第玖章~“魔導科学研究所”、始動~ / 第三節

「ふーっ……大方は片付いたかのぅ。」

 全ての窓が開け放たれ、涼やかな風が屋敷内を吹き抜けていく。埃や塵は悉く取り除かれ、もはや舞い上がるものは何も無い。磨き上げられた木の床が、射し込む日光を反射して輝いている。

 ゲオルギウスが城から連れてきた多数の使用人たちのお陰で、ワシらがこれから住まう屋敷の大掃除は、比較的短時間の内に完了した。屋敷の内部は広く、立派であるが豪華さは控え目で、質実剛健とした造りになっている。

 正面玄関口を抜けると、エントランスホールに出る。この広いホールは吹き抜けで、二階への階段が二つ、出入口とは反対側の壁面に、互いに向かい合って備え付けられている。天井には水晶で出来ていると思しき綺麗なシャンデリアが吊るされているのだが、蝋燭に火を灯す為に、これを下まで降ろす為の機構は一切確認できない。それどころか、金属製の蝋燭立てさえ見受けられない。もしかすると、これも魔導的な代物で、何らかの術に因って、シャンデリアを構成する水晶……らしきものが、自ら光を放つのかもしれない……後でシェラタンかアルシェに訊いておくとしよう……

 このエントランスホールは、どうやら屋敷の中心であるようで、左右に廊下の端が接続されている。出入口から見て、右側が東翼への廊下で、左側が西翼への廊下だ。廊下への出入口は、シックな木彫の両開き戸に因って仕切られている。一階、二階共に、同様の構造だ。

 東翼は個室が集中する棟である。一階の端に半円形のサロンがあり、真っ直ぐな廊下に因ってエントランスホールと直結していて、廊下の両脇にそれぞれ部屋が設えられている。一階には6部屋、二階には一階より広い部屋が4部屋……個室は合わせて10部屋。サロンの真上……即ち、東翼二階の端は、どうやら書斎となっているようだ。古びた本が本棚にギッシリと詰め込まれている……虫干しもせねばならんかのぅ……

 西翼は共有空間を主とする棟だ。一階には、廊下を挟んで南側に食堂、北側に厨房があり、厨房の隣に蒸し風呂が備えられている。厨房の窯で出る熱を利用するサウナ、と言った感じか。端は倉庫になっているのだが、地下へと続く階段が設えられている。その階段を降りると、そこは、黒いガラス瓶……この世界の産業的発展度合いからすると、非常に高価な物……が、ズラリと棚に並んでいる、薄暗い地下室であった。どうも、瓶にはワインが詰まっているらしい。つまり、この地下室は、所謂いわゆる“ワインセラー”であるようだ。

 西翼二階の南側は、貴賓室として使われていたようで、簡素ながらも質の良いソファーやテーブルが置かれている。だが、このような部屋には珍しく、肖像画を含む絵画類や彫刻など、美術品に相当する品物が一切見当たらない。アルシェに因ると、先々代の皇帝……即ち、先代皇帝ゾスマの父君は、“清く、貧しく、美しく”をモットーとし、派手さや華美さを極端に嫌う御方だったと言う。その為、豪奢な装飾品や美術品など、権力や財力を誇示するような品々を方々ほうぼうに売り払い、それで得た資金でこの別邸を建て、ここで慎ましく暮らしたらしい。それ故に、“清貧帝”なる異名で呼ばれているそうだ……なるほど、先々代の意向が強く反映された建物だから、皇帝の住まいには少々似つかわしからざる佇まいの屋敷なのか……

 西翼二階の北側にある二部屋は、現在は空き部屋となっている。と言うのも、かつて、部屋の一つは先々代の自室であったのだが、崩御する寸前にこの部屋から引き払って城の方へと戻ったらしく、その際に、ここにあった全ての家財を売却し、空にしたと言う。その“皇帝の自室だった部屋”の隣の部屋は、かの“清貧帝”が売却を躊躇った“大切なもの”が納められた、“宝物室”と渾名された部屋だったそうだが、そこも当然の如く裳抜けの空となっている。まぁ、華美を嫌った男が手元に残したものなのだから、高価な物品というよりかは、想い出の品と言った類いのものだったのだろう。

 西翼二階の端は、屋根付きのベランダとなっている。“清貧帝”もここで風を感じていたのだろうか……正面玄関口の真上にもバルコニーがあり、庭園を一望できる。周囲の木々が街並みを隠している事もあり、建物が密集する帝都の中にいることを忘れてしまいそうになる程に、牧歌的な光景だ。もしかすると、“清貧帝”は田舎で暮らした事があるのかもしれない……そんな推測が頭を過るくらいに、“田舎への憧れ”とでも言うような感覚を、この眺望からひしひしと感じるのだ。

「さて、掃除は終わったが……」

 ……この屋敷をどう使っていくか、と言う事を考えなければならない。

 ベッド付きの個室が10部屋もある為、寝床には事欠かないだろう。食堂と厨房があるお陰で、食事も問題なさそうだ。蒸し風呂もあるし、日常生活を送る分には、何ら問題は無さそうである。

 となれば、次は“研究所”としての利用方法だ。幸い、先々代の元自室とその隣が空き部屋となっており、それなりの広さがある為、実験室などには充分、転用可能である。

 エントランスホールも無視はできない。この屋敷の中で一番の広さもそうだが、吹き抜け構造による高さが魅力的だ。その高さ自体が一般的な三階建ての建造物にも相当する為、他の部屋には入らないような大きさの設備・機材を容易に導入できる。それを考えずとも、これだけの広さ・高さがあれば、改造次第で幾らでも応用が可能だろう。

 ……さて、大まかな方針は定まった。ならば、実行に移す為の段取りを整えなければな。

「さて、と……おぉ?」

 ぐぐぅ……と鳴いた腹の虫。そう言えば、掃除に夢中で昼飯の事をすっかり忘れていた。見上げれば雲一つ無い晴れ空、眩い太陽の位置は、天頂を僅かに過ぎた辺り……正に、真っ昼間である。

「……何事も、先ずは腹拵えからじゃな。」

 そう独り言ちて、バルコニーから屋敷の中へ戻り、西翼一階の食堂へと向かった。すると……

「よぅ。」

「マスター、何処へ行かれていたのですか?」

「二階のバルコニーで考え事しとったのじゃよ。」

 ……シェラタンとエラセドが、長大なダイニングテーブルに据えられた椅子に着席していた。ナトラはいないが何処だろう?

「シェラタン、ナトラは?」

「彼女でしたら、厨房にいる筈ですよ。」

 ……厨房? 料理でもしていると言うのだろうか……火傷しなければいいが……

「皆さン! お待たせッシた!」

 元気な声と共に、ナトラが堂々と食堂へ入ってきた。両手で大きく四角い金属製のトレーを抱えながら。

「あっ、ご主人! ゴハン出来たスよ!」

「オヌシ……料理の出来るヤツだったのじゃな……」

 ナトラが抱えたトレーには、大小の皿が載っている。大きい方の皿には、葉物野菜のサラダと、骨付き肉……鶏の股肉らしい……の網焼きグリルが3つ。小さい方にはスライスされたパンが三枚。皿の数は大小合わせて八枚……丁度、人数分である。

「オラぁ、居酒屋とパン屋で住み込みスてた事あったもンで、そン時ヌ色々覚えたンでがス。」

「なるほど……」

 配膳しながら語るナトラ。配膳を終え、彼女が着席したのを確認したので、試しにパンを一口……

「どうでがスか?」

「……うむ、旨い。」

「ホントでがスか!?」

「恐らく、今まで食ったパンの中で一番かもしれん。」

「やったぁ!」

 ……実際、とても美味だ。濃い茶褐色の皮はしっかりとしていて、パリパリとした食感。中は薄い茶褐色で、サクサクとした口当たり。使われている小麦粉は精白されていないものだが、それ故に、複雑な味わいが楽しめる。砂糖やバターなどは添加されていないようで、粉に含まれるグルテン量も少ないようだ。この条件下では、パン生地が膨らみにくい為、焼き方次第では、硬すぎるパンが出来上がってしまう事もある。つまり、難易度の高いパンと言う事なのだが、これをここまで仕上げるとは……意外な才能である。

「……確かに、美味しいですね……」

「あぁ……駐屯地での食事が如何に劣悪だったかを、今更ながらに思い知ったよ……」

「よし、料理担当はナトラで決まりじゃな。」

「ヘッヘーン! 料理の事なら、オラにお任せでがス!」

 当屋敷の料理人シェフナトラ、誕生の瞬間である……何と愛くるしいドヤ顔である事か……

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