第29話〜拉致少年少女奪還編15〜
脅威を排除して気の抜けた
「大丈夫か紅人?」
「早くのせて!
直己は紅人に肩を貸して立ち上がらせ船に向かって歩き出す。穂波は言われた通りちぎれた腕を拾って船に乗り込む。中にいた部下たちは布で船内の一部を区切って子供達の目に残酷な光景が映らないように配慮する。
亜里沙は船の床にマットをしくとそこに紅人を寝かせるよう指示する。
「血を処理しろ」
直己はうなずくと布と水酸化ナトリウム水溶液を持って外に出る。紅人の血を拭き取り水酸化ナトリウムをかける。彼はDNA情報を奪われることを非常に恐れている。自分のように完成された人間が然るべき訓練を受けるととんでもない脅威になることは紅人自身が1番理解しているからだ。
「全員搭乗完了」
血の処理を終えた直己は飛行機に乗ると扉を閉める。
「了解。離陸する」
機長を務める健太郎はスロットルを全開に入れると滑走路を滑り出し空へと舞い上がっていく。
船の中では亜里沙が診察を始めていた。
左腕は完全に切断。骨が粉々に砕けて傷に刺さっている。普通の銃弾で撃たれただけではこうはならない。炸裂弾の爆発で吹き飛んだのでしょう。出血は500cc〜600cc。パワードスーツの止血システムは正常に作動したようね。
彼女は紅人のちぎれた腕を手に取って観察する。
消失率は10%あるかないかくらいね。
「繋げられるか?」
紅人は
「一応繋ぐことはできます。2週間ほどで表面はつながります。しかし、筋肉組織がつながるのに1ヶ月。神経組織が繋がるのにさらに1ヶ月。定着するのに2週間と言ったところです」
現代の再生医療はとてつもなく進化している。予め採取しておいたDNAを基に何にでも分化できる万能細胞を作り、そこから臓器を生み出すことができる。その気になればクローンを生み出して脳を移植することだってできる。
「2週間で動かせるか?」
「無理です。神経が繋がるまでの2ヶ月半は腕を動かせません」
亜里沙は即答する。紅人は大きなため息をつく。
「電話をよこせ」
紅人は直己から電話を受け取ると大倉防衛大臣をコールする。
「もしもし、大倉です。紅人君。何かあったか?」
「夜分遅くに申し訳ありません。実は私、この度の任務で重傷を負ってしまいました。したがって、コロッシオンボムの輸送を8月にできませんか?」
「そんなに深刻なのか?」
紅人は少し電話を口から離して亜里沙に目で聞くと彼女は3回強く頷いた。
「炸裂弾で左腕を切断されました。6月中の復帰は難しいです」
「わかった。日程の方は私がなんとかしよう。君は一刻も速く怪我を治してくれ」
どうやら切断というワードが効いたようだ。大倉大臣にはいろいろ貸しを作っているから対価に変な仕事をさせられることもないだろう。
シルヴィアには申し訳ないが今週末のコンサートにもキャンセルだ。彼女がこのことを聞いたら仕事をほっぽり出して見舞いに来そうなので黙っておこう。
「紅人、今から刺さっている骨を除去します。その後再生術をします。くれぐれも1週間は絶対安静ですかね」
亜里沙は子供に言い聞かせる母親のようだ。紅人が目をそらしてうなずくと彼女は紅人の頰をつまみ無理やり目を合わせさせる。
「わ・か・り・ま・し・た・ね」
「了解」
笑顔が怖いと紅人は思った。
彼女は紅人に局所麻酔を打つと傷口の洗浄を始める。肉に食い込んだ骨の破片をピンセットで掴み一つ一つ抜いていく。傷口の洗浄を終えるとちぎれた腕を同じように洗浄する。尖った骨を削って平らにして形成しやすい様にする。このまま腕を繋ぐと元の長さより短くなってしまうので骨にボルトを打ち込み長さを調節する。そして、腕とちぎれた腕に未分化細胞シートを5枚ずつ貼り付けて固定する。最後に腕を保護フィルムと包帯で巻いて絶対に動かない様にがんじがらめにする。
「これで手術自体は終わりです。痛み止めを打っておきますが、痛みを感じる様なら言ってください」
「無理はしないさ」
船は高度10000mで水平飛行をして40分ほど。地上の天気など関係なく雲の上まででてしまえばいつでも快晴だ。今は夜なので真っ暗だが、後1時間もしないうちに日の出だ。仕切りの切れ目から子供たちを見ると寝ている。
紅人が腰掛けて今月の収入と支出を確認していると
「先ほどは庇っていただきありがとうございます」
彼女の顔をよく見ると罪悪感が混じっている。
「悪いのは私だ。気にする必要はない」
「そんなはずありません。私がもっと注意していれば」
紅人はクスクスと笑う。
「君は行動によらず真面目だなぁ」
ひとしきり笑った紅人は運転席にいる健太郎を除いた
「皆には言ってなかったが、今回我々は2つの組織から狙われていた。1つは想像通り中国陸軍。もう1つはトライデントという謎の組織だ。穂波の昔勤めていた組織もそいつに唆されて動いただけだ」
「狙いは何だ?」
直己が入ってくる。
「今回に限って言えば穂波を殺すことだろう。空港での狙撃も刺客もどれも私を狙ったものではなかった」
「何故穂波を?」
「東、君の考えていることが答えだ」
「穂波は代えが効きにくい人材だ。亜里沙や雅英なんかは軍の連中で優秀なのを引き抜いてくればそれなりに換えがきく。しかし、小さい頃から暗殺を
ただの暗殺者ならいくらでも調達できるし調教できるが、ハニートラップの魔女を見出すことはできない。第一教えられる者もいない。誰にも言ってはいないが、紅人の心の中では優先して守る部下というのが明確にある。1番は健太郎で2番目が穂波だ。それほど彼女の技術は貴重なものだ。
「トライデント。始めて聞く名だが、いずれは正体を掴み雌雄を決する。何かあればその都度私に報告しろ」
「了解」
全員が揃って返事をすると窓から朝日が流れ込む。雲海の果てが橙色に染まり暗い空が青くなっていく。
綺麗だ。
この光を見ると今までの努力が報われたように思える。世界の全てがこの青空と子供の心のように透き通っていればと紅人は考えていた。
飛行機は銀翼に朝日を反射させながら日本海を進み続けた。
1ヶ月後
紅人は健太郎と共に地方にある児童養護施設に来ていた。穏やかな日差しに柔らかい風。ここ3日は晴れ日和が続いている。一世紀前とは比べものにならなほど気候も落ち着いている。
ジャケットの左袖を風になびかせ階段を登っていく。登り終えた先には芝生の庭が広がっている。遊具に砂場、トラックにテニスコート何でもござれだ。
「いつもお世話になっています。柊さん」
「こちらこそ子供たちを育てていただき感謝しています」
紅人は50代の所長と話す。
ここは紅人が会社名義で支援している施設の一つだ。拉致被害にあって行き場のなくなった子供達を預かってもらう代わりに年間10億円近くの支援金を渡している。18歳で施設を出る必要もなく就職するまでは世話をしている。
キーンコーンカーンコーンキーンコーンカーンコーン
授業終了の合図と共に小学生くらいの子供たちが飛び出してくる。その中には先日救出した子供たちも含まれている。心の傷が消えることは決してない。しかし、亜里沙の治療とこの施設で過ごしている限りもう2度と同じようなことにはならないだろう。
「紅人さーん!」
8歳くらいの子供達が手を振ってきたのでそれに応える。
「腕を怪我したと聞きましたが経過は良好ですか?」
「ええ。予定より早く治っています」
所長と話をしていると女の子が数人紅人のもとに集まる。
「紅人さん。腕はダイジョウブ?」
「みんなが元気でいてくれたら私の怪我も早く治るよ」
紅人は膝をついて話す。子供というのは不思議なもので心の闇を感じ取る。それを悟らせないようにするには笑いかけ、真摯に向き合うことだ。
「助けてくれてありがとう。あたしね今楽しいよ」
「それはよかった」
紅人は子供たちの頭を優しく撫でる。
「意外に好かれているじゃないか」
「みんな。しばらくの間このおじさんを貸すから遊んできなさい」
「やったー!」
健太郎は何か言いたそうだったが子供たちに両手を掴まれ連行されていった。紅人はただ笑顔で手を振っているだけだった。
邪魔者は消えたから本題を済ませよう。
紅人は施設の中に入ると設備の確認をする。畳の部屋に綺麗な教室。大量の食事を作るための業務用オートミル。多少の劣化はあれど修繕の必要はなさそうだ。
紅人は授業が終わったばかりの教室の扉を開けた。そこには一切の曇りのない白髪に真紅の目を持つ少女が白衣を着ていた。
「お久しぶりですね。あかりさん」
「紅人さん。お久しぶりですね」
紅人は壮健そうな妹の姿を見てほっとした。彼女は今年の4月から月に2回ここで中高生に物理と化学を教えている。ノーベル賞受賞者の講義を受けられるのは贅沢と思えるかもしれない。しかし、これは紅人がオファーしたことではなく彼女が望んでしていることである。
「腕を怪我したんですか?」
「大したものではありません。くっつけられる程度の怪我ですよ」
あかりは心配そうな眼差しでガチガチに固定された腕を見ている。くっつけられる程度の怪我なら問題ないというのはいかがなものだろうか。
「それより本題です。あなたの研究の独占スポンサーにならしては頂けませんか?」
あかりの顔が引き締まる。紅人の前に腰掛けて臆することなく対面する。
「あなたが欲しいのはどの研究ですか?粒子工学?光化学?それともクーロン力の研究ですか?」
どれも魅力的な研究には違いないけれども、紅人は首を横に振る。
「質量反射。アンチマテリアルフィールドです」
「何故それを……」
あかりは驚きのあまり口に手を当てて立ち上がる。その研究は公表は疎か、オンライン上に載せたことすらない。関係者でもない彼が知っているのは普通ではないのだ。
「これでも私は最強とも呼ばれる民間軍事会社の長です。それなりの目と耳は持ち合わせているつもりです」
それなりなどと言う生易しい耳ではなく地獄耳の持ち主だとあかりは思った。
実際は彼女の通っている学校に清掃ロボットの調整員としてスパイを送り込んだだけだ。どちらかというと手に入れたい研究というよりは他に奪われたくないという気持ちの方が大きい。
「これは国がスポンサーとなって研究しているものです。それを横取りするというならそれなりの金額が必要になりますがよろしいでしょうか?」
あかりは再度心配そうな顔をする。しかし、紅人は余裕を崩さない。
「そうですね……とりあえず3でどうでしょうか?」
「柊さん。あなたはわかっていない。たった3億円で研究ができるとお思いですか?」
がっかりだ。あかりは紅人が研究職に理解のある人だと思っていたのでそのショックは大きい。しかし、目の前に座る少年はクスクスと笑い出した。
「ああすいません。普段の癖で単位を言い忘れていました。3兆円。とりあえず手付金として出します。結果が良好ならさらに5兆円出しましょう」
「なっ」
絶句しているあかりを前に紅人は続ける。
「世間的に私の総資産は数兆円とされていますが、実際は50兆円ほどあります。そのうち半分は現金なので心配は入りませんよ」
「私より多い……」
あかりは迷っていた。ここで紅人の提案に乗れば資金に困ることはなくなる。しかし、国との約束を破るとこの先冷遇されるかもしれない。
よく考えなさい乾あかり。目の前にいる男は日本の空軍を預かる者。彼を利用して軍事に役立つ研究であると見せかければ今後も支援は受けられる。それに国はアンチマテリアルフィールドの有用性をイマイチ理解していないようだけど紅人さんは理解している。真珠は豚ではなく人に渡してこそ美しく輝くものね。
あかりは自問自答を終えると手を1度叩く。
「受けましょう。紅人さんの慧眼に負けぬよう尽力致します」
流石は私の妹。
「ではこちらが小切手になります」
「小切手?」
あかりは紅人から渡された小切手の束に首を傾げる。現金すら見る機会の減った今では小切手など伝説上のものである。ただし、小切手もICチップが埋め込まれており進化はしている。
「1枚当たり1000億円の現金と引き換えられる券だと思ってください。携帯端末でチップを読み込めば私名義の口座があかりさんに譲渡される仕組みです」
「電子マネーで取引はしないのですか?」
「基本は現金か小切手です。真当なお金が私の手にあるわけないのですから」
紅人の答えにあかりは理解できていないようだ。
「それではあかりさん、御元気で」
「紅人さんもお大事に」
紅人は一礼して教室を後にした。
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