11話〜思いがけない再会〜
何にも染まることのない真っ白な髪と肌。それに真紅の
彼女の名前は乾あかり。世にも珍しい人のアルビノの種で国立先端科学学校に通う生徒である。
弱冠15歳にしてノーベル物理学賞を受賞し、科学者としてその名を世界に
「うぅーん」
彼女は手を組み、上に向けて伸びをするとカーテンを開けてコーヒーを飲む。睡眠不足の身体にカフェインと朝日が染み渡る。
「乾さん、出席してますか?」
「出席も何も今は立て込んでいるので泊まり込みです」
研究室に入ってきた教員は出席簿に印をつける。
彼女の通う高校には最新鋭の研究設備が一通り整っており、普段からここで研究をしている。また、特待生の彼女は授業への出席を免除されているため、学校にいるほとんどの時間を研究室で過ごしている。
友達は少ないが別に気にしてはいない。
「親御さんに心配をかけないようにしてくださいね」
そういうと教員は部屋から出て行く。
別に帰れなくてもあの男と女は私のことを心配しない。いや、気にかけもしないか。この前だって私が襲われそうになったと言われても何一つ感じてなさそうだったし、あの男にとって血の繋がっていない私は邪魔でしかないのだろう。
「兄さんに会ってみたい」
私の記憶におぼろげに残っている兄さんの姿。母親に手を引かれて連れて行かれる私に手を伸ばす姿。2歳の時の記憶だから顔は覚えていないけど、私の名前を何度も呼んでくれたのを覚えている。
私は彼の名前すら覚えていないけど、残された家族はどこかで生きている兄しかいないのでしょう。
彼女はパソコンをずらし、机に
お昼を過ぎて時刻は16時ちょうど。論文を書き終えた彼女はオフラインバックアップを2つ取るとパソコンの電源を落とす。
「おわったぁ〜」
彼女は肩や目頭を揉む。
流石に今日は帰らないと洗濯物がたまり過ぎてるなぁ。
部屋の隅には脱ぎ散らかした衣類がどさっと積まれている。きっと誰かが片付けてくれたのだろう。自分でかたした覚えはないのだから。
彼女は大きめのバックパックにたまりにたまった3日分の洗濯物をガサツに詰め込む。荷物は増えていないはずなのに、来た時よりバックパックがパンパンに膨れているが気にしないことにした。
彼女は研究室の電源を落とす。生体認証のオートロックで施錠されているため、彼女がいなければ教員ですら入ることはできない。無論誰にでもこの措置が与えられているわけではない。彼女が特別優秀だから与えられた特権である。
校門を出た彼女はスマホで無人タクシーを呼ぶと、目的地を入力する。学校から家までは車で30分とそこそこ距離がある。移動の時間彼女はスマホで音楽を聴くことにしている。好きな音楽はクラシックで、作曲者達の思いが素直に表現されている曲がその中でも特に好きらしい。
現在の音楽プレイヤーは超音波で聞きたい音を包み、その人だけに音を伝えることができるのでイヤホンやヘッドフォンは不要だ。
目をつむり、椅子に背中を預けた彼女は心を無にして音楽を聴く。
予定通り家に着いた彼女はネット決算をすると家に入る。
「帰りました」
彼女は決してただいまと言わない。ただいまというのは本来帰るべき家に帰ってきた時に言う言葉だと考えているからだ。
「なんだお前か」
「あなたの子供は部活かと」
義理の父親、
「今月の小遣いだ」
「必要ありません」
修が財布から5千円を出し渡そうとするが、あかりはそれを止める。
「それより先日はご迷惑をおかけしました。これは迷惑料です」
彼女は現金10万円の入った茶封筒を修に渡すというより、押し付けると洗面所に洗濯物を投げる。その後来ていた服を脱ぎ捨てるとシャワーを浴びる。
シャンプーで髪を洗うとトリートメントでしっかりとケアをする。腰まで伸ばした白くて細い髪はとても傷みやすいので毎日手入れを欠かさない。髪を洗い終わった彼女は日焼け止めを落とすため身体を洗う。紫外線を防ぐ手立てのない彼女の肌は強力な日焼け止めを塗らないとただれてしまう。アルビノ体質でなければよかったのにと思った事はないけれど、面倒くさくはある。
身体を洗い終わった彼女は浴室内の鏡の前に立ってみる。
「また大きくなったかな?」
彼女は胸を下から持ち上げてみる。
前より重くなってる。どうりで肩が凝りやすくなってるわけだ。前までDカップだったが、この重さからして少なくともEカップはある。そろそろかわいい下着が少なくなってくるからこれ以上育つのは勘弁してもらいたい。
研究者とはいえ彼女も年頃の女の子だ。世間がイメージする女を捨てて研究に打ち込むリケジョというわけではない。むしろ、美容に関する意識は人一倍高い。
クルリと回って背中を見ると右肩に黒色で鷹のタトゥーが刻まれている。日本でも昔よりもタトゥーがオシャレとして定着したけれども、彼女の歳で入れている人は少ない。中学の修学旅行では色々と言われて大変だった。しかし、兄との繋がりということを思うと消したくない。
20分ほどして彼女は浴室から出てくる。ドライヤーでしっかりと髪を乾かした彼女は2階の自室へ上がる。デスクトップパソコンの電源を入れた彼女は複数ある銀行講座の入出金を確認する。家族の誰も知らないが彼女の総資産は2.3兆円にもなる。そのほとんどが世界一安全と言われるスイスの口座に入っている。家族に知られるとあの父親に使い込まれてしまい、研究費用がまかなえなくなってしまうので絶対に教える気は無い。
もっともっといろんなことを知りたい。その衝動こそが彼女に結果を恵んでいるのだ。
「だいたい私以外の子供には月3万円渡してるのに、5千円はおかしいでしょ」
彼女はパソコンの電源を落とすとベットに寝っ転がる。
ベット気持ちいい。わざわざ高いの買った甲斐があった〜。
カーテンを閉め、毛布をかけていざ寝ようとした瞬間、ドアがノックされる。
「姉貴、入るぞ」
2番目の妹があかりの部屋へ入ってくる。2番目の妹は部活に勤しんでいて、高校もその筋で行くつもりらしい。
まぁ、大学進学と同時に家を出て行くつもりの私には一切関係ない。都心の高級マンションでゆったり一人暮らしを満喫してやる。
「何かしら?お姉ちゃん徹夜続きで寝たいのだけど」
「今日は家族水入らずで夕飯食べに行ってくるから、冷蔵庫の中勝手に食べてってお父さんが言ってた」
「勝手にするって言っておいて」
あかりは妹に出て行くように指示すると目をつむる。
とにかく今は眠いし疲れたどうでもいい人との会話よりもとにかく寝たい。頭の足らないあなた達にはわからないでしょうけど、私はこの家で一番忙しいんです。
5分ほどすると彼女は静かな寝息を立て始めた。夕食も何もかも忘れて彼女は寝続けた。
彼女が目覚めたのは次の日の朝8時だった。時計を見た瞬間遅刻だとわかったので今日は学校を休むことにした。自己流ルールとして、遅刻するぐらい寝てしまった日は身体が休みを求めてる証拠としてゆっくりと身体を休めることにしている。
キッチンに降りて遅めの朝食を済ませた彼女は
くだらないな。
普段テレビを見ない彼女は昼ドラを一蹴した。結婚するなら相手に自分の全てを捧げられる人を理想としている身としては、ドロドロとした三角関係の恋愛ものを見ると吐き気がする。
植物園にでも行こうかな。
不意に思いついた彼女は自室に上がり外出の準備をする。クローゼットを開いて大量の服の中から薄ピンク色のワイシャツに黒のスカートを着る。肌が露出している部分に日焼け止めを塗り、サングラスをかける。バックに財布とハンカチを入れると、日傘をさして家を出る。
最寄りの駅からよく行く植物園までは電車と歩きで20分。今ならツツジが綺麗に咲いていているはずだ。
彼女は生物なら動植物問わず好きである。好きな動物は鳥類。その中でも鷹や隼などの猛禽類が大好きである。しかし、一番好きなのは100年前に咲き誇っていたと言われているソメイヨシノ。儚い薄ピンク色には言葉にできない美しさがあるらしい。
「はぁ……」
彼女はうんざりと言わんばかりのため息をつく。
あかりの容姿は誰が見ても美しい。それに加えて彼女は世にも珍しい人間のアルビノ種。人の視線を集めるなと言う方が無理な話だ。
彼女自身小さい頃から見られることには慣れている。ただ、慣れているからとはいえ、その視線が鬱陶しいのには変わりない。彼女はあくまで一般人であってモデルや芸能人ではない。仕方なくメディアに出るときは容姿ではなく、論文や発明品を広めるために出ているのだ。
それなのに世間は美しすぎるノーベル賞受賞者と持ち上げて肝心の物は申し訳程度にしか報道してくれない。そんな世間に彼女は心底うんざりしていた。
どいつもこいつもバカばっか。
植物園に着いた彼女は入園料700円を払うと日傘をさして園内をゆっくりと見て回る。時折気になる木があると近づいて匂いを嗅いだり、花を触ってみたりする。
やっぱりツツジが綺麗に咲いてる!今日来て良かった〜!
彼女は満開のツツジを見ると満面の笑みを浮かべる。同時に家にいた時のストレスが吹き飛んだのを感じた。
彼女の目線の先に1人のスーツ姿の青年が映る。なんとなく見たことのある後ろ姿だったので彼のもとに近寄ってみる。
「
「おぉ、
あかりの予想通りスーツの青年は
一方の紅人にとっては予想外だった。妹と話してみたいと思っている反面、可能な限り自分と個人的接点を持って欲しくないと思っている。妹を失ったらもう自分は生きている意味がない。紅人は本気でそう思っている。
「先生だなんてやめてください。同い年なんですから」
「いえいえ、ノーベル賞受賞者の貴方を先生と呼ばずしてなんと呼べばいいのですか」
紅人とあかりは楽しそうに笑う。
「立ち話もなんですからお昼でも食べませんか?」
「喜んで」
あかりのお誘いに
あかりと紅人はお昼を食べるために高そうなイタリアンに入る。普通の高校生なら会計が心配で冷や汗を浮かべるところだが、紅人もあかりも日本でトップスリーを争う高所得者なので動じる気配すらない。そもそも平日の昼間からランチを楽しむ高校生など日本中探してもあまりいないだろう。
「柊さんは何が食べたいですか?」
「紅人と呼んでください。同い年の人にあまり遠慮はされたくありません」
「わかりました。それなら私のこともあかりと呼んでください。苗字は好きではありませんから」
あかりは少し顔に影を落としたあと、嬉しそうに微笑む。紅人は彼女が落とした影を見逃さなかった。しかし、追求するのはやめた。親しくなっていないのに踏み込んだことを聞いて避けられるのが怖かった。
「初めて来る店なのでコースにしましょう。このコースでいいですか?」
そう言うとあかりは、オードブル、前菜、パスタ2皿、魚料理、肉料理、デザートの計7品からなるコースを指差す。ランチにしては量が多い気がする。だが、女の子が食べられると言うのに男である自分が食べないわけにはいかないと思った。
「構いませんよ。食べるのは好きですから」
「私もです!」
紅人が手を挙げると直ぐに店員がよってくる。
「このコースを2つお願いします」
「かしこまりました」
店員はメニューを回収すると奥へ下がっていく。
しばらくすると料理が運ばれてくる。どの料理も非常に美味しい。食材の良さを最大限に引き出せているここのシェフは相当な腕だと紅人は思った。
全ての料理が終わった2人はデザートと、紅人は紅茶をあかりはコーヒーを飲む。
「紅人さんの仕事は危険なんですか?」
彼女の言う紅人の仕事と言うのは表の仕事ではない。非合法活動や要人警護の仕事のことである。
「場合によりけりですね。あかりさんの護衛はなかなか怖かったですね」
紅人は楽しそうに笑う。
「私の護衛なんてしてたんですか?」
「はい。授賞式の時は国防空軍に混ざって私も乗ってました。日本一の頭脳はなにかと狙われていますからね」
彼の言う通りあかりはさまざまな国や組織から狙われている。もし、日本が彼女の頭脳を失えば国防に与える影響は計り知れない。
世界で最も危険な非合法組織の1つに数えられるBLACK HAWK が彼女の背後にいることをほのめかしていなかったら、今頃彼女は霞が関の地下から出られなかっただろう。
「お世話になってます」
「いえいえ、有事の際は空軍の指揮を任されている身としては当然です」
『有事の際』というのは戦時中ということだ。
「私と同い年なのに、そこまで信用されているなんて流石ですね」
「それほどでも」
紅人は視線を落とす。
彼の信用はいかに効率よく人を殺せるかという点において獲得している。それを心から喜べるほど今の彼の神経は図太く無い。
口に運んだ紅茶の味が一瞬なくなった。
「あかりさんは自分の研究が軍事に利用されるのをどう思っているんですか」
紅人は一度聞いてみたかった質問をする。すると、あかりはティーカップを静かに置き彼の目を見る。
「私には関係のないことです」
彼女は笑顔で答える。その恐怖すら与える笑顔を見た紅人はあかりが自分の妹であることを再確認した。
「私が考えるのはあくまで理論や構造、武器であって人を殺すのは現場にいる兵士です。それに、効率的に人を殺せる武器や兵器を作ることで私は私自身や国民、兄を守ることができる。
そのために見知らぬ人がいくら死のうと正直どうでもいいのです。非情に思うかもしれませんが、私には知識欲と兄を追い求めること以外興味ないのです」
やはりか、と紅人は思った。遺伝子組み換えの副作用で感情の一部が欠落しているのはどうやら自分だけではなかったらしい。
時計を見ると既に2時を回っている。
この2時間で何度全てを打ち明けてしまおうかと思っただろか。妹を見ていると喉まできた言葉が出てしまいそうになる。しかし、それはできない。
僕の全てを捧げて、あかりを守る。彼は熱くなる気持ちを抑えて何度目かわからない誓いを立てる。
「すいません。乾あかりさんでしょうか?」
どこからともなく現れたアナウンサーらしき女性と取材機器を持った男性2人があかりの元に近寄る。その時、アナウンサーが紅人の足を踏んだが、詫びの一つも入れずに話を進める。
「何の用ですか?」
あかりは苛立たしげに答える。芸人でもないのにプライベートまでマスコミに付きまとわれたらたまったものではない。
「朝日テレビと言う者です。今度新しい論文を発表すると聞いたので、その取材をしたいのです」
あの馬鹿教師ども!なーに勝手に私の研究をリークしてくれてるのんだ?豚に真珠とはまさにこのことだな。怒りを通り越して感動を覚えた彼女は笑顔で向き直す。
「
このままでは引き下がれないと思ったアナウンサーは次の質問をする。
「では先日イスラエル軍が使った電子爆弾についてはどうお考えですか?」
電子爆弾とは核兵器の一種だが、人を殺傷する能力は一切ない。そのかわり、大量の電子をばら撒き電子機器を使えなくするのが目的である。都市インフラを全て取り替えないといけないため、原子爆弾よりタチが悪いと紅人は考えている。
「私には関係のないことです」
「それはないんじゃありませんか?あなたが斥力理論を提唱しなければあの兵器は生まれなかった。アインシュタインだって原爆を見たとき罪悪感を覚えたのですから」
逆上するアナウンサーを無視して、彼女はコーヒーを飲む。その姿は俗世とは一線引いている者にすら感じられる。
「そうですか。それなりの報道をさせていただきます!覚悟しておいてください」
「待て、馬鹿どもが」
沈黙を貫いていた紅人は机を思いっきり叩く。店中の視線が集まるが気にしない。
「なんですかあなたは、礼節をわきまえなさい」
「礼節をわきまえるのはそっちだ。私の足を踏んでおいて詫びの一つも入れない。あげく、罪もない彼女を
責めるとはどういうことだ?」
彼は抑揚のない声で言う。
「子供のくせにわかったようなことを」
「申し遅れた。私はBLACK HAWK代表取締役柊紅人だ」
彼は名刺を取り出す。
名刺といっても紙ではない。大きさは100年前と変わらないが、厚さ1mmもない液晶パネルに社名や名前、連絡先などが書いてある。スクロール機能も付いているので中高年の中には簡易版スマホという人もいる。
「申し訳ありませんでした」
アナウンサーたちは一斉に頭を下げるとそそくさと店を後にする。
紅人は席を立つと店員に近寄る。
「シャンベルタンを皆さんに。迷惑料とお会計はこれでお願いします」
彼はネット決算機能を使ってお金を振り込む。
「こんなにたくさんいただけません」
店員は困り果てているが紅人は笑顔で返す。
「いいんですよ。料理美味しかったです」
彼は笑顔を見せるとあかりの元に戻る。
「仕事があるので失礼します」
「紅人さん、連絡先を教えてください」
紅人は戸惑い。あかりは頰を薄く赤らめ目を合わせようとしない。
この時あかりは人生で初めて相手の連絡先を聞いた。彼女にとって紅人は友達になりたいと思える初めての人だった。
「これは私のプライベートアドレスなので、私以外見ることはありません」
「必ず連絡します」
紅人は手を振って店を後にした。
にぃに!?思わず立ち上がる。
どこかで見たことのある背中の気がしたが、それを彼女が思い出すのは約半年後となる。
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