第玖章~“魔導科学研究所”、始動~ / 第二節
「ほぉ……これは好い庭じゃな。」
帝城グラン・レグルスの北側……南に門戸を開く城の裏手に、約3,000坪……街の
「アルシェ、この川の水はどこから来ているのじゃ?」
「別邸の側に小さな湧水池があってね、そこから直接引いているんだ。流れの端は、下水道に繋がってるよ。」
射し込む陽光を反射して煌めく川面の上を、フヨフヨと浮遊しながら説明するアルシェ……こうして見ると、益々、妖精にしか見えなくなってくるな……
「ご主人! 奥にお屋敷が見えるスよ!」
ナトラの声に、顔を上げた。確かに、庭園の奥に大きな邸宅が見える。区画の一番奥にあるそれは、庭の全幅と同じくらいの幅を持つ二階建ての邸宅で、シックな木造建築だ。窓の数からして、部屋数はかなり多そうである。周囲を森に囲まれているからか、ここが帝都の只中だと言う事を忘れてしまいそうだ……これが“都会のオアシス”というものか……
「おぉ、畑もあるのか。」
「昔はここで、皇家の食料をある程度自給していたらしい……使われなくなって久しいのも事実だがな。」
邸宅の前には、数枚の畑が広がっていた……が、雑多な草に覆い尽くされている。ゲオルギウスの言うとおり、耕作が放棄されてから、かなりの月日が経過しているようだ。とは言え、畑としての形はしっかり保たれている為、草を取り払い、再び耕せば、充分使えそうではある。
「畑が使えれば、農作物に関しては自給自足もできそうですね。」
「ワシとしては、食物以外も栽培してみたいものじゃな。」
「どうしてですか?」
「シェラタン……病を治すにはどうする?」
シェラタンは、キョトンとした表情で、草の生い茂る畑に立っている。
「どうするって……治癒魔術を使うのが一般的ですが……」
「魔術師ではない一般人は、治癒魔術を使えるのか?」
「普通は使えませんね。」
「では、そう言う者たちは、どうやって病や傷を癒すのじゃ?」
「治癒術を専門とする
なるほど……その
「ところで、“薬”を作るのは誰の仕事じゃ?」
「薬……ですか?」
シェラタンは、疑問符が頭上に浮かぶような表情をしている。
「うむ? “薬”というは一般的では無いのか?」
「民間薬の類いはありますが、殆どが眉唾物ですね。何より、
……ワシもその“酔狂な人”の中の一人、という事になるのかのぅ……
「そうか……では一つ、提案をしよう。」
「何でしょうか?」
「治癒魔術の使えない一般人になった心算で考えてみるのじゃ……旅先で病を患ってしまったとしよう。しかも、そこは近くに
「あぁ……確かに、そんなものがあれば、苦しいのを我慢して街まで引き返さずに済みますね。」
「それが、ワシの言う“薬”よ。効くかどうかも判らない民間薬とは、一味も二味も違うというワケじゃ。」
「で、でも……本当にそんなものが……」
「作れるぞ?……材料さえあればな。」
訝しげにしていたシェラタンが、ハッとした表情を浮かべる。
「……そうか! その材料を畑で栽培しよう、という事なのですね?」
「うむ。薬効のある植物を栽培できれば、いちいち採集に赴く必要も無くなる……まぁ、薬を使うのが一般的ではないという事は、その原料を扱うような商人も皆無なのじゃろう。金で手に入らないのならば、自ら採ってくるか栽培するかしかあるまい?」
「それはそうですね……」
「おーい、ニハル!」
自らを呼ぶ声に振り向く。声の主は、エラセドであった。
「色々と話し込むのは構わないが……陛下が待ち惚けていらっしゃるぞ?」
邸宅の方を見遣ると、玄関口の前で浮遊しながら両手を振るアルシェの姿が……
「……シェラタン、続きは後にするとしよう。」
「畏まりました。」
話を切り上げたワシらは、邸宅の玄関口へと足早に向かった。
「もぅ、遅いよ?」
「すまん……畑の使い方について、シェラタン相手に講義をしていたのじゃ。それで、これが例の“別邸”か?」
「うん。大きいでしょ?」
アルシェの言うとおり、確かに大きな屋敷である。各階の天井高を抑えれば、三階建てにも出来そうなくらいの大きさだ。
「さ、入って入って。」
浮かんだままのアルシェが、重厚な木製の扉のノブを掴み、ある程度開いた後、二枚ある扉の縁に両手を掛けて、開け放つ。観音開きであるようだ。ギギィ……と響く、木の軋む音が如何にもな感じである。入り口は、長身なエラセドでも問題なく通れるくらいの高さがあり、とても広く感じる。ワシがそう感じるくらいなのだから、より小柄なアルシェからしたら、とても巨大な入り口に見える事だろう。
「ふむ……埃っぽいな。」
「クモの巣が目立ちますね……」
「ヘックシ!……鼻がイズイでがス。」
「ゴメンね……先代も殆ど使ってなかったらしいから……はっ、クシュン!」
ナトラとアルシェが、くしゃみをかましている……舞い上がった埃が、入り口から射し込む太陽光を浴びて、キラキラと輝いた。
「やれやれ……先ずは大掃除じゃな。」
「掃除なら……クシュンッ!……ボクの使用人たちにも手伝わせるよ……」
「すまんな……とは言え、人手は多いに越したことはない。かなり広そうじゃしなぁ……」
「では、ワタシが手配してこよう……陛下は一旦、外に出られた方が宜しかろうと存じます。」
ゲオルギウスはそう言うと、邸宅の外に出て、城へと駆けていった。それも全速力で。アルシェがくしゃみに苛まれるのが、余程堪えたらしい……全く、見事な迄の忠臣じゃな……
ワシらは一旦外に出て、新鮮な空気を吸った。周囲が木々に囲まれているお陰で、森の只中で吸うような清涼なる空気である。ところで、庭は綺麗に保たれているのに、何故、屋敷の方はあの有り様なのだろうか。
「アルシェ、この庭の管理はどうなっておる?」
「御抱えの庭師さんにお任せしてるよ。皇家が成立して以来、代々、この庭を守ってくれているんだって。ボクは、まだ会ったことないけどね。」
……なるほど、庭には専属の庭師がいて、その者が管理を任されているのか。畑と屋敷があの有り様でも庭が綺麗なのは、そう言う事だったようだ。
「あっ、ゲオルギウスが戻ってきたよ!」
城に使用人を呼びに行ったゲオルギウスが、庭園を歩いてくるのが見える……背後に、20名程の使用人たちを引き連れて。各々、その手に掃除用具を携えている。
「ただいま戻りました、陛下。」
「……ゲオルギウスよ。」
「どうした?」
「人手は多い方が好い……とは言ったが……」
屋敷前にズラリと整列した使用人たち……メイドや小間使いに混じって、執事長と思しき初老の紳士までいる……。壮観ではある。
「……随分とまぁ、大所帯でのお帰りじゃなぁ……」
「手の空いている者は全員連れてきた。掃除に関しては、皆一流であると思ってもらって構わない。」
頼もしい援軍、それは間違いない。だが……何と言うか……大袈裟なヤツよのぉ……
「はぁ……」
ワシは、半ば呆れ気味に、溜め息を吐いた……
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