第伍章~帝都に吹く“風”~ / 第一節

 坑道の暮明くらがりに立ち込める白煙が、滑らかに流れていく。足元は向こう側へ、頭上はこちら側へ。鼻を突く硝煙の臭いが、次第に薄らいでいく……空気だ。新鮮な……だが、少々埃臭い……空気が、破壊された壁の向こう側から流れ込んでいるのだ。

「……読み通り、じゃな。」

「本当に、外に繋がったのか……?」

 エラセドが、白煙の流れ出る先へと進む。ワシと他の者も、煙を払い除けながら、後に続いた。

「ここは……?」

「うぅむ……どうやら、洞窟をそのまま利用した神殿か祭祀場、と言ったところかのぅ。」

 ワシ謹製の“黒色火薬”によって出来た壁の穴を潜り抜けると、そこは開けた洞窟であった。壁面の其処彼処に、繊細な彫刻が施されている。経年劣化によるものと思われる欠けこそあるが、実に見事な装飾だ。造られた当初はきっと、素晴らしい偉容を誇っていたに違いない。

 ワシらがぶち抜いた坑道の壁は、この“岩窟神殿”とでも言うべき洞窟の、丁度中程の側面の壁と一続きになっていたようだ。左を見遣ると、そこには……

「ほぉ、これは……」

「……実に見事な“サラマンダー”の石像ですね。」

「“サラマンダー”じゃと?」

「はい、マスター。炎を司る幻獣、滾る猛火をその身に宿した聖なる大蜥蜴です。」

 ……神殿の最奥、一際立派な石の祭壇の上に、巨大な石像が鎮座している。全身各所に燃え盛る炎の意匠モチーフがあしらわれた“大蜥蜴”の彫像……その威風堂々とした佇まいは、観る者を圧倒する。決して激しい動きが表現されているワケでは無い。だが、それでも、まるで今にも動き出しそうな迄に、この石像は躍動感に満ち溢れているのだ。

「驚いたな……これ程までに素晴らしい遺産が、こんな辺境の地に放置されているとは……」

 感嘆するエラセドは、おもむろに兜の面頬バイザーを開いた。兜の内側に、が見える……!?

「オ、オヌシ……!」

「ん? どうかしたか?」

 驚いたワシを余所に、顎当てを外して兜を脱ぎ去るエラセド。そこには、狼の頭を持つ騎士がいた。

「まさか……帝国の騎士に聖霊人がいたとは……」

 青灰色と白のグラデーションがかった体毛は、しっかりした長めの毛と柔らかい短めの毛が二重に生えているようだ。所謂“ダブルコート”というヤツである。フサフサで、特に頭頂部から耳にかけて、そして顎の回りは特にフサフサである。とても手触りが良さそうだ。その瞳は黄金色で、満月が如く輝いている。尻尾は……鎧の中にでも仕舞っているだろうか。

「おいおい……オレはそもそも、“ポル=ステャルナ”法王猊下直属の聖騎士パラディンだったんだぞ? 聖霊人を神々の使いと考える神国の聖騎士団に、当の聖霊人がいたって不思議でも何でも無いだろう。」

 ……言われてみれば、それもそうか。恐らく、コイツは聖霊人の聖騎士パラディンであったが故に、その能力が優秀であるにも関わらず、こんな辺境に“人の盾”として左遷されたのだと思われる。元が法王猊下の直属であったのだから、閑職もいいところだ。

「因みに、オヌシの種族名は?」

「オレは“ウールフル族”だ。見ての通り、狼の特徴を持つ聖霊人の一族だよ。」

 ……外見的には“タイリクオオカミ”じゃな……ん? そう言えば、コイツ、法王の名を言ってはおらなかったか?……

「……オヌシ、法王猊下の名を知っておるのか?」

「あぁ……そうだが?」

「その名は、12人いる枢機卿以外には厳重に秘匿されておる筈……それを何故知っておるんじゃ?」

「お側仕えを賜った“近衛騎士”だったからさ。猊下の直衛を拝命した騎士は、猊下よりそのご尊名を拝聴するというのが昔からのしきたりなんだ。まぁ、飽く迄も内密の事だから、聖庁外部の者が知らないのも無理はないが。」

 ……そんな風習があるのか。まぁ、すぐ側に付いて守護する立場の者だから、秘密を共有する事で連帯感を高めるという意味があるのだろう。

「じゃが、そんなに気安く秘密を開示していいものなのか?」

「相手がオマエだからな、ニハル。オマエと仲間たち以外だったら、こんなにアッサリと言ったりはしないさ。」

 ……何故、こんなにも信頼されているのじゃろうか……訊いたところで、駐屯地で聞いたのと似たような答えが帰ってくるのは明白じゃが……

「ご主人~!」

「おぉ、ナトラか。一体どうした?」

「向こうヌあガりが見えるスよ!」

 ナトラが指差す先から、一条の光が射し込んで来ている。“サラマンダー”の像があるここが神殿の最奥なら、反対側は出入口である筈だ。

「いつの間にやら、夜が明けていたらしいの。」

「さ、ご主人! 早グ行ってみっぺサ!」

 ワシらは一団となって、光の射す方へと進む。周囲では、物資を運び終えた兵員や作業員たちが、安堵した表情で休息している。これだけの広さがあれば、ざっと300人はいる人員も、余裕を持って入れそうだ。エラセドが“人員と物資の移動が完了したら、抜けてきた穴を丁寧に塞いでおけ!”と指令を飛ばす。あの壁の穴を塞いで初めて、作戦が完遂されたと言えるのだ。

「随分と長い階段ですね。」

「古いが磨り減った痕がある……かなりの人数が、長い期間に渡って往来していたようじゃな。」

 蛇のように蛇行した幅の広い階段が、光の方へと長い距離を突き進んでいる。この階段を昇れば、出口まで一直線のようだ。

「この空気の流れは……うむ、外に繋がっているのは間違いなさそうじゃ。」

 涼やかな大気が、上から流れ込んできている。一晩振りの“娑婆シャバの空気”だ。

「ま、まヅっぽィなや~……」

 朝日が鋭く網膜を突く。一晩とは言え、暗闇の中を進んできたのだ。すぐに目が慣れない。

「……出られたな。」

「えぇ……本当に……」

「うむ、善きかな。」

 遥か東に見える巨大な山脈、その稜線から昇る太陽。爽涼なる風が頬を撫ぜ、感嘆の吐息を吹き流す。大気の感じから、それなりに標高の高い場所に出たようだ。

「しかし、こんなところに出入口があったとはな……」

「エラセド、ここは鉄鱗山のどの辺りなのじゃ?」

「山頂を挟んで駐屯地とは反対側の中腹だな。坑道の入り口が防衛対象だったから、こんな上の方は気にも留めていなかったぞ。」

 ……少なくとも、“駐屯地に放り込まれた神国出身者”はこの場所を知らなかった、という事だな。後、問題となるのは……

「駐屯地側でやりあっている連中が、いつ、ここに気付くか……じゃな。」

「向こうァもうおっぱじまっデるみてェでがスよ。」

「判るのか?」

「何かぁ、“イヅい”おドが聞こえンでがス。」

 “イヅい”とは確か、“心地が悪い”とか“違和感がある”とか、そんな意味だった筈だ……というか、ワシは何故こんな事まで知っているのじゃろう……しかし、流石はネコである。見事な聴力だ。

「はぁっ……はぁっ……エラセド様。」

「何だ?」

 兵士の一人が、息を切らせながらエラセドのところへやって来た。どうやら、あの長い階段を一息に駆け上がってきたようだ。

「貫通口の封鎖、完了しました!」

「よし……此度の作戦は完遂された。今後の行動を策定するから、部隊長を召集、神殿の中程に集合させろ。」

了解ヤー!」

 敬礼した兵士は、足早に引き返していく。

「さて……っ!?」

「マスター?」

「……動くな。然もなくば斬る。」

 出入口の方へと振り向いた瞬間、背後から投げ掛けられる重厚な声、首筋で感じる鋭利な触感……そして、流れ来る冷徹な気配。だが、恐ろしい脅し文句の割りには殺気を感じない。左下に視線を向けると、ワシの頸動脈に突き付けられた刃が、朝日を反射して閃いた。

「その声には聞き覚えがあるぞ……」

「ほぅ、ワタシを覚えていてくれたか……実に有難いことだ。」

「じゃがな、同時に困惑もしておるよ。」

「何故かな?」

 首から直剣が離れる。ワシはゆったりと振り向き、その“騎士”を見据えた。黒い羽飾りの付いたアーメットヘルム、黒光りするフルプレートアーマー、翻る濃紺のマント、質実剛健とした直剣、竜を象った紋章入りの大盾……忘れもしない、“ヤツ”の名は……

「何故なら……キサマはワシがこの手で殺した筈じゃからな。騎士“ゲオルギウス”よ。」

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