21話〜拉致少年少女奪還編7〜

 突然現れ、紅人くれとを保護してくれたソルベェーク王国の第6王女ルシアナ。本名をルシアナ・ファ・サファイヤクラウン・ソルベェーク・エスタ。今年で23歳になる既婚の女性だ。主にアジア方面の公務を国王に変わって代行している。まぶしいほどの金髪と180cmを超える風貌ふうぼうから黄女おうじょとも言われている。

 車はロンドンタクシーのような作りで紅人とルシアナが向かい合い、ルシアナの横に護衛の女性が座っている。


「ルシアナ殿。助けていただいたのは嬉しいのですが、あなたほどの人が現場に出てくる必要があったのでしょうか?」

「柊様、今あなたは非常によろしくない立場にいます。中国全土でテロリストの首謀者にでっち上げられ指名手配されています。もちろん調べれば首謀者でないことは歴然です。しかし、彼らはあなたを討つまで決して調べず、殺したらうやむやにする。我々としても貴方を失うわけにはいかないのです。シルヴィからのお願いでもありますしね」


 ルシアナの最後の言葉で紅人は全てを納得した。ソルベェークの王室は非常に家族のお願いを大切にする傾向がある。それにシルヴィアは国王の子の中で唯一最高位の「ルビークラウン」の位を持つ。彼女の願いを断る手段などないのだ。

 ただ、シルヴィアがこのことを何故知っているのかは謎だった。


「相変わらず綺麗な瞳ですね」


 ルシアナは紅人の真紅の瞳をジッと見つめる。近くで見ると虹彩の中で血液が動いているのが見える。ソルベェークの最高王位である「レッドクラウン」の由来は紅人の目である。

 劣勢だったイギリス戦線をひっくり返し、国を救ってくれた者を讃える意味でつけられたのだ。

 余談だが、サファイアクラウンは2つ目の位で最後にエメラルドクラウンが位として存在する。


「日の光がキツくてオススメはできませんけどね」

「視力は大丈夫なのですか?」


 アルビノ個体は乱視や弱視、近視、遠視に悩まさせられることが多い。虹彩にあるメラニンが網膜に届く光をカットしてくれず、ずっと直射日光を見ているからだ。


「ケアはしています。後はまぁ、いい医者がいますので」


 紅人の脳裏にはオペ服を着た小柄な女性の姿が思い浮かぶ。彼女の腕なら息さえあればなんでも治せてしまいそうな勢いだ。素人の彼にはそう見える。


「それはそうと、どちらへ向かっているのですか?」

「大使館です」


 ルシアナはキリッとした表情で言う。その表情はこれから紅人の言うことを拒否するためのものであった。


「私の邪魔をするのか?」


 紅人は口調こそいつも通りだったが、怒りを隠してはいなかった。ルシアナほどの人間なら彼がこれから何をしようとしているのかは知っている。李平金リヘイキンと一戦交えると言うのに紅人抜きでは勝ち目がないだろう。なにせ彼がいても苦戦を強いられるのだから。


「貴方の立場は非常に悪い。2、3日いただければ比較的立場を回復させられます」

「その2、3日の間に子供達と仲間が死ぬかもしれないんですよ」


 紅人は口調を荒らす。一方のルシアナはキリッとした表情を崩さない。情勢の安定しないアジア方面の外交をしてきた彼女には紅人の覇気など日常だ。


「柊様、それ以上はお控えください」


 ルシアナの横に控えていた黒服の女性が紅人とルシアナの間に割って入る。右の腰が左の腰に比べて膨らんでいるのは拳銃を持っている証だ。華奢な身体だが、隙がない。先の大戦で従軍経験があることを紅人は一目で感じ取った。自分ほどでないにしてもルシアナの護衛を単独で任される女性が一筋縄でくたばるような人間ではないだろう。


「ミストリア、その辺にしておきなさい」


 ルシアナは手と言葉で護衛の女性を制する。


 なるほど、彼女が王室護衛隊隊長のミストリア・ロ・リュミエール・カトレアか。


 紅人は興味深い眼差しで銀髪の女性を見る。

 リュミエールはソルベェーク王国で最高位の騎士の証。即ち最も優れた軍人である証拠だ。調べても書類上でしか名前が出なかった人に会えただけでも大きな収穫だ。


「ルシアナ殿、今回は貴方の言葉に従うことにします。そのかわり、何故私を助けられたのか詳しく教えてください」

「シルヴィアからお願いされたのは本当ですよ。その前に2つクッションを挟んでいますけど」


 紅人の心にはやはりかという気持ちと2つのクッションという疑問があった。それでも話の腰を折るようなことはしなかった。


「シルヴィアは貴方のところのミセス中条のお願いで私に電話してきました。何でも紅人を助けて!とものすごい剣幕だったらしいですよ」


 わざとらしく振舞ってシルヴィアに電話する穂波ほなみの姿が紅人の頭の中にあった。穂波は悪女かつ男たらしかつ詐欺師なので嘘をつくことに何ら抵抗がない。しかし、本気で彼のことを助けたいと思っていたには違いない。


「そのミセス中条も聖女ジャンヌからの知らせを受けて動いていたようです。柊様が危ないと始めに察知したのは彼女のようですから」

「あの、悪女め」


 紅人は心底悔しそうに言った。


「野郎はフランスと敵対する中国組織を私にけしかける。当然私1人ではやりきれないので、穂波に危なくなると連絡」

「紅人様に貸しを作りながら敵対組織は消える。ついでにソルベェークが柊様に貸しを作る絶好の機会も作った」


 ルシアナがひらめいたように言う。


「フランスの独り勝ちという寸法か?」


 彼はルシアナに聞こえない程度に舌打ちをすると右手を握りしめる。目の前に机があったら迷わず蹴り飛ばしていただろう。

 車がトンネルに入りオレンジ色のライトが紅人を照らす。陰影の中に浮かぶ紅には怒りが籠っていた。


 何が聖女だ。穂波以上のクソッタレ悪女だ。だいたい友達を危険に晒すとか普通の人間の所業じゃない。次会った時は反撃してやろう。


 このことを亜里沙が知ったら激怒では済まないので黙っておかなければならない。ただし、穂波が明後日まで隠せるのか紅人は心配だった。


 ふと、ルシアナの携帯が鳴る。着信音にしては上品な曲が流れている。彼女は紅人に向かって会釈すると電話に出る。


「ルシアナです。……わかりました。よくやってくれました」


 彼女は電話を切るとなぜか笑顔を浮かべている。なんの笑顔なのかわからないがもう含みのある顔を今日は見たくない。あの金髪碧眼の邪女の顔が浮かんできて背筋が寒くなる。災いを呼ぶ友達というのは誰にでも1人はいるだろうが、ジャンヌの場合もたらす災いが大きすぎる。


 車がトンネルを抜けると高速を降りて市街地に入っていく。もう日が沈んだ後で空にはうっすらと星が浮かんでいる。

 今日は新月である。月明かりのない時の星はいつもより輝きを増している。


「失礼しました」


 電話が終わったルシアナはミストリアからグラスに入れられた一杯の水を受け取る。どうやらソルベェークの騎士は強いだけでなく気も効くらしい。彼女はもう一杯グラスに水を入れると紅人に渡してくる。


「ありがとうございます」


 紅人はグラスを受け取ると水を飲む。ほのかな酸味が口の中に広がる。


 美味い。


 ただの水を飲んだだけなのにそう感じてしまった。


「ミストリアはすごいでしょう」


 ルシアナは誇らしげに言う。


「シチリアレモンとその皮から絞ったエキスを混ぜているだけです。柊殿は先の戦闘で疲れていらっしゃると思ったので多めに入れました」


 ミストリアは誇ることもなく謙虚に言う。

 女性だし、気がきくし、それでいて実戦経験もある。ソルベェークの王室に仕えていなければ今すぐ言い値で雇って妹の身辺警護をさせたいくらいだ。


「ありがとうミストリア殿。お陰で疲れが和らぎました」

「恐れ入ります」




 数分後、車が停車してドアが開く。どうやらソルベェーク王国大使館に着いたようだ。ライトに照らされている大使館は一点の曇りもない白色。大理石を積み上げて作られた大使館はさながら、高層ビルが立ち並ぶ近代的な街並みの中にある異世界のようだ。

 内装も上品なシャンデリアがぶら下がっていたり、レッドカーペットが敷いてあったり、ロボットではなく本物のメイドがいたり、流石は世界に名をとどろかせる王室だ。


「おかえりなさいませ、ルシアナ様。そして、ようこそいらっしゃいました。柊紅人様」


 左右に並ぶ総勢10人のメイドが寸分の狂いもなくお辞儀をする。紅人は驚きを通り越して感動を覚える。いくらなんでも時代錯誤が過ぎるのではないだろうか。

 紅人はルシアナに連れられて階段を上がる。ルシアナは木のドアで作られたを開ける。見た感じここは大使館の客室だろう。天蓋てんがい付きのベッドにアンティークのイスにテーブル、ソファー。至れり尽くせりという言葉はまさにこのことだろう。


「2、3日で事態を落ち着かせてみせます。それまではここでお待ちください」

「お世話になります」


 ルシアナはミストリアと共に部屋を後にする。

 1人部屋に残された紅人はテーブルの上にピースブレイカーを置くとジャケットを脱ぐ。ネクタイを緩めて、フカフカのソファーに腰掛ける。沈みすぎず反発し過ぎない、ずっと座っていたら眠くなりそうなソファーだ。

 彼は立ち上がってワイシャツのボタンを外す。背中と胸に刻まれたたかはやぶさがあらわになる。

 身体をよく見て怪我の有無を確認する。戦闘中はアドレナリンが出るので怪我に気づかず、感染症になることもある。一生物の怪我がない事を確認した紅人はそのままソファーに腰掛ける。落ち着いたら疲れがどっと出てきた。

 硝煙の匂いを洗い流したいが、ルシアナのことだ。使えるようになったら呼びに来るだろう。まぶたが重くなった彼は自然と目を閉じる。

 あと少しで眠りに落ちそうになった時ドアがノックされる。


「はいはい」


 紅人はおぼつかない足取りで目を擦りドアを開ける。この後すぐ、彼はこの行為を後悔することになった。




 ルシアナと紅人を乗せた車が来る少し前。

 実り豊かな稲穂いなほの如く輝く金色の髪を持つ少女が、何台も外ナンバー車を率いて大使館に入った。彼女はソルベェーク王国第九王女シルヴィア・ル・ルビークラウン・ソルベェーク・エスタ。第九王女でありながら、最高位の王位を持つわけは王と正妻の間に生まれた唯一の子供であるからだ。将来、彼女の夫となった者が王となるのか、はたまた女王として自身が即位するのかは謎である。

 シルヴィアは王族が滞在するときに使う部屋に入ると着替え始める。


「シル様、替えのお召し物です」


 シルヴィアにお仕えしている女性の護衛が恭しく着替えを渡す。


「ありがとうエル」


 着替えを終えたシルヴィアは艶々の髪を結い直す。一切癖のない髪は綺麗な尾を引いた。


「ルシアナ様に連絡しておきました。後5分ほどで到着されるようです」

「そう。ねぇエルあの男の人たちだけどどうなると思う?」


 シルヴィアは鏡に映る護衛を見る。


「残念ながら柊殿は世界中から命を狙われています。加えて彼は稀代の策略家です。お立ち会いにはならない方がいいかと」


 シルヴィアはわかっていたけれども、悲しみを禁じ得なかった。自分は温室でぬくぬくと育っていた一方で彼は死と隣り合わせ。おんなじ人間なのにこんなにも違う。


 以前、紅人が言っていたかしら。


『世界には光と陰がある。その2つは水と油のように反し合うことはなく、密接に関わり合って混じり合っている。しかし、知るべき時まで君は光の中にいなさい』


 公務を任されるようになってこの意味がわかってきたように思っていたけれども、まだまだということね。



「エル、紅人に会いに行くわ」

「かしこまりました」




 シルヴィアはルシアナから紅人のいる部屋を聞くと、紅人のいる客室へ向かう。その扉をノックすると、少し長い間があって扉が開かれる。


「失礼。紅人シルヴィアで………」

「シルヴィ?なんでここにいるんだ」


 シルヴィアは上半身裸の紅人を見て顔を赤らめて固まってしまった。扉を開けたら左胸に隼のタトゥーと身体中に傷のある男が出てきたら誰でもおっかないと思うだろう。


「柊殿、服を着てください」

「おっと、見苦しい姿を見せたな」


 紅人はワイシャツを着ると2人を部屋に入れる。シルヴィアの顔は終始赤らんでいたが、温室育ちを象徴する反応で可愛く思えた。


「エルトライト君も座ってくれ。立っていられては申し訳ない」

「座ってエル。私もその方が楽よ」


 エルトライトは一礼してからシルヴィアの横に腰掛ける。

 エルトライト・ファンデル・プロシル・ベイル。彼女はシルヴィアの護衛だが、まだ青臭い。硝煙の匂いはかすかにしても血の匂いが一切しない。何より纏っている気質が曇りひとつないガラスのようだ。彼女がシルヴィアの護衛を続ける気ならそろそろ実戦を知るべき時だ。


「それでシルヴィ何故ここに?」

「その前に紅茶はいかがかしら?紅人の好きなダージリンを取り寄せてみたのだけれど」


 シルヴィアは英語のラベルが貼ってある茶色い小瓶を見せる。


 シルバーディップスインベリアル!


 紅人は身を乗り出して瓶を確認する。これはかのエリザベス女王にも毎年献上される最高のお茶だ。紅茶好きの彼としては喉から手が出るほど欲しいものだ。


「シルヴィ、ポットとティーセットを3つ持ってきてくれるかな?僕が入れたい!」

「いいわよ。エル、お願いできるかしら」

「かしこまりました」


 エルトライトは一度部屋を後にする。




〜後書き〜

投稿が遅くなり申し訳ありません。これから忙しくなるので書きだめをしていました。なるべくペースを崩さないように努力しますので応援お願いします。












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