23話〜拉致少年少女奪還編9〜

 武器庫を出るとエルトライトは隣のドアを開けた。彼女に促されるまま部屋に入ると、そこには手錠をはめられて椅子に座らされている男がいた。


「さっきぶりだな公李人こうりじん


 紅人は右手に銃を構えて公の目の前に用意された椅子に足を組んで座る。公は俯いたままで紅人と目を合わせようとしない。彼の心の中には怒りの炎が燃えたぎっていた。しかし、紅人にとってその怒りは実に滑稽なものだった。そしてイヤでも思い知っただろう。目の前にいる少年が裏社会で握る権力は絶大であると。


「さっさとくたばれ!この悪魔が」


 紅人はイスから立ち上がり、部屋の中をゆっくりグルグルと歩き出す。


「君は出て行くことを推奨するよ。荒っぽくなると思うから」

「お構いなく。ルシアナ様よりことの顛末てんまつを見ておくように言われていますから」


 たかだか19歳の少女にあの女もなかなかこくなことを言うもんだ。手早く、あまり血を流さずにやることが配慮というものか。


「君がこの道に来ないことを願うよ」


 紅人は目を瞑り心を鎮める。騒めく衝動を抑えて凪を作る。血に飢えた心が決して出てこないように厳重に蓋をする。

 目を開けると彼は椅子に座り前かがみになる。


「これから私は3つ質問する。正直に答えれば楽にしてやる」


 彼は銃のセーフティーを外す。


「まず1つ目だ。ボスの名前を教えろ」

「李平金だ」


 彼は公の顔をよく見ると銃向け引き金を引く。5畳ほどの小さな部屋に銃声がなった後叫び声が響き渡る。撃ち抜いた公の足からは血がじわじわと溢れ出てくる。


「君の所属ぐらい調べれば15分でわかる。もう一度言う、嘘をつくことは推奨しない」

「中国空軍大佐周世凱しゅうせいがいだ、クソッタレ」


 脂汗がたっぷりの公を見て紅人は鼻で笑う。血に含まれている鉄の匂いが室内に立ち込め出すとエルトライトは咳き込む。紅人は彼女に近ずくとジャケットの内ポケットを探る。

 紅人のわずかに緩んだ頬はシルヴィアや自分と話している時とは違った楽しさを得ているのをエルトライトは感じた。


「借りるよ」


 エルトライトに言葉はなく頷くだけであった。彼はナイフを借りると物色する。世界中で使われているコンバットナイフだ。刃を研いだ形跡もないし新品だ。

 彼はうなだれる公の顎をナイフで持ち上げて自分の目を見させる。


「次の質問だ。何故私を狙う?」


 公は紅人の目を見たまま黙ったままだ。


「そうか」


 紅人は顎からナイフを外して逆手で持つと膝に突き立てる。再び公は聞いていられないような悲鳴をあげると口から胃液を吹き出す。

 生臭臭いが部屋にたちはじめた。


「エルトライト君、退室しなさい。こいつは素直じゃないからどうしても荒っぽくなる」


 後ろで見ていた銀髪の少女は手で顔を覆っている。顔は見えなくても肩で呼吸しているし、太ももはガタガタと震えている。勘違いしないように言っておくが、彼女は頑張っている方だ。シルヴィアなんかが見たら足を撃ち抜いた時点で気絶しているか、吐いている。

 ただ、3つ目の最も大切な質問をするまではやめるわけにはいかない。亜里沙ありさが作った自白剤を使えばこんなことをしなくても済むのだけれど、無い物ねだりをしても無駄なだけだ。

 あるもので成すべきことを成す。それがこの世界で生きるものの常識だ。


「いえ、務めですので」


 紅人は大きなため息をつくと一度ホルスターに銃を収めるとエルトライトの方に歩いて行く。ポケットから取り出した取り出したハンカチで手についた血を拭うと、背伸びをして彼女の頭を優しく撫でる。エルトライトの目に溜まった雫が溢れるのを見るわけにはいかないのでそのまま肩に彼女の頭を置く。


「女性が気を傷めているのにできるわけないでしょう」

「申し訳ございません」


 紅人は少しの間黙って彼女を抱きとめると外に連れ出す。


「拷問は平気でやるのに紳士的とは思わなかったぜ」

「勘違いするな。彼女はこちらの世界に来るべき人間ではないだけだ。もし足を踏み入れていたら現実を教えるだけのことだ」


 公は肩で息をしながら紅人を睨みつける。立場をわきまえていない彼に物を教えようと思った紅人は再び銃を抜いてハンドグリップで顔を殴る。口の中から白い物体が飛び出し床に落ちる。


「質問を続けよう。何故私を狙う?金か?お国のためか?栄誉か?」

「金のためでない奴がいるのか?お前の首にはトータル何百億もの賞金がかかってるんだぜ」

「たしかに。私が君の立場なら同じことをするだろう。ただ、私を殺すのが簡単ではないことくらい赤子でもわかるだろう」


 長い沈黙が訪れる。

 この時、公の頭の中には2つの考えが浮かんでいた。1つは素直に質問に答えてしまう。もう1つは最後まで嘘をつき続ける。


 どのみち俺はここで殺される。それだけはたとえ天地がひっくり返っても変わらない。しかし、俺には家族がいる。ここでゲロったのがバレたら報復としてあいつらを殺される。それだけは絶対に避けたい。

 ただ、柊のことだ。1週間以内には真実を暴き出して少なくとも半壊はさせるだろう。俺たちはこいつの力量を見誤った。空戦だけが取り柄だと思っていたが戦闘能力もバケモノ級。コリャ貧乏クジを引いたな。


「なぁ柊。取引をしねぇか」

「気でも狂ったか?」

「そりゃぁ、こんなことされればネジの1つや2つ、とんでもおかしくはねぇだろ」


 紅人は声をあげて笑った。こんなに面白い奴と会ったのはレイモンド以来だ。今までなら素直に命乞いするか懇願するかのどちらかだった。


「面白い奴だ。話を聞こうじゃないか」

「これからお前の知りたいことに答えたら、俺の家族を日本に連れて行ってくれ」


 公には7歳になる女の子と10歳になる男の子がいる。妻は偶然出会った一般女性なので自分がどんな仕事をしているかも知らない。しかし、情報を漏らしたと知られれば一家全員が処刑される。中国とはそういう国だ。


「わかった。名前と住所を教えろ。私の名にかけて契約を果たす」


 公は紅人に妻子の名前と住所を教える。それを端末にメモした紅人は明けの明星で簡易検索をかけるとすぐに三件ヒットした。


「契約完了だ。私の質問に答えろ」

「お前を狙う理由は簡単だ。日本の空域を弱体化させるためだ」


 嘘はついていないことを読み取った紅人は疑問が残った。もし仮に自分を消せたとしても拙い中国空軍では日本の空域を突破できるとは思えない。不可侵領域とも謳われる海域には対空戦艦も大量に置かれ強靭な守りを確立している。何か他の意図が絡んでいるが、公は知らないようだし問いただしてもムダだ。


「最後の質問だ。お前は私のことをどこまで知っている」


 紅人は気を引き締めて聞く。


「柊紅人。それが偽名だということは知ってる。俺の老師が少し前に誰かから聞いたと言っていた」

「そうか」


 紅人は拳を強く握りしめ、歯ぎしりした。自分の本名を知るのは数えられるほど。ここにも彼を付け狙う刺客の手は忍び寄っているということだ。過去ここまで尻尾を出さなかった敵はいなかった。


 この敵はどこまで私のことを知っているかわからない。万が一、私がデザインチャイルドであることが知られたら、あかりにも手が及ぶ。

 それだけは絶対にやらせない。

 たとえ1のために1000の善人を殺めることになっても私は妹を守る。


「さらばだ」


 紅人は公の頭に銃を向けるとその銃口から煙があがる。音1つない部屋には血の臭いと1つの尸、残された生者は銃をしまい部屋を後にする。




 部屋を出てエレベーターホールに向かうとエルトライトが居た。顔色が優れているようには見えないが大丈夫なように振舞っているのは騎士として誇りか、それとも自分の未来を直視できないのか。紅人にはわからない。


「死体の処理は任せて大丈夫か」

「こちらで処理するのでお気遣いなく。それと先程は申し訳ありませんでした」


 彼女が頭を下げようとすると紅人はそれを止める。


「謝るな。君は普通の人間だったということだ。シルヴィのためにも私みたいにはなるな」


 エルトライトが一度人を殺めればその罪悪感に耐えられないだろう。自分を責め続け、夢にまで殺した人が出てきて憔悴しょうすいしたエルトライトが死んだ魚のような目をしているのを想像するのは難しくない。シルヴィアには涙ではなく笑顔を浮かべて欲しい。


「ありがとうございます。お風呂に案内します」




 風呂に案内された紅人は服を脱ぎ捨ててシャワーを浴びる。掠めた銃弾でできた傷に水がしみる。一通り洗い終えた彼はゆっくりと湯船に浸かる。


 やれやれ、今日はピースブレイカーの調整をして戻るつもりだったのにまさかこんなことになるとは。


 自分の不運さにも嫌気がさす。

 おかげで2、3日は疲れた身体を休めることができるので悪いことばかりではない。ただ、気になるのは健太郎達だ。メールで穂波と直己が敵を始末したと報告を受けている。今日自分を襲ってきた奴とあいつらを襲った奴の組織は違う。しかし、繋がりがないと決めつけるのは早計だ。自分のが1人になる時を狙った暗殺と穂波の旧友を使った暗殺。穂波の方はわからないけれども自分に尾行の尾行は昨日の時点で全て追い払っている。偶然というには出来すぎだ。もちろん自分の勘違いかもしれないし、それに越したことはない。

 ジャンヌが自分の情報を吹き込んだのは中国軍部だけ。マフィアに吹き込めば自分にバレて足元を見られるのは必至。そんなヘマをするなら悪女とは言われていない。


「いや待て」


 紅人はザバァと音を立てて湯船から立ち上がる。


「敵の狙いは私ではないかもしれない」


 彼は急いで浴室から出ると腰にタオルを巻いて携帯で情報を漁り出す。




 大使館に着いて紅人と別れたルシアナは王家専用の部屋で紅人のしたことの後始末に追われていた。この2時間で彼女は何十本もの電話をかけて彼の冤罪を証明する根回ししてきた。

 フランスとロシア、インドが私たちを支持してくれれば流石の中国も取り下げざるを得ないだろう。身内ばかりを固めた感じになってしまいましたが、中国をフォローする猛者はいないでしょう。

 身内というのは先の大戦で日本に協力した国々のことである。

 明日の朝、記者会見でこれを世界に発表すれば、明後日には終息するでしょう。


「失礼します。エルトライトです」

「入りなさい」


 エルトライトは礼儀正しく部屋に入る。ルシアナは舐めるようにしてエルトライトを見ると口を開く。


「その様子だと勤めを果たせなかったようね」

「申し訳ありません」

「わかっていたことよ。あなたは優しすぎる」


 エルトライトは俯く。


「私は今まで柊殿のことを普通だと思っていました。しかし、生きている世界が全く違います。命のやり取りがあれほど恐ろしいものだとは思いませんでした」


 エルトライトは肩を震わせ青ざめた顔で言う。


「私があの子に初めて会ったのは6年前の夏だった。その頃はあの子の父上もご存命だったのだけれど、今より人間味はなかった。というかあれはマシーンだった」

「私は不安なんです。このままでシル様をお守りできるのか」


 ルシアナは椅子から立ち上がりエルトライトの手を取る。普段は暖かいエルトライトの手は氷のように冷たい。


「エル、あなたはシルを守ることを考えすぎよ。この先シルの護衛を続けても、そうでなくても、シルはきっとあなたといることを望むはず」

「ですが護衛の任を解かれたら私は何をすればいいのですか」

「外交官として働きなさい。日本で勤めれば柊殿も力になってくれる」


 予想外の言葉にエルトライトは言葉を詰まらせる。ソルベェークの日本国大使館は外交官の中でも花形。軍事的にも経済的にも密接に協力し会っているのでロシア、フランスと並んで最重要国の1つだ。


「私にその才能があるでしょうか?」

「シルと一緒にいるおかげで語学は堪能。柊殿とも良好な関係を持っている。結局戦争になれば出てくるのは彼です。良好な関係を持っているだけで貴方にはそこらへんの者より価値がある」


 ルシアナは嘘偽りなくエルトライトのことを評価している。そして彼女に人を殺す才能が無いこと知っていた。

 正確にはミストリナから言われたことだ。


「今後の視野に入れて考えていきたいと思います」


 エルトライトはいつも通りの美人に戻って部屋を後にする。




 翌日の9:00にルシアナは世界中の記者を集めて大使館で会見を行った。眩しいほどのフラッシュが連続して焚かれるなか、彼女は優雅に席に着く。背後にはミストリナが防弾ベストを着て立っている。


「朝早くにお集まりいただきありがとうございます。ソルベェーク王国アジア方面外交担当のルシアナ・ファ・サファイヤクラウン・レスタです。

 今回、中国で起きたテロの首謀者として柊紅人殿を指名手配しました。しかし、それは事実無根でありソルベェークは彼を保護することを発表致します。本件はフランス、インド、ロシアも支持してくれています。従って、中国政府には一刻も早く事実確認をすることを要求します」


 やることが大胆だ。

 会見を見ていた紅人はテレビの電源を落とすと電話をかける。


「私です。見ての通り後2日はここから出れそうにありません。報復の指揮は任せます。私の部下に手を出したことを後悔させなさい」


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