第弐章~“科学”と“魔導”は邂逅す~ / 第一節

『……というように、人類は長い研究の末に数多くの素粒子を発見した。それらの素粒子が“物質”の構成要素における最小単位であることもまた、長い歴史の中で解明された事の一つなのじゃよ。』

 ……ワシは夢を見ているのだろうか。だが、このような光景に見覚えはない……いや、忘れてしまったと言うべきか?……

 “ワシ”は広い講堂に居て、背後の液晶ディスプレイにイラストや文章、数式を表示させながら……教壇に据え付けられた端末の画面に触れて、表示したいコンテンツを上にスライドさせると、背後のディスプレイに拡大表示されるようだ……、多数の人間たちに教鞭を振るっている。状況からして、彼らは“生徒”だろうが、その身体に亜人的な特徴は見受けられない。窓の外には、ヘンテコな形をしたカラフルな植物群が多種多様に繁茂する丘陵と、虹色に輝く空が見える。目が疲れそうな色合いだが、不思議と違和感は無い。恐らくは、これが当たり前なのであろう。

『ところで、“物質”の最小単位が素粒子である事は判ったと思うが、その素粒子は如何にして生まれるのじゃろう?』

 “ワシ”は生徒たちに疑問を投げ掛けた。因みにだが、ワシ自身に喋っている心算は全く無い。何と言うか、実に表現しにくいのじゃが……視覚も聴覚も嗅覚も、五感全てが現実味に溢れていて、感覚的には、今まさに、この場に立っているような感じだ。だが、身体は勝手に動いているし、この口は勝手に喋っている。行動の主導権がワシには無い。ワシの意識だけが別のところにあって、この“ワシ”の感覚のみと接続されている……というところか。

『……素粒子とは二次元上にある極小な紐の振動パターンによって、その種類や形質が決まる。これは“超弦理論”と呼ばれるものじゃが、この二次元上の紐が素粒子を形作るものならば、この紐は何で出来ているのか……』

 ……随分と遠回しな授業じゃな。我ながら、面倒臭さを感じざるを得ない……

『……現状、それを物理的に示す事はできん。現代の技術力を以てしても、“それ”の物理的な証拠を得るには至っていないからじゃ。ただ、“それ”の名を示す事はできる。それは“情報”じゃ。』

 講堂にさざなみのように小さなざわめきが起こる。どうやら、生徒たちは皆、“ワシ”の言った事が初耳のようだ。

『一口に“情報”と言っても、主らの携帯端末に収まっているような電子的情報とは訳が違うぞ。それらは電磁気の周波パターンを符号化したものじゃが、ここで言う“情報”とは、もっと根源的なものなのじゃよ。

 では、仮にこれを“モナド”と名付ける事にしよう。大昔の哲学者が仮定した、世界の構成要素において最小である存在の名じゃ。固有名詞が付いている方が解り易かろう?』

 そう言うと、“ワシ”は教壇の端末を操作した。背後のディスプレイに何かが投影されたようだが、当の“ワシ”は背後を振り向かずに話を続ける。

『よく考えてみてほしい。何故、紐は振動する? 何故、エネルギーは変化する?……それらの疑問を突き詰めていった先にあったのが、“情報モナド”という解だったのじゃ。

 この“情報モナド”とは、一次元上の存在だと仮定されておる。言わば、振動する紐の二つの“支点”じゃ。この“支点”の振る舞いに因って、二次元の紐は様々な振動パターンを見せる。“情報モナド”無くして素粒子は成り立たぬ、という事じゃな。また、素粒子とエネルギーが密接な関係にある事から、この“情報モナド”はエネルギーの振る舞いにも関係していると見られておる。

 主らは、“宇宙の始まり”について、考えた事はあるか?……ビッグバンの前、そこには何も無かったのではなく、既に全てがそこにはあった。ただ一つ、ある要素だけが足りていなかった。それこそが“情報モナド”なのじゃろう。“情報モナド”を欠いていたが故に、宇宙の構成要素と成り得る筈のそれらは、素粒子やエネルギーと言った“形”を成す事が出来なかったのではなかろうか。その“混沌カオス”の只中に、何処いずこからか流れ込んだ“情報モナド”の奔流に因って、ビッグバンが起こり、そして、“宇宙の晴れ上がりインフレーション”が起こされたのではないか。だとするならば、かつてそこあったであろう“混沌カオス”こそが、“特異点シンギュラリティ”であると……』

 ……怒濤の解説を遮るように、懐かしげな鐘の音が響き渡る。どうやら、授業終了の時間らしい。

『……では、今日はここまで。』

 “ワシ”がそう言うと、生徒たちはやおら立ち上がり、自由に行動し始める。その雑踏の中で、ワシは別の感覚を認識した。

 ……小鳥たちの囀り……暖かく柔らかい感触……干した藁に特有の匂い……ワシは……

……………

…………

………

……

「ん……んぅ……」

 ……瞼を開くと、そこには見たことのある天井があった。大木の中をくり貫いた部屋……自宅の寝室である。やはり、あれは夢だったらしい。

「ん……?」

「Zzz……Zzz……」

 身体を起こしてみると、傍らに突っ伏して寝ている者の姿が見えた。人型のカンムリカラカラ……あのローブの彼である。彼がここまでワシを運んでくれたのだろうか……

「っ……!」

 途端に、生々しい感覚が脳裏を駆け巡り、ワシは頭痛に見舞われる。“野生”を暴走させ、ワシの身をさんざっぱら傷付けてくれた騎士の頭を、その兜ごと叩き潰した瞬間の、その“殺戮”の感覚……その中に、ワシは何故か“爽快感”を見出だした。

 認めたくはない……いや、“人”であるならば認めてはならないのだが、あまつさえ、人の事を“女狐”だの“猛獣”だのと罵った上、半殺しにして捕らえようとした奴には、相応しい結末だとも言えよう……こんな風に考えてしまう辺り、どうもワシは“人”より“獣”に近しいのかも知れん……

 ワシは騎士の頭を叩き潰した右手をまじまじと見つめてみた。指先に血の跡は無かったが、黒い爪はより黒さを増したようである。

「う、ぅぅん……」

「おっ?」

 ふと横を見遣ると、カンムリカラカラが思いっきり背伸びをしていた。

「おぉ……お目覚めになられましたか。」

「うむ。」

「お身体の具合は如何でしょう?」

「別状は……無さそうじゃな。」

 大分斬り刻まれた筈だが、一切の傷は消え去っている。それどころか、傷痕の一つも見受けられない。

「それは良かった。まだ不慣れな治癒術ですが、巧くいったようで幸いです。」

 美しい翠の瞳を輝かせて、安堵したように朗らかな笑みを見せるカンムリカラカラ。どうやら、かなりの苦労を掛けてしまっていたようだ。

「すまんなぁ、ワシがでしゃばったばかりに、こんな苦労を……」

「いえいえ、アナタが出てくれなかったら、自分はきっと死んでいたでしょう。アナタはワタシにとって命の恩人なのです。」

 ……確かに、凄腕の騎士あんなのが相手とあってはな。ワシも生きた心地がしなかったわぃ……

「……いずれにせよ、相当な手間を掛けたようじゃな。ここまでワシを担いできたのか?」

「いえ……“移動ラド”と“遺産オセル”、二つのルーンを組み合わせた護符を使いました。これがその護符です。」

 カンムリカラカラの彼は、古びた木簡を手渡した。木簡には、鋭角な“R”の上に“◇”が重ねられたような文字が、深々と刻まれている。

「“ラド”が移動で、“オセル”が遺産……いや、もしかすると“家”か?」

「ご明察です。“オセル”には“家”という意味もあるので、この護符には“自宅への帰還”という意味が込められています。これをアナタに持たせ、ルーンを起動したら、ここまで転移した……というワケです。」

 “転移”……空間を越えて瞬間移動した、という事だろうか。

「オヌシは置き去りにされんのか?」

「心配は無用ですよ。転移する対象に触れてさえいれば、触れている者も一緒に転移できるのです。この手の護符による簡易的な術式なら、四人ぐらいは一度に転移させられる筈です。」

 ……ほぅ、便利なものじゃな……

「ところで……話を続ける前に聞いておきたい事が一つある。」

「何でしょう?」

「オヌシの名じゃ。世話を掛けたと言うのに、名も知らぬとあってはワシの気がすまん。」

 ……それに、いつまでも“ローブの彼”だの“人型のカンムリカラカラ”だのとは呼び続けられんしのぅ……

「それは失念していました。訊かれる前に名乗るべきでしたね……」

 彼は一呼吸整えて、畏まった様子で居住まいを正した。

「……ワタシはファルキ族の“シェラタン”と申します。しがない魔導師ですよ。」

「“シェラタン”……」

 何故だろう……不思議と初めて聞いた気がしない。むしろ、とても聞き慣れた名前だ。はて、どこかで……

「ところで……」

「……ん?」

 カンムリカラカラの彼……シェラタンは、申し訳なさそうにこちらを見つめている。

「……名をお伝えした代わりと言ってはなんですが、アナタのお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「ワシの……名前?」

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