第肆章~鉄鱗山の“四人”~ / 第一節

 夜空に半月昇る頃。宵闇の中、月光に照らされて、三人の影が地に浮かび上がる。

「足元に気を付けろよ。」

大丈夫だいじょぶでがス。オラぁ、夜目は利グ方でがスから。」

 大山猫の聖霊人……ナトラは、自信たっぷりにそう言ってのけた。ネコ故に夜目の利くナトラを先頭に、ワシらは一列につらなって、薄明かりの平原を突き進む。

「お二人だけが頼りですよ。ワタシは夜目が利きませんから……」

「ワシかて、そんなに利くワケでは無いがな。」

「マスター、余り心配になるような事をおっしゃらないでいだたきたいです……」

 ワシら三人は、一本の麻綱で結ばれている。こうしていれば、はぐれる事はまず無い。特にシェラタンは全く夜目が利かないらしいので、はぐれると面倒な事になるからな。

「でもォ、ご主人……何で松明持って歩ガねのスか?」

「こんな夜に松明を持って歩いてみよ。例の師団に見つけられてしまうぞ。あっという間に、な……」

 街道を行かないのも同じ理由だ。大軍による行軍の場合、兵員の体力消耗を最小限にする為、目的地の近傍までは歩き易い街道を進みたがるものである。夜に灯りを持たず、街道の外を行けば、発見や鉢合わせのリスクを出来る限り減らせる……というワケだ。

「ワタシたちは、見つかってはならないのです。とは言え、このまま行けば大丈夫でしょう。」

「シェラタン……それは“フラグ”というものじゃ。」

「“ふらぐ”……とは?」

「悪い物事の切欠みたいなものじゃよ。何かを発言をした後に、不幸な出来事に遭遇してしまったとすれば、先の発言が“フラグ”だった、と言われるのじゃ。」

「なるほど……」

「これはな、“不用意に結論を急ぐと、碌な事にならん”という警句にもなっておるのじゃよ。」

 ……“フラグ”は恐ろしい、とワシの知識が告げている。一体何故かは判らぬが……

「了解しました。今後は不用意な発言に気を付けます。」

「うむ、それが良い。」

 証拠も論拠も揃わぬうちに、矢鱈な推測で結論を語ることがあってはならない……“科学者”の鉄則だ。

 ……“科学者”、か。ワシの知識は“科学”を拠り所としているのだから、ワシが“科学者”である事は当然の帰結と言える。ただ、ワシの知識は、この世界の常識とは大幅に乖離しているようだ。この事実は、この世界の常識が“科学”を拠り所としていないという事の証左である。一方で、シェラタンの言うところに因れば、“魔導”的な知識はかなり広範に広まっているらしい。特に、“大源マナ”と“小源オド”に関する情報は、勉強できる環境が整ってさえいれば、街の子供でも知っているような“常識”であるとの事だ。この事から、この世界においては、“魔導”こそが世界を構築する基本原理であるという情報が、一般常識として流布されているようである。

 ……この世界は“科学”を知らない。ここでの“科学者”は、“科学”的観点から見た“魔導師”と同義だ。この世界の者たちにとって“非常識”である“科学”を操る“科学者”……ワシは、この世界にとっての“異端”なのかも知れない。

「……ゅ人、ご主人!」

「うむ?」

 ナトラがワシを呼んでいる。何事かあったのだろうか。

「何か、灯りが見えンでがスけど……」

「灯り……?」

 ナトラの肩越しに前を見遣ると、確かに、遠くにぼんやりと光るものが見える。光の揺らぎ方からして、どうやら篝火のようだ。

「篝火を焚くとは……軍事拠点か何かか?」

「この辺りに帝国軍の基地があるとは聞き及んでいませんが……」

「どうすンでがス? ご主人……」

 帝国軍を避けて平原を行ったら、帝国軍の基地らしき場所にぶち当たるとはな……

「……仕方がない。迂回する他あるまいよ。」

「オマエたち、そこで何をしている?」

「「「っ!?」」」

 突如、背後から投げ掛けられた声に、ビクッと身を震わせる三人。ゆっくりと背後を振り向くと……

「“エラセド”様、聖霊人ですよ!」

「黙っていろ。」

「は…………」

 ……そこには、渋い声色をした大柄な騎士の姿があった。松明を持った二人の部下を引き連れている。

 松明の灯りに照らされて輝く白銀のフルプレートアーマーは、以前見たものよりも布地の部分が広く、可動域が広そうだ。鮮やかな紺色のマントが、夜風に揺れている。携えたる得物は、鉄塊かと見紛う程に巨大な槌頭……コの字型に成型された金属製の太い六角柱が、放射状に六つ突き出していて、上から見ると*のように見える……を持つ、桁外れに巨大な規格外の戦棍メイス。そして、最も目を引くのが……

「こんな夜に聖霊人が三人、灯りも持たずに彷徨うろつくとは……」

 ……その頭に被った兜である。頭部全体を覆うその形状から、基本的にはアーメットヘルムと構造を同じくしているようだが、その最大の特徴は頭頂部から前面にかけてのデザインだ。犬科動物の耳のような尖った飾りが頭頂部に付いているが、これは兜の装甲と一体成型のようであり、面頬バイザーの部分は精緻に作り込まれた狼の顔となっている。突き出た狼のマズルに相当する部分は、上顎と下顎が分かれるようになっているらしい。上顎部分のパーツは額から目元にかけてのパーツと一体成型で、繋ぎ目からすると、蓋を開けるように開く作りのようだ。正しくはこのパーツのみが、面頬バイザーと呼ばれるべきなのかも知れない。

「どうされますか、“エラセド”様。」

「ファルキ族に、クァトゥル族、あと一人は……レフル族だと?」

 “エラセド”と呼ばれた狼の兜の騎士は、ワシの存在に驚きを隠せないらしい。

「しかも、白いレフル族……まさか、伝説に謳われる“クヴィータ・レフル”だと言うのか……?」

 ……伝説? ワシが伝説上の存在だと?……

「……お前たち、この者たちを陣に迎え入れるぞ。」

「え!? れ、連行するのでありますか……?」

「間違えるなよ? 丁重に迎え入れるんだ。くれぐれも丁重に、な。」

「か、畏まりましたっ!」

 ワシの倍くらいはある巨体から放たれる威圧感に、兵士たちはタジタジだ。

「どうなっているのでしょうか……この状況は一体……?」

「さぁな。帝国軍にも色々なヤツがいるという事ではないか?」

「んだら、オラたヅはどうすればいいンでがショ?」

「丁重にお迎えしてくれるとの事じゃし、取り敢えず、ここは大人しく付いていくのが賢明じゃろうよ。」

 ……それに、このようにワシらを扱う帝国軍には、未だかつて会った事が無い。フルプレートの騎士と言えば、今のところ厭な思い出しか無いが、コイツはあの騎士とは明らかに違う何かを秘めている気がする。

「では、こちらへ……」

 灯りを持った兵士一人が前を行き、もう一人は背後を警戒しつつ、一行の後ろに着く。これはどうやら、簡易的な護送の陣形のようだ。

「ヌシよ……」

「エラセドだ。オマエたちの名は?」

「ワシはニハルじゃ。ファルキ族の方はシェラタン、クァトゥル族の方はアン=ナトラと言う。」

「オラぁの事はナトラで構わねぇスよ。」

「ならば、オレの正式名も伝えておこうか。オレの名は“エス=エラセド・アウストラリス”だ。“エラセド”と呼んでくれて構わん。」

 ……ワシの名を訊いてきたのも、コイツ……エラセドが帝国軍初じゃな……

「エラセド……不躾な質問とは思うが、オヌシの出身地は何処じゃ?」

「オレは“神都クジャルタ”の出身だ。」

 ……“神都クジャルタ”……?

「カルディア神国の首都ですね。聖庁もそこにあります。」

「そうだ。生まれ育った我が故郷……あの美しい街並みと、“クジャルタ大聖堂”の清廉なる出で立ち……一時たりとも忘れた事は無い。」

 ……どうやらコイツは、故郷を想う誇り高き騎士のようだ。言葉の端々から、誠実さが滲み出ている。

「さて……もうすぐ、オレたちの駐屯地だ。足元に気を付けろよ。」

 ……神国生まれの帝国騎士、か……はてさて、この先どうなることやら……

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