14話〜拉致少年少女奪還編1〜

 ゴールデンウィークが開けて1週間が経った頃、紅人のもとに1人の男が訪ねてきた。

 長身で細身の男は本社の第2社長室に案内されると紅人に促されて腰掛ける。男は崖っぷちに立たされているような表情と絶望に満ちた陰気なオーラを浮かべている。この後この近くで自殺したというニュースが出たら確認してしまいそうだ。

 紅人は一目見ただけでその男が自分側の世界の人間ではない、すなわち殺人や戦争とは無縁の世界の住人であることがわかった。


「はじめまして、武装運輸会社BLACK HAWK代表取締役柊紅人ひいらぎ くれとです。若輩者ゆえ、至らない点もあるかと思いますが、ご容赦ください」

「私は鈴木健一すずきけんいちと申します。本日はお忙しい中、お時間を取っていただいてありがとうございます」


 2人は電子名刺を交換する。鈴木は運輸会社の最高峰とも言われる会社の社長の若さに驚きを隠せない。これから依頼することがことなだけに本当にこなせるのか不安でしかない。しかし、他の傭兵組織には断られてしまったし、警察も取り合ってくれない。わらにもすがる思いでたどり着いたのがここだ。背に腹は変えられない。

 頭の中には警察や他の傭兵家業を営む者たちが口にした「柊ならやるかもな」という言葉がループしている。


「柊さん。どうか、私たちの子供を助けてくれないでしょうか」


 鈴木は涙を浮かべながら、頭を下げる。やはりかと紅人は思った。


「頭をあげて話をしてくださいませんか?」


 頭をあげた鈴木は内ポケットから一枚の写真を出す。その写真には木漏れ日の中、5歳くらいの栗毛の女の子を抱き上げる父親と優しそうな妻が写っている。しかし、今ではその面影もないくらい父親はやつれてしまっている。


「これは娘の若葉わかばです。

  数ヶ月前のことでした。私たちが公園でその写真を撮った後、突然後ろから襲われて……。気がついたら娘と妻はいませんでした」


 他国の諜報機関による拉致か


 早くも紅人は結論を導き出した。これは身元のバレにくい日本人のスパイを生み出すための誘拐だ。

 彼らが子供を調教するのによく用いいる方法の1つに、物心がちょうどついたくらいの子供とその父親か母親のどちらかを誘拐して、子供の前で親を惨殺ざんさつする方法がある。子供の心に『親を目の前で殺された』という深いトラウマを植え付け、言うことを聞いたら幻覚作用のある麻薬を与える。自分の親と幻覚の中で話せると思った子供は薬をもらうために調教師・・・に従う。3、4年それを続ければ子供の心は薬によって消え、最後には誘拐されるまでの記憶そのものを失う。完全な人形の完成というわけだ。


 私自身似たような者だったがな。


 未だに世界大戦の残り火が至る所でくすぶり、予断を許さない国際情勢下では仕方ないことだ。情報はいざ戦争になった時非常に重要。知っているかいないかで国が滅ぶこともある。戦争の7割は戦闘が始まる前に終わっているという言葉が大昔からあるぐらい情報というものは大切なのだ。


「私は変な期待をさせる気はありませんので、先に言っておきます。おそらく、娘さんは生きているでしょうが、奥さんはすでに死んでいる可能性が高いです。傷ついた子供を1人で育てるのは大変です。その覚悟があなたにはありますか」

「私は……1人で娘を育てられる自信はありません」


 残酷な現実を突きつけられた鈴木は頭をハンマーで殴られたような衝撃がはしる。想像はしていた。しかし、現実を叩きつけられると落ち込まずにはいられない。彼は手で顔を覆い俯く。

 しばらくして、鈴木は目を潤ませながら顔を上げる。


「しかし、努力を怠るつもりはありません。どうか娘を助けていただけないでしょうか」


 鈴木は必死に頭を下げるが、紅人の頭の中は非常に冷たかった。どんなに努力をしても、もともと持っているものと強い心がなければ報われることはないと彼は常々思っている。普通の科学者がどんなに努力してもあかりのようになれないし、どんなに普通の人が努力しようと紅人に戦闘では勝てない。それと同じだ。


 しかし……彼女の思いは汲んでやらないとな。


 紅人は自分で入れた紅茶を口に運ぶ。部屋にほんのりと香る紅茶の匂いが凝り固まった打算的な彼の心を解きほぐす。空になったカップをお皿に置いた紅人は口を開く。


「ちょうど、協会の方から依頼があったので引き受けましょう。ただし、今回すぐに助けられるとは限りません。乗り込んだところにお子さんがいなければ次の機会までお待ちいただくことになります。それでもよろしいですか?」

「ありがとうございます」


 鈴木は再び頭を下げるとバックを開き、中から3本の札束を出す。


「少ないですがお納めください。足りなければ何をしてでも用意いたします」


 紅人は100万円分だけを取ると後の200万を返す。


「私はこういう依頼でクライアントから直接お金をもらうことは避けています。どうしても気が済まないというなら拉致問題協会へ寄付してください。私もそこから報酬をもらっているので。

  ああ、この100万は治療費として受け取っておきます。娘さんが生きていた場合は完璧に怪我を治してお返ししましょう」


 亜里沙が本気で治療したら保険外診療をしまくるので100万では到底足りない。雇う時にスキルアップの為なら何をやってもいいと言ったのを後悔しているのは内緒だ。


「どうか、よろしくお願いいたします」


 鈴木は土下座せんと言わんばかりに頭を下げる。


「では今日のところはお引き取りを。進展がありましたらご連絡します」


 紅人が退室を促すと鈴木は律儀に部屋を出て行く。




 紅人はカップに新しい紅茶を入れると端末を開く。今回乗り込むのは上海に拠点を置くマフィア組織「青龍」。マフィア組織と言ってもその実態は中国公安警察の諜報部隊。国益を守るためとはいえ、フィルター無しで公的機関が人を攫って非人道的な行いをするのは危険すぎる。それに中国の場合、人身売買や臓器売買などもっと危ないこともやっている。隠れ蓑がなければやって行けるはずがない。

 明けの明星みょうじょうの調べたところ構成員の数は200人。全員が専門の訓練を受けていて捕まえられれば情報を吐かせられるし、捕まえても絶対に口を割らない。流石は元共産主義国と言ったところだ。


 50年ほど前に中国では民主化運動が高まり、共産党が倒された。その後モンゴルやネパールを併合した上で国名を「中華人民共和国」から「中華民主連邦国」と名前を改めた。今では普通に選挙が行われているし、経済特区でなくても努力しただけ金を貰える。完全な資本主義国家だ。選挙の方は票が操作されていると噂されるぐらい1人の男が大統領に君臨しているのは気になる

 紅人はノートパソコンから明けの明星にアクセスする。

 依頼人の娘である若葉の居場所を調べると上海にピンが刺された。ここ2ヶ月中国政府による日本人の子供の拉致が続いているように思われる。中国にはアメリカのレイモンドのように仲の良い反社会勢力がいないため情報が入りにくい。国が諜報員を送り込んでも、片っ端から捕縛されて処刑されている。対スパイ能力は世界的に見ても秀でている。


 穂波のお友達に頼るしかないのかぁ〜。事前情報が少ないけれども、拉致協会が早く助けに行けと五月蝿いし行きざるを得ないか。他の会社では……力不足か。


 大きなため息をついた紅人は紅茶を飲む。

 まだ初夏だというのに今年は暑いな。

 彼はあかりからもらったサングラスをかけるとボタンを押してカーテンを開ける。メラニンを合成できない紅人の目は日の光に弱い。カラーコンタクトだけでは夏の日差しには抵抗できないのだ。


「紅人、入ってもいいですか?」

「どうぞ」


 ドアノブに内蔵されている音声認証キーがドアの鍵を開ける。

 亜里沙は社長室に入ると部屋の隅に置かれているティーセットを持ってきて自分用の紅茶を入れる。本当はコーヒーがいいのだが、紅人はコーヒーをほとんど飲まないので部屋には置いていないのが残念だと亜里沙は思った。


「それで何か用ですか?」


 紅人は亜里沙の向かい側のソファーに座ると3杯目の紅茶を入れる。


「今月分の薬を打つ頃ですよ」

「あぁ、そうか」


 紅人はジャケットを脱ぐとワイシャツをまくる。

 亜里沙は彼の上腕を縛り、血管を浮き上がらせると注射をする。その際この前撃たれた所を確認するが荒療治の割にうまく繋がっていてホッとした。


「はい、終わりました」


 注射をし終えると紅人はソファーに深くもたれかかる。しばらくすると、鋭くなっていた五感が鈍くなり胸のあたりが暖かくなる。


「やはり、毎月薬を打たないと感情の一部が欠損するとは。我ながら普通の人間ではないことを自覚しますね」


 紅人は一対多数や暗殺を目的とした戦闘用に作られたデザインチャイルド。高い身体能力と引き換えに感情の一部が欠落している。この薬は身体能力を抑制する。そうすることで普段身体制御に全力を注いでいる紅人の脳にアソビ・・・を生み出し、普段感じられない感情を感じさせることを可能にする。


「私とあったばかりの紅人はもっと冷酷無慈悲れいこくむじひでしたが、今では随分と感情豊かになりましたからね。そろそろ彼女の1つでも作ったらどうです?」


 亜里沙は悪戯いたずらげに言う。紅人がまともに物事を感じられるようになったのはここ最近である。それ以来、情操教育をしてくれたのは亜里沙だ。母親心のようなものがあるのだろう。


「このような暴力的な男に惹かれるような女性などいませんよ」


 紅人は笑いながら言う。


「そんなこと言わずに、穂波とかいいんじゃないですか?ああ見えて献身ですし、夜の方も上手じゃないですか」

「彼女は無理ですね。私が感情に任せて動きそうになった時、彼女では止められませんから」


 紅人は笑っているが、どこか遠くを見ているように亜里沙は感じた。微妙に重くなる雰囲気と少し下がった紅人のまぶたから亜里沙は色々なものを感じ取った。


「そんなの高槻たかつきさんともう1人しかいないじゃないですか」

「本当に私を止められるのはあかりだけ。遺伝子の繋がりというのはいくら私でも特別なものです」


 紅人はティーセットを持つとクスクスと笑ってみせる。妹のことを語る彼はいつも楽しそうで、寂しそうだ。

 亜里沙には自分が感情を与える前から彼が持っていた唯一の感情を否定する気にはなれなかった。


「本当に紅人はどーしようもないシスコンですね」

「みんなしてそれをいいますか」


 彼はやれやれと言いたげに腕を広げる。


「それは明けの明星のリソースの半分以上を常にあかりちゃんに割いているなんて過保護すぎです」


 亜里沙がその言葉を言い終わった瞬間、彼女の左耳を高速で何かが通り過ぎる。

 ストンと壁に何かが刺さる。亜里沙が振り向くとそこには投擲用とうてきようナイフが深々と刺さっており、前を向くと死神が銃を抜いて立っていた。


「答えろ、どこからその情報を得た」


 亜里沙には紅人の瞳がカラーコンタクトを透過して紅く光っているように見えた。カチッと銃から音がする。


 本気だ。紅人は返答次第では本当に私を殺す気だ。


「誰が言い始めたかはわかりませんが、半年ほど前から猛禽類のコードネームファーストの中で噂になっています」


 私の目の前に立つ少年は私の目を見る。目を逸らしたら殺される!そんな気がして私は恐怖心を押さえつけて必死に彼と目を合わせ続けた。

 彼を裏切ったらどうなるか私はよく知っている。あるものはあかりちゃんを私利私欲のために利用しようとして消され。あるものは紅人の暗殺に失敗しアマゾンの奥地に身を潜めたが、3日で消された。

 薬を打ったばかりでも関係ない。紅人はあかりちゃんのために社員を皆殺しにしなければならないとわかったら迷わずする。

 彼の世界はあかりちゃんを中心として回っているのだから。


「信じよう。怖がらせて悪かった」


 紅人は銃のセーフティをかけるとホルスターにしまう。亜里沙はポケットからハンカチを取り出して冷や汗を拭う。追い立てられているときは気づかなかったがいつのまにか背中が湿っていた。


「紅人、この事は秘密にした方がいいですよね」


 言い方からして彼女に銃を向けたことではないと紅人は理解した。


「あぁ。誰にもいうな」

「では私はこれで失礼します」


 亜里沙が部屋を出て行ったのを確認した紅人は机に拳を打ち付ける。ミシリと机から小さな悲鳴が上がる。


 裏切り者の被害は想像以上に深刻だ。外に情報が漏れているだけかと思っていた。しかし、奴は本気でここを潰そうとしているみたいだな。


 気持ちを落ち着けるために紅人はマドレーヌを1つ頬張ると口の中にほのかな甘みが広がる。


 落ち着け自分。今大切なのは八つ当たりではなく、一体どこから私の秘密を暴いたかということだ。犯人は確実に猛禽類のコードネームファーストの中にいる。肉食獣のコードネームセカンドでは内部を撹乱する事は出来ないだろう。なにせ彼らにはあかりが何者か明確には伝えていないからな。私とあかりが家族だと知っていなければ明けの明星など調べようとも思わない筈だ。


 自分があかりのことをどれだけ思っているか理解できているのは猛禽類のコードネームファーストだけである。秘密裏に紅人が保険をかけていると彼らだから予想できるわけだ。


「長い戦いになりそうだ」


 紅人は第2社長室を出て下の階のオフィスに降りていく。




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