第壱章~“異邦人”の目覚め~ / 第四節

「こっちだ! こっちにいるぞ!」

「くっ!?」

 街道の奥から大きく怒鳴る声が聴こえる。恐らく、彼を狙っている陣営のいずれかから、増援が駆けつけたと言った具合か。碧の瞳のカンムリカラカラ……もとい、ローブの青年は、再びフードを目深に被る。

「おい……!」

「っ……!?」

はよ此方こっちんか……!」

 ワシは樹下に降り立ち、彼をこちらへと呼び寄せた。彼は呼び掛けに従い、ワシの側に駆け寄る。

「追われておるようじゃな。」

「アナタは一体……!?」

「折り入った話は後回しじゃ……敵の数は……」

 怒鳴り声がした方をそっと見遣ると、複数の兵士たちが迫ってきていた。相手の総数は8人。

「アナタはどうか逃げてください。私事わたくしごとに巻き込むワケには……」

「ワシはオヌシに用があるんじゃ。勝手に死んで貰っては困るでの。」

「え……一体何の……」

 ワシは彼の口元に人差し指を立てた握り拳を突き出す。“今、これ以上の会話は不要である”という意味合いのジェスチャーである。

「其処にじっとしておれよ……!」

「あっ……」

 ワシはフードの彼を木陰に残し、ヒラリと街道へ躍り出た。倒れ付した方の兵士たちは、未だ起き上がる様子はない。ただ、見たところ息はしているようなので、気絶しているだけなのだろう。

「何者だ!?」

「ほぅ……増援にしては、随分と遅いご到着じゃな。」

 声を荒らげる兵士を相手に、ニヒルな笑みを浮かべながら、そう嘯く。

「これは貴様の仕業か?」

「聞くまでも無かろう? 第一、襲い掛かってきたのは貴様らの方ではないか。」

「貴様は、我らが追っている者ではないようだが……」

 なるほど、此奴らは明確に彼を狙っているというワケか。

「誰と勘違いしたかは知らぬがな、勝手に間違った上に襲ってきたのじゃぞ? 返り討ちにされても仕方がなかろうて。」

「むぅ……それはすまない事を……」

「……まぁ、手加減はしておいた故、死んではおらん。皆、気を失っているだけじゃ。」

 実際には全て、フードの彼の仕業なのだが、今はこうするのが好い。仲間に被害を与えたのはワシであり、その原因が倒れた仲間の勘違いであるように思わせる。ワシは飽く迄、“無辜の被害者”であり、この行為は正当防衛であると思考を誘導できれば、占めたものだ。後は……

「ところで……主らが追っておるのは、“フードを目深に被ったローブの男”ではないか?」

「そ、そうだが……」

「其奴なら、街道を向こう側へと逃げ去っていくのを見たぞ。」

「なんと!」

 ……彼の行き先を偽装すれば、事は丸く収まる。此奴らは姿の見えない獲物を追って迷走し、ワシらは無事に逃げおおせる……という寸法だ。

「情報提供に感謝する。それでは……」

「うむ、達者でな。」

「……待て。」

 謝意を述べながら立ち去ろうとした兵士を、重く響く声が呼び止める。声の主は、繋ぎ目に革を用いた重厚そうなフルプレートの鎧を纏い、頭部全体を覆う黒い羽飾り付きのアーメットヘルムを被り、濃紺のマントを身に付け、腰に長剣を佩き、逆三角形の大盾を携えている。紛う事無き“騎士ナイト”の出で立ち。無論、表情は窺い知れない。

「“白狐ウルペス・アルバ”と言えば、聖霊人せいれいびとの中でも希少な存在……“冠隼ファルコ・コローナ”よりもずっと価値がある。」

 ……此奴は何を言っている?

「目標変更だ……この女狐を捕らえよ。半殺しにしても構わん。」

「何じゃと!?」

 まるで、ワシをヒトでは無いかのように、騎士はそう言い放った。付き従う兵士たちには若干の迷いも見えるが、上官の命令には逆らえないようだ。

 ……手荒な真似はしたくなかったが、やむを得んか……

「うおぉっ!」

「ちぃっ!」

「がはっ……!?」

 やおら飛び込んできた兵士に、素早く懐に潜り込みながら、肘打ちを食らわせた。瞬間的に腰だめにした右の肘を、右足を半歩前に摺り出しつつ、突き上げるように繰り出し、全重心を集中させた肘を撃ち込む。左腕と左脚は身体を中心として後方へと回り、ある一つの“型”が完成した。……この武技が“裡門頂肘”という技であると、ワシの頭脳は即座に理解する……

 肘は、薄い鉄板で出来ていると思われる胸鎧に当たったが、鈍い音と共に兵士は、太い樹の幹にぶつかって崩れ落ちる。胸鎧は無惨にも凹んでいた。胸骨の粉砕は免れまい。

「……?」

「き、貴様ぁ!」

 全くの無意識の内に繰り出された武技とその威力に、当のワシ自らが困惑している時、もう一人の兵士が剣を振りかぶり、今まさに振り下ろさんとしているところだった。咄嗟に、ワシはまたも懐に潜り込んで、肩を用いて体当たりをした。

 背後の敵に対し、素早く身を反転させながら、やはり全重心を集約した右肩を相手に叩き込む。剣を振りかぶっている所為で、がら空きとなった胴体に繰り出された強烈なる一撃。……そして、ワシはまたも理解する。これが“鉄山靠”という技であると……

「ぐがぁっ!?」

 直撃の瞬間、ワシは、兵士の胴体にめり込んだ肩から、とある感覚を感じ取る。それは、兵士の胸骨と肋骨の全てが、粉々に砕け散る“音”であった。弾き飛ばされ、樹に打ち付けられて崩れ落ち、沈黙する兵士。

 ……自ら危惧した通りとなってしまった。やはり、この身体には、容易に他者を殺傷せしめる程の“力”が秘められているのか……

「あれは東洋の武術か……何ともはや、素晴らしい。」

 ……自らの部下が二人も殺されたというのに、一体全体何を言っているのじゃ、此奴は?……

「ゲオルギウス殿! 我々では歯が立ちません!」

「ふむ……良かろう。お前たちは下がれ。」

 後退の指示を受けた兵士たちは、すごすごと“ゲオルギウス”と呼ばれた騎士の後方へと下がった。騎士は大盾を構え、直剣を抜き払う。

「貴様のような“猛獣”を狩るのは、久々だ。」

 しれっとワシの事を蔑みながら、騎士が一歩踏み出した直後、重厚なフルプレートは既に眼前へと肉薄していた。

「はぁっ!」

「ぬぅっ!?」

 騎士が振り下ろした剣の一撃は、兵士たちのそれとは比べ物にならない程の、桁外れに鋭い重撃。間一髪、紙一重で躱したワシの眼前で、刹那の内に放たれた剣閃は、大気ごと大地を斬り裂いた。地面は巨大な爪で抉られたかのように裂け、空気は悲鳴にも似た風切り音を発して鳴動する。規格外の速度で斬り裂かれた大気が、真空の刃を発生させているようだ。

 重厚な鎧兜を纏っているにも関わらず、奴は一瞬の内に、十数尺ほどの距離を詰めてみせた。それだけの膂力に、鎧の重量を乗せる事で、あの爆発的な剣速を生み出しているのか……何とも恐ろしい奴じゃ……

「ふんっ!」

 返す刃を横薙ぎに払う騎士。身体を反らして回避し、バック宙して体制を立て直したワシの頬から、熱を帯びた液体が一筋、流れ出た……これは血液か。真空の刃が頬を掠めていたのかも知れない。直後、騎士は再び肉薄し、矢継ぎ早に剣を繰り出してきた。

「つぁっ!」

「くっ!」

「ふっ!」

「ぬっ……!」

「てやぁっ!」

「っ……!!」

 袈裟斬り、突き、逆袈裟、横薙ぎ……辛うじて直撃は免れているものの、凄まじい剣速が生み出す真空の刃が、ワシの皮膚を斬り裂いていく。猛攻が止んだ時、辺りは所々が朱く染まっていた。

「ふぅ……ふぅ……」

「……素晴らしい。私を相手にここまで耐え凌ぐとは。」

 ……全身から漂う錆びた鉄にも似た臭気の所為か、何だか頭が朦朧としてくるようだ。もう、奴が何を言っているのかも聞き取れない。

 結局のところ、自分は何者なのだろうか。知らない騎士からは“白狐ウルペス・アルバ”と呼ばれ、“猛獣”だの“女狐”だのと罵られ……もう、たくさんだ。判らない事で悩むのはやめるとしよう。科学的な考察は後でやればいい。そう考えた直後、ワシの頭の中で“何か”が叫んだ。“奴の喉笛を咬み千切れ”と。

「クァァァァ……!」

「何っ……!?」

 その“何か”が、“野生”であると気付いた瞬間、ワシの身体は既に、弾丸の如く飛び出していた。奴が盾を構えるよりも速く、ワシの右手は奴の兜に爪を突き立てる。その細腕からは想像もできない程の怪力で以て、堅牢なアーメットヘルムに爪を突き刺し、面頬バイザーを握り潰した。そのまま殴り付けるように、奴の頭を地面へと叩き付ける。大地に放射状のひび割れが走り、頑丈な筈のアーメットヘルムは無惨にも叩き潰された。血潮が飛び散り、頬を濡らす。

「キャゥゥゥゥ……!」

「ひいぃっ……!」

「バ、バケモノぉぉぉ!!」

 自分でもどこから発しているか判らないような唸りを上げ、残された兵士たちを睨み付ける。たったの一瞥で恐怖に支配された兵士たちは、狂乱の叫び声を上げながら、散り散りに走り去っていった。

「ゥゥゥゥ……ふゥゥ……ふぅ……」

 破壊された兜から爪を引き抜き、その指先を見つめた。そこにあるのは、真っ赤に染まった“野獣”の爪。正気を取り戻しつつあった精神に、生々しい“殺戮”の感覚が指先から伝わった時、ワシの意識は波打つ精神の海に沈降していった……

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