第肆章~鉄鱗山の“四人”~ / 第四節

 仄暗い坑道を、多数の人が慌ただしく行き来している。普通の人間の他に、何人かの聖霊人が見えた。囓歯目の特徴を持つ者、爬虫類のように有鱗の者、両生類の如く湿った肌の者……数自体は少ないが、その個性は実に多彩である。

「物資は段階的に奥へと運べ! 多人数のリレー方式なら、労力を少なくできる筈だ。」

 作業する者たちに檄を飛ばすエラセド。まだ“作戦”は完遂されていないのだ。

「しかし、よく考えたな。」

「何の事じゃ?」

「今の状況の事だ。まさか、坑道を“掩蔽壕えんぺいごう”として利用するとは……」

「山はとても頑丈じゃ。人の造った構造物なぞ比較にもならん。その中に広い空間が存在するならば、防御用施設として、これ以上にお誂え向きのものは無い。」

「だが何故、兵員まで匿うんだ? 非戦闘員を掩蔽壕に収容し、兵員を出入口前に配置して迎え撃つのが定石の筈だが……」

 大分奥まで進んできたが、坑道はまだまだ続くようだ。植物油を燃やすランタンの灯が、列を成して続いている。

「エラセド……敵の総数を考えるのじゃ。」

「報告に因れば、大公国軍の規模は1個大隊との事だ。兵員の総数は恐らく400……第五師団と合わせれば、おおよそ2000という事になるか。」

「こちらの兵力は?」

「多く見積もっても250……1個中隊規模だ。」

「彼我の戦力差は歴然としておる。少なくとも2倍……場合によっては10倍もの数の敵を相手にせねばならぬのじゃ。定石ではとても戦いきれん。」

 2000人もの兵士たちが、たった250人が守る入り口を突破する事など、赤子の手を捻るより容易である。

「では……どうすればいいんだ?」

「“焦土作戦”……というのを聞いた事はあるか?」

「……いや、無い。」

「自陣を裳抜けの殻にしてから撤退する作戦の事じゃ。敵軍は攻め込んでくるが、利用できるものは何も無い為、物資の補給ができない。これを立て続けに行えば、補給の叶わぬ敵軍は次第に疲弊していく……という次第じゃ。」

「それで、物資を伴って奥へ奥へと進んでいるワケか。」

「これだけ広大で複雑な坑道ならば、結果的に“籠城”と“焦土作戦”を両立する事になる。敵が躍起にならぬ限り、いずれ撤退する筈じゃ。」

「……とは言え、こっちの物資も余り長くは持たないぞ。今の備蓄の量から考えると、可能な限り切り詰めても1週間が限度だ。」

「気を揉む必要は無いぞ。長くても2日で坑道生活を終わらせる予定じゃからな。」

「……何だって?」

 エラセドが困惑に包まれる中、ワシら一行は採掘拠点の一つに到達した。案内した採掘作業員に因ると、ここが現在使われている中で一番奥にある拠点との事だ。

「ご主人~!」

「お待ちしておりました、マスター。」

 先行していたシェラタンとナトラが、ワシの元に駆け寄る。

「よぅ、待たせたの。」

「んもぅ、おせェでがスよ?」

「ご依頼の品は、キチンと集めておきました。」

 シェラタンは、テーブルの上に山積みにされた二種類の鉱石……白いものと黄色いもの……を指差した。テーブルの側の地面には、木炭が満載された麻袋がある。

「あれは……“ニトリコの石”と“スィーロの石”じゃないか。」

「そうじゃ。オヌシから聞き出した情報を元に、コヤツらに集めさせておったのじゃよ。」

 作戦を開始する前、ワシはエラセドに次のような事を訊いた。“塩漬け肉を作る際の原料に白い石はあるか”、そして、“畑に肥料として撒く黄色い石はあるか”といった事を訊ねたのである。

 もてなされた際、ワシらが口にした“干し肉”は、塩漬けの豚肉だった。豚肉を塩漬けにして保存する際、問題となるのが食中毒の原因の一つであるボツリヌス菌だ。これの繁殖を抑制する為に、豚肉の塩漬けには、塩と共に“あるもの”が塗り込まれる。それは粉末状に加工した“白い石”……即ち、“硝石”だ。この世界では、“ニトリコの石”と呼ばれているらしい。

 畑の肥料となる石は、黄色い方の鉱石である。鉄の産出地は火山に隣接している事があり、この“黄色い石”は主に火山で採掘されるものだ。火山の噴気に含まれる有毒ガスが元となって生成される“黄色い石”……“硫黄”の鉱石である。こちらでの呼び名は“スィーロの石”であるようだ。

「それにしても、マスター……ニトリコの石とスィーロの石、それに木炭など集めて、一体何をされるお心算ですか?」

「まぁ、見ておれ。」

 ワシは“原料”が置かれたテーブルの前にある椅子に腰掛けた。テーブルには原料の他に、薬研と乳鉢、卓上用の天秤量り、内側に革を張ったボウルと木の棒、それと木の器が置かれている。他には、坑道の崩れ止めに使う重くて頑丈な木の厚板2枚用意してもらった。全て、ワシの指示通りである。

「木炭2割……硫黄2割……硝石6割……」

 ワシは“原料”を、薬研と乳鉢を駆使して粉末状に加工していく。天秤量りで重さを計量し、それぞれを目標の割合に分配した。

「な、なヌスてるンだっチャや~?」

「判りません……薬を調合しているようにも見えますが……」

 ……シェラタン、それで正解じゃ。ワシは“薬”を調合しておる。とてつもなく“危険”で、恐ろしいまでに“便利”な“薬”を、な……

 ワシは粉砕した“原料”を、内面革張りのボウルに移し、木の棒で混ぜ合わせる。その際、ちょっとだけ水を足した。十分に混ざったら、今度は木の棒で“それ”を擂り潰す。ボウルの中は真っ黒な粉で満たされている。そして、“それ”を厚板の上に載せ、もう一枚で挟み込んだ。厚板の重量で“圧搾”するのである。

「……そろそろ、よかろう。」

 ワシは厚板の一枚を取り除く。下敷きにされた方の厚板の上では、黒い粉だったものが、柔らかいが粘りのある黒い板状の物体へと姿を変えていた。因みに、件の板はワシでも持ち上げるのに苦労する程の重量がある為、一連の作業は採掘作業員たちに手伝ってもらっている。

 黒い板状のものを取り出してテーブルに戻し、細かく砕いていく。砕いたものは丸めて小さめの粒にし、用意してもらった木の器に入れていった。

「後は乾かすだけじゃが……シェラタン!」

「は、何でございましょう?」

「乾燥までの時間を、“太陽シギル”のルーンで短縮できるか?」

「それでしたら容易い事です。」

 そう言って、シェラタンはテーブルに近付き、得物である杖の先端で、稲妻にも似た文字を中空に描き出す。その文字は、杖の先に合わせて動き、完成間近の“薬”が入った器の上で止まった。そして、シェラタンが杖で小さく文字を叩くと、太陽光に酷似した柔らかな光が器から放たれる。光が収まると、器の中の“薬”は、良い具合に乾燥していた。

「ところで、マスター……これは一体……?」

「ふっ……」

 ワシは木の器を持って立ち上がり、採掘拠点から更に奥を目指す。少し行ったところで道は行き止まりになっていた。行き止まりの壁は、周囲の壁とは明らかに質感が異なっている。

「……本来なら、もう少し時間を掛けて“アタリ”を付けるところじゃが、どうやら、ここが“アタリ”らしい。」

「……一体全体、どういう事なんだ?」

「エラセド、この壁を叩かせてみよ。」

 エラセドは採掘作業員を呼び、ツルハシで壁を叩くよう指示する。ツルハシが壁に当たると、鈍い音が坑道に響き渡った。

「やはりな。」

「頼むから、どういう事か説明してくれ。」

「この壁の奥は空洞になっておるのじゃよ。鈍い音がそれを証明しておる。」

「空洞だと……?」

 ワシは壁の足元に“黒い丸薬”を置きながら、話を続ける。

「シェラタンに因るとな、この鉄鱗山はかつて、火の神を祀る者たちの聖地だったそうじゃ。そして、この山の胎内には、火の神を祀る神殿があったらしい。」

「その話はオレも聞いたことがあるが……千年近くも昔の事だぞ?」

「そう言う建造物は、永い時を経ても当地に残っている可能性がある。そして、礼拝を行う為の神殿なら、出入口が必ずある筈じゃ。ワシらはそこから脱出する。」

「だ、脱出……?」

 エラセドは、ここに居座って戦う心積もりだったようだ。“脱出”というワードに困惑している。

「……準備完了じゃ。皆の者、下がれ。」

 準備を終えたワシは、周囲にいる全員を引き連れて後退する。近くにいては“危険”だからだ。

「ここまで離れればよいかな……シェラタン。」

「はい。」

「オヌシ、雷は起こせるか?」

「ルーンを用いれば、可能です。」

「よし……ならば、あの壁の下の方を狙って、雷を落とすのじゃ。威力はなるべく小さくしてな。」

「畏まりました……」

「各自、耳を塞ぎ姿勢を低くせよ!」

 ワシの指示に従い、全員が同じ姿勢を取る。シェラタンはその状態から再び杖を構え、縦棒に反転した“く”の字をくっつけたような文字を中空に描き出し、杖を置いて耳……に当たる箇所を塞いだ。そして……

「閃け、“þrumaスルーマ”!」

 ……呪文を唱えると、中空の文字が閃光を発し、小さな稲光が鋭く放たれる。稲光は一瞬で壁の下側に命中し……刹那、放たれる衝撃! 轟く爆音!

「ミギャァァ!?」

 ナトラが絶叫する。ネコの耳はとても感度が良いらしい。塞いでいても、苦痛となるほどの音だったようだ。

「な、何だと……!?」

「マ、マスター! あの薬は一体!?」

 立ち込める白煙の中、ワシはやおら立ち上がって言い放つ。

「あれぞ“科学”の結晶が一つ……“黒色火薬”じゃ。」

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