第陸章~“風”たちの休息~ / 第三節

「帝国の皇帝が……聖霊人、じゃと……?」

 ……酷い皮肉だ。聖霊人を酷使し、その尊厳を辱しめてきた帝国の新たなる指導者が、まさか、聖霊人とは……

「ビックリするのも無理ないよね。だって、ボクの“義理”の父さんは、ボクら聖霊人が扱き使われるのを黙認していたんだから……」

 哀しげに肩を落とすアルシェ陛下。“義理”の、という事は、直接の血縁は無いという事だが……

「……ちょっと待て。オヌシの義父……即ち、先代皇帝は普通の人間なのか?」

「うん、そうだよ。」

「聖霊人を帝位に着かせて、改革の旗印にしようと言うのは判る。じゃが、それでは、旧王国時代から連綿と紡がれてきた王家の血筋が断絶してしまうのではないか?」

「それについては、ワタシが説明しよう。」

 今まで玉座の脇に侍っていた騎士ゲオルギウスが、歩み出てそう宣言した。

「先ず理解していただきたいのは、我が帝国においては、血統を重視する風潮が弱いという事だ。完全に……とまではいかないが、それでも、血統より実力を優先する気風なのは、確かだ。」

「なるほど……しかし、王候や貴族といった家柄は、やはり血統が物を言うのではないか?」

「鋭いな……確かに、全てが全て、実力で語れる社会ではない事も、また事実だ。だが、帝国においては、例え農奴の生まれであったとしても、何らかの才能を持つ者……即ち“適材”は、必ず“適所”にて重用され、生活の保証が約束されるのだ。」

「それが、聖霊人であっても、か?」

 その問いに、俯くゲオルギウス。

「……確かに、我ら帝国の軍部は、聖霊人を“盾”として、そして“矛”として、酷使してきたのも、また事実……一つだけ言い訳をするならば、軍部の犯した“暴挙”を、戦時特約として先代皇帝が黙認するのを止められなかった我ら帝国の罪……と言ったところか。」

「むぅ……確かに、ワシら聖霊人を神の使いと崇めるカルディア神国が相手ならば、それは戦術的に間違った事ではない。倫理的な部分を顧みなければ、最適とも取れる行動じゃ。」

「そう……武断派で知られていた先代皇帝は、勝つ為ならば、利用できるものは何でも使うという男だった。聖霊人を戦術的に“使用”し、結果的に戦には勝利した。神国を事実上併合したのだからな。だが、その後に待っていたのは、聖霊人を獣と同等に見るという風潮だった。

 理由は単純だ。聖霊人を戦場で用いるに当たり、聖霊人を敬い尊ぶ心が兵士たちにあっては、効率的な運用に支障が出かねない。何せ、彼らを崇拝する信徒たちと戦わせる為に、指揮官は彼らを死地たる前線へと放り込まなくてはならないのだ。聖霊人や彼らへの信仰に対する“良心”を持ったままでは、作戦の遂行はほぼ不可能……そこで、先代皇帝はとあるプロパガンダを世間に流布させた。それは、“聖霊人は神使という霊的な存在ではなく、我ら人間と同じ肉的な存在なのである”……というものだ。

 一般人がこのプロパガンダを受け取っても、アスティール教の敬虔な信者でも無い限り、特別な反発は起きない。何故なら、一般市民たちは既に、聖霊人たちと共存していたからだ。特異な部分こそあれ、聖霊人が根本的に人間と変わらないという事など、民草には判りきった事だったのだ。だが……神国と貴族たちは別だった。

 神国からすれば、この発表は教義の一部を根底から否定する内容なのだよ。特に、アスティール教の教典である“星典”の中の一節……“の者は星の根源たる源素エーテルの身を持つ”……即ち、“聖霊人が霊的な身体を持つ”という神秘性に関する記述を、真っ向から否定しているのだ。これは即座に、神国からの強烈な反発を招き、戦端を開く切欠となった。

 一方で、帝国内部の貴族たちからすれば、これは聖霊人を一般人、或いはそれ以下として扱う為の口実となったのだ。発表の後、聖霊人を使用人や奴隷として雇う貴族が増えたのは言うまでもない事だが、重要なのは、軍の指揮官たちの出自だ。彼らの多くは名門貴族の輩出者で、その貴族たちは聖霊人を一般人以下に見ている。その悪習は当然、輩出者たちにも伝播し、結果として、軍部の思考が塗り替えられたのだ。聖霊人は人間と同等、或いはそれ以下なのだから、神聖な存在として、戦地に送るのを躊躇う必要は無い……貴族出身の指揮官たちは、そう考えるようになったのだ。」

 ……何とも皮肉な話である。一般人からすれば、共に暮らす聖霊人が“人間”である事など当たり前の事で、特段の偏見を呼ぶ事も無い。だが、それを崇める者たちからすれば、それは自身の信仰を否定するものとなり、地位の高い者たちには、下々の者たちと同等以下に扱う為の口実となる……普通である事と特別である事、一体どちらが“幸せ”なのじゃろうか……

「当然の事だが、指揮官クラスではない兵士たちは、その殆どが平民の出身だ。ごく一部に限られるが、平民の出でありながら、その実力を認められ、部隊の指揮官となった者もいる。そう言った者たちは良心が傷付くのを恐れ、神国の者たちとの戦いに聖霊人を動員しなかったり、或いは聖霊人を戦列から除外までしたのだが、より上位の指揮官たちの叱責を受け、除隊の憂き目に会った者もいた。その結果、聖霊人に対する“蔑視傾向”は、それに異を唱える者の減少と共に、軍の指揮系統内部で増幅していった……という次第だ。」

「……判ったぞ。そんな状況で国の最高指導者に聖霊人を据えたという事は、軍上層部、そして貴族たちの意識改革を行おうという事なのじゃな?」

「そうだ。その為に陛下は即位なされたのだ。」

「しかし、血統はどうなる? 幾ら、血統より実力を重んじる国風であったとしても、帝位の継承には何らかの正統性が必要とされる筈じゃ。」

「帝国……というより、皇家に伝わるしきたりの一つに、次のようなものがある……

 “国の主、その後継に窮せし時、王統の元祖たる血を持つ者、今上の王統へと迎えるべし。彼の者、汝が継子ままこと為りて、その後継と相為らん。彼の者、その名は『アゥルファル』。気高き森の民にして、其が国礎を打ち立てし者なり”

 ……というものだ。」

 要するに……皇帝がお世継ぎに恵まれなかった場合、森の民にしてこの国の祖である“アゥルファル族”を養子にして、次の皇帝に即位させる事……という事か。血統の保護と思想の刷新、そして帝位空白化の回避とが同時に成される名案だとは思うが……まさか……

「……という事は、この国を興したのは……」

「そう、聖霊人だ。帝国……いや、その基礎となった旧王国は、聖霊人に因って勃興された国なのだ。今の皇家の者は、血の濃さこそ薄まってはいるが、聖霊人と人間の混血である事に変わりはない。」

 ……驚いたな。ここがかつて、聖霊人の興した国だったとは……だが、以前聞いた“聖霊人の国”とは異なる国であるようだ。あの国は聖霊人が暮らす国との事だから、その地で聖霊人と人間が混血する可能性は低い。

「……先代皇帝“ゾスマ・レオン=レグルス”には、世継ぎとなる子がいなかった。理由としては、伴侶となった女性が様々な理由で急逝したからだ。一部には毒殺など、明らかにその地位を狙われて殺された者もいたが、それ以外の殆どが心労による自殺だった。」

「婚姻した女が、悉く自殺したじゃと?」

「そうだ。ゾスマは傍若無人且つ傲慢な性格で、知略には優れるが思慮の浅い男だった。並みの女では、奴の行いに付き合いきれなかったのだろう。即位の直後こそ、その思い切った政策で市民の人気を得たが、晩年は疑心暗鬼に陥って人前に出なくなり、市民たちは政治への関心を忘れ、軍部の増長を招く結果となった。

 この状況を危険視した“賢人会議”は、ゾスマの死の直前、現皇帝……即ち、こちらに御座おわすザール陛下を擁立した。そして、形骸的にではあるが、先代皇帝の養子となられたのだ。」

「そして、先代の崩御と共に即位した……というワケか。」

「その通り。ワタシは、陛下のご即位に前後して、意識を喪った状態で帝都に担ぎ込まれたのだ。」

 なるほど……ところで、気になっている事が一つある。

「……今さらじゃが、オヌシ、どうやって生き返ったのじゃ?」

「そう言えば、説明していなかったな……我が国は旧王国時代より、“魔導”の研鑽が盛んな国でもある。軍の兵科の中に“魔術兵”があるくらいにな。一つの分隊に最低でも1名、治癒の魔術を専門とする“治療兵”が配属される事となっているのだが、ワタシがアナタに殺され、アナタがその場から去った後に、撤退していた隊の治療兵が舞い戻って来て、倒れたワタシに応急処置を施したらしい。あれが無ければ、ワタシはこの世に帰ってこれなかっただろう。」

 なるほどな、そういう事だったのか。

「それに、特有の強い生命力が、功を奏してもいたようだ。」

 ……ん? その口振りだと、まるで“自分は普通の人間ではない”と言っているように聞こえるのだが……まさか……!

「我が種族の名は“ドレキ族”……そう、ワタシも、聖霊人なのだ。」

 おもむろに、アーメットヘルムを脱いだゲオルギウス。彫りの深い顔立ちで、その肌は薄灰色、眼光鋭い瞳は炎のような紅。そして、蟀谷こめかみからは硬質そうな“ツノ”が、頭部に沿うような形で生えているのだ。更に、首筋から顎にかけては光沢のある黒い鱗に覆われている。“竜人”……そう呼んで差し支えない風貌だ。

「ま、まさか……キサマまで、とは……」

 ……結局のところ、この場にいる全員が聖霊人なのである……一体どうしてこうなっているのだ……

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