第35話〜シルヴィア・ル・レッドクラウン・ソルヴェーク・レスタ6〜

 記者に紛れて総理官邸に侵入したサイモンは警備の目をすり抜けて、洗濯室に1人のウェイターをおびき寄せ締め上げた。殺してはいないが、最低でも1時間は起きないだろう。手早く身ぐるみを剥ぎ取るとウェイターになり変わる。


「この国の平和ボケは治らないな」


 サイモンはバックから液体の入った小瓶を取り出す。中に入っているのはトリカブト。1グラムあれば人1人が10秒足らずで死ぬ代物だ。青酸カリの方がいいじゃないかと思うかもしれない。確かに、ミステリー小説等で青酸カリを飲み物に混ぜて毒殺というシーンを目にするがあれは不可能だ。青酸カリは臭いが強く混入してもバレてしまう。混入するならフグ毒、トリカブトなどの自然由来の毒が1番いい。

 唯一の不安材料はシルヴィアの隣に控えている男だ。戦ったら勝ち目はないので動かれる前にシルヴィアを始末して消えるしかない。

 サイモンは首にかけている十字架を握る。


 主よ。どうかお導きください。




 サイモンはキッチンに入ると乾杯の準備で厨房は慌ただしかった。彼もシャンパンボトルを取ると並べられたグラスに注ぐ。


「おい、それにはこっちを注げ」


 サイモンが赤い布が巻かれたグラスを満たそうとすると制止がかかる。


「申し訳ありません。失念しておりました」


 サイモンは男からボトルを受け取るとグラスを満たす。ラベルを見るとノンアルコールと書いてある。これがシルヴィアに出されるものだとサイモンは瞬時に理解した。ジャケットの袖からバレないように小瓶を出すと蓋を開けトリカブトの毒を混入する。


「シャンパンをサーブしてください」


 進行役の女性が厨房に入ってきて言う。

 彼はお盆にグラスを乗せるとサーブに向かう。その中にシルヴィアのグラスはない。アルコールなしのグラスは1つしかない。わざわざリスクを犯す必要はない。

 適当にグラスを配ったサイモンはホールの端に立ちシルヴィアのもとに毒入りのグラスが渡ったのを確認する。後ろに控えている紅人が警戒心をあらわにしている。心臓の鼓動が少し早まる。

「乾杯」

 皆がグラスを掲げてシャンパンを口にする。サイモンはシルヴィアが中身を口にするのを今か今かと待っていた。彼女がグラスを傾けた時問題が起きた。


 嘘だろ。


 後ろに控えていた紅人が彼女からグラスを取り上げシャンパンを口に流し込む。しかしこれはこれで好都合だ。柊紅人が消えれば日本は大きく弱体化する。そうすれば協商と手を切ろうという勢力もこちらに味方するはずだ。

 彼の願いとは裏腹に紅人は口に含んだものを吐き出すとグラスを捨てる。そして、グラスをサーブした人に銃を向ける。


 保険をかけといてよかった。頃合いを見て立ち去ろう。


 紅人は1度笑うと銃を撃つ。


「うっ、クッソったれが」


 撃たれたのはサイモンだった。紅人はカツカツと足音を立ててゆっくりと近づいて来る。


「悪いな。私は大抵の毒に耐性がある。もちろんトリカブトにもな」

「何で大人しく死んでくれないんですかねぇ。第九王女は」


 サイモンは撃たれた足と右腕を押さえる。動脈は決して傷つけず、急所をわざと外し体の自由を奪う。流石は紅人と言ったところだ。

 彼はサイモンを足蹴にして仰向けにすると腕の傷を踏みつけ額に拳銃を向ける。苦悶の表情を浮かべるサイモンとは対照に紅人は楽しそうに笑っている。


「仕事はこなす。狙った獲物は必ず喰らう。それが我ら鷹の仕事だ」

「ウソが含まれてるぞ」


 紅人は一瞬焦る。紅人がサイモンを捕らえたかったのはシルヴィアのためではない。あかりを危険な目に合わせた。昨日の襲撃さえなければ紅人はサイモンを捕らえる気はなかった。適当に警備を増やして追い払いシルヴィアを本国へ帰そうと思っていた。

 しかし、昨日気が変わった。シルヴィアの顔を潰さないため殺すことはできないが、痛めつけることにした。あえて戦力を増やさず招き入れこの場で潰す。シルヴィアを餌にしたのには変わりないが彼女に気づかれていないのなら問題ない。


「ご苦労だった。後はこちらで引き継ごう」

「下がれ」


 紅人は手錠を持って駆け寄る警官に銃を向ける。


「国際民兵条約に基づきサイモン・フラチャイルドは私の虜囚とする」

「貴様ぁ」


 警察官は歯軋りをする。


「民兵は捕虜を取れない。敵が投降した場合。まずは虜囚として身を保証し、雇主の許可を得て雇主の国家の捕虜となる」


 紅人の意図を察したシルヴィアは前に出てくる。


「この者はソルベェークの政治犯。国へ連行します」

「お待ちくださいシルヴィア王女。身柄引き渡し条約に基づきサイモンの身柄を引き渡すことを要求します」


 背後で見守っていた総理が警察の代わりに前に出る。


「総理。殺人未遂の被害者はシルヴィア王女であらせられます。彼女が被害届を取り下げるというならば警察に捜査権はありません」


 紅人の正論に反論できなくなった大臣は顔をしかめる。


「総理!アメリカ国防長官から緊急入電です」


 同時に紅人の携帯にも暗号テキストが送られてくる。すぐに翻訳ソフトにかけると頭を抱える内容が書かれていた。


「アメリカン航空の日本行き便の3機に3kgのプルトニウムが積まれているようです」

「直ちに空港閉鎖!大倉君を呼べ」


 さっきまでの調子が嘘のようにキビキビと動き出す総理。戦後処理を上手く片付け、整理総理と呼ばれるだけはある。ただ、つまらない男というのが紅人の評価だ。


「どうやらアメリカはうまく動いてくれたようだな」


 サイモンはニヤリと笑みを浮かべる。手回しした犯人だけはわかった。とりあえずうるさいので蹴っ飛ばして口を塞ぐ。


「紅人……」


 シルヴィアは不安そうな目をする。空港閉鎖ということはこの後乗る予定だった飛行機はもちろん飛ばない。エルトライトの父の葬式には間に合わない。

 紅人はシルヴィアの頭を撫でる。


「大丈夫。王族にできないことでも空のことなら何とかなる」


 紅人は再び携帯を取り出すと本社に指令を出す。その最中大倉国防大臣が部屋に入ってくる。紅人は一礼して挨拶するとサイモンを立たせて車へ向かう。


「話は聞きました。すでに空港には空軍と警察を向かわせています」


 紅人はサイモンを後部座席に縛り付けるとシルヴィアを隣に座らせる。向かうのは調布にある自家用飛行場。間も無く国から飛行禁止令が出てもありとあらゆる特権を持つ紅人はスクランブル発進という名目で飛ばせる。たとえ、特権が無くても今までの借りを1つ返して貰えばいいだけだ。




 1時間半程車を走らせると飛行場に着く。すでに滑走路にプライベートジェットがスタンバイしているので横付けして乗り込む。サイモンはトイレに押し込んで外から鍵をかける。


「ボス、青木さんから渡してくれと」


 紅人は機長から薬瓶を受け取るとそれを飲む。腕の機能回復を助ける薬だ。

 護衛の戦闘機2機が滑走路に入ったのを確認した紅人は離陸の指示を出す。


「結局こうなるのか」


 紅人はシルヴィアの向かい側のソファーに座る。2人の間にはガラスのテーブルが置いてある。サイモンが襲ってきた時点で自分がソルベェークに行くという可能性はあった。しかし、現実にはなって欲しくなかった。


「私は紅人と過ごす時間が増えて嬉しいわ」


 紅人は殺されそうだったのに肝が座りすぎだと思った。

 飛行機が地面を離れ、雲の上に到達するとオレンジ色の光が流れ込む。水平線に沈んでいく太陽が美しい。これを見ると努力が報われる気がする。


「自然というものはいつでも美しい」

「もうすぐ沈み切るわ」


 太陽が徐々に水平線に飲み込まれていく。

 そして、最後。太陽が沈み切る瞬間。

 水平線が緑色に染まった。


「グリーンフラッシュだわ」


 グリーンフラッシュとは太陽が沈み切る時、ある一定の条件を満たしていると空が緑色に光る現象のことだ。昔はグリーンフラッシュが見れた時は黄泉帰りが起こると信じられている地域もあった。


「苦労が報われたよ」


 紅人はソファーに深く腰かけると眠気が襲ってくる。


 あいつ、眠り薬も混ぜやがったな。


 亜里沙はここ数日紅人がロクに休んでいないのを見越していた。リハビリ期間中に無理をしては逆戻りだ。


「眠いの?」


 シルヴィアは紅人の横に席を移す。


「どうやら部下に休めと怒られたようだ。3時間くらいは起きないと思う……」


 紅人は意識の糸が途切れるとシルヴィアの方に倒れ込む。彼女は紅人の頭を膝に乗せる。しまってはいるが女性らしく柔らかく、温かい。


「お疲れ様。ゆっくり休んでね」


 ぐっすりと眠った紅人の髪撫でる。サラサラと細い髪質はあかりにそっくりだった。




 7時間ほど空を飛ぶと飛行機は着陸態勢に入る。途中護衛の戦闘機はモスクワで1度交代した。一方の紅人は相当強い薬を盛られたらしく未だにシルヴィアの膝の上で寝ている。


「紅人。そろそろ起きてくれるかしら?寝起きだとカッコ悪いわよ」


 シルヴィアがペチペチと頰を2、3回叩くと紅人はむくりと起き上がり、時間を確認する。彼は次亜里沙に会った時文句を言うことを決意すると飛行機内に内蔵されたクローゼットを開ける。中には用途に合わせた服がずらりと並んでいる。

 ソルベェークに来たからにはシルヴィアを王宮まで送り届けなければならない。そうすれば彼女の父親である国王陛下に謁見するのは当然の流れだ。紅人は燕尾服に着替えるか軍服に着替えるか迷っていた。


「そんなにかしこまらなくてもいいわよ」

「礼儀は守らないとな」


 紅人は燕尾服を手に取ると手早く着替える。よくよく考えたら空軍委任法が可決されていない状況で軍服を着ることは犯罪だ。下手にボロを出して突かれるのは避けたい。


「着陸したら国民がたくさんいると思うから頑張ってね」

「私は祝福されるような人間ではない」


 英雄というものは立ち位置次第で悪魔、蛮勇にもなり得る。所詮は人殺し。その行いは等しく悪でありどんなに取り繕おうと事実は変わらない。

 彼の心は酷く冷めていた。


「間もなく着陸です。シートベルトを閉め御着席ください」




 飛行機が着陸すると屋根無しのタラップがドアに接続する。窓からはすでに国旗を持った人がものすごい量いるのが見える。

 先にシルヴィアが国民の前に姿を見せるとどっと歓声が沸き起こる。それもそのはず、彼女は王室の中でも人気ナンバーワンで久々の帰国ともなればこうなるのもうなずける。シルヴィアは熱狂する国民に手を振る。

 ホロで顔を偽った紅人も彼女に続いてタラップを降りる。するともう一度歓声が起こる。紅人は1度手を振ると足早にタラップを降り、用意された車に乗り込む。


「お久しぶりです。柊殿」

「久しぶりエルトライト君。父君の葬式には参列させてもらうよ」

「ありがとうございます。父も喜びます」


 エルトライトは車のハンドルを握ると王の待つ第一王宮へと向かう。

 ソルベェークの街並みは美しい。厳しい冬を乗り切るための古典的な石作りの家が立ち並び、道ゆく人も品位がある。ソルベェークは緯度が高く夏は涼しいと思われがちだ。しかし、近くに暖流が流れているため夏は比較的暖かい。そのかわり冬は湿った空気が入るおかげで大雪だ。


 第一王宮は全面が白い大理石でできた美しい王宮だ。紅人が最後にここに来たのは2年前だ。王宮に入るとシルヴィアは別室に連れて行かれ紅人は王の間の前で待たされる。

 身体検査をされそうになったがエルトライトの「この人が銃を持っている方がシルヴィア王女の身を守れる」の一言で中止となった。最も紅人は銃なしでは誰とも会う気はない。

 しばらくすると水色のドレスに着替えたシルヴィアがやってくる。


「そっちの方が王女らしい」

「ふふふ、ありがとう紅人。父上に会いましょう」


 目の前の大きな扉が開かれると2人は赤い絨毯の上を歩いていく。目の前の玉座には髭面の大男が座っている。第一代ソルベェーク国王エドワード・ラ・キングクラウン・ソルベェーク・レスタ。見た目はまるで輩のようだ。


「父上。私シルヴィア・レスタは帰国してまいりました」

「元気そうでよかったシルヴィアよ。柊殿にも感謝する。娘を送ってくれてありがとう」


 エドワードは紅人に向かって座ったまま頭を下げる。


「陛下。私如きに頭を下げる必要はありません。私ただ、仕事をこなしただけです」

「やめだやめ。かたっ苦しいのはうんざりだ」


 エドワードは玉座を降りると紅人のもとにやってくる。


「立派になったな」

「その代わり君は老いたな」


 エドワードは王の間中に声を木霊させて笑う。


「シルヴィアもなかなかいい男を見つけたもんだ」

「父上、紅人は大切な友達です。そういうことはしていません」


 エドワードはもう一度笑うと指を鳴らして使いのものにパソコンを持ってこさせる。


「紅人、大倉大臣から連絡だ」


 紅人はエドワードから受け取ったパソコンを開いてメッセージを確認する。


「紅人君。いや、柊特務将校。空軍委任方が本日未明に可決された。貴官を真珠湾日米露仏以反中英合同空軍演習の司令官を命ずる。日本空軍の名に恥じぬよう努力せよ」


 ビデオメッセージはここで切れていたがツッコミを入れたい点があった。


「おい、私が聞いていた時は日米演習だった筈だ。なんでソルベェーク、中国、イギリス、ロシア、イスラエルまで出しゃばって来てるんだ?」

「せっかく世界空軍会議が行なわれるんだ。協商と旧連合軍が合同演習をするならこの機会しかないであろう」


 なるほど手を引いていた人物はわかった。ただでさえ面倒な仕事の前にまた面倒が増えた。これはすぐさま帰国して準備を整えなければならない。


「エルトライト君。すまないが葬儀には参列できない。どこぞの王のせいでやることが増えた」

「あぁ、紅人君。帰る必要はない。君の軍はあと数時間でここに来る」

「は?」


 紅人は驚きのあまり声が出なかった。シルヴィアは紅人の思考停止を物珍しそうに見ていた。

 王宮の上を大きな影が通り過ぎたと思うと次々と飛行機の機影が通過していく。


「思いの外早かったようだな」

「大鷹まで寄越しやがったのか」


 紅人は頭を抱える。

 大鷹というのはBLACK HAWKの誇る飛行航空母艦、略して飛空母と言われるものである。簡単に言えば空飛ぶ空母である。世界でも10機、アメリカ、イギリス、日本、フランス、ロシア、中国の6カ国しか有していない貴重なものだ。

 今世紀の力の象徴は空母から飛空母に移りつつある。飛行機という圧倒的な機動力で敵国に入り空から戦闘機を展開する。圧倒的攻撃力の代わりに飛空母の製作には莫大な金と高度な技術が必要になる。

 紅人が空戦王と言われる理由の1つはこの飛空母を個人で所有し、ある程度自由に動かせることにある。


「成り行きに任せるしかなさそうだ」


 紅人はあれだけ寝たのに疲れを覚えた。






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