第30話〜シルヴィア・ル・レッドクラウン・ソルベェーク・レスタ〜

 2118年7月下旬


 梅雨が過ぎギラギラと強い日差しが大地を照らす日が何日も続く季節となった。海水浴に山登り夏にしかできないことは多い。しかし、紅人くれとは夏が嫌いだ。暑いのが鬱陶しいというのもあるがアルビノの目に夏の日差しは天敵だ。カラーコンタクトだけでは目に入る光量が多すぎるのでサングラスは必須だ。

 彼は東京郊外の山の中にある自社訓練場を訪れていた。思ったより早く腕が完治したので機能の確認をするためだ。先ほど試しに握力計を握ってみたところ左手は30kgに満たなかった。以前は57kgあったのでだいぶ鈍っている。

 ダンベルを持ち上げるところから始めてみたが長続きしない。長い間固定されていた腕が動くことに違和感を感じるほどだ。


「はぁ」


 思わずため息が出る。額ににじむ汗をタオルで拭くと彼は再びダンベルを持ち上げる。10回ほど上下させると筋肉が悲鳴をあげだす。歯を食いしばり15回まで踏ん張ったところで限界が来る。


 情けないぞ柊紅人。それでも君はデザインチャイルドか?


 自分を叱咤すると彼はもう一度筋トレを始める。



 結局筋トレはあれから15回1セットを2回しかこなせなかった。負荷をかけ過ぎて故障すると本末転倒もいいところなので空マガジンでリロードの訓練をしてみることにした。使う銃は愛用の81式突撃電磁誘導砲アサルトレールガン。銃を構えて予備のマガジンを持って、空になったマガジンを外して、交換する。頭の中でわかっていても身体は言うことを聞いてくれない。空になったマガジンを外したタイミングで予備のマガジンが手からこぼれ落ちる。


 指も固まっているな


 紅人は銃とマガジンを置くと布と針を持ってきて刺繍ししゅうを始める。地味な作業に違いないが手先の器用さを訓練するにはうってつけだ。出来上がった花形の刺繍は歪でお世辞にもいい出来とは言えなかった。

 今までできていたことができないとこんなにもイライラするとは思わなかった。義手をつける選択肢もあった。現代の義手は脳にチップを埋め込むことで本来の手と何ら変わりなく動かすことができる。物によってはそれ以上の力を出すことができる。しかし、学校に言い訳するのが難しいし何よりあかりの前では綺麗でいたかった。




 夕方になると紅人は訓練を終える。彼は訓練場近くにある別荘のドアを1年ぶりに開ける。月に1回は掃除と空気の入れ替えを頼んでおいたので汚れているところはない。

 シャワーを浴びてリビングに腰掛けた紅人はニュースを漁る。政治や芸能に興味ないが国際情勢には目を光らせなければならない。気になったのは中東で武装勢力と政府軍が衝突してることだ。民主化に反対する王族の血筋とそれを支持する人たちが騒いでいるのだろう。どのみち紅人が出陣することはないので関係はなさそうだ。

 近海で気になるのは朝鮮半島である。送り込んでいるスパイの情報によれば強硬派の軍部がアクションを起こそうとしているらしい。日本に侵攻してきたら軍を率いて対処しなければならない。実に面倒だ。

 不意にインターホンがなる。

 健太郎けんたろうあたりが来たのかと思いインターホンに映し出された人影を見てみると意外な人物だった。紅人は玄関に向かい扉を開けると2人の女性を招き入れる。


「シルヴィにエルトライト君。久しぶりだね」

「久しぶり紅人。言いたいことはいろいろあるけど、とりあえず上がらせてもらえるかしら?」


 2人をリビングに案内した彼は人数分の紅茶と茶菓子を用意して持ってくる。シルヴィアは一口紅茶を飲むと笑顔を見せる。


「美味しいわ」

「それで用件は?」


 いつもなら世間話に付き合ってくれるはずだが今日はダメらしい。


「腕の状態はいかがかしら?」

「治りはしたが動きが悪いくらいだ」


 紅人は左手を2、3度握ったり開いたりしてみせる。シルヴィアから見ても若干ぎこちない動きに見えた。紅人のことを最強無敵と思っていたシルヴィアだが、彼も人間であることを認識された。


「それなら他を当たった方がいいかしら?」


 シルヴィアはエルトライトに語りかける。


「やはり無理はさせられません」


 渋々といった表情でエルトライトはうなずく。


「まぁ待て、話だけでも聞こうじゃないか。療養中の私を訪ねてきたのだから大きな用があるのだろう?」

「ですが……」

「いいじゃない。好意は受け取っておくに越したことはないわ」


 シルヴィアは笑顔で答える。エルトライトの様子から戦闘が発生するかもしれない用件なのは察しがつく。今は戦力的に十分とは言えない紅人にわざわざ頼みに来たと言うことはそれだけ大切なことなのだろう。


「エルの父上がご逝去なされたわ。中東でミサイルに巻き込まれてね」

「ご愁傷様です」


 紅人の言葉は決して心のこもっているものとは言えない形式的なものだった。薬で感情を豊かにしていても人の死を悼む感情は湧いてこない。

 エルトライトはシルヴィアと顔を見合わせると口を開く。


「柊殿にお願いがございます。明日から1週間の間シル様を護衛していただけないでしょうか?」

「詳しく聞かせろ。内容によっては受ける」


 流石に病み上がりなので戦闘前提の激しいものなら断るつもりだ。無理して怪我をしたら今度こそベットに縛り付けられる。それに戦略兵器の輸送をこれ以上先延ばしにするのも良くない。


「公務の護衛をしていただければ大丈夫です。詳しくはスケジュール帳をご覧ください」


 紅人はエルトライトから送られたデータを自分の端末にダウンロードして開く。

 うわぁと思わず口に出してしまいそうなほどビッチリと予定が詰まっている。特に3日後は酷く、朝6時から打ち合わせで9時から文化交流会。お昼を挟んで14時からコンサートのリハーサル。17時から本番で夜は共演者と会食。ブラック企業が可愛く見える。


「報酬はいくらだ?」


 紅人は端末を机の上に置くとシルヴィアを見据える。彼はリスクに見合うリターンをシルヴィアが提示できるか試してみることにした。


「前で1000万。無事に終わったら我が国への貸し1ということでどうかしら?」


 シルヴィアが紅人の顔をじっと見ていると彼は笑い出す。


「面白い。君は本当にいいお姫さんだ。リハビリを兼ねて受けよう」


 個人が国へ貸しを作る機会は皆無に等しい。そんな機会を紅人が逃すわけなかった。いざと言う時の逃げ先、作戦への協力要請、何より今後の交渉で優位に立てると言うのが1番大きい。


「もう1つ柊殿にお願いがあります」


 エルトライトは真剣な目で紅人を見る。紅人はその目からなんとなく言いたいことを悟った。生憎協力できそうにないことだ。


「君の父上の葬式で弔いの言葉を述べるのは無理だ。私に人を弔うことはできない」

「一言だけでもお願いできませんか?」


 紅人は食い下がるエルトライトを見るとため息をつく。


「私が行けばイギリスが放って置くわけがない。シルヴィに無駄なリスクを負わせないためにも控えた方がいいだろう」


 紅人は以前同盟国のソルヴェークを助けた時にイギリス空軍を完膚なきまでに叩き潰している。自分の命が狙われるあまりシルヴィアを危険にさらせば本末転倒もいいところだ。国内では絶大な力を誇っていても異郷の地ではその力は半分以下になる。自分が目を光らせているのと同じように海外には海外の猟犬がいる。


「わかりました」


 エルトライトは残念そうな表情を浮かべている。


「君たちは僕を過信しすぎだ。僕が日本で横暴な行いを許されているのは国家に欠かせないピースだからだ。他国に行けばむしろ厄介者だ」

「紅人がそう言うなら仕方ないわ。病み上がりに無理させるのも気がひけるわ」

「無理を言って申し訳ありませんでした」


 紅人は謝罪を受け入れると契約書を書き上げてシルヴィアに渡す。彼女は美しいサインを書くと契約書を紅人に返す。


「では今日はこれで失礼するわ。明日の朝9時からよろしくね」

「了解」


 紅人は2人を見送ると椅子に腰掛けて端末を開く。中東の情報網は自信がないがソルヴェークも情報網には自信がある。王宮で働いている協力者から今回の件について情報が送られてきた。

 エルトライトの父ガランドに関するファイルを見る。死因は焼夷ミサイル攻撃による焼死。遺体があっても目も当てられない状態なのは間違いない。

 対空兵器の無い国ならミサイル攻撃を受けるのも納得できるが、第三次世界大戦後の世界でそのような国があるか疑わしい。ましては日本と友好状態にあるソルヴェークが空軍力に欠けることは考えられない。

 紅人は作戦書を見てみる。


「これは酷い」


 野戦陣地を敷く時の対空兵器の数が少なすぎる。そもそも制空権も取れていない地域に歩兵を派遣すること自体常軌を逸脱している。今や戦争の主役は空。空を制止、空から攻撃、空から支援。制空権争いで勝敗が決まると言っても過言では無い。

 ソルヴェークの軍がそれを理解していないわけがない。大方ガランド卿は捨て駒として使われたのだろう。空軍との折り合いがうまくいかなかった陸軍が、ある程度の数の兵を出し犠牲を出すことで無理やり空軍の援助を得る。


 ガランド。君がそれを理解した上でやったのであれば軍人としては満点だ。だが、父親としては60点だ。娘に悲しい顔をさせる父親に私は満点など決してやらん。


 これでエルトライトの決意はより強固なものになっただろう。自分が何を言おうと彼女はすぐにこちら側に足を踏み入れる。

 しかし、彼女に才能はない。


「暗闇を彷徨う蝶が蜘蛛の糸に絡め取られるのは時間の問題。止めてもくるのならせめて最期の刻は私の元で散らせてやろう」


 才能の無いものが天部の才に出会った刻、普通なら挫折するだけで済む。しかし、この世界では死あるのみだ。亡骸のない葬儀をさせないことが紅人にできる最期の贈り物になるだろう。

 紅人はテーブルに置いてあったショットグラスにウイスキーを注ぐ。ストレートでそれを飲み干すと体の内側が熱くなる。

 来月は大仕事だ。リハビリにうってつけの仕事をもらったからには最大限利用させてもらおう。

 紅人が立ち上がったとき別荘の電話が鳴る。番号を見てみると会社からだ。


「もしもし、柊です」

「大倉国防大臣から柊社長にお電話がありました。お繋ぎしてもよろしいでしょうか?」


 紅人は何故直接自分の電話にかけてこなかったのか疑問だった。経験からして忙しい時ほど仕事というものは増える。


「つないでください」


 紅人は100インチテレビの前に立つ。テレビ電話とはどうやらただ事ではないらしい。


「大変な時期にすまない。紅人君」

「わざわざ本社の秘匿回線からかけてくるとは何かあったんですか?」


 テレビに映る大倉は頭が上がらなそうなそぶりを見せる。


「これを見てくれ」


 紅人は送られてきた暗号ファイルを解読する。




 中東情勢悪化による第五次中東戦争を防ぐため、フランスとソルヴェーク王国を筆頭とした協商側のヨーロッパ連合軍の派遣。本国(日本)はソルヴェーク王国の要請により国内の民兵を派遣する。また、部隊内容はBLACK HAWKを主とした精鋭で構成するものとする。


 憲法で戦争放棄を明言している日本は他国に正規軍を派遣できない。そのため今回のような場合、民兵組織を派遣するしかないのだ。


「私の部下をよこせと言われましても来月の準備で手一杯です。出せて50人が限界です」


 紅人は来月の戦略兵器の輸送に国内においてある全ての兵力を運用する気でいる。中東の戦局状況的に1ヶ月以内に片付くわけもないので国内戦力を割くわけにはいかない。どんなに早くても3ヶ月はかかる。


「なんとか100人出してもらえないだろうか」

「無理です」


 紅人ははっきりと言った。


「失礼ながら大臣は戦場を甘く見ていらしゃる。いったん中東送って輸送の時に戻してまた送り返す。度重なる移動は兵士たちに多大なストレスと疲労を与えます。そのような理由で私は部下を失いたくありません」

「ならせめて君が作戦を立ててくれないか?」


 大倉はなんとも言えない妥協案を出す。


「敵配置と地形図を陸海空全てください。3時間で終わらせます」

「一人でいいのか?」


 大倉は不安をあらわにするが、紅人は余裕の表情だ。むしろ1人の方が無駄口を挟まれないため都合がいい。若い紅人の意見に中年の参謀たちが素直に従うわけがない。実力主義になっても人間、年下には従いたくないのだ。


「構いません。失礼します」


 紅人は電話を切ると送られて来たデータを画面に表示して仁王立ちのまま腕を組む。

 主戦場は海より20km。武装勢力に制圧された空港は4つ、軍港は2つ。

 まず、歩兵を進軍させるために軍港を抑えたい。これにより陸ルートの歩兵部隊と挟撃できるようになる。さっさと爆撃機を送って軍艦を沈めてしまいたいところだが、障害がある。

 イブリース型対空戦艦。これは航空機を撃墜することだけを目的とした艦で1隻で何百機もの航空機を落とすことを可能としている。それが3隻もいるのは厄介だ。これは海軍の潜水艦に頑張ってもらうしかない。

 次に軍港を爆撃する際障害となるのは対空砲と航空戦力だ。航空戦力の数は大したことないが対空砲は一丁前にアメリカ製の最新型を大量に配備している。

 海軍の砲撃で破壊したいところだが、戦艦の主砲の射程を上回る要塞砲があるのでこれを破壊しない限り海上からの支援は望めない。


 なら、奇策で行けばいいだけだ。


 紅人は笑みを浮かべる。

 レーダーに察知されない超低空に音速ギリギリでステルス戦闘機を飛ばしてパルスフレアを対空砲上空にばら撒く。本来対空ミサイルに対する防衛兵器であるパルスフレアだが、電子をばらまくという特性上、AIによって照準を定める対空砲にも影響を与えられる。

 軍港を抑えればこっちのもの。後は戦艦の主砲で空港に砲弾の雨を降らせてしまえばゲームエンドだ。紅人は大倉に作戦の詳細をファイルにまとめて送信すると床についた。




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