第19話 死神、過去と義弟
右目から垂れる血を、暗闇にいる天使のような悪魔はそっと繊細な指先に触れた。過去の自分が体を震わせて払うも、水たまりの地面に倒れる。意識が朦朧としてバランスが取れないのだ。
顔が水たまりにつき、目が重たい瞼と葛藤を始める。
「兄さん」
美しい高い声。声変わりしても美しい若い声をしている。
「兄さん、ありがとう。目と腕、そして兄さんが手に入れば僕の願いは一歩進む」
──ついでに稀な魂も奪えた。
元からエヴァンを狙っていたのだ。モーリスはとばっちりを受けた。弟子になったばかりに。
気絶してしまったエヴァンを、隠れていた魔法使いたちが麻袋に詰めた。モーリスの心臓はガラスの瓶にジャムを詰めるみたいに閉じ込められ、エヴァンの右腕はとある魔術師が。
暗闇から未だ姿を現す様子がない義弟ヨアン・サンチェスは左手に持っていたものを取り出した。アメジスト色の瞳を持った眼球──エヴァンの右目である。
「腕は君たち三人で仲良くわけていいよ。僕が欲しかったのはもう、手に入ったから」
三人の漆黒のローブを身につけた魔術師にヨアンは微笑んだ。それを受けた魔術師たちはエヴァンの右腕に対し、手をかざした。
「骨よ」
「筋よ」
「肉よ」
「別れの時だ」
瞬時に右腕は切り目もなく、バラバラにされることもなく、骨、神経、肉に分かれる。それぞれの魔術師が受け取った。細く長いガラスの管に収納され、ローブの下に消える。
エヴァンの右目をヨアンはおもむろに自身の右目にあてた。暗闇のなかでヨアンのくぐもった苦悶の声が漏れる。
「ぐっ……ああ、ああっ……く、くくくっ、ふふふっ」
ヨアンの声は、苦痛から嘲笑へと変わり、暗闇から見えるエメラルドの双眸は変わった。右目がアメジストに輝いている。
「エヴァン兄さんは、ゼフィランサス伯爵領に送るといい……」
「承知しました」
視界が暗転する。雨の感触は消え、エヴァンは鳥籠の工房に戻される。立ち尽くすエヴァンにウォルターが不安げに話しかけるが、思考の海に意識は飛んでいるので反応しない。
右腕と右目を奪われ、そのあとの記憶はなかったが、今ここでエヴァンは己の一部がどこへいったかを知った。癒しの
腕を解体する魔術師のなかにここの主人である魔術師の声がした。彼が持っているのは、腕の肉。
ここに、自分の一部がある。
未だに心臓が興奮しており、エヴァンの胸を震わせた。
「ブライアンさん、何があったんです?」
「研究所は?」
「え?」
「このどこかに研究室があるはずだ! そこに俺の腕がある!」
エヴァンはウォルターに詰め寄った。突然の切迫した空気にウォルターは顔を曇らせて下がる。
「知っているんじゃないか、それらしき絵を描いただろう。どんな絵だ? 教えろ!」
「待ってくれ、私はなにも、知らないっ!」
ウォルターが否定する。戸惑いと理不尽な詰め寄りに対する怒りが見えた。
「いったいなんなんだ、腕とか、研究室とか! 私わね、長い間何枚も書かされているんだ! いちいち覚えているはずがないだろう!」
不満をぶちまけたウォルターの肩が上下する。
二人とも苛立ちが溜まっていた。階段を登り、嫌な光景を見て、物置ばかりの絵画を除いては落胆した。それの繰り返しをいったい何回したのだろう。
ウォルターの言い分は分かるが、エヴァンはそれどころではなかった。硬く、もう機械の脈しか持たない右腕を掴む。
もう余裕がなくなっていた。
工房の外はいったいどうなっているのだろうか?
シャーロットは吸血鬼を討伐できたか?
オスカーは無事だろうか?
いや、それよりも。
──私の腕はどこだ?
周りが見えなくなっていた。
工房内の空間が揺らぎ、一番上にある大きな絵画から魔術師が戻ってきたことに、気づくのが遅れてしまった。
魔術師の外套の周囲に様々な絵の具が泳ぎ、その一部が絵筆の先に吸い込まれて行く。
「!」
エヴァンはここでようやく気づいた。空気の揺らぎ、渦を巻きながら脈動を始める魔術師の魔力。
しかし、気づくには遅すぎた。すでに魔術師の術式は完成していた。絵の具は様々な色と混ざり合い、命を宿した。魔術師の手に持つ絵筆の周囲はバチバチと音を立てて油絵の稲妻が、エヴァンたちに威嚇している。
「やばいっ」
ウォルターの腕を掴むのと魔術師の腕が上がるのは同時だった。
「雷よ、破壊せよ!」
「咲き乱れよ!」
叫んだのも同時。
魔術師の腕は振り下ろされ、稲妻がエヴァンたちに向けて走る。
エヴァンはヴァイオリンの弦を一本のみ鳴らして花を錬成し、雷を受け止めようとした。相打ちとはいかず、花は雷に撃たれて燃え尽き、エヴァンの上着をダメにしてしまった。
そして最悪なことに音楽で作った螺旋階段は崩壊した。これでは上に行くことは叶わない。それよりも前にエヴァンとウォルターは落下してしまう。ウォルターは大丈夫だろうが、エヴァンの肉体は潰れてしまうかもしれない。修復する間に実験台にもう一度されるのは御免被る。
工房の主、魔術師であるならば自由自在に動けることだろう。
案の定崩壊とともに二人は落下をはじめた。足元が脆く崩れ、ウォルターが悲鳴を零す。エヴァンはウォルターの腕とヴァイオリンを掴み、一心不乱で空いている手を伸ばした。
ざらりとした触感が指先から伝わる。絵画だ。いったいなんの絵画だろうか確認もせずにエヴァンは一か八かの賭けに挑んだ。ただの飾りの絵画であれば落下するだけ。
心臓がばくばくと緊張をする。
吸い込まれる体、そして目眩。
どうやら運がいい。エヴァンとウォルターの体は落下することなく、絵画の部屋へと入ることとなった。
エヴァン・ブライアンの終末研究/旧版 本条凛子 @honzyo-1201
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