第伍章~“帝都に吹く風”~ / 第四節

 袰の隙間から抜ける風が、頬を掠めて吹き抜ける。清涼な風……朝の風か。

「んんっ……朝、か……?」

 シパシパする瞼をどうにか開き、周囲を見渡す。荷馬車の中は、隙間から射し込む光でほんのりと明るい。ナトラは相変わらず心地良さそうにスヤスヤ眠っている。身を捩って、斜め後ろの隙間から外を覗き見ると……

「おぉ……ここは……」

 ……そこに見えたのは、賑やかしい街並みだった。石畳の道は、馬車が通る車道の両脇に、一段高い歩道が沿っており、無数の人が往来している。車道も左右一車線で、対向馬車とも容易に擦れ違えるようだ。車道の縁には溝が彫られていて、雨水や汚水がその溝を流れる仕掛けのようだ。溝に水が流れるように、車線の境目から両端の溝に向かって、ほんの少しだけ傾斜しているようだ。あの溝は、差し詰め“側溝”と言ったところか。溝には、一定の間隔で長方形の穴が設けられている為、この街には、どうやら“下水道”が整備されているようだ。そのお陰か、何らかの死骸や汚物が道に転がっているというような事は見受けられない。

 人々が往来する歩道の隣には、何軒もの店舗が所狭しと建ち並んでいる。その種類は様々で、パン屋に肉屋、酒屋、薬屋と言った一般生活に関わるものから、武具屋のように戦いや狩りに関わるもの、本屋のように文化的なもの、宝飾品店のように高級嗜好品を扱うものまで、実に多彩である。ただ、鍛冶屋や家具屋など、製造主体の店は見受けられないので、小売業を営む者たちが軒を連ねる“商店通り”と言ったところか。

 往来する人々の中には、立ち止まって馬車を凝視するものもいた。恐らくは、袰に描かれた“獅子の紋章”を見ているのだろう。凝視こそするが驚く様子は見せないので、これが皇家御用達の証である事は、彼らにとって常識なのだと思われる。

 荷馬車は、通りを抜けて広場に出た。かなり広い円形の広場で、中央に豪奢な正方形の噴水が設えられており、八本の道の根元にあるようだ。その道の内、四本は道幅の広い大通りで、噴水の一面を正面に見て前後左右……恐らく東西南北……に、それぞれ伸びている。残りの四本は小道で、馬車一台分の車幅とほぼ同じ道幅しかない。その全体的な構造からして、この広場が街の中心なのだろう。

 荷馬車が通ってきた“商店通り”の正面に当たる大通りの先には、一際荘厳な建造物が見える。何本もの尖塔を備え、精緻な装飾が至るところに施された、巨大な石造りの“城郭”……恐らくは、これこそが、この街を……いや、を治める為政者の住まいなのだろう。

 そう……ワシらは遂に、レオン帝国の首都……“帝都リオニス”へと、無事、到着したのである。

「ムニャァァァ……」

 ワシの胸元で大欠伸をかますナトラ。漸くのお目覚めだ。

「おはよう、ナトラ。」

「お、おはようござりス、ご主人……」

「ワシと言う名の寝床の寝心地はどうじゃ?」

「そりゃァもう、格別でがスよ……ムニャムニャ……」

 ……寝惚けまなこはまだ醒めぬ、か。腹の虫が騒ぎ出すまでは、このままのようじゃな……

 荷馬車はいつの間にか、細い路地を進んでいた。この荷馬車が皇家御用達なら、向かう先は例の城である筈。城の正面に続く大通りを行くのではなく、細い路地を行くと言う事は、荷馬車を正面に横付けするワケではないという事だ。もしかすると、物資搬入口としての“裏口”が、この道の先にあるのかもしれない。

「……んん?」

 途端、荷馬車の揺れが止まった。何故かは知らないが、どうも立ち往生しているらしい。咄嗟に耳を澄ませ、外の様子を窺う……

「……な、何の心算だ!」

「………………」

 ……この荷馬車の持ち主である運搬商の男が、声を荒らげているのが聴こえる。どうやら、何者かに絡まれて立ち往生しているようだ。相手の数は、気配からして……7、8人と言ったところか。この人数だと、“絡まれて”というより“囲まれて”の方が正しいかもしれないな。しかし、折角、荷馬車を足止めしたと言うのに、当の本人たちは何事も喋らない。無言を貫き通している。

「私の荷馬車を止めて、一体何をする心算なのかと訊いている!」

「………………」

 運搬商の男が、何を訊いているのかをはっきり伝えても、相手方は一切話そうとしない……いや、待てよ……呼吸の音すら聴こえないような……

「お、お前たちは何者だ!」

「………………」

「この袰に掲げた紋章が目に入らないのか!? うちは皇家御用達の運搬商なんだぞ!? こんなことをして、タダで済むと思うのか!?」

「………………」

 運搬商が何を言っても返答は無い。相変わらず、無言だ。運搬商も不安になってきたか、声に怯えが雑ざり始めている。

 正直言って、不気味だ。凄く静かだが、一定間隔で足音が聴こえる為、ゆっくりと、少しずつ、荷馬車へ近付いてきているらしい。この足音は……革製の靴音、鎧の金具が立てる金属音、そして……骨が軋む音……だと?

「お、おいっ……何を……!?」

「………………」

 普通の人間ならば、歩行の際に“そんな音”は鳴らない筈である。明らかに異常だ。

「……おい、ナトラ……」

「ムニャァ……?」

「ここから動くなよ……」

 なるべく声量を落として、寝惚けているナトラに単純な指示を出し、その身体をそっと傍らに置いて、立ち上がる。袰の隙間の側に立ち、外を確認すると……

「むぅ……これは……」

 ……7、8人と思っていた相手の数が、予想よりずっと多いのが見えた。音が静かすぎて全く気づけなかったか。片側だけで、ざっと15人……反対側も確認すると、やはり、同数の何者かに取り囲まれている。総数は30人程……完全に包囲されているようだ。

 連中は全員、漆黒のローブで全身を覆い隠している。頭部にしても、フードを目深に被っており、更に、顔全体を覆うようなこれと言って特徴の無い仮面を着けている所為で、その容貌の一切が窺い知れない。ただ、視線は感じるのだが、仮面の目穴の奥に眼光を確認できない。まさか……眼球が、無い……?

「こ、これ以上近づくなぁ!」

 運搬商は、もはや戦々恐々としている。2台ある荷馬車の御者たちは、恐怖の余り声も出ないようだ。幾ら、不気味な黒装束の連中に取り囲まれたからと言って、こんなにも戦慄するものだろうか。もしかすると、彼らは何かの術中に嵌まってしまったのかもしれん……

「くっ……!」

 ……黒装束はもう荷馬車の間近まで迫ってきている。目的さえ解れば、穏便な対処も出来ようというものだが……

 連中の動き……とてもじゃないが、統制が取れているようには見えない。フラフラと無秩序に、この荷馬車目掛けて進んできているようだ……と、一番近づいていた一人が、ローブから腕を引き抜いた。

「なっ……!?」

 その腕には、皮膚が無かった……いや、筋肉も脂肪も、腱すらも無い。その“腕”には、。その“腕”の先には、同じく骨だけの“手”があり、その“手”には、錆び付いてはいるが鋭利な直剣が握られている。

 黒装束は骨の腕を目一杯振りかぶらせると、勢いよく、剣を袰に突き刺した!

「ぬぅっ!?」

 間一髪、ワシは何とか刺突を回避した。奴は突き刺す直前、袰の隙間からワシへ視線を送っていた。

「斯くなる上は……!」

 ワシは袰を捲って外へと飛び出し、一気呵成に黒装束の一体へと膝蹴りをかます。顔面に直撃した膝は、仮面とその下の顔を粉砕した。しかし、血も脳漿も噴き出す様子は無い。代わりに、白い欠片と粉末が、フードの内側から噴出した。これは……乾ききった骨……!

 頭蓋を砕かれ、仰向けに倒れる黒装束。周囲の黒装束たちは、着地したワシに顔を向けるなり、“カラカラ”とした軽い音を立てながら、先程とは比べものにならない勢いで、ワシの方へと迫ってきた。

 ……これではっきりした。奴らに目的など無い。奴らの行動は、認識した生命体を攻撃する事だけに注力されている!

「エラセド!!」

 声を上げて、後方の荷馬車に乗っているエラセドを呼ぶ。幾らワシでも、この数が相手では、手こずること請け合いだ。

「どうした、ニハル……何だ、こいつらは!?」

「此奴らは人間ではない! オヌシの得物で粉砕して構わん! 手分けして殲滅するぞ!」

「承知した!」

 大戦棍グレートメイスを携え、地を響かせながら荷馬車より降り立つ狼の騎士エラセド。彼を認識した黒装束共は、ワシを尻目にエラセドへと向かっていく。これで手間が半分に減った。

「ぬおぁぁぁ!!」

 周囲に群がる黒装束に対し、全力の一振り! 身を軸にして大戦棍を振り回し、360度全方位の敵を、ただの一撃にて一掃する。大質量による剛擊は、黒装束の全身を即座に粉砕し、そのローブは白い骨粉を大量に撒き散らしながら吹き飛んで、そして、地に舞い落ちた。そこには、もはや地に落ちたローブしか無かった。

「ほぅ……ワシも負けていられんな……ハッ!」

 背後に迫っていた黒装束に対し、渾身の鉄山靠を放つ。人で無いなら容赦はいらない。胴体部を粉砕され、仰向けに倒れた黒装束の腕や足は、まだせわしなく動いている。

「貴様らの弱点は頭か!」

 頭部を踏み砕くと、手足の動きはパタッと止んだ。効率的に、頭だけを狙っていくのが懸命か……

「フンッ! ハァッ! トォッ!」

 矢継ぎ早に襲い来る黒装束共の頭に、的確に掌打を撃ち込んでいく。撃ち込む毎に、砕ける頭蓋と舞い散る骨粉。そして……

「フゥゥゥ……これで、終いか。」

 ……後に残るは死屍累々。白く染まった黒装束の、亡骸が成す死者の道……

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