第32話〜シルヴィア・ル・レッドクラウン・ソルベェーク・レスタ3〜

 7月23日の夜


 生暖かい夜風が吹く気持ちの悪い夜だった。街を歩く人のほとんどが涼しい格好をしている中、サイモン・フラチャイルドはきっちりとしたスーツを着ていた。

 ここ渋谷という街は戦前まで若者の集う流行発祥の地であった。今もそういう街であることに変わりはないが少し異なるのも事実。戦争ビジネスで成功を収めた傭兵会社やヤクザ事務所が立ち並ぶ所でもある。特に夜は裏社会気質が濃く、飲み屋には明らかに堅気に見えない男達がずらりと並んでいる。


 仕事を終えたシルヴィアの護衛の何人かが渋谷を訪れていた。無論ソルベェークの名を汚すわけにはいかない怪しい店には足を運ばず、ごく普通の飲み屋に入った彼らは酔わない程度に酒と料理を楽しむ。ソルベェークには出回っていない日本酒と刺身を嗜むのが護衛の中では流行っている。

 食事を終えた彼らは無人タクシーに乗るため大通りまで歩く。1番地区を過ぎて3番地区に入ると一気に治安が悪化する。ここら辺は反柊紅人勢力が取り仕切っているので当然かもしれない。大きな力を持つということは多くの仲間と引き換えに多くの敵を作るということである。


「黒服さん。ちょっとツラ貸してもらえるか?」


 護衛の1人がヤクザの構成員に肩を掴まれる。


「悪ふざけはよせ。こっちは忙しいんだ」

「釣れないことを言わんでください。サイモン・フラチャイルド氏がお待ちですよ」


 護衛達の緊張が一気に高まる。


「案内を頼めるか?」

「ついてきな」


 3人の護衛はヤクザに連れられて事務所の地下に行く。表は清潔に保たれていたのに地下は生臭い臭いが残っている。かなり危ない商売をやっているのは明白だ。予想するに人間のバラ売りでもしているのだろう。戦後、堅気の職に戻れなかった軍人崩れも多くいるので警察も取り締まりが難しいのだ。


「奥でサイモン氏が待ってる。何をしようと構わないが、責任は一切取らない。覚悟して入ってくれ」


 案内役の構成員はそう言い残すと上の階に消えていった。


「ここで殺して柊殿に迷惑はかかりませんかね?」

「ここは閣下の勢力外とシルヴィア王女殿下に伺っている。万が一にも迷惑はかからない」


 紅人の本拠地である東京で傘下に入っていない組織というのはそれなりの力のある証拠でもある。情報が漏れることはなさそうだ。


「ならさっさと片付けましょう」


 3人は鉄の扉を開くとそこにはサイモンが足を組んで座っていた。男3人を相手にしても全く動揺をしないのは気味が悪い。


「番犬がこれだと飼い主の度量が知れるな」

「口を慎め。シルヴィア王女殿下はいずれソルヴェークを継がれるお方だ」


 サイモンは吐き捨てるようの笑う。


「女が王位を継ぐなどあり得ん。次期国王は長男のティリオン殿だ」

「どうやら貴様ら古典派とはわかりあえんらしい」

「それには同意だ」


 サイモンは立ち上がるとコンバットナイフを握る。それに対して3人の護衛はG100を抜く。

 これは世界中の警察やボディガードの中で1番普及しているセミオートピストルである。9mm弾を15+1発装填できる使いやすい、精度のいい、軽い、三拍子揃った銃である。

 そして、サイモンは不利な状況でも冷静さを欠かなかった。


「軍人というものは銃に頼りすぎるのが難点だな」


 サイモンは机を蹴り上げて射線と視界を切る。宙を舞う机に張り付いて1人の懐に潜り込むと喉を切り裂き机と共に壁に吹き飛ばす。


「よくも仲間を!」


 錯乱した1人が銃を乱射するが、サイモンはその間を縫うように動き背後へ回る。男の喉にナイフを突きつけ右手に持つ銃をもう1人の男に向ける。


「銃はこう扱うんだ」


 サイモンが引き金を引くと目の前にいた男が倒れる。

 最後に右手に持つナイフを引き彼は全ての敵を排除した。


 正面戦闘じゃ軍人には勝てんが、銃だけが全てじゃないんだ。閉所での1対多数の訓練は軍よりもSSSの方が多い。数に甘えたな若造。


 彼は懐から電子タバコを取り出すと1度大きく吸い込む。灰色の煙を吐き出すと護衛達を案内してきた構成員が入ってくる。


「これはまた派手にやりましたね」

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。事後処理は致しますので」

「必要はありません。組長から昔の恩を返すようにと言われています」


 サイモンは心当たりがなかったが好意には甘えることにした。ソルヴェークから追手が来る前にシルヴィアを暗殺することができれば現代派と呼ばれるシルヴィアを王女に据える動きを見せる派閥を根本から消し去ることができる。

 目的のために手段を選んでいるようでは世の中を動かせないことは歴史が証明している。話し合いで解決するほど人類は大人ではないのだ。


「では失礼いたします。お元気で」


 サイモンはヤクザ事務所を去っていった。




 ソルヴェーク王国第九王女シルヴィア・ル・ルビークラウン・レスタ。

 金髪長身で美しいを体現したかのような彼女は国内だけではなく海外でも大人気だ。ソルベェーク王室の人気を支えるマスコット的な存在でもある。


 午前6時に起床し、身支度を済ませたら朝食を取る。王族と言っても朝食は普通だ。スコーンとコーンポタージュを食べ終えた彼女は学校の課題を進める。こんな激務をこなしても彼女の総合成績は20位以内。文武両道の鏡とも言えるだろう。

 30分すると部屋の扉がノックされる。


「シルヴィア様。柊殿がお見えになりました」


 ずいぶん早いわね。予定より1時間も早いじゃない。


「通してくれるかしら」


 扉が開き完全武装した紅人が入ってくる。シルヴィアは一瞬驚いたが席にかけるように促す。


「おはようシルヴィ。勉強中にすまない」


 まだ既定の時間にならないので紅人は友達モードで話しかける。


「早かったわね。それにその格好……何かあったのね?」


 焦らないのはさすがと言ったところだ。


「サイモンフラチャイルドが脱獄した。今日から君の身は私1人で守る」

「わかったわ。私の命をお願いね」


 この状況で笑顔を浮かべられるのはあまりいいことではないなと紅人は思う。しかし、焦ってうろたえないのは非常にありがたい。


「そうと決まったらシルヴィ。3日分の衣服と身の回りのものを用意しろ。今日からサイモンが捕まるまで君には私の家で過ごしてもらう」

「紅人の家に泊まるのは初めてかもしれないわね」


 紅人の家は大使館を超える防衛設備が整っている。それに1番怖いのは自分の手のうちにない間にサイモンに襲われることだ。万が一シルヴィアが襲われて死んだら自分を許せない。わかっている危機に対処しなかったと後悔するのは御免だ。


「用意ができたら呼んでくれ。今日の予定を片付けよう」


 紅人は部屋を後にする。

 シルヴィアはキャリーバックを出すと衣類を丁寧にまとめる。3日分の服と言っても公式の場に出る用のものと日常の用のもの、2種類を用意しなければならない。

 結局1つには収まりきらずキャリーバック2つ分の荷物になってしまった。シルヴィアは珍しく髪を束ねてポニーテールを作ってみる。鏡の前に立ち位置を調整すると紫陽花の形をしたシュシュを被せる。


「準備できたわ」


 部屋に入った紅人は朝日に照らされるシルヴィアを見る。フワッとした彼女の金色の髪は紅人からみても美しい。


「似合っているよ」

「ありがとう」


 シルヴィアは嬉しそうに笑う。


「念のためこれを持っておいてくれ」


 紅人は90式拳銃よりも1回り小さい拳銃を差し出す。シルヴィアは躊躇しながらそれを受け取るとポケットにしまう。


「万が一の時はセーフティを解除して撃つんだ」

「わかったわ」


 紅人は不安そうにしているシルヴィアの頭に手を置く。


「大丈夫。君にそれを撃たせないようにするのが私の仕事だ。信じて」


 シルヴィアは首を縦に振る。少し頰を赤らめていたように見えたが気づかないフリをする。

 紅人はシルヴィアの荷物を両手に持つと大使館を出て車に乗せる。途中黒服がものすごい視線を向けてきたが紅人は一切動じなかった。


「今日は理工学研究所で技術提携の交渉でいいんだ……よろしいでしょうか?」


 紅人は一度呼吸を置いてから敬語で言い直した。


「もういいわよ。やっぱり私はいつもの紅人でいて欲しいわ。これは雇主からの命令よ」

「命令とあれば仕方ない。以降は普通に話そう」


 シルヴィアは笑顔を浮かべるとシートベルトをする。紅人は車を走らせ始めた。




 サイモン・フラチャイルドはシルヴィアが大使館から出たという知らせを雇った探偵から得た。彼は基本的に単独で動き、どうしても必要な人員は現地調達するようにしている。現地の人間は非合法的なことを頼まない限り守秘義務を守るし、何より後ろから刺される心配が少ない。諜報の世界に入って最初に言われたのは仲間への信頼は60%にしておけということだ。

 昨日まで苦楽を共にしていた仲間が次の日に粛正リストに名前が載っていたこともある。完全に信頼できるのは自分だけなら全て自分で用意してやればいい。そうすれば計画に綻びは出ない。

 サイモンはバックに暗殺七つ道具を入れるとホテルを出て目的地に向かう。

 スマートにこなそう面倒は御免だ。




「シルヴィ、シルヴィ、ついたぞ」


 紅人はスヤスヤと寝息をたてるシルヴィアの身体をユサユサとゆすって起こす。


「おはよう紅人。寝ちゃったみたいね」


 彼女は腕を上に上げて身体を伸ばす。いくらなんでも油断が過ぎるのではないかと紅人は思う。一応紅人も男なわけで誰もが美しいと思うような少女が無防備に寝ていると悪戯したくなるのだ。

 手を添えてシルヴィアを車から下ろすと受付に向かう。


「シルヴィアです。研究主任殿をお願いできますか」

「少々お待ち下さい」


 受付の女性は紅人のことを横目でチラチラと見てくる。戦前に比べて銃が普及したとはいえ日本の銃規制は依然として非常に厳しい。アサルトライフを隠すこともなく持ち歩く男に恐怖を覚えるのも仕方ないだろう。


「お待たせしました。エレベーターで30階にお願いします」

「帯銃免許と民兵免許です。任務故銃の持ち込みをお許しください」


 紅人が2つの免許証を提示すると受付嬢はスキャンをして確認する。画面には認証成功と表示されている。


「どうも」


 紅人はシルヴィアをエレベーターまでエスコートする。紅人は理工に来るのが初めてではない。実戦データの納品や新兵器の共同開発をしているので何度か足を運んでいる。

 エレベーターホールでエレベーターを待っているとシルヴィアがこちらを向く。


「私のこと怒らないでくれるかしら?」

「どうした急に?」


 彼女が悪戯に笑うとエレベーターの扉が開く。察しの良さには自信がある紅人だったが、この時は何が起こるか予想出来なかった。

 エレベーターを降りて指定された部屋の扉を開けるとそこには予想外の人物がいた。


「久しぶりね。シル」

「そうね。あかり」


 白衣を着てデータ入力をしていたあかりはメガネを外して挨拶する。ようやく紅人はエレベーターホールで言われたことを理解した。シルヴィアは紅人とあかりが兄弟であることを知っている。そして、彼が並々ならぬ思いで彼女を陰ながら守っていることも当然知っている。

 こんな危ない状況でシルヴィアとあかりが会うことに紅人が賛成するわけがないのだ。


「紅人さんもお久しぶりです」

「ホロを使っていてもばれますか」


 紅人はホログラムを解除して素顔を見せる。


「顔は変えられても骨格や血管は変えられないので分かりますよ。特に紅人さんは体の軸が一切ブレないのでわかりやすいですよ」


 あかりはさも当たり前のことのように話しているが、彼女の観察力は化け物だ。遺伝子操作によって至上の頭脳を持って生まれた彼女に普通の人が敵うわけもないのだ。

 武の完成体として紅人。文の完成体としてあかり。2人合わせて文武両道それが2人の父が考えたことである。


「シルヴィと知り合いだとは思いませんでした」

「あら、私と彼女は一緒にお茶を楽しむ仲よ?」


 紅人が椅子に座るとシルヴィアが答える。


「待ってシル。先に仕事を済ませましょう。お茶はその後でも飲めるでしょう?」

「そうね」


 急に空気がしまったように感じられた。ここからは友達としてではなくソルヴェークの王女として話すようだ。


「この度私はあかりさんの研究に出資をしたくここへ伺いました」

「現状私は兵器開発と技術開発合わせて6つの研究を抱えていますがどれですか」


 これは嘘だ。

 あかりは対質量障壁、アンチマテリアルフィールドの研究を隠している。先日自分が巨額の投資を持ちかけたので完成前に公開する意味もなくなったのだろう。


「アンチマテリアルフィールドの研究に投資したいのです」


 ほう。面白い。


 ソルヴェークの諜報部隊はなかなか優秀なようだ。


「どこで知ったかは知りませんが、生憎その研究はすでに十分な投資者がいます」

「差し支えなければそれは誰でいくらかお教えください」


 あかりは紅人方を見る。観念した紅人は口を開く。


「私だ。とりあえず1兆。後はでき次第で追加といったところだ」

「えぇ……」


 シルヴィアはあまりの金額に声を失う。それは民間企業の投資の領域を大きくはみ出している。


「私の資産はソルヴェークの国家予算の4分の1に相当する。いくらシルヴィと言えどこれは譲れない。根比べがしたいなら限界まで付き合うぞ」


 シルヴィアは掌を天井に向ける


「やめやめ。勝ち目のない戦はしないわ」

「助かるよ」


 突如、館内に警報音が鳴り出す。


「防犯警報ね。警備ロボが対処してくれるよ」


 あかりがそういった途端部屋のドアが蹴破られ警備ロボットが雪崩れ込んでくる。


「なるほど。そういうことか」


 表面上、紅人は冷静さを欠いていないように見えた。しかし、シルヴィアは彼が左手で右腕を抑えているのをしっかり見ていた。











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