第捌章~帝都騒乱、兆せし革新~ / 第四節

「ふぅ…………」

 降り注ぐ月光の只中で、晴れ渡る夜空を見上げた。黄金色の満月が、満天の星空に輝いている。

「………………」

 仮説の円形闘技場コロッセウム……“処刑場”として用意された筈のその舞台は、今や、不気味なまでに静まり返っていた。観客も兵士たちも、様々な感情を顔に浮かべながら、皆一様に黙りこくっている。驚愕、恐怖、畏怖、憧憬……語るべき言葉を見失ったが故の沈黙であろうか。

「……さて!」

 足の爪を地に打ち付け、鋭い音を鳴らしながら、高らかに叫ぶ。会場の視線がワシに集中した。

「“罪人”として、この遊戯じみた処刑に臨んだワケだが……ワシはこうして生き残った。故に、今一度、お主らに問う!……我が“罪”とは何ぞや!?」

 ……答える声は無い。然もありなん。“帝国を蝕む聖霊人”という曖昧な理由に添う罪状なぞ、初めから無いのだから。

「沈黙……なれば、多数決と行こうか。ワシは自らが潔白であると、ここに宣言する! これに異を唱えたくば声を上げよ。同意するなら、その沈黙を守り通せ。さぁ!」

 やはり、沈黙。会場は静かなまま、夜風だけが吹き抜けていく。

「ふむ……さて、軍団長殿。これでもまだ、ワシらの処刑を続ける御心算か?」

「ふんっ!……術師、防壁を解除しろ。」

 ワシの挑発を受けた軍団長ガルグィユは、まるで嘲笑うかのような声色で、魔力壁を展開していた術師に指示を飛ばす。直ちに術は解かれ、ガラスが割れるような音と共に、魔力の壁が消滅。軍団長は、腰掛けていた椅子から立ち上がると、右手を高らかに掲げた。

「……やはり、ここにいるのは愚民に過ぎん者共か。」

「何の心算じゃ……?」

「愚民など治めるにも値しない“屑”……聖霊人もまた帝国の“屑”……“屑”は、諸共に処分せねばな!」

 その声と共に、兵士たちが一斉に、槍の穂先を観客たちに向けた。どよめきに包まれる会場。

「ガルグィユ! 話が違うではないか!」

 抗議の声を上げたのは、軍団長の背後に列している貴族たちの一人……元老院のメンバーと思われる初老の人物。

「黙れ!……貴様ら元老院は、“屑”より性質たちの悪い“蛆虫”だッ!」

 叫び声を上げたガルグィユ。刹那、振り向き様に佩剣を抜き払い、一閃!……吹き出す血飛沫が、その鎧を赤く染める。

「寄生虫を撲滅せずして、何が“改革”か! 我が目的は元より唯一つ……この帝国の“瀉血”である!」

「“瀉血”……まさか!?」

「キサマの考えた通りだ、“科学者”。この帝国に不要なものは、武力で以て全て排除する……圧倒的な武力の前には、元老院制も、信仰すらも不要……否、“邪魔”なのだ! 聖霊人である皇帝を排除し、私が頂点に立ったならば、神都クジャルタを攻め落とし、アスティール教の“煽動者”共を血祭りに上げ、かの都を新たなる軍事拠点としてやろうぞ! 武の力で世界を制覇する……その踏み台としてな!」

 軍団長は高らかに、その野心を夜空に轟かせた……ヤバい、此奴は明らかにヤバい……こんな奴に帝国を任せたら、世界は瞬く間に混乱の渦に巻き込まれてしまうだろう……ワシの直感が、けたたましく警鐘を鳴らしているのだ!

 ……とは言え、今のワシらは人質を捕られたも同然の状況にある。下手に行動すれば、例えワシらが生き残っても、庶民たちはまず助からない。それでは、奴の思う壺だ……何か一つ、切欠さえあれば……

「……思えば、“賢人会議”の連中も愚かな奴らだった。大人しく我が覇道に付き従えばよかったものを……」

「何……!?」

「一人残らず皆殺しにしたものと思っていたが……まさか、キサマが“後継者”とはな。」

「気付いていたのか……?」

「その左手の紋章が全てを語っている。あの老骨……クェルブの左手にあったのと同じ紋章がな。」

 ……やはり、クェルブ翁も“戒律神の使徒”であったようだ。翁は奴の野心に感付き、水面下で暗躍していたのだろう。それに奴が気付き、自らの麾下にある部隊を山賊に仕立て上げ、翁を強襲させた……といった具合か。

「キサマを殺せば、今度こそ“賢人会議”の息の根を止められる……そう思ってグステーラをぶつけたが、よもや生き残るとは……」

「ふん……ワシにはやる事が山積みじゃからな。」

「ならば、大人しく首を差し出すといい。山積した問題など、あの世へ行けば気にならんぞ?」

「ワシが挑発に乗るとでも?」

「そうか……なら、ここにいる愚民共の首を一人ずつ刎ね、その鮮血をキサマに浴びせるとしよう。次第にあの世へ行きたくなる……私としては、邪魔で仕方無い“屑”の処理も同時にできて、一石二鳥なのだがな。」

 ……鬼畜か、貴様は……しかし、脅しに乗るワケにもいかない……まだか……アルシェよ……

「よし……では、先ずはこいつから殺そうぞ!」

 そう言って、軍団長がワシの前に突き出したのは、若い娘だった。非常識な恐怖に包まれ、震えている……

「むん!」

「い、いやぁ!」

 ……その背後から娘の首根っこを引っ掴み、ワシの方を向かせたまま跪かせる軍団長。そして、血に濡れた直剣を高々と振りかざし……

「聞けぇ! 帝国の“瀉血”は、この娘の血から始まるのだ!!」

「や、やめろっ!!」

「きゃあぁぁっ!!」

 絹を裂くような悲鳴が天に木霊した刹那、一陣の“風”が吹き抜けた。

「…………えっ?」

 ガシャン……と音を立て、剣を握ったままの軍団長の“右腕”が、地に落ちる。一瞬の静寂、そして……

「ぐおぉぉぉ!?」

 ……血を撒き散らす右肩を左手で押さえながら、絶叫する軍団長。後退る奴の眼前には、ワシと娘を護るように、一人の騎士が立ちはだかっていた。

「……己が野心の為に、いたいけな町娘をその手に掛けようとは……貴様、下衆だな。」

「ゲ、ゲオルギウス……!」

 帝国最強の剣の達人……現皇帝の近衛騎士、ゲオルギウス。目にも止まらぬその鋭い剣閃が、娘の首を斬り落とさんとした魔の手を、逆に斬り落としてみせたのだ。

「遅いぞ!」

「すまない。門の閉鎖に手間取ったのだ。」

「キサマら……もう容赦せん! 皆殺しだッ!!」

 怒りに任せ、軍団長は叫んだ。槍を構える兵たちが、一斉に市民を突き殺そうとする……

「全員、動くな!!」

 ……が、大声で制止が掛かり、兵たちは動きを止める。この声は……

「観念して武器を捨てろ! お前たちは既に包囲されている。“袋の中の鼠”というヤツだ。」

 ……エラセドだ。傍らには、アルシェとナトラも控えている。会場の周囲には、無数の兵士……しかし、こんなに人員がいただろうか? 鉄鱗山駐屯地の連中と近衛部隊を合わせても、せいぜい400人が限度と思っていたが……

「エラセド、これだけの兵員をどうやって集めたのじゃ?」

「帝都の直ぐ外で、さ。」

「……という事は、コイツらは……」

「そう……そこの軍団長が指揮する“帝国軍第Ⅱ軍団”の兵たちだ。アルシェが皇帝として説得したら、半数以上がオレたちの側に寝返ってくれたんだ。」

「この男は無数の兵を従える為の“地位”を欲していた。一度頂点に立ってしまえば、下々の兵たちは従わざるを得ない……その為に、陛下を皇帝の座から引き摺り降ろし、自分がそこに座す心算でいたようだ。今回の“反乱”も、その不純な動機こそが唯一の理由……陛下が丁寧にそう説明したからこそ、真に帝国のつわものたる者たちは、本来の使命……即ち、“国の民を護る心”を思い出した。たった一人の思惑の為に、それが蔑ろにされてはならない事も、な。」

 ……要するに、話せば分かる連中だった……という事か。

「……帝国軍第Ⅱ軍団、軍団長ガルグィユ・リヨン=ル・ロア大将……貴公を、国家転覆予備、及び13件の殺人に関する主犯として捕縛・勾留し、その階級の一切を剥奪します。」

「ぐ、ぐぅぅぅ……!」

 皇帝アルシェ直々の宣告を受け、怒りに震えながら地に膝を突く軍団長……正確には、“軍団長だった男”……。今までワシを追い詰めていた者が、今度はワシらに追い詰められている……

「ぐっ……ぐぐグ……ググググ……」

「ん?……どうしたのじゃ?」

 ……妙な呻き声を上げ、ガタガタと震え出すガルグィユ。怒りと言うより、苦しんでいるように見える……明らかに異常だ。斬り落とされた腕の痛みに苦しむのなら判るが、あれはそう言う類いのものではない。まるで、身体が別のものに変質しているような……

「グガァァァ!!」

「何ッ!?」

 叫びと共に、飛び出すガルグィユ。を振り撒きながら、斬り落とされた右腕を左手で掴み、鞭の如く振り回す!

「はぁっ!」

「ギャアァァ!」

 即座に相対したゲオルギウスが、奴の左腕も斬り落とした。両肩から吹き出す。周囲に漂う異臭……これは、死臭だ。死体の放つ腐臭だ……!

「グァァァ!」

「こいつ……!」

 エラセドも対応する。その得物たる大戦鎚グレートメイスで、一心不乱に突撃してくるガルグィユを殴り飛ばす。しかし、何度殴っても……鎧が酷く潰れていても……、奴は突撃するのを止めない……まるで、不死身だ……

「ちぃッ!」

「グガァ!?」

 ワシは飛び出して、奴の兜に爪を突き立てた。やはり、死臭は奴の全身から放たれている。此奴は既にのだ。誰かが此奴の死体を操っている……!

「……もういい……休め……」

「ガァッ……ガッ……ッ……」

 ワシは意識を集中させ、術式を起動……奴の体内に縛り付けられている“魂”を、魔方陣を介して引き摺り出し、そして、解放した……

「………………」

 ……白く輝く仄かな光の粒が、満天の星空へと昇っていく……ワシが兜から爪を引き抜くと、奴の“抜け殻”は、力無くその場に倒れ伏した。カラン……と外れた兜の下には、腐りきって骨の見える頭部があった……

「し、死んでいます……」

「見れば判るわ……シェラタン、これは誰の仕業じゃ?」

「詳しくは調べてみない事には……ただ、一つ確かな事があります。」

「うむ……“死霊術師”、じゃな?」

「はい……」

 ……死にかけのガルグィユを死体に変え、ワシらを襲わせた“死霊術師”……周囲で鬨の声も上がる中、ワシらの前には、未だ解けない謎が蠢いているようだった……

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