魔導科学研究日誌 -EPHEMERIS MAGISOLOGIA-

狐塚蓮華

序章~星の海に消ゆ~

「お主は、魂の実在を信じるか?」

 独り言ちるように、誰へともなく呟いた。暗転したモニターが鏡のように写し出したのは、狐目の幼顔が諦観の極みに達したかのような仏頂面を浮かべている光景である。

 実年齢より幼く見られるこの顔が、コンプレックスの種だった。体格は小柄だし、胸の膨らみも貧相であるから、殊更に幼く見える。十歳以上、下に見られた時は流石に怒ったな。だが……そんな蒙昧ももうじき終わる。

 技術の発展は日進月歩……とは好く言ったものだ。ブラックホールの直接的観測が成功してから、まだ50有余年程であるというのに、人類は太陽系外への進出を果たし、系外惑星への植民をも成功させた。

 自然界に於ける四つの力……基本相互作用の最後の一つ、即ち『重力』を扱う術を身に付けた人類は、空間を歪め、出発点と到達点の間の距離そのものを縮める事により、見かけ上の光速を超越する“超空間航行技術”を生み出す事となる。俗に言う『ワープ』の誕生だ。更に、外向きの重力波を障壁として宇宙船の外壁部に纏わせる事で、局所的に空間を歪曲し限界を越えて加速する『亜光速航法』も発明された。この際に使用される重力障壁は、外部からの事象をほぼ全て遮断し、弾き飛ばす。時空そのものに対して作用するホバークラフトのようなもので、想定し得るほぼ全ての時空間を一切の抵抗無く航行可能である。

 人類を縛り付けていた“重力”から得られた技術である『ワープ』と『亜光速航法』という名の両翼が、人類を『地球』という揺籃から巣立たせたというのは、なんという皮肉だろうか。

 植民の開始から20年……植民惑星で育った者の中で、ワシは最後の地球生まれだ。幼い頃、両親と共に地球を旅立ち、第二の故郷となった新天地で暮らしてきたワシは、両親と同じ科学者の道へと歩みを進めた。今や、植民惑星に新設された大学校に於いて、准教授の名誉に与る身となっている。そんなワタシの知的好奇心は留まるところを知らず、遂に『ブラックホールへの目視可能距離に於ける近接観測調査』という“暴挙”に打って出た。

 事象の地平面を越えて圧縮された極大質量が齎す、余りにも強大な重力源……空間そのものに口を開いた“球状の穴”という、一般的な物理法則を鼻で笑い飛ばすような矛盾……その“穴”には“特異点”が存在し、そこより先では既存のあらゆる理論・法則が崩壊するという……

 命を棄ててでも見てみたい……とワシの知的好奇心が嘯くのを幻聴のように聞いたのは、今でも忘れ得ない。あの時からワシは、“ブラックホール”という名の魔性の魅力に取り憑かれ、惑わされていたのかも知れん。

 極大重力源に自ずから接近するなど、宇宙を旅する者からすれば正気の沙汰ではない事である。そんな事は最初から承知の上だ。とは言え、帰ってこれない公算の方が大きい旅路に付き合わせた所為で、他者の人生を狂わせるようなことがあってはならないのも、また事実。そこでワシは、自ら育て上げた高性能対話型人工知能によって管理される深宇宙探査船を製造し、これに単身乗り込んでの単独調査を敢行した。

 それにしても……運命とは皮肉なものだ。

 目標とするブラックホールの重力圏ギリギリまで大型の母船でワープし、件の探査船を射出。即時、亜光速航行を開始して接近、エルゴ領域の境界面スレスレを航行しながら重力障壁を盾に直接的観測を行う……という計画だった。しかし、目的の座標に到達する寸前、原因不明の不調により推進系が機能を停止してしまったのだ。

 この時、船は既にブラックホールの重力圏内にあった。推進系以外の機能は全て健全だった為、推進系が生き返りさえすれば脱出も可能だったろうが、八方手を尽くしても復活する様子は無い。それでも、重力障壁が生きている内はまだ安全と言えるが、ひと度、事象の地平面より“下”に墜ち込んでしまえば、それもどれだけ持つかは一切判らない。この船は、重力障壁の寿命が尽きるその時まで、加速も減速も出来ず、ただひたすらに“球状の穴”の奥底へと“墜ちて”いく事しか出来なくなったのである。

「シェラタン、まだ生きておるか?」

「……はい。当AIの機能は未だ健在です。」

 機械音声ながら滑らかで人間じみた声が船内に響く。この船を管理する高性能対話型人工知能、“シェラタン”の声だ。その“シェラタン”という愛称は、牡羊座β星の名前に因む。

「重力障壁の状態は?」

「現在、損傷率69%。あと数分で機能停止します。」

「それは主観的時間でか?」

「重力が時間すら歪めるという事実がある以上、宇宙に絶対時間は存在し得ません。事象の地平面の内側であるならば、尚更です。」

「今、この船はどこにいる?」

「事象の地平面は既に突破しました。船体は計測不能な速度で落下中。恐らくは光速を超越しているものと思われます。」

「最早、既存の物理法則は役に立たんか……」

 ここまで科学が進歩してきても、光速を越える素粒子を直接発見するには至らなかった。しかし、今やこの船は光速を越えて落下している。

 これはなんという皮肉か。ワシは命と引き換えに、物理法則が崩壊する様を見ているとでも言うのだろうか。

「時に、マスター。」

「……何じゃ?」

「先程申されました“魂の実在を信じるか?”という問いについてです。」

 ……何じゃ、聞いておったのか……

「正直に言いますと、自分はそれを肯定します。」

「魂の実在を信じる、と?」

「マスター、自分はあなたから、“魂とは不滅のエネルギーである”という仮説を教わりました。それと同時に、“膨張しきった宇宙が収縮する”可能性についても。」

「ふむ……」

「もし、宇宙という一つの系が、閉じた系ではなく開かれた系であるとしたら、エネルギーの流入と流出があり得る事は容易に想像できます。ビッグバンをエネルギーの流入の結果として起きた現象とすれば、流出に伴って起こりうる現象もある筈です。」

「それが“ブラックホール”である、と?」

「はい。そして、魂がエネルギーであり、我々の根幹を為すのなら、我々の魂は新たなるビッグバン……即ち、新たな宇宙の創生へと向かう筈です。」

 なるほど、ブラックホールによって時空の狭間へと放逐されたエネルギーが新たなるビッグバンを起こす……という事か。

「……要するに、オヌシはこう言いたいんじゃな? ワシの魂は新たな宇宙で生き続ける、と……」

「その解釈は若干の誤解を含んでいます。」

「……何じゃと?」

「生き続けるのは、“我々”です。」

 その言葉を聞いた直後、けたたましい警告音と共に視界が光に包まれた。光速を越える冒涜的なまでの加速度によって、重力障壁がその寿命を終えたのだ。そして……恐らくは死の間際の……永遠かと思える程に引き延ばされた一瞬の只中で、ワシは、事象の地平面の内側を垣間見る……

 ……光が弾け、闇に融ける。闇が滲み、光と混ざる。墜ちる総ては遡り、融けて混ざって原初に還る。真なるは混沌、原初たるは混沌……そうか!……始まりは総て曖昧模糊の裡にあり、形を持たぬ一つの混沌、ある時一つが形を為して、光と闇とが別たれた。やがて総ては原初に還り、総てが融け合い混沌と為す。“漆黒の穴”は原初への道、時の流れを遡行する超光速の大河。その奔流は過去へと通じ、全ての混沌は過去にて澱む。やがて総ては光速を越え、終わる宇宙は過去へと還る。そして総てを繰り返し、光と闇は再び別たれ、新たな宇宙を再び拓く。総ては輪廻、総ては転生、総ては、総ては、総ては……!

 だが……これもまた宇宙の一側面に過ぎないのだという事も理解する。恐らく人類は、今の姿に拘り続ける限り、宇宙の全てを記述する事など叶わぬのではなかろうか。自らの身が原初の混沌に融け逝く中、人類の行く末を案じるワシの魂は、渦巻く混沌へと解き放たれていった……

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