第弐章~“科学”と“魔導”は邂逅す~ / 第四節

「今、そっちに行きましたよ!」

 森の中にシェラタンの叫び声が木霊する。

「よし、今度こそ仕留める……!」

 ワシは身を屈め、茂みの中に潜んだ。感覚を研ぎ澄まし、その時を待つ。

「しゃぁッ!」

 真正面から飛び出してきたのは、大きな牡鹿。ワシは高らかに跳躍し、茂みから飛び出す。突然の出来事に慌てふためく牡鹿。その隙を逃さず、両手の爪を思い切り、挟み込むようにして、牡鹿の頭蓋に叩き込む!

「キャァンッ!」

 骨の砕ける鈍い音、金切り声を上げて倒れ伏す牡鹿。どんな獣も、頭蓋を狙えば、大抵は一撃で沈むものだ。それにしても……

「……これでは、益々以て“狐”じゃな。」

 茂みから跳躍し、落下時の速度を乗せた両前足……もとい、両手で獲物に襲い掛かる……遠目から見たら、本当に狐が狩りをしているようにしか見えないのではなかろうか。尤も、獲物は小動物では無く、大柄な鹿なのだが……ともあれ、狩り自体は大成功だ。

「どうですか、結果は?」

「上々じゃよ。これだけの大物なら、暫くは食い繋げる。」

 シェラタンが茂みを掻き分けながらやってくる。

 今回の狩りは、ワシとシェラタンとで獲物を挟み撃ちにし、シェラタンがワシの方へ獲物を追い立て、然る後にワシがトドメを刺す……という作戦であった。シェラタンの足は、見るからに強烈な一撃を放てそうなのだが、意外な事に近接格闘は不得手との事なので、上述の作戦を採用したのである。結果的には大成功だったワケだが……

「いやぁ、それにしても草臥れましたよ。獲物を取り囲むのが、こんなにも苦労する事だったとは……」

「逃した内の何匹かは、それなりの上物だったしな。」

 ……コイツ、意外にも足が遅いのだ。まぁ、見た目は鳥なのだし、飛べば速いのかも知れないが、そもそものカンムリカラカラは、猛禽の仲間でも特に地上走行能力に秀でた種の筈である……まさか、運動が苦手だから“魔導”の道に進んだのか……?

「しかし、マスターのバイタリティには驚かされます。流石は、高い身体能力で知られる“レフル族”ですね。」

「“レフル族”……?」

 ワシは、仕留めた牡鹿の両前足と両後ろ足を、それぞれ足首のところで、麻紐を用いて縛り上げ、牡鹿の身体を肩に担ぎながら、そう聞き返した。

「マスターのように、“狐”の特徴を持つ聖霊人の種族名です。高い身体能力と高度な智恵を併せ持ち、俗世から離れて暮らす隠棲の賢者……と、我が一族の間では伝えられています。」

「ほぅ。然らばワシは、“レフル族のニハル”という事か?」

「はい。今後、誰かに名乗る事があれば、そう名乗られては如何でしょうか?」

 “レフル族のニハル”……うむ、良い響きである。

「……よし、そうしよう……おっ?」

 刹那、腹の虫が切実なる悲鳴を上げた。もう待てないらしい。さっさと帰って、この牡鹿を捌かねば……

 ワシらは足早に自宅へと帰還し、これを解体した。台所では少々手狭だった為、自宅の裏手でせざるを得なかったのだが、台所で鍛鉄の肉切り包丁を見つけられたのは幸いだった。

「マスター……」

「んぐ?……どうした?」

「何というか、大変申し上げにくいのですが……鹿肉というのは、その……調に頂くものなのでしょうか……?」

 そう言えば、それもそうか。余りにも空腹だった所為で、文化的な行動を忘れていたらしい……濃厚な血の味が何とも堪らん。

「生肉のままでも充分旨いぞ?」

「いや、そう言う事では無くてですね……」

「人はこれを“刺身”というらしい。」

「一塊の肉を“刺身”とは呼べない気がするのですが……」

「いずれにせよ、オヌシの腹も空いておるじゃろう?」

「はい、それは間違いなく……でも、最低限焼いてから食べますよ、ワタシは。」

「生き血は栄養豊富で滋養強壮に効くとか。」

「それを聞くと生でも……いやいや、やはり加工してから食べます!」

「持久力を付けんとワシには付いて来れんぞ?」

「マスター……意地でもワタシに生肉を食べさせようとしてませんか……?」

 ……バレたか。

「ふっ、冗談よ。じゃがな、獣の要素を持つワシらの胃袋が、常人のそれよりも頑丈なのは間違いない。」

「まぁ、確かにそれは事実なのですが……」

「そもそも肉食の獣というのは、生の肉を食らうと共に、獲物の生き血を事で栄養を補給するものなのじゃ。草食動物の血肉には、生きる為に必須となる栄養素が豊富に含まれておる。煮たり焼いたりすれば味が増すのもまた事実じゃが、栄養補給という観点から見れば、新鮮な生肉と生き血に勝るものはない。」

「言い方に多少引っ掛かるところはありますが……なるほど……今のワタシに必要なものが揃っている、という事なのですね……」

「そうよ。たまには文明を捨ててみるのも一興、というものじゃぞ?」

「はい……諦めて頂きます……」

 ……折れたな。

 こうしてシェラタンは、辛抱堪らんといった感じで、生の血肉を頂いたのだった。生がダメとか嫌いとか、そういうワケでは無く、単純に踏ん切りがつかなかっただけのようだ。文明のしがらみに慣れすぎたか?

「ところで……」

「……何でしょう?」

 嘴に付いた血を拭いながら、シェラタンは問い返した。因みに、残った肉は、台所に貯蓄されていた塩を揉み込んで、風通しの良いところに吊るしておいた。保存用に干し肉を作るのである。

「オヌシはこれからどうする?」

「どうする……とは?」

「オヌシは帝国に追われておる。恐らくは、ワシも目を付けられておるじゃろう。」

 何せ、人員が殺されているのだ。目を付けないワケが無い。

「ならば、一所ひとところに留まるというのは、決して賢いやり方とは言えん。一刻も早く、国境の外側に逃れた方が賢明じゃろう。」

「ですが……」

 シェラタンはそこで、表情を曇らせた。

「ワタシは、マスターと離れたくありません……いえ、離れるワケにはいかないのです。」

何故なにゆえに、じゃ?」

 俯きがちになるシェラタン。悲しい思い出があるようだ。

「ワタシの師匠は、帝国に使い捨てられたのです。」

「ふむ。」

「帝国による神国の併合は、決して穏やかなものではありませんでした。全面戦争にこそ発展しなかったものの、小規模な戦いが各地で勃発したのです。神国が誇る“聖騎士団”に対抗する為、帝国軍は、聖霊人を兵力として利用しました。」 

「“聖騎士団”?」

「アスティール教の“神秘術”を使いこなす“聖騎士パラディン”たちで構成された騎士団です。アスティール教の信徒たちを守護し、アスティール教の敵を討滅する使命を負った者たちで、その戦力は、他国の軍隊にも引けを取りません。」

「“神秘術”とは?」

「祈りの力で奇跡を呼び起こす業……と聞き及んではいますが、詳しい事は判りません。恐らく、知識では無く信仰を柱とした一種の“魔導”であると推測されます。」

 ……それを操る“聖騎士団”こそが神国鎮護の要、というワケか。

「帝国が聖霊人を戦力としたのにはワケがあります。神国の住民たちは、アスティール教の敬虔な信者ばかりなのです。自分が信仰する神々の使者が、自分たちを攻撃してくると知った時の衝撃は、計り知れないものだったでしょう。」

 ……天地が引っくり返るような思いだったに違いない。信仰が否定されるとは、得てしてそういうものなのだ。

「結果として、神国は無条件降伏をしました。その対価として、帝国は自発的に、戦力としていた聖霊人たちを解放したのです。」

 信仰の対象そのものを自らの戦力とし、それの解放をちらつかせて、強引に無条件降伏を迫った……という事か。戦おうが戦うまいが、自らの信仰を傷付けられるという悲惨な状況……神国に選択肢は無かったのだろう。アスティール教の影響力が衰えたのも、これが原因かも知れない。

「師匠は帝国に捕らわれ、魔導兵として前線に送られていたようです。戦いが終わった後、ワタシの元を訪ねてきた師匠は、別人のようにやつれ果てていました。そして、師匠は……」

 翠の瞳がうるんでいる。涙を浮かべているようだ。

「……死んだのか。」

「……はい。ワタシが看取りました。まるで枯れ枝のように痩せ干そって……うぅ……」

 零れ落ちる涙。それを拭う翼。

「……ワタシは帝国に、二人目の師匠まで奪われるワケにはいかないのです。判ってくれますか、マスター?」

 強い決意に満ちた瞳が、ワシを見つめている……結論は一つ、それ以外に無い。

「……良かろう。ならばワシと共に逃げよ。」

「は…………?」

「ワシも今や追われる身じゃ。いつ、帝国が此処を突き止め、刺客を送り込んでくるか、判ったものではない。即ち、ワシもここを発たねばならぬ。」

「では……!」

「追われる者同士、道を同じくするは必然よ。」

「はい! ワタシはアナタに着いて行きます、マスター!」

 ……斯くして、ワシら奇妙な二人の旅路は、この時を以て始まりを告げたのである……

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