第捌章~帝都騒乱、兆せし革新~ / 第三節

「グギャァァァァッ!!!」

「くぅっ!」

 翼持たぬ竜の如き巨大な蜥蜴が、猛烈なる雄叫びを上げる。音圧だけでも吹き飛ばされそうな程だ。

「ど、どうしますか、マスター!」

「どうするもこうするもあるまい……戦わねば殺されるぞ!」

「しかし……こんな化け物相手に、どうやって戦えと……」

「臆したら敗けじゃ。取り敢えず生き残る……それしか手は無い!」

「そんなぁ……」

 直後、“グステーラ”と呼ばれた大蜥蜴の爪が、地面に食い込んだ。石畳に皹が入る……刹那、グステーラが、大口を開けながら、凄まじい勢いでこちらに突っ込んできた!

「気合いで避けろ!」

「は、はいっ!」

 ワシとシェラタンは、互いの反対方向へと飛び、グステーラの大口は空を喰らい、バチンッ!……という炸裂音と共に閉じられる。間一髪だった……後一瞬遅ければ、二人諸共、噛み千切られていた。

「シェラタン! 無事か!?」

「な、何とか……!」

「グァァァ!」

「ちぃっ!」

 ワシが大声を上げたのに気付いたか、狂暴そうな顔がこちらを向いた。カッと眼を見開いて、ワシを睨み付けている。

「コォォォォォ……!」

「な、何じゃ? 何をする気じゃ?」

 グステーラは、その鎌首を擡げながら、息を吸い込んでいる。深く、そして豪快に……吸い込む音が止んだ直後、奴の喉元で、ガチッ……と何かが鳴った。

「ガァッ!!」

「うわぁっ!!」

 首を振り下ろし、ワシに向けて開いた大口から、大きな“火球”を吐き出したのだ!

「おのれ……危うく、尻尾が燃えるところじゃったわ……!」

 紙一重で回避された火の玉は、背後の客席……その手前で、何かにぶつかり炸裂。その“何か”は、幾何学的な紋様が浮かぶ半透明の壁……その後ろでは、ローブを纏った術師が、両手を掲げている……そうか、魔術による防壁を巡らせているのか。確かに、こんな“処刑”の所為で観客が死んだとあっては、顰蹙を買うのがオチというものだからな……いや、待てよ……

「火を吐くのなら……冷やしてみれば、一体どうなる……?」

 ワシの頭の中に、火を操る生物の知識は無い……しかし、蜥蜴は変温動物……ならば、極端な温度低下に弱い筈……そうでなかったにしても、奴の喉を凍らせてしまえば、厄介な火球を封じる事ができる筈だ……!

「シェラタン! 奴の喉を凍らせろ!」

「えぇっ!?」

「物は試しじゃ! 急げ!!」

「コォォォォォ……!」

 奴がまた息を吸い始めた。ワシには止める術が無い……いや、だとしても!

「てやぁっ!」

「ガバァッ!?」

 全力で跳躍し、奴の喉目掛けて飛び膝蹴り!……奴の鱗を砕くには至らなかったが、息を詰まらせる事には成功した……

「ギュァァ!」

「ぐはっ!?」

 ……が、ワシは地面に叩きつけられる。頭をハンマーよろしく振り下ろし、喉元のワシを叩き落としたのだ。

「くっ……」

 どうにか立ち上がるも、眩暈がする……マズイ、このままでは……

「凍てつけ、ískaltイスカルト!!」

 ……シェラタンの呪文が響いた。途端に吹き荒れる猛吹雪!……吹雪は、まるで生き物のように、奴の喉を狙って吹き付け、そして、凍結させる。

「ガッ……グッ……!?」

「ご無事ですか、マスター!」

「あぁ……何とかな……」

 シェラタンと合流し、やっと眩暈も収まった。さて、これから反撃……と行きたいが……

「しかし、手詰まりじゃな……」

「このまま、息が出来ずに昏倒してくれれば……」

「そう簡単では無さそうじゃぞ?」

 グステーラはもがいている……が、息が出来ていないワケではなさそうだ。喉が凍って苦しいのは事実のようだが、しっかりと呼吸しているのが見て判る。極低温で発火を防ぐ事で、火球を封じたのが唯一の成果……と言ったところか。

 ……しかし、どうしたものか……ワシらには、あの頑強な鱗を貫く術が無い。鉄の鎧を砕くワシの徒手空拳も、あの鱗は破壊できなかった。生体組織でありながら、鉄よりも遥かに強靭……となれば、シェラタンの魔術も望み薄だろう。相手が金属なら、高温と低温の繰り返しによって疲労を発生させれば、強度を劣化させる事も可能だろうが、相手は生体組織……その組成の詳細が判らない以上、博打を打つべきではない。下手に色々試して、こちらが疲弊しては元も子もないのだ。

「グッ……グゥゥ……!」

「ば、万事休す……ですか?」

「残念ながら、そうかもしれん……」

 苦しみを押し殺すように、低く唸ったグステーラ。ワシらに突き刺す視線が、より一層、殺意の籠ったものへと変わる。そして、追い詰めるように歩みを始めた。

「あぁ……これ以上は、下がれません……防御術による壁です……!」

「くぅっ……!」

 直ぐ背後には魔力の壁、前方からは迫る大蜥蜴……正に、“前門の虎、後門の狼”だ……ズシンッ、ズシンッ、と響く足音が、死への秒読みカウントダウンをしているようにも聞こえる……

「グゥゥ……グァァァ……!」

「くそッ……!」

 ……考えろ……考えるんだ……何か手は無いか……打つべき策はもう残されていないのか……

『……ある……汝は既に理解している……今こそ……“架け橋”となる時……』

 脳内に声が響く。刹那、無数の数式が脳裏を駆け巡った……これは、“重力に関する公式”……?

「ガァッ!?」

「なっ……!?」

 宙を舞うグステーラ。奴が自ら跳んだのではない。ワシの左手から放たれた“不可視の何か”に因って、弾き飛ばされたのだ。そして、ワシは理解した。その“何か”とは、“重力に因って歪んだ時空そのもの”である事を。

「マスター……今、何を……?」

「ふっ……ふふふ……」

 ……“戒律の主ヤツ”め、これこそがワシに相応しい、とでも言う心算か?……重力を自在に操る世界を夢に見たワシに、“重力を操る魔術”を与えるとは!

「……シェラタン、そこでじっとしておれ。」

「は……?」

「ワシもまだ、この業を完璧に使いこなせたワケではない……不慮の事故を減らす為じゃ。」

「はぁ、判りました……」

 シェラタンを魔力の壁際に残し、円形の戦闘領域の中央へと歩み出る。弾き飛ばされたグステーラは、魔力の壁に衝突して、体勢を崩しているようだ。

「……イヤな曇り空じゃな。」

 そう言って、ワシは開いた左手を天に掲げる。シェラタンを真似て、術式の起動文を設定し……発する。

「“重力子集束球グラヴィトン・スフィア”……術式起動アクティベート……」

 詠唱と同時に、魔方陣が掌の上に展開。魔方陣からは紫電が放たれ、一点に集束……漆黒の“重力球”を形成する。

「……発射ディスチャージ!」

 完成した“重力球”は、その掛け声と共に、天に向けて射出された。周囲の大気を吸引しながら素早く上昇し、暗雲の中へと突入。ワシが開いていた左手を握ると、“重力球”は雲の中で静止、直ちに周囲の雲を吸引し始める。“重力球”を中心に渦を巻く暗雲……雲の渦は摩擦を生み、摩擦は電気を生じさせる。轟く雷鳴、閃く閃光……そして……

解放リベレート!」

 ……その声と共に、投げ捨てるように左手を払う。上空の“重力球”は、吸引・圧縮した全てを解放した……炸裂が天を裂く!

「うわっ!?」

「何だ!?」

 どよめく観客。強烈な圧力から解放された大気は、凄まじい反発力で以て、帝都上空の雲を粗方吹き飛ばした。それだけに止まらず、大気は猛烈な下向きの暴風となって、会場一帯を襲う。

「ぐぅ……操獣師テイマー! 早く蜥蜴にヤツを殺させよ!」

 軍団長ガルグィユが叫ぶ。

「だ、ダメです!」

 操獣師テイマーと呼ばれた男が、恐れ戦いた表情で言う。

「何故だ!?」

「私の支配術が届きません! 怯えているんだ……」

「怯えている……!?」

「怯えた獣は、操獣師テイマーの術を以てしても支配できないのです……あぁ、あのグステーラが怯えるなんて……!」

 ワシは当の大蜥蜴の方へと向き直す。体勢を整えたグステーラは、しかし、ワシを見る視線を一変させていた。恐怖に染まった眼……天の暗雲を悉く吹き飛ばした“恐ろしいもの”が、自分に向けられている事を悟ったか、奴は後退あとずさる。だが、背後には魔力の壁……今度は奴が追い詰められているのだ。

「グッ……グゥゥゥッ!!」

 最早、逃げ場は無い……それを知り、奴は再び息を吸った。凍った喉が次第に融けていく。体内から熱を送り込み、内部から喉を融かしているのだ。喉の凍結が融けきった直後、あの音が鳴り響く。

「ガァッ!!」

「“空間歪曲ディストーション”……!」

 吐き出される火球。ワシは左手を翳し、術式を起動。局所的に重力を高め、空間をねじ曲げる。火球は曲がった空間に沿って移動し、あらぬ方向へと飛んでいく。

「ガッ、ガァッ、グアァッ!!」

 息もつかせぬ連続発射。しかし、全ての火球は悉く逸れ、空しく魔力の壁を焦がすだけ……

「ガハァッ、グハァッ……」

 息を荒らげるグステーラ。燃え盛る火球は、自らの喉をも焼くようだ。傷にはならずとも、明らかに喉がつかえている。

「お前には悪いが、そろそろ終わらせてしまおうか……“重力子制御グラヴィトン・コントロール”、術式起動アクティベート!」

 左手をグステーラに翳し、術式を起動。途端、グステーラの巨体が宙に浮く。奴の固有重力強度を弱め、“ゼロ”にしたのだ。

重力子グラヴィトン分布総量ディストリビュート・トータル限界超過イクシード……圧潰せよ!」

「グギャァァァァ!?」

 即座に、重力強度を逆転。重力が強まり、奴の重量は平常時の数百倍にまで増大した。石畳に叩き付けられた奴の身体は、自重に耐えきれず、石畳を砕きながら、文字通りに。術式を解除すると、大量の血飛沫が舞い散った。奴はもう、死んでいる。

「馬鹿な……グステーラが……」

 驚愕する軍団長。静まり返る会場で、ワシは一人、月の光に浴していた……

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