22話〜拉致少年少女奪還編8〜

 エルトライトがティーセットを持って来る間に紅人くれとは机の上に置いた物騒なものを片付ける。ただし、拳銃は腰の後ろのホルスターに入れる。大使館を襲ってくるようなファンキーな奴はいないとわかっていても手放せないのがさがというものだ。


「プレゼントはどうだったかしら」


 シルヴィアの言うプレゼントは屈折型の光学迷彩のことだ。自分はテストで一度使っただけだが、直己なおみからは抜群の性能だと先程連絡があった。


「面白かったよ。カメレオンにでもなった気分だ」

「あら、喜んでくれたようで何よりだわ」


 シルヴィアはにっこりと笑う。美形過ぎる容姿にこの笑顔は反則だなと紅人は思う。国内でもシルヴィアはものすごい人気を誇る。親日国と言う点を省いてもその勢いは下手なアイドルより大きい。


「ご歓談中失礼します。ティーセットをお持ちしました」


 エルトライトが台車にティーセットとポットと水を持ってきた。沸かしたお湯を持ってきていないのは紅人が紅茶にうるさいことを知ってのことだ。

 彼はポットに水を入れ、90℃でお湯を沸かす。このレベルのお茶なら沸騰させたお湯でなくても匂いは立つし、変に温度を上げて悪い苦味が出るのを嫌った。茶葉を入れたポットにお湯を注ぎフタを閉める。


「相変わらず紅茶にはうるさいのね」


 シルヴィアは少し呆れたように言う。忙しい紅人にとって1番の楽しみはお茶と食事だ。幸いお金は使いきれない程あるので、惜しむことなく口に入るものに突っ込んでいる。


「そう言うシルヴィもバイオリンにはうるさいだろ?」

「あれは仕事よ?来月のはじめの日曜にコンサートをやるのだけど見にくる?招待するわ」


 ソルベェークの王室は旧ノルウェー王室の頃から女性は音楽、男性は武道をやるのが通例となっている。彼らは一般人からの選抜された演奏家をその中に加えてソルベェーク音楽団として活動している。そのなかでもシルヴィアのバイオリンの腕は世界最高峰。クラシックをやるものなら名を知らぬ者はいないだろう。


「なるべく予定を開けることにしよう」

「ありがとう紅人。1番いい席を取っておくわ」


 いつも話し方が上品だなと紅人は思った。〜わ、〜かしら。などを語尾につける女性はシルヴィア以外に会ったことがない。普段の紅人もそんなに言葉遣いが荒い方ではないけれども、彼女には絶対にかなわないと思った。


「さて、そろそろいい頃合いだ」


 紅人は香りを立たせるため少し高いところから紅茶を三杯注ぐ。もちろんおかわり用のお湯を茶葉を入れたポットに入れておく。


「セモン」

「タック」「ありがとうございます」


 紅人がノルウェー語で召し上がれと言うとシルヴィアはノリよくノルウェー語で返し、エルトライトは日本語で返す。


「う〜ん、美味しい!」

「本当です。私が入れたものよりずっと美味しいです」


 2人の頰が緩むのを見た紅人は胸が少し暖かくなったように感じた。彼は紅茶を口に運んだ。

 いい茶葉だ。格式高い香りに柔らかい甘み。今まで飲んだことのある紅茶の中で五本の指には入りそうな味だ。


「紅人は卒業後どうするつもりなのかしら?」

「大学に行くつもりはない。行っても忙しすぎて単位が取れない。シルヴィは国に帰るのか?」


 高校は病気で出欠席をごまかしているが、大学では休学を勧められてしまう。学ぶこともないし、卒業できる見立てもたたない以上行くだけ無駄だ。その上、安定しているとはいえ世界情勢も気を許せる状態ではない。一度戦争が始まれば安保理の常任理事国として介入しなければならない。


「私は日本の大学に進学するわ。お父様から紅人と仲良くしておいてくれとも言われてるしね」

「シル様」


 エルトライトが不安そうにしている。顔から察するに言ってはいけないことだったのだろう。


「口が滑ってしまったわ。ふふふ」

「安心しろ。私はこれからもシルヴィア・ル・エスタとしてではなく、シルヴィとして君とは付き合うつもりだ。だから君も友達として接してくれると嬉しい」


 ジャンヌと違ってシルヴィアは完全に心を許せる。何より彼女と話していると心地よい。シルヴィアは紅人のお願いに笑顔で答える。


「相変わらず綺麗な眼をしているわ」


 シルヴィアはゆっくりと顔を近づけて紅人の眼をじっと見つめる。紅の眼はよく見ると血液が動いているのが見える。紅人は胸の中がむず痒くなった。


「シルヴィの緑眼もエメラルドみたいで綺麗だぞ」

「ふふふ〜、ありがとう」


 こういう時日本人だと気恥ずかしくて眼をそらして黙ってしまうのだが、好き嫌いをはっきり言う外国人は強いと紅人は思った。黙ってしまわれるより、笑顔で返される方がこちらも嬉しい。


「それはそうと、紅人。好きな人とかできた?」

「かの有名な柊殿の奥方が誰になるのかは私も気になりますね」


 エルトライトまで入ってくるのかよと心の中でツッコミを入れつつ、紅人の頭の中は誰を出せば丸く収まるのかが脳内会議にかかっていた。


 まずはじめに上がったのは穂波ほなみ

 いやダメだ。シルヴィは穂波と仲がいい。うっかり口を滑らせた時穂波は本気になる。

 次にあげられるのはジャンヌ。論外だ。あの悪女と結婚したら死ぬまでフランスにこき使われる。友達が限界だ。

 しばらく考えた後、紅人は悪いことを思いついた。


「シルヴィかな?容姿端麗で頭もいいし、バイオリンも一流。むしろ僕の方が釣り合わないな」

「そんなことないわ。あなたは我が国の英雄だし、結婚してくれるなら嫁入りするのもいとわないわ」


 シルヴィアは若干早口で声を大きくしながらいう。白人特有の肌が桜色に染まる。


「柊殿、シル様をからかわないでください」

「すまん」


 紅人は紅茶を口に運ぶとシルヴィアが持ってきた黄色いマカロンを口に放り込む。紅茶の苦味とマカロンの甘みが口の中で絡み合う。


「意地悪だわ」


 シルヴィアは口をへの字に曲げてドサっとソファーに座りなおす。確かに、シルヴィアは紅人から見ても魅力的だ。輝く金髪にエメラルドの眼、美しいルージュ、豊かな胸に均整のとれたボディライン。これだけの美少女に好意を抱かないのは少数派だろう。しかし、紅人にとって守るべき優先順位は揺らぐことはない。

 紅人もいずれ結婚して子供をもうけなければいけないのは理解しているが、あかりが結婚するまではその身を守るつもりだ。


「今の僕にとって自分の幸せは二の次。まずは妹が幸せになる。僕はその後に幸せになればいいのさ」

「これが普通の兄弟なのね」


 純粋なシルヴィアはずれた紅人の考えに感銘を受ける。シルヴィアが紅人のことを知っているのは彼女の父親から聞いたからだ。ソルヴェーク国王と紅人の父は交流が深かったし、もし自分を作ることに一枚噛んでいたと言われても不思議ではない。


「シル様、柊殿は異常です。シスコン末期です」

「そうなの?私だったらこんなお兄様がいたら最高よ!利権の争いをしている彼らにはウンザリよ」


 18人も腹違いの姉妹兄弟がいれば利権の争いが出てくる。人は誰だって他より強い立場を得ることによって安心を得る弱い生き物なのだ。


 さっさと王位を継ぐ者を決めてしまえばいいものを。酷なものだ。


 不意に部屋に取り付けられた内線がなる。エルトライトがそれを取り受け答えすると彼に向き直る。


「柊殿、風呂の準備ができました。ですがその前に見せたいものがあります」

「わかった」


 紅人はエルトライトに続いて立ち上がる。


「私も行くわ」


 シルヴィアが立ち上がると紅人はエルトライトの表情を伺う。一瞬。ほんのすこしだがエルトライトの眉間にシワが寄ったのを彼は見逃さなかった。

 何かわからないがシルヴィには見せたくない事情があるのだろう。


「シルヴィは控えた方がいい。君の前で私はなるべく綺麗でいたいんだ。埋め合わせはするからささやかなお願いを聞いてくれるかな?」


 シルヴィアは紅人の顔をじっと見つめる。ふわりと花の香りが鼻腔をくすぐる。自分は血と硝煙で塗れていると言うのに消えないこの上品な匂いはなんなのだろう。

 彼女は前かがみになっていた姿勢を元に戻すとクスッと笑う。


「いいわよ。そのかわり今度紅人のお家で紅茶をご馳走させてください」

「喜んで」


 紅人はエルトライトに連れられて部屋を出た。




 赤い絨毯じゅうたんが引かれた廊下を紅人とエルトライトは無言で歩き、エレベーターホールまで来た。彼女が下ボタンを押すと4個ある内の1番右側のエレベーターがやってくる。地上5階建ての建物のはずなのに階数ボタンは10個もある。エルトライトは1番下の地下5階を押す。

 地下5階につき、エレベーターのドアが開くとそこには一面がコンクリートで固められた空間と重苦しい鉄のドアが立ち並んでいた。照明によって昼間のように明るいが、ここは牢獄だ。

 カツカツと2人の足音が反響する。


「ここは捕らえたスパイなどを尋問するための部屋です。外界とは完全に遮断されていて、空気は全て換気扇で取り込んでいます」


 精神を追い詰めるには最適な場所ということだ。世界各国が秘密裏にこのような施設を持っているが、大使館に備えてある国は初めて見た。


「エルトライト君は今後もシルヴィを護衛するつもりか?」

「もちろんです。この身が朽ち果てるまでシル様の身をお守りいたします」


 エルトライトは紅人の方を向いて頷く。


「覚悟は結構だが、君はまだ実戦経験がないだろう」

「やはり、そこが問題ですか」


 エルトライトは肩を落とす。自分でも相当気にしていたのだろう。完璧主義な彼女は護衛という職を賜っておきながらいざという時役に立てないのが心苦しくて仕方ないのだろう。

 エルトライトには決して言えないが紅人はソルベェークからシルヴィアを護衛するように依頼されている。エルトライトやその取り巻きの黒服は普通の犯罪組織からシルヴィアを守ることはできても軍やOO7、CIA、モサドなどの諜報組織から守ることはできない。正確にいうなら連れ去られて見失って仕舞えばどんな相手でも手出しができなくなる。

 現在の国際法では、国家の運営する組織が他国で戦闘を行うとき、現行犯の対処以外ではいかなる理由であっても許可を取る必要がある。もし許可なく戦闘行為を行えばそれは戦争と同義だ。

 しかし、紅人は民間の軍事会社なので自己責任でいかなる相手であっても戦闘行為も行うことができる。大半の会社は国家相手に喧嘩を売ることはできないが、紅人なら普通に売れる。


「今度大きな作戦で真珠湾に行くんだが、よければ君も来ないか?実戦になるかはわからないけれど現場の空気は味わえるはずだ」

「私のような者が行ってもよろしいのですか?」

「君は一度見るべきだ。味方に死ねと命じる上官の姿をね」


 紅人は不敵な笑みを浮かべる。エルトライトは背筋に寒気が走った。


 この男は人の生き死にを単なる現象の1つにしか捉えていないのだろう。例え私が死んだとしてもこの人は……いや考えない方がいいですね。


 エルトライトには部下が死んでも眉ひとつ動かさない紅人の姿を想像した。一つ彼女に悪い考えが浮かんだ。


「柊殿はシル様に大事があったらどう思いますか」


 紅人は次第に歩みを緩めていく。足音の間隔が遅くなりやがて足を止める。


「わからない……」


 なぜ迷っているのだか自分でもわからなかった。いつもなら「どうとも思わない……」とか「そう思う心は私にはない」とか言っているのだが、なぜだろうか。


 私の大切な存在はあかりだけ。そう心に刻まれているはずだ。だったらシルヴィは私の何だ?


「柊殿でも迷うことがあるのですね」


 エルトライトは年頃の女の子らしい笑みを浮かべる。彼女の長い銀髪がゆっくりと揺れる。シルヴィアは一言で言うなら『可憐』だ。いつでも明るく人の心にストンと落ち着くように入ってくる。対してエルトライトは一言で言うなら『凛々しい』だ。持ち前の礼儀正しさと高身長は誰が見てもカッコいいと映る。


「心というのは不思議なものだね」

「何を言っているのですか」


 紅人に返答はなくただクスクスと笑うだけだった。



 エルトライトは1番奥の扉の前に立つとポケットから電子キーを取り出してその扉を開ける。中に入るとそこには壁一面に銃がかけてあった。


「使っているハンドガンはまだ80式拳銃ですか?」

「そうだよ。標準弾倉、旭弾のカーボンブレットだ」


 エルトライトは綺麗にラベリングされた所から手早く弾と空の弾倉を2つを出す。慣れた手つきで銃の中に入っていた弾倉を外してその全てに弾を込める。


「ホローポイントではなくてカーボンブレットを使う理由を教えてもらってもいいですか」

「私が相手にするのは政府組織かよくできた犯罪組織。いくら火力が低いとは言えダメージを与えられないと抑止力にもならないからな」


 カーボンブレットは弾頭は名前の通り弾頭が炭素で覆われている弾である。着弾しても弾頭が硬いため形状が変化しにくく貫通力が高い。軍のハンドガンやサブマシンガンによく使われる。


「人は思っても見ない攻撃で死ぬ。ハンドガンなら安全。そう言った隙につけ込むためだよ」


 紅人は弾倉を込めると手動でコッキングして銃をしまう。


「行きましょうか」


 紅人はエルトライトに連れられて武器庫を出た。






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