24話〜拉致少年少女奪還編10〜
2118年5月21日
空は雲ひとつない晴天だが、これは嵐の前の静けさと思ったものは少なくないだろう。嵐のない海は船乗りにとって幸せだが、種の多様性を保つのには中規模な撹乱があった方がいいのだ。
BLACK HAWKの社員たちがルシアナの会見を見ていると電話が鳴る。
「きっと
「もしもし、穂波です」
「私です。聞いての通り2、3日私は動けません。報復をお願いします。指揮は
電話が切られた。聞きたいことを聞けなかった穂波は不機嫌そうだったが、添付された暗号ファイルを解析ソフトにかける。
解析が終わるとわけのわからない数字列が日本語に変化していく。全員が見られるようにデータをプロジェクターと同期させて壁に投影する。
「おいおいマジか?本当にボスが立てた作戦か?」
口に出したのは
「場所は山の中だし手っ取り早く済ませたいんだろう。それと大きな作戦が控えてる俺たちを疲弊させないようにしたいんだろう」
健太郎は腕を組み冷静に分析する。
「でもこれイロイロヤバくないですか」
「ヤバイなんてもんじゃないよ。下手したら抗争ね」
不安を隠せない
穂波が落ち着いているのは慣れているからだ。もともと裏社会で育ち暗殺という日陰者の仕事に従事していた彼女にとって抗争は日常。むしろ仕事が増えて荒稼ぎ出来るので喜ぶことすらあった。
「紅人のことだ、対策はしているだろう」
健太郎は手を叩き煮え切らない場を無理やり締めると本社に命令書を打った。
ソルヴェークの大使館から動けない紅人はシルヴィアとチェスをエルトライトと将棋を同時に相手にしていた。将棋を同時に2人相手にするのは簡単だが、チェスと将棋は読み方が全く違うので難しいものだ。
シルヴィアは素直に駒を動かす。おかけで紅人の罠にズブズブハマって
「チェック。後7手でチェックメイトだよ」
「ウソだぁ」
先を見れていなかったシルヴィアは目をキョロキョロさせながらチェスボードを見つめ出す。やがて金の髪に手を通し始めて死を悟った。
「うー、強すぎぃ」
「ちょっと静かに、シルヴィは素直だから楽に倒せるけどエルトライト君はそうもいかない」
エルトライトは手を膝の上に突っ張らせて前のめりになっている。これまでは紅人の方にハンデがあったが、ここからはハンデなしの勝負になる。より一層気を引き締めなければ一気に守りを崩されてあっという間に勝負がついてしまう。
「あ、勝った」
紅人は勝利宣言をすると駒を動かす。しかし、本当は詰みまでの局面が見えているわけではない。ブラフによって彼女を揺さぶってみようという戦術だ。意地汚い。
エルトライトは将棋盤に穴を開けそうな勢いで盤面を見つめている。自分が読みでは確実に詰み筋はないはずだ。紅人に何が見えているのか不気味で仕方なかった。
「嘘は良くないと思うのだけど」
「シルヴィ、本当のことかもしれないよ」
嘘とも真実ともどっちとも取れない笑いを浮かべた紅人。エルトライトが駒を動かすと彼はほぼノータイムで駒を動かす。1分ほどの間が空いた後すぐ指す。これを何回も繰り返すうちにエルトライトの守りはガタガタになっていった。
「詰みだね」
ちょうど100手目で終局を迎えた。
「エルー、紅人の嘘に引っかかちゃだめよ。女の子を泣かせて楽しむような悪い人なんだから」
「シルヴィ、変なことを言うな」
必死に弁解するがシルヴィアは笑顔を崩さない。無邪気な彼女には珍しいことなので興味が湧いてきたのは秘密だ。
「昨日のことはエルから聞いたわよ。泣かしてから慰めるなんて、なんてテクニシャンなのかしら」
「おいなんだか事実が歪曲してる気がするのだが」
紅人はコップに入っていたお茶を流し込んで心を落ち着ける。
焦るな、穂波に比べればなんともない攻撃だ。めんどくさいあまりにとんでもない約束だけしないように気をつければ平気なはずだ。
「紅人はエルのような従順な子がお好みかしら?」
「嫌いではない。普段は気の強い女ばかり相手にしているからな」
彼の頭には1人の医者と1人の暗殺者が浮かんでいた。そしてその2人を脳内で貶す。
エルトライトは頰を赤らめているような気がしたが、シルヴィアに余計な餌を与えそうなので指摘しなかった。
「シル様、柊殿は血生臭さに耐えられなかった私を慰めてくれただけです」
「恋愛感情はないにしても、これだけいい身体をしているのだからエッチなことぐらいしてみたいと思うわよね」
シルヴィアはエルトライトの後ろに回り右の胸を揉んでいる。片手では収まらない大きな胸は指を動かすたびに形を変える。
揉む方は楽しそうにしているけれども揉まれている方は大変そうだ。普段あまり頰を緩めないエルトライトが怪しい目をしている。2人の関係上邪険にできないのが大変そうだ。
「僕の立場でソルヴェークの人間に手を出すのは怖いな」
「うーん子供ができるのはまずいかもしれないけど、黙ってれば問題ないわ」
弱みや借りを作るのは御免被りたい。ジャンヌ相手に何度痛い目を見たのかわからない。
「少し動きたい。エルトライト君地下に射撃場はあるか?」
一度頷いたエルトライトは乱れた服装を整えて立ち上がる。
「私も行ってもいいかしら?」
王女様を硝煙まみれにするのはいかがなものかと思ったが、エルトライトが止めないならオッケーなのかと紅人は疑問に思った。
「撃ってみるか?」
「いいの?」
シルヴィアは子供のように目をキラキラと輝かせている。
「この銃なら反動も少ないし肩を傷めることもないから文句はないな」
「言ってもどうせ聞かないでしょう」
どうやら問題は大アリだが諦めていたの間違いだったらしい。
紅人は袋にしまっていたピースブレイカーを剣道少年のように背負う。
3人は部屋を出てエレベーターで地下に降りていく。地下2階で降りるとそこには7列の射撃レーンと多種多様な武器がぶら下がっていた。
米軍御用達のM17、フランス軍制式銃F2100、日本国防軍の70式小銃まで置いてある。ガンマニアからしたらたまらない光景だろう。
紅人はピースブレイカーに入る弾を見つけると3マガジン分拝借して6発を固定弾倉に込めると射撃レーンの台に置く。
手始めに腰のホルスターから80式拳銃を抜くと30m離れた人型のホログラムに向けて撃ち出す。全ての弾を撃ち切った紅人は迅速にリロードをしてセーフティをかける。
「全部頭に当たってる……」
「動かないからな」
さも当たり前かのように紅人はヘッドショットを入れているが全くもって普通ではない。銃というものは個体ごとに癖があり軌道が若干違う。それを熟知した上で使っているのならまさに天部の才だ。
「せっかくだから撃ってみなよ」
紅人は手に持っている拳銃をシルヴィアに渡すと構えさせる。
「両目で狙うんだ。距離感を掴めなくなる」
彼はシルヴィアのポージングを修正して怪我をしないように最新の注意を払う。もし一生モノの傷を1つでも作ってみろ、絶対に面倒なことになる。
「セーフティを外して引き金を引いてみな」
シルヴィアは言われた通り引き金を引くと近くで太鼓を鳴らされたかのような衝撃が腹に響く。弾丸が発射されると同時に空薬莢が排出されたのだが、運悪くシルヴィアの方へ飛んでいく。このままいけば空薬莢は彼女の肌に落ち、火傷をしてしまうだろう。
「おっと」
ギリギリのところで紅人は空薬莢をキャッチすると少し顔を歪める。彼は火傷したのを悟られないように後ろに手を引き薬莢を捨てる。
「思ったより扱いやすいのね」
シルヴィアが撃った弾はしっかりとマトに当たっていた。
「僕はエルトライト君と違って体格に恵まれていないから低威力低反動、高レート高精度な銃を使うからかな」
「私からしたら紅人もずいぶん鍛えてると思うのだけれど」
シルヴィアはジロジロと舐めるように紅人の身体を見る。
「あまり見ていると怪我するぞ」
紅人は懐からナイフを出してペンを回すように鮮やかに回す。逆手に持ったり、順手に持ち替えたり、背面から頭の上を越すように投げて前でキャッチしたりしてみせる。まるでサーカスのようだ。最後に30mほど離れた射撃の的に向けて投げる。ナイフはクルクルと回転しながら心臓のあたりにを通り過ぎる。
「器用ね」
シルヴィアは曲芸が気に入ったらしい。
「しかし、銃撃戦が歩兵戦の基本の現代でナイフは必要なのでしょうか」
エルトライトは紅人の技術の高さは評価しているが、無駄が多いとも感じている。ナイフや剣による格闘戦、環境利用による罠。どれも1世代位以上前に流行ったもので、特殊な環境下でしか役立たないものばかりだ。
「エルトライト君、経験豊富なお兄さんから1ついい言葉を教えてあげよう」
『最後に頼れるのは己の身体と刃だけ』
紅人の頭の中には自分より一回りほど大きい男が浮かぶ。思い出すだけで忌々しい。あの男に刃を突き立てた時より心が晴れたことはない。
ただ、今の紅人を作ったのはその男であることは変わらない。熟練の技術を最高の個体に詰め込む。合理的な話である。
「覚えておきます」
射撃場の扉が開くと銀髪の女性が入ってくる。射撃場が似合うような女性には全く見えないが、彼女はソルヴェークで1番の騎士である。
「エルだけではなくシルヴィア様まで連れてきているとはいささか度が過ぎます」
日本語が話せないミストリアは紅人に英語で話しかける。エルトライトを見る目が厳しいような気がするのでフォローするべきなのか迷っていた。
「最低限の自衛は自分でするべきだ。最後に頼れるのは己だけだからな」
「そのような状況になる前に脅威を排除するのが我々王室護衛隊です」
紅人はミストリアを鼻で笑うと1発の銃弾を取り出してトスをする。光を反射しながら回る銃弾を彼女はしっかりとキャッチする。
「君とは戦わないことを祈るよ」
「私たちは同盟国よ。戦うなんてあるわけないじゃない」
シルヴィアは動揺を隠せていない。
「私は国ではなく一企業の主人だ。道に置かれた荷物は蹴り飛ばすし、壁は壊して進む。誰が相手でもそれは変わらない」
紅人はショットガンを肩に担ぐと射撃台に寄りかかる。
「ならここで消しておくのが得策ですねっ」
ミストリアが腰のホルスターから拳銃を抜いて構えた瞬間。紅人は瞬く間に距離を詰めて右足でその銃を蹴り飛ばす。エルトライトならここで固まってしまうだろうが、この女は違った。すぐに紅人の軸足を払いにかかる。
女性の脚力とはいえ耐えることは不可能。それを悟った紅人は身体をひねりながら横に飛び2回バク転をする。
その隙にミストリアは銃を拾い上げ紅人に照準を合わせて引き金を引こうとする。
「辞めなさい!」
シルヴィアが顔を真っ赤にして憤慨した。優しさと温厚の権化とも言える彼女が怒るのは非常に珍しい。
「ミストリアリュミエール!シルヴィア・ル・レッドクラウンの名において命じます。今すぐ国へ帰りなさい!」
正妃から生まれた唯一の皇族である彼女の言葉は国王に次ぐ重みを持つ。わざわざ名前まで使わせてしまうとはいささか申し訳ないことをしたと紅人は思った。
「承知しました」
ミストリアは手のひらに爪を食い込ませながら射撃場を後にする。ただし、それは理不尽な命令を下したシルヴィアへの怒りではなかった。
「我が国の騎士が無礼を働き申し訳ありませんでした紅人」
シルヴィアは必死に頭を下げようとするが、紅人はそれをさせなかった。
「私も彼女も本気で殺す気は無かった」
幸と出るか不幸と出るかはわからないがミストリナを排除するのはもったいないと感じた。
「そうですよシル様。もし彼が本気で殺す気だったのなら今頃ここにはミストリアさんの死体が転がっていたはずです」
紅人は顔には出さなかったが、内心驚いていた。
エルトライトは紅人がバク宙中にショットガンの狙いを定めていたのを見逃さなかったらしい。ミストリアが唇を噛み締めていたのはこのせいだろう。
彼女は全力で殺そうとしていたのに、紅人は余裕を持って戦っていた。全力を出さなくても勝てるとアピールされた彼女のプライドはズタズタだろう。
「そうなの?止めないほうが良かったのかしら?」
「2、3日はベットの上で顔を腫らしてもらうことになるからどっちもどっちだな」
紅人が微笑を浮かべると電話の着信音がなる。
無言で電話に出る許可をもらった彼は射撃場の外に出て電話に出る。
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