第36話〜国家任務1〜

 ソルベェークの夏は日本の夏と違って湿気が少ない分快適だ。目覚めの良い朝というのは気分の良いものだ。


 紅人はソルベェーク軍港に向かうと小さなモーターボートで3kmほど沖に止めてある飛空母に向かう。全長250m高さ70mに及ぶ大鷹は艦載機と自重を合わせると重すぎるため、地上に置いておくと地面を陥没させてしまう。

 3層構造になっている機体の中層の扉を開け機内に入る。下層は船がひっくり返らないように海の中に沈む設計になっている。

 中層は艦載機の格納庫兼整備エリアになっている。しんとした機内にずらりと並んだ戦闘機には傷ひとつもない。彼はエレベーターに乗って上層のブリッジに向かう。


「お疲れ様です」

「苦労をかけます」


 中にいる通信士が声をかけてくる。健太郎達猛禽類のコードネームファーストはシルヴィアが用意してくれたソルベェーク観光ツアーに駆り出されている。

 紅人は1番高い位置にある艦長席に座るとボタンを操作してコントロールパネルを呼び出す。搭載機数はマックスの75機。1番から6番までのメインエンジンに異常はない。登録してある部隊編成一覧を表示して最適化されているかチェックする。対戦艦から対空まで幅広く面倒を見れるように組まれた編成はおそらく健太郎によるものだろう。ただし、紅人好みの編成ではない。


「60番まではこのまま。61〜65番に対地ミサイル、66〜70番に遅延信管魚雷、71〜75番に高精度カメラをつけておいてください」

「了解しました」


 通信士はすぐに二階の整備長に連絡を入れる。紅人は時計を確認すると時刻は11時を回っていた。


「準備が終わったら解散してください。出発まで皆さんには有給を与えます」


 紅人はそう言い残すとブリッチを降りてボートを出す。青いソルベェークの海を飛沫をたてながら疾走するのはなかなか心地よい。




 15分ほどして紅人は来た港から少し東側に逸れた港にボートを止める。小船一隻止まっていない港には何やら重い空気が流れていた。

 向こうからやって来た1台のセダンが紅人の前で止まると1人の若いメイドが出てくる。


「お久しぶりです。紅人様」

「様なんてよしてください。お世話になっているのはこちらの方なんですから」


 彼女の名前はシンクレア。紅人がソルベェーク王室に忍び込ませた諜報員である。王宮では副メイド長を勤めているかなりの才女だ。


「今の私があるのは貴方のおかげ誠心誠意お仕え致します」

「辞めたくなったらいつでも言ってください。退職金として好きな国で不自由なく暮らせるよう手配しますから」


 シンクレアは1度笑顔を浮べると1本の日本刀を紅人に渡す。ここ10年以内に打たれた刀だが、最新の科学技術のおかげで刀身の美しさは折り紙付きだ。それでも鎌倉時代以前に作られた古刀には敵わないだろう。


「ありがとう。私は行きます」


 紅人は左手で日本刀を持つと足早に去っていく。


 変わりましたね。少なくとも3年前私を助けていただいた時は世の中に絶望したような感じでした。しかし、今は随分と感情豊かになられました。


 彼女を見るたび彼の心には罪悪感が生まれる。


 シンクレアはクーデターによって国を追われた王族の子である。父と母を失い陵辱されそうになっていた所を逃したのが紅人である。しかし、美談で終わるほどこの世界は美しくはない。3年前の紅人が理由もなしに見ず知らずのシンクレアを助けるわけがない。

 当時紅人はクーデター政府の依頼を受けてシンクレアの父と母を暗殺した。正直言えば娘のシンクレアは放っておくつもりだった。しかし、彼女を捕らえた兵士が乱暴をしようとしたら亜里沙と健太郎がそいつを撃った。子供に手をあげるという行為を彼らは断じて許さない。

 仕方なくシンクレアを連れ帰った紅人は彼女を穂波に預けたら諜報の才能が開花したというわけだ。今になって思えば金の代わりに多くの人を不幸にした依頼だった。


 英雄は見方によっては蛮勇である。




 都会の中にある墓地の中に人だかりができていた。棺桶の周りにはバッチをつけた人たちが大勢いる。1人1人順番に棺桶に手を当てて敬意を払っている。


 エルトライト。酷い顔だ。


 紅人は遠くから葬儀を見ていた。参列するつもりでいたが土壇場で彼は迷っていた。自分はあそこに集まる人のような感情を抱いていない。そんな人に弔う資格があるのだろうか。自問自答を繰り返していると背中を押すような強い風が吹く。参列者の中の一部が風が吹いてきた方を見ると紅人を見つけ騒がしくなる。


 風にはさしもの私も敵わないか。


 紅人はゆっくりと歩き出す。スーツに日本刀を持つ彼の姿は外国人からしたら現代の侍に見えただろう。

 太陽が雲に隠れた時、紅人は棺桶の前に立つ。


「エルトライト君。このたびはご愁傷様でした」

「こちらこそシル様をお守りいただき感謝致します」


 エルトライトは深々を頭を下げる。

 紅人は大きく息を吸う。


「顔を上げろエルトライト。今は悲しんでもいい。しかし、悲しみにふけるな。決して自分を悲劇のヒロインだと思うな。いざという時、シルヴィを守れるのは君だけだ」


 いつもより大きい声で彼は言った。

 慰めの言葉をかけるのが正解なのはわかっている。しかし、かける言葉ではない。親族や一族郎党から嫌というほど聞かされている。そして、彼女も紅人からの慰めなど今は求めてはいなかった。


「はい!」


 威勢の良い返事とともにエルトライトは敬礼をする。紅人は満足そうに笑うと棺桶を覗き込む。


「娘に重責を負わせた貴様の罪は重いぞ」


 空の棺桶を少し開けた紅人は持っていた日本刀を中に入れる。


「餞別だ。愚かな弟子よ。先に地獄で待っていろ」


 紅人は一礼してその場を後にした。




 墓地を出た紅人は市内を歩く。仕事柄海外にはよく行くがヨーロッパや中東を訪れることの少ない彼にとってソルベェークは新鮮で楽しい。至る所にシルヴィアが起用された広告が貼られているのは彼女が王室の中でも最大の人気を持つ象徴だろう。

 白い街並みに反射する太陽光に思わず紅人は目を覆う。慌てて懐からサングラスを出してかける。遮光用にカラーコンタクトをしているとはいえアルビノの紅い目には厳しい光だ。


 全く、作るなら普通の身体で作れってんだ。


 彼は行き場のない文句を心に留めるとレストランに入る。ここは観光客ではなく地元の人がよく使うレストランでソルベェークの家庭料理が味わえる。

 運ばれてきた魚料理やチーズを食べていると健太郎が入ってくる。彼は一度店内を見回して紅人を見つけると目の前に座る。


「どうしました?今は休暇中ですよ」

「例のものを入手したそうだ」


 健太郎は眉一つ動かさずに言う。

 紅人はそれを聞いた瞬間ナイフとフォークを置きガッツポーズを決める。


「ようやく国に対抗するための兵器を持てた」

「なぁ、紅人。いくら何でもプルトニウムはやり過ぎじゃないか」


 今回の目的はソルベェークへ貸しを作ることだった。しかし、サイモンの一言でそれは変わった。

 紅人は国内にプルトニウムが持ち込まれたと聞いた瞬間からありとあらる手段を使って回収に動いていた。サイモンが持ち込ませたプルトニウムは3つ。1つは国によって回収されてしまったが、2つは手に入れることができた。


「高槻。貴様はわかっていない」


 紅人は珍しい話し方をする。


「私はあかりを奪われたらどんな手段を使ってでも取り戻すつもりだ。しかし、核兵器を持つ国に脅されたら政府は尻込みするだろう。なら自分で持って対抗するのは当たり前だ」

「政府が黙っているとはとても思えない」

「憲法も法律も建前に過ぎない。第一今の日本がこの私を切ることはできない。依存する相手がアメリカからすげ変わっただけだからな」


 この目はまだ紅人が父の人形だった時他人に対してむけていた目だ。全てを見下し、力無きものを人とも思っていない悲しい目。

 納得はできないが理屈は通っているし隙もないので健太郎は反論出来なかった。

 日本の現状的は紅人を失った瞬間に韓国や中国の侵攻を許す可能性があるくらい危うい。全世界が戦争の傷を癒そうと必死なのだ。


「1つだけ聞かせろ」

「何でしょうか」


 紅人はいつもの調子に戻る。


「家族絡み以外では使う気はないと断言できるか?」

「もちろんです。不用意に世界を敵に回したくはありません。高槻さん達なら、大鷹を沈めるくらいが限界です」


 健太郎にとっては意外な答えだった。自分達1人が飛空母と同じ価値があるとは思わなかった。

 紅人は馬鹿でも愚かでも感情的でもない。核兵器を持ったとしても苦し紛れで使ったり、怒りに任せて誤爆させたりは絶対にしないだろう。


「好きにするといい。どうせ俺が何を言おうと聞かんだろ」


 紅人はクスリと笑うと電子決済を済ませて店を後にする。




 店を出て緑豊かな場所に来た紅人は目の前にあったベンチに腰掛ける。日本の夏と違って湿度が低い分汗がすぐに蒸発するので体感温度は低い。


「柊殿、こんな所で何をしているのですか?」


 エルトライトは声をかけると紅人の隣に腰掛ける。


「休憩だ。1人でいる時はなるべく静かな時間を楽しむことにしているんだ」

「お邪魔でしたか?」

「いいよ。君とは話しておきたかったんだ」


 紅人は青い空を見上げて手を伸ばす。一筋の飛行機雲以外空に浮かぶものは一切ない。


「君の父上は立派な人だった。誰よりも国を愛し、友人からは尊敬され、国民の盾として王の臣下として最良の騎士だった。私の知る限り最も真面目な人間の1人だ」


 紅人は手を下ろすとエルトライトと目を合わせる。黒いベール越しに見える彼女の目にはいくつかの線があった。


「しかし、真面目過ぎた。忠誠心が強過ぎたんだろう。無茶な作戦を命令され部下にはやらせられないから自分で遂行し命運が尽きた。国のため死ぬなど私にはできないことだ」

「柊殿に褒めていただき父も光栄でしょう」


 エルトライトは悲しそうな目をする。


「エルトライト。さっきは厳しいことを言ったが、泣きたい時は泣いていいんだ。幸いここにはシルヴィも君の部下もいない」

「柊殿。少しだけ胸をお借りしますね」


 エルトライトは紅人の胸に頭を埋めると感情を爆発させる。大声は出さないが大粒の涙を流すとともに嗚咽をあげる。紅人は彼女の頭と背中に手を置くと子供をあやすようにさする。


「最後にお礼を言うこともできなかった。最後に父上と会うこともできなかった」


 彼女は紅人の着ているシャツをきゅっと握りしめる。しばらくの間彼は黙ってエルトライトをあやし続けた。



「ありがとうございました」


 胸に秘めていた感情をぶつけたエルトライトの顔はさっきよりもスッキリとしていた。紅人は服を整えると時間を確認する。


「君はまだ18歳なんだ。シルヴィの前でも感情を抑える必要はない」

「貴方は本当にお強いですね」

「私は死に慣れ過ぎた。初めて人を殺めたのは4歳の時。以来何万もの敵を討ち、何百もの仲間を失った。今更1人の弟子を失っても私の凍てついた心は動かない」


 紅人の心は生まれた時から凍りつく南極だ。今は薬で感情を豊かにしていてもせいぜい冷帯がいい所だ。猛禽類のコードネームファーストやシルヴィアでも失わない限り涙や悲しみは湧いてこないだろう。

 紅人は立ち上がってエルトライトの頭に手を置く。


「1つだけ忠告しておく。この世界で長く生きたければ私に喧嘩を売らない方がいい」


 エルトライトの髪から温かい手が離れる。彼女は去っていく紅人の背中を見ていた。背丈は小さいが背中は広く大きく見える。

 しかし、その足先に光があるとはとても思えなかった。


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