12話〜空軍訓練〜

 2118年5月3日


 世間的にはゴールデンウィークだが、紅人くれとはまだ1日も休めていない。日差しがさんさんと降り注ぐ中、彼は調布の国防軍駐屯地こくぼうぐんちゅうとんちを訪ねる。しかし、5月だというのに25℃を超えるとは何事だ。

 彼は受付で身分証を提示して中に入る。

 調布駐屯地は主に空軍が駐在している基地なので、ずらりと戦闘機が並んでいる。その中でも1番多いのが多目的戦闘機「はやぶさ」。これは彼の会社が空軍と共同開発した戦闘機である。最高速度はマッハ2。アメリカやロシア、中国の戦闘機に速度面では劣る。そのかわり軽量化された機体の旋回性能とエネルギー保持率、汎用性はんようせいは他国の主力戦闘機より大きく勝る。この辺りは第二次世界大戦の頃から変わっていない。


「お久しぶりであります」


 紅人に向け白髪混じりの紳士が敬礼をする。


「大橋中佐お久しぶりです」


 彼も軍隊指揮の挨拶で答える。軍籍はないが、郷に入れば郷に従えだ。

 とはいえ服はいつも通りスーツなのだが。


「今日も訓練の方お願いします」

「その前に彼らの実力が見たいので、模擬戦をしましょう」


 彼は上着を脱ぎ腕のストレッチを始める。念のため言っておくが紅人は飛行機の操縦は一切できない。しかし、天性の才能から生み出される戦略は空戦の基本を変えた。


「50対50でいいですか?」

「構いませんよ。若い方から49人と1番成績がいいのをください」


 大橋は唖然あぜんとする。


「練度の差を埋めるのが指揮官です。あなたの腕も見させてもらいますよ」


 紅人が笑うと冷たい風が吹き抜ける。

『死神』という言葉がふと大橋の頭に浮かんだ。これは紅人の父親が軍にいた頃から呼ばれていた異名である。息子の紅人にもただひたすらに敵の命を狩るあの男と同じ目をしていると大橋は感じた。

 いや、あの男は黒い静かな世界に立っているようだったが、紅人君は氷塊の中に立っているかのようだ。




 紅人の要望通り50人の兵士たちが整列している。彼らの顔は不安と懸念が見て取れる。

 もともと、空軍というのは陸軍と海軍の航空部隊から選抜された隊員で構成されている。大橋中佐率いる部隊は精鋭中の精鋭。対してこちらは精鋭止まり。言うなればオリンピックメダリストとオリンピック出場選手が戦うようなものだ。


「諸君が不安に思うのも無理はない。でもこの模擬戦の時間だけでいい。私を信じてくれ、そうすれば勝機はある」


 紅人が兵士たちに言うと、中央に立つ男が手を挙げて発言する。


「失礼ですが指揮官。大橋中佐は誰よりも航空戦術を深く理解されています。私は若い貴方が中佐に及ぶとは到底思えません」

「新兵君の言いたいことはわかるが、今の空軍で採用されている戦略はほとんど私が生み出したものだ。戦術と戦略。いかに前者が優れていようが、後者を覆すことはできない。私の言うとうり動けば必ず勝てる」


 彼は自信たっぷりに言う。遺伝子に組み込まれた戦闘の才能とくぐり抜けた修羅場の数が劣っているわけがないのだ。


「軍人なら上官の命令に従う!これは鉄則であります!」


 未だ不安そうな新兵たちがガヤガヤしていると、成績トップの兵士が叫ぶ。すると小言が一切聞こえなくなる。


「ありがとう。これより君たちには5人1分隊9個と4人1分隊1個に分かれてもらう。エースは単独。フォーメーションは…………」


 この後、彼は30分にわたって作戦を説明した。




 兵士たちが戦闘機に乗り込んだのを確認した紅人は離陸合図を出す。全機が離陸して見えなくなったのを確認した彼は机の上に3Dマップを展開する。友軍の位置と高度が映し出される。

 現在彼の部隊は高度1万m。初めは高度1.3万mまで上昇し、敵の上を抑えるように指示してある。地上戦でも空戦でも上から仕掛ける方が圧倒的に有利である。高度を速度に変化することもできるし、ヒットアンドアウェイ戦法で下へ下へ敵を追いやることができる。最終的に海面近くまで高度を捨てさせることができれば上を取っている方が9割方勝つ。

 高度1.1万mに達したところでマップに赤点が表示される。友軍のレーダーが敵機を捉えた合図である。

 敵は5機編成10小隊。高度9千〜1万2千の間で階段状に部隊が配置されている。高高度を取っている部隊が敵の同高度部隊を追い落とし、下に置いておいた部隊がトドメをさす。単純明快かつ強力な陣形だ。


「全部隊に通達。二手に分かれて高度1万2千まで上昇。エースならびに予備の部隊は1万4千まで上昇して待機」


 紅人が指示を出した数十秒後に全機体の機首が上がる。

 接敵まで残り数分。接敵高度は横一列に並ばせたぶんエースと予備以外は上を取られる。上から追いおとすのもいいが、フレンドリーファイヤ防止のためにも混戦は避けたい。


「第四、第五部隊を境に上昇を中止し左右に散開。エースは敵の注意を引かないようにしておけ」


 これ以上昇って失速するのを愚策ぐさくだと判断した紅人は陣形を2つに分けた。


「会敵し次第低高度帯にいる敵を可能な限り撃墜。その後エアブレーキを緩くかけ降下し続けよ。上から降ってくる敵を追い越させたら再度上昇」


 さて、お手並み拝見といこうじゃないか。


『第1部隊、交戦を開始します』『第2部隊、交戦を開始します』


 紅人の元に次々と無線が入る。

 模擬戦では5秒間ロックされ続けたら撃墜判定となる。戦闘機はミサイルを撃たれたら撃墜されるのが普通だからである。

 大型輸送機や襲撃機に積まれている強力なパルスフレアなら近距離のミサイルを防ぐこともできるが、戦闘機に積んでいるものでは厳しい。だったら戦闘機にも強力なパルスフレアを搭載すればいいと思うかもしれない。しかし、電子パルス防御の薄い戦闘機が輸送機や襲撃機しゅうげききクラスのパルスフレアを撃とうものなら自機のエンジンを止めてしまうのだ。

 空中では鮮やかな空戦が繰り広げられている。大橋率いる軍は上から下へ紅人の軍を下へ下へ追いやっていく。対する紅人の軍は5機編成を崩すことなく降下して行く。

 ここまでは作戦通り。しかし、深追いしてきたのは想定の半分といったところだろうか。状況判断ができるいい兵士だ。


『クソ、1人やられた』

『こっちも2機やられた』

「第2第4部隊ともにCラインまで撤退。エース。蹴散らしてこい」

『了解』


 紅人の指示で撤退する2部隊を5機の大橋軍が追う。紅人軍のパイロットの耳にロックオン警告音が鳴り響いた時、後ろの1機が撃墜される。空から降ってきたエース機が降下の勢いを使って再上昇していく。螺旋状らせんじょうの飛行機雲が美しい。


「第2第4部隊は部隊を統合。以後α班と呼称。ループで180度転舵。追撃部隊を全滅させろ」

『了解』


 撤退部隊を人数不利で深追いしてしまった追撃部隊はあっけなく全機撃墜される。たとえ格下でも人数不利で仕掛けるのは非常に危険だ。少なくともエネルギー有利と高度の有利が取れていない状態で仕掛けたのは判断ミスと言わざるを得ない。

 なまじパイロットの腕がある故のおごりか。現場判断に任せすぎだ。戦闘中は視野狭窄しやきょうさく思考狭窄しこうきょうさくに陥りやすいから第三者目線で指揮官が指示を出すんだ。大橋はここをわかってないな。


「α部隊はそのまま戦列に戻れ。全軍戦列をEラインまで下げろ。2機以上損耗した部隊は即時Cラインまで撤退」


 部隊の1割を損耗したら一度撤退し、損耗した部隊どうしを統合。常時5機以上で1部隊を編成し続ける。徐々に前線を下げ敵を引き込むこともできることからスクアットリターンと名付けられている。1年前日本と朝鮮連邦が小競り合いを起こした時に紅人が生み出した戦法である。

 部隊人数をキープし続けられる反面、撤退する時に前線の人数が少なくなるため戦線を調整する必要がある。指揮官は10手も20手も先を読む能力が求められる。


「ふぃー」


 この先を読みきった紅人は椅子に腰掛けると紅茶を口に運ぶ。いささか物騒なBGMがなっているが、読みきった後の紅茶は格別だ。相手を手のひらで転がしている爽快感が紅茶を引き立てる。


「全部隊Dラインまで段階的に後退。少し高度を取り直してゲームオーバーだ」


 戦線の主導権を握られた大橋軍は苦戦を強いられていた。高度有利から仕掛けたはずなのにいつのまにか上を取られている有様だ。数もこちらは半分を切ったというのに紅人軍は7割以上生存している。いくら実力で上回っていても人数と高度有利を取られてる以上勝ち目はない。

 戦略的には間違っていなかった……。なぜこうなった?

 大橋は3Dマップに映される絶望的戦局を確認する。


「古典的故に強力。しかし、崩しやすい。後は私のことをもっと知った方がいいと思います」


 模擬戦は終わってもいないにも関わらず、紅人は大橋の下にくる。彼は圧勝したのに嬉しさ一つ感じさせない。氷がたっぷり入ったアイスティーを両手に持って大橋の前に座る。


「ありがとうございます……」


 大橋は崩れ落ちるように椅子に座る。テーブルに置かれたアイスティーを一気にコップ半分ほど飲み干す。キンキンに冷えた渇いた液体が喉を潤し、胃に向かっていくのがわかった。


「全軍撤退だ。模擬戦は私の勝ちで終わりだ」

「待ってください!もう少しやらせてください」

「実戦で引き際の見極めを見誤るのは最悪だ。本当なら3割損耗した時点で引くべきだった」


 紅人は厳しい目で大橋を見る。薄い雲が太陽を隠し暗くなる。

 3割と聞くと少ないように思うかもしれない。しかし、死んだ兵士と同等の戦力を空軍が得るには3年以上の年月がかかる。大戦の後遺症から立ち直ったばかりの状態で軍を疲弊させれば他国に付け込まれる。特に戦後まもなく南北統一を成し遂げた朝鮮連邦はすきあらば日本へ侵攻しようとしている。


「了解しました……」


 大橋は渋々軍を撤退させる。彼は拳を握りしめ、次こそはと心に決めた。




 機体を倉庫に戻した兵士達の顔は様々だ。紅人軍にいた人たちはただ1人を除いて、信じられないと言い合っているところだ。対して大橋軍にいた兵士はロッカー室から出てこない。部屋に入る前から嫌な気を感じる。


「お前らも分かっただろ?紅人特将がいかに優秀か」


 特将というのは特務将軍の略称のことで有事の際に紅人くれとに与えられる階級である。


 紅人軍のエースパイロットが皆に言う。


「はい。板橋1佐の言う通り、お若いのに大変優秀でした」

「親譲りだな。特将の父上は日本空軍最強のパイロットと呼ばれていたから」




 紅人と大橋は来賓室で先ほどの模擬戦の反省会をしていた。彼は現場判断を極力省くために戦況を20分先まで読めるようになれと命じた。

 大橋は苦悶くもんの表情を浮かべた。しかし、紅人の「私はできるようになる可能性があると判断した人にしかやれと要求しない」という言葉で承服を余儀なくされた。

 彼から見ても大橋は有能な指揮官で非常に努力家だ。大橋は自分のような天才型の軍師と違って画期的な策を思いつくことは無い。そのかわり、努力家軍師は防衛戦に向いている傾向がある。過去のデータを漁りあらかじめ記憶しておいた最適解を引き出す。防衛において最も大切なのは安定した抑止力であって爆発的な力ではない。天才の倍勉強する努力家の防衛力は他国からしたら非常に厄介で鬱陶うっとおしいものになる。

 憲法で建前上戦争放棄をしている日本軍に求められるのは強固な防衛能力である。あくまでも日本軍が行うのは防衛。攻撃は紅人の会社や民兵組織などの非正規軍が国から依頼されてやるものだ。裏口はなはだしいとしか思えないが、今の情勢で完全な攻撃力の放棄など自殺行為に等しい。

 仮に大橋が天才型空戦軍師なら既に引き抜いていただろうなと彼は思った。




 3杯目の紅茶を飲もうとした時、紅人のズボンのポケットから騒がしい音が鳴る。

 秘匿回線とはただ事ではないな。

 彼は手と目で謝意を伝えると隣の部屋に移動して電話に出る。秘匿回線ではなく通常回線なら無視していたとこだ。


「もしもし、柊です」

『ボス、防衛大臣から至急官邸に来いとのことです』


 電話の主は直己なおみだった。

 至急の呼び出し?最近他国のスパイが入国した形跡は無いし、ヤクザ達バカどももずいぶん静かだ。呼ばれる理由はないはずなんだが………

 紅人は少し考えた後1つの可能性にたどり着いた。

  まさか!あれが完成したのか?まだ五月だぞ?

 彼は電話を切るのも忘れていた。予定なら7月に完成予定だった戦略兵器が2ヶ月も早く出来上がるなんて絶対に何かある。


「防衛大臣にはかしこまりましたと伝えてください」


 彼はいつもより雑に電話を切る。カバンから国家機密にアクセスできるメガネ型端末を取り出すと戦略兵器の情報を漁る。

 必要なアクセスコードを次々と入力し、情報を集めていく。しかし、最後の最後で彼の持っているコードでは閲覧できないエリアが出てきた。

 このぐらいなら私でも20分でハッキングできるが、場所が悪いな。

 ここは国防軍駐屯地。いくら海外のサーバーを経由してハッキング経路を隠してもいずれは見つかる。自分がやったと知られるのだけは避けなければならない。


「直接聞くが早いな」


 彼は端末をしまい大橋のいる部屋のドアを開ける。


「すいません、外せない用が入ったのでお暇させていただきます」


 彼は官邸に向けて赤く染まった空の下を車で走り出す。



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