

「……もしかして、このまま飢え死にさせて、その死を隠したまま、アルシェ陛下を釣り出す心算でしょうか……?」

「理屈としてはあり得るな。死んでも生きている事にさえすれば、ワシの利用価値を殺さずに、ワシの命だけを奪う事は可能じゃ。」

「そんな縁起でも無い事を言わないでくださいよ……」

「じゃが、派手さが足りんよ。密告者に報酬を与えると大々的に公表するような輩じゃぞ? 最後は華々しく、鮮血舞い散る断首の刑……と考えるのが相場じゃ。」

「……首が飛ぶワケですか……」

「それも、公開処刑じゃろうよ。派手なものを大勢に見せつければ、見せしめとしては完璧というものじゃ。」

「でも、どうせ殺されるなら、最後の晩餐を……むぐっ!?」

 ワシの鋭い聞き耳が、房へと近づく足音を捉えた。重厚な鎧の音、歩く速度はゆっくりだ。ワシはシェラタンの嘴を右手で握って閉じ、左手の人差し指を立てて口元に当て、“静かに”と視線で伝える。

 足音の主は、錆が目立つ鉄扉……ワシらのいる房の扉である……の前で立ち止まったようだ。ガチャガチャと音がする。鍵を開けているらしい。数秒の後、ガチャリと大きな音が鳴り、解錠がなされた事を告げる。

「とうとう、お迎えが来たか。」

 直後、ギィィィ……と軋みながら、鉄扉がゆっくりと開いた。そこに立っていたのは……

「ほぅ……キサマが、噂に聞く伝説の“クヴィータ・レフル”か。」

 ……黒地に血のように赤い装飾が施されたフルプレートを纏う騎士だった。背に纏うマントも、血で染め上げたように濃厚な紅色。その兜は、ねじ曲がったツノを装飾として持ち、人に似ているが人ではない者の憤怒の形相をその面頬バイザーとしている。あれは……悪魔だ。悪魔の兜だ。

「さて、名前でも訊いておくとしよう。これから天に召されるのだからな。死者に対する最低限の礼儀というものだ。」

「ふん……それなら、先ずはキサマが名乗ると好い。誰かも判らぬ者に殺されたとあっては、あの世で恨み節も言えんからな。」

「ふふふ……何とも剛毅な事だ……いいだろう。」

 悪魔兜の騎士は、居住まいを正すと、重厚で強い野心を感じさせるような声色で以て、名乗りを上げた。

「我輩の名は、“ガルグィユ・リヨン=ル・ロア”。帝国軍第Ⅱ軍団の軍団長である。」

「ほぉ……偉大なる軍団長殿が直々に、ワシらを処刑台まで送ってくれるというワケか……」

「そうだ。我輩がその名を晒したのだから、そちらも名乗るがいい。」

「……ワシはニハル、レフル族のニハルじゃ。」

「ワタシはファルキ族のシェラタン、我がマスター、ニハル様に付き従う者です。」

「ほぉ……絶滅危惧種の天才魔術師と、それに付き添う一番弟子……と言ったところか? 全く、良くできた師弟だな。」

 ……外見と類推だけで他人を解釈するか……こう言う輩は好きになれん……

「……理解を期待せずに言うがな、ワシは“魔術師”ではなく“科学者”だぞ。」

「“科学者”?……“学者スカラー”の事を言っているのか?」

「“学者スカラー”じゃと?」

「古代文明の遺跡や発掘品の調査・研究を生業とする者たちの事だ。一部の者は“トレジャーハンター”などと自称し、“墓荒し”と揶揄される事もある。」

 なるほど、どちらかと言えば“考古学者”に近い者たちなのじゃな。

「それにしても……キサマ、意外と学が浅いのだな。」

「記憶を失くしてしまっておるのでね……この世界の事に関しては、てんで無知なワケよ。貴殿が色々と教えてくれるのなら、あの世へ渡る船賃ぐらいにはなるやもしれんが……どうじゃ?」

「それは時間稼ぎと思われても仕方の無い発言だぞ。それに、我輩にそこまでしてやる義理は無い。生憎と、な……」

「連れない男じゃて……さぁ、疾く連れていくがよい。ワシは逃げんぞ?」

 軍団長……ガルグィユが房から出ると、入れ違いに二人の兵士が入ってきた。兵士たちは、その手に握った縄で以て、ワシらの手首を後ろ手に縛り、縛った縄を掴んで、ワシらの背中を押し出した。“さっさと歩け”……という事らしい。

「ところで……どこでワシらの処刑を執り行う予定なのじゃ?」

「帝城前の広場だ。既に、設営も済ませてある。」

「準備万端、か……」

「キサマらを捕縛してから、明日で丁度1週間になる……お仲間が助けに来るかと思い、歓迎の準備を整えて警備を固めていたのだが、どうやら、杞憂に終わりそうだな。」

 ……予定通りだ。連中は作戦に気付いてはいない……

 薄暗く殺風景な廊下……鉄扉が並んでいる事から、罪人勾留用の区画であるようだ……を抜け、階段を登って一階に上がり、正面玄関口から外に出る……久方振りの“娑婆の空気”だ。

「ほほぅ……これは凄いな。」

 ……そこはさながら、闘技場コロッセウムのようだった。要所要所に篝火が灯され、周囲を明るく照らし出している。空を見上げると、暗い曇天……どうやら、今は夜であると見える。円形の広場には、木組みの縁台が並べて置かれ、座席のようになっている。その“座席”は、広場の中央を向いて並んでいるようだ。そこには、夜更けにも関わらず、既に多数の観客が座し、その時を待っていた。服装から、その身分はバラバラで、貴族と貧民が入り雑じっているような状態……ただ、最前列に、貴族だけが綺麗に並んでいる箇所があった。恐らく、あれが元老院の連中だろう。ワシらを卑下するような目で見つめている……

「ん? これは……?」

 広場の中央……石畳が円形に敷かれている区画……に足を踏み入れる直前、突如、両腕が自由になった。後ろ手に縛っていた縄が解かれたのである。

「何故じゃ? 何故、縄を解く?」

「付いてくるがいい。」

 戸惑うワシらを余所に、ガルグィユは円い石畳の中へと足を踏み入れる。仕方無く、ワシらもそれに続く……

「さぁ! 今ここに! 我が帝国を蝕む聖霊人が二人、罰を受けるべく現れた!」

 いきなり叫び出した軍団長。その仰々しい振る舞いに、周囲から歓声が上がる……闘技場じみたこの設営、入場を告げるような口振り……まさか……

「その罰とは……恐るべき“魔獣”との死闘!」

 その直後、背後から、ズシンッ!……と、重々しい振動が伝わるのを足で感じ取った。恐る恐る、振り向くと……

「今宵、罪人を屠る“死刑執行人”は、遥か南方の渓谷に巣食いし、兇猛なる大蜥蜴……“グステーラ”!!」

 ……そこにいたのは、正に、“翼無き竜”と呼んで差し支えない存在だった。黒光りする巨大な爪……生臭い息を吐く口に並ぶ無数の大牙……ワシなど一踏みで圧殺されそうな程に、逞しすぎる前後の脚……全身を覆うは刺々しい緋色の鱗……蛇にも似たその赤黒い瞳は、蛇など比べ物にならない程の鋭さで以て、ワシの身を射抜いてくる……こんな化け物を相手に、どう戦えばいいのだ……

「さぁ! この戦い、罪人共は為す術も無く虐殺されるのか、それとも、一矢報いての共倒れか……いざ、戦いの時ッ!!」

 ……奴め、ただ殺すだけでは飽きたらず、化け物との死闘を演じさせようと言うのか……これでは、まるで、剣闘士グラディエーターではないか!

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