第38話〜国家任務3〜
大鷹に戻った紅人は纏っていたホロを解除すると軍服を脱いで、桜の柄が一面に書かれたワイシャツと黒のジャケットを着る。ソルヴェークの夏と違って海が近くにあるため湿気が多くアホみたいに過ごしづらい。夏が嫌いな紅人からしたら最悪の天気だ。というか日の光自体が好きでない。
深いため息をつきながら紅人は艦長室のソファーに寝転がる。今夜は寝れない。休める時に休んでおくのも優秀な兵士というもの。紅人はそのまま目を閉じて仮眠をとることにした。
目が覚めると時刻は19時30分。空は太陽の残り香で薄明るく完全に闇に包まれているというわけではない。停泊している軍艦さえなければ絶景だろう。さざ波が時折光を反射してきらりと光る。
テレビ電話会談をするため身だしなみを整えた紅人はおにぎりを1つ摘む。適当にニュースを見ていると着信音がなる。
モニターの電源を入れると30代のスーツ姿の男が映し出される。男の頬には切り傷があり、まともな方とはお世辞にも言えない。
「はじめまして川口さん。BLACK HAWK社長の柊紅人です」
「川口組組長川口康広と申します」
「本日は値段交渉ということでよろしいでしょうか」
「はい」
紅人はウィンドウを1枚開くと今回の依頼を映し出す。海運はほぼ任せっきりなので、収支の把握くらいしかしてない。
「荷物はタンカー1隻。ただ中身が少々非合法なので追加料金、加えて今は太平洋の警戒状態が非常に高いので追加料金。こちらとしても譲歩は難しいですね」
「次回から御社以外の運輸を使わないと約束しますので何かと」
康広は深々と頭を下げる。
行動とは裏腹に嘘を隠そうともしないその姿勢には感服という他無いだろう。暴力団との口約束ほど信用ならないものはない。破られたところで叩き潰せばいいだけだが、生憎今は忙しい。処理に手間取ってつけ上がった傘下の組織が多数離反することになれば面倒なことこの上無い。
「お話になりませんね。先の契約で納得できないようなら解約でも構いません」
「下手に出ていれば調子に乗りやがって」
「調子になど乗っていません。別に貴方が抗争に負けるより、変に安請け合いして部下を死なせる方が損失が大きいというだけです」
苛立ちのあまり康広は身体を小刻みに揺らしている。一方の紅人は椅子に深く腰掛け彼を少し見下している。交渉の際焦りは禁物だ。冷静さを欠いては相手につけ込まれて必要以上の出費や犠牲が出る。虎視眈々と漬け込む隙を狙うのが一流の交渉人と言えよう。
「何を騒いでおる」
「親父……」
康広の後ろに和服を着た極道の親父を体現した老人が出てくる。
「これはこれは十兵衛殿。ご無沙汰してます」
「久しいな柊のせがれ」
紅人は立ち上がると一礼する。川口十兵衛は先代組長で第三次世界大戦の時は従軍していた。昔ながらの義理と人情を重んじる姿には珍しく紅人も敬意を払っている。
「康広、柊のせがれに無礼な真似をするな。謙治殿には大変お世話になったと何度も教えただろう」
「しかし……」
「言い訳はよせ。せがれと戦うことになったら勝ち目はないぞ」
康広はギリギリと歯軋りする。
小国家並みの兵力を持つ紅人と暴力団では力士と幼稚園児が相撲を取るようなものだ。十兵衛は紅人や謙治と共に肩を並べて戦った経験があるので、BLACK HAWKの兵の練度も知っている。
「息子が迷惑をかけたが、契約書通りの値段で頼む」
「異存ありません。必ずお届けいたします」
紅人は一礼するとテレビ電話を切る。シンと静まりかえる。
「十兵衛が死んだらあいつは始末してやる」
彼は手に持っていた書類を床に投げ捨てる。海上封鎖にも近い状況で違法な物を運ぶのは
「厚顔無恥がぴったりな男だ」
行き場のない怒りをぶつけていると艦長室のインターホンがなる。
「穂波です。ジルさんがいらっしゃったようなのですがどうすればよろしいでしょうか」
紅人が時計に目をやると21時37分を指している。いささかマナー違反な気もするがこちらが招いた以上帰すわけにもいかない。
「会議室にお通ししろ。すぐに向かう」
書類を片すように家事ロボットに命令すると紅人は会議室へ向かう。
会議室の扉を開けると4つの席がテーブルを挟んで向かい合うように置かれている。左手前の席にジルは腰掛けていた。
「お待たせしてすいません」
「こちらこそ早くきすぎてすいません」
紅人は1番奥まで歩き向かい合う4人を見渡せる席に着く。
「銃を回収しなかったのは警備が甘いのでは?」
「ご心配なく。誰かが変な気を起こしても私が止めます」
紅人はセーフティのかかった80式拳銃をクルクルと回す。口には出さないが銃をしまえとジルの顔は語っていた。
気まずい静寂が訪れる。こういう時気の利いた洒落でも言えればいいのだが、ジルも紅人もそう言ったものを嗜む趣味はない。
話すこともないので紅人は大量に残っている書類へのサインをする。一応契約書に罠が仕掛けられている可能性がなくはないのでしっかりと内容を確認していく。
「よぉ、邪魔するぜ」
軽い口を叩きながら部屋に入ってきたのはネヴィル・カニンガムである。一切の乱れなく軍服を着るジルとは対照的に、彼はかなり着崩している。
「好きなところにかけてください」
「失礼するぜ」
ネヴィルはジルの正面に座った。
「聖騎士様は堅苦しいなぁ。もっと楽に行こうぜ」
「公的な場でなくても聖女の名を汚すような真似はできません」
「どいつもこいつも聖女聖女。フランス人はロリコンなのか?」
「主君を愚弄するか貴様」
ジルが立ち上がってカニンガムに近寄ろうとした時、紅人が机を叩く。
「お2人とも控えてください」
「失礼しました」「わかったよ」
不満そうな2人だが窘められてなお争いを続けるほど愚かではないようだ。ジルの怒りを見てみたい気もしたが、それはまたの機会の楽しみにしようと紅人は思った。
「随分とお早い到着ですね」
「我々が遅刻というわけではありませんよね?」
「バラノフ殿にサルモン殿。どうぞおかけください」
身長190cmはあろうかという巨体に白髪混じりのグレーヘアを持つのはロシア空軍の元帥であるアレクセイ・バラノフである。協商国のためジルと紅人にはお馴染みの顔だ。
黒のシルクハットとスーツをこの上なく着こなしているユダヤ人はイスラエル空軍の元帥ギルド・サルモンである。この中で最も思慮深く紅人も一目置く数少ない人間である。
2人が席にかけると紅人は立ち上がる。
「突然の呼び出しにもかかわらず全員が招待に応じてくれたことに感謝します」
「滅多に表舞台に出ない貴方が話したいと言ってきた時は驚きましたよ」
紅人と面識の少ないギルドが言う。
「内輪で話してればいい内容じゃぁねぇんだろ」
「生憎我々も何を話すかは聞いておりません」
「服はともかく口くらい整えなさい。英国紳士が聞いて笑えますよ」
アレクセイがネヴィルの疑問に応えた後、ジルは眉間にシワをよせながら突っかかる。
「生憎俺は紳士じゃねぇ。ただの頭のいいおっさんだ」
「各々方、喧嘩をするために招いたのではありません。話を始めてもよろしいでしょうか?」
「わかったよ空戦王様」
諭されたネヴィルは椅子に深く腰掛け足を組む。紅人は指を鳴らして5人分の紅茶を運ばせる。皆がティーカップを置いたのを見計らって口を開く。
「私が皆さんを呼んだ理由は今後の世界で何が起こると予想されていますか?」
場の緊張感が一気に高まる。出過ぎたことを言って恥をかくのを嫌いチラチラと目を合わせあいお互いの出方を伺う。
「第三次世界大戦から3年。かつて大国と呼ばれた国は力を取り戻しつつある。特に中国、アメリカ、イギリス、南アフリカ連邦は軍事的にも立て直している。世界のパワーバランスは再び均衡しつつあるといえるだろう」
紅人がカチャンと音を立ててティーカップを置く。
『後10年以内にもう一度世界大戦が起こる』
これまで口をつぐんでいた4人が紅人と同じ言葉を一斉に口にする。
「流石にそこまで鈍くないか」
「甘く見ないでもらいたい」
アレクセイが微かな怒りを紅人に向ける。
「若いのが調子に乗るんじゃねぇよ。俺たちはお前が生まれるより前から戦場で戦ってきてんだぜ?」
「同意したくないですが、認めざるを得ませんね」
「そのようなことわかりきっています」
他の3人も紅人を見る。
「しかし……終戦後貴方たちは何度出撃しましたか?」
4人が指を折り始めると紅人はため息をつく。常に戦い続ける彼にとって職業軍人が指折りとは落胆もしたくなる。
「ここ3年で私は54回出撃しその全てで敵を退けています。はっきり言います。ここ3年で世界中の空軍は進化しています。特にアメリカとソルヴェークの進歩には目を見張るものがあります。第2世代と呼ばれる優秀な空戦軍師が生まれる日も遠くないでしょう」
「待ってください。同盟国とも交戦をしたのですか?」
アレクセイが食ってかかる。
「私は民兵です。撃ってきた機体を撃ち落とすのに問題があるとでも?」
「同盟国を攻撃しないのは常識です!」
「では貴方同盟国のスパイが攻撃してきても反撃しないのですか?」
アレクセイが言葉に詰まる一方で、ジルは苦笑いを浮かべている。仮想敵国は今や自国以外全てが基本だ。大国と呼ばれる国にはスパイやら工作員をどこの国も送り込んでいるし、産業スパイも当たり前に行われている。自分の身は自分で守る。これができなかった国は先の大戦で滅んでいる。
「同盟国と言えどイスラエルを害する者は排除する。ミスター柊の言っていることは間違っていない」
「ご理解ありがとうございます」
ユダヤ人で構成されるイスラエルは平均知能指数が高く小国でありながら、世界でもトップ10に入る軍事大国だ。感情より実利を優先する思考回路は紅人に近いものがある。未だにユダヤの民を殺せば悪名高きモサドが地の果てまで追いかけてくる。
「しかし、再び大戦というのは勘弁願いたいですね。防ぐ手立てを考えましょう」
「過去の大戦を見るに世界の軍事バランスが完全に均衡するのはヤベェ。後は食糧難だが、こんだけ人口の減った状況でそれはねぇだろ」
現状世界の軍事バランスは日本、ロシア、フランスがまだ半歩ほど先にいる。しかし、もともと生産力の強いアメリカが完全体になったらイギリス、イスラエル、中国と組むことで協商に匹敵する勢力が生まれるだろう。質は数の暴力には敵わない。日米同盟は形だけで裏ではお互い牽制し合っているのは公然の秘密だ。
「我々が手を取り合えるのなら理想ですが」
「それは無理です」
ジルの提案をばっさりと切り捨てたのはギルドだ。
「サルモン氏。理由をお聞かせ願いますか」
「この5人で協定を結んだとしても兵を動かせるのはミスター柊だけです。私たちは軍人ですので国の許可を得てからしか兵を動かせません。ミスター柊が軍属でもないのにここまで来れたのは『兵は拙速を尊ぶ』を体現しているからです。加えて実力もあるとなれば私達が兵を動かした頃には全て終わっているでしょう」
「アメリカの力を削ったほうがマシじゃねぇか?」
ネヴィルの言うことはもっともだ。しかし、今のアメリカは正直手をつけられない勢いで成長している。このまま放置すれば10数年後には再びアメリカが天下取りとなる可能性もある。復讐に燃えている国と横に並ぶのは誰だって嫌だ。
「明日の会議で国ごとに飛空母の制限を設けるべきかもしれません」
しばらく静かにしていた紅人が口を開く。
「妥当……と言わざるを得ません。ミスター柊」
「現状飛空母の数は少ないですが、建造中のものを含めればおおよそ50機くらいでしょうか。ですのでロシア5、イギリス2、フランス2、日本3、アメリカ3、他1でしょうか」
「待てよ旦那ぁ。その中に個人所有の飛空母は含まれるんだろうなぁ?」
どうやら誤魔化すことは出来なそうだ。
「含んでいません。日本の海域は広大です。それをカバーするには5機必要です」
現在日本が有している海域はハワイからミクロネシアまで。制海海域だけで言えば世界最大だ。太平洋の島国は協商側についた東南アジアと敗戦から復興したオーストラリア以外は食糧難で全滅している。今や昔の面影はなくあるのは飛行場と軍港、そこにいる人たちを賄うための農場だ。
「つまりもう1機飛空母を建造中ということでしょうか?」
ジルを筆頭に他3人が厳しい視線を向ける。
「まだ紙の上でしか出来ていません」
これは嘘だ。すでに計画は動いておりとある研究の結果待ちをしている状況だ。
「株主でもない我々が1会社の方針に文句を言える立場でもない。しかし、緊張が走るのは間違いないでしょう」
「日本は核兵器を持っていません。あなた方と違って一発逆転のチャンスがないので堅実に守りを固めるしかないのですよ」
飛空母は戦略兵器ではない。しかし、アレクセイにとって柊紅人が飛空母に乗るというのは実質戦略兵器ではないかと考えている。面倒な手続きを踏まず依頼一つで50機以上の戦闘機が優秀な指揮官とともに襲い掛かる。都市一個を破壊するには十分な火力だ。
「とりあえず日本の比率は保留としたうえで空軍会議にかけましょう」
「わかりました。本日はこれで解散としましょう」
紅人が2度指を鳴らすとスーツを着た部下たちが4人を船に案内していく。1人部屋に残った彼は端末のウィンドウを投影すると機密ファイルにアクセスする。
明日の会議は荒れる。切り返せるだけのカードを揃えて挑むことにしようと紅人は決意した。
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