第9話 少年、拒絶と帰宅

「均衡は大事だ。魔術師の身勝手な願いでどれだけ人が死んだか」


 風に手を晒し、エヴァンは眉を潜めた。低い声がさらに低くなり、怒りを宿していた。どこか遠くを見ているとオスカーは感じてエヴァンのクロックコートを掴む。


「先生、あの、僕には兄弟子がいるということは本当ですか?」


 恐る恐る。聞いてはいけないと思っていたけれどどうしても気になっていたことを口にする。じっと彼の表情の変化を見逃さないように、唾をそっと飲み込んだ。

 僅かに眉の端が下がった。悲しみに満ちた瞳の輝きに後悔する。


「確かにいた」


 いる、ではなく、いた。


 過去形で告げられた言葉に、オスカーの胸は冷えた。距離を取るようにエヴァンは立ち上がり、一瞥オスカーを見て反らす。薔薇の花壇の迷路へと向けて、「そろそろなかへ行くぞ、シャーロット」と言い放った。シャーロットの返事が近づく。


 オスカーは泣きたくなった。

 師の悲しい過去に無遠慮に触れてしまった後悔。

 お前には話すつもりはないという拒絶に対するショック。


 弟子という浅はかな矜持も粉々だ。俯いて噴水の淵から立つ。合流したシャーロットから珍しく心配をかけられたが、一言返すだけであとは何も話す気にはなれなかった。


 気まずい空気のなか、一行は次の部屋にたどり着いた。二階の東の部屋は巨大な図書室にだった。娯楽用の小説や戯曲、絵本。それぞれの国の資料から新聞、神話文献の詳細。オスカーがなんとなく手に取った本は有名作家シェイクスピアの全集の一冊だった。母国の作家が死神の図書室に所蔵されていることに少し笑みが零れた。


「ちょっと、下僕くん」


 肩を叩かれて見るとシャーロットが笑みを浮かべて本を抱えていた。それなりの分厚さのそれは、ミュシャのデザインがされていた。


「良いものよ、これ。見て」


 読むためのテーブルに乗せて、一頁開く。見開きの頁には四つの額縁をイメージした枠が描かれている。左から春、夏、秋、冬、と書かれたものだ。シャーロットが春の枠を軽く叩いた。すると女性が現れて微笑み、花が咲く。夏も、秋も、冬も、それぞれの季節に合わせた動きが紙のなかで描写されて一枚の絵となった。


「ミュシャの隠された傑作集よ。これは不老不死を諦めた魔術師が変遷したものなの」

「諦める魔術師もいるんだ……。それにしても、綺麗ですね」

「ええ。こういったものはまだあるわ。魔術師以外にも死神が気まぐれに作ったものとか。どう?」

「……どう、て?」

「元気出た?」


 ミュシャの画集から目を離し、シャーロットを見る。彼女の顔は真剣にオスカーを見つめていた。顔が近い。鼓動が大きく疼いた。


「あ、ありがとうございます」

「ん」


 ミュシャなどの有名な画家たちの魔法画集は床から天井までの大きな棚を三つほど占領している。なかには飛び出してくるものまであって、驚いた。何気なく開いたら蜂鳥が目の前に飛んできて慌てて閉じてしまった。その時周囲から若干非難がましい目が集まった気がした。振り向くと再び本へと顔を向ける複数の死神たち。


 隣でシャーロットが苦笑している。

 すぐ後ろにエヴァンが寄ってきて一冊。手に取った。師の持つそれは、いったいどんな魔法が施されているのだろうか、気になって覗いてみる。

 動物の画集だ。犬や猫の他に、大帝国由来の妖精や幻獣、化け物が描かれている。


「わあ、すごいですね!」


 カラーで描かれた妖精がダンスを踊っている。

 意外と演出が他の画集よりも地味だ。


「これは妖精たちの特性が事細かに組み込まれている。本から飛び出てくる仕様だったら、一般のこの棚に置くことはない」


 オスカーの心を読み取ったのか、エヴァンが簡潔に説明して本を棚に片付けた。


「危険な書物などは死祖ウト・ペル・マルテルが管理している。彼ら用の図書室は四階だ。我々は許可が降りない限り入ることは許されない」

「妖精たちが出てくる本だったら今頃ここの本全部ぐちゃぐちゃにされてるわ」


 肩をすくむシャーロットに唇がひきつる。妖精はだいたいが悪戯好きだと相場が決まっているのだ。


「そういえば、先生のアーネストは黒妖犬ですか?」

「そうだ。よく気づいたな」

「ちょっと気になってて……そうじゃないかなって思ったんです」


 燃えるような真紅の瞳に黒い大きな体躯の犬。古来から不吉な妖精として言われている。

 オスカーはアーネストの姿を思い描いた。とても大人しく、毛並みは心地のいいもので、全く吠えないし暴れない。公立学校の友人は小型犬を飼っているが、クッションを駄目にしてしまうというのだ。それを考えればアーネストに対して不吉な印象はなくなる。


「真っ赤な目が先生と同じで綺麗です」


 素直に感想を述べるとエヴァンは目を瞬かせた。


「何か変なこと、言ってしまいましたか?」


 恐る恐る聞くとエヴァンは首を横に振る。


「大帝国でそう言う人物はあまりいないからな。人間でそう言ったのは数少ない」

「……黒妖犬だからかもですね」

「そうだな」


 不吉なものだと伝承がある限り、英国人ヴィクトリアンはアーネストを不気味な犬だと思ったままだろう。一息吐いたエヴァンはオスカーの背中を押して魔術画集の棚から離れた。そして違う棚から数冊の本を選んでカウンターへと向かう。ともにオスカーもついていき、カウンター席に座る男性を見た。


 神経質そうな細い眼鏡の青年が本を受け取った。オスカーの姿にあからさまに眉を寄せた。


「カードは?」

「ここに」


 一枚のカードを見せて青年が渡したノートに筆記する。


「手続きは以上です。必ず。いいですか、必ず、泥まみれにしたり、虫の死骸を挟んだりしないでくださいね! 特にシャーロット・ゼフィランサス!」


 青年がシャーロットを指差す。ギクリと体が固まって、シャーロットは持っている本を棚に戻した。


「……なな、な、なんのこと?」声が明らかに上ずっている。


 虫の死骸なんて本に挟むなど、想像できない。思わずオスカーも白い目で見てしまう。

 青年はとてもストレスが溜まっているのか、額に青筋を浮かべてシャーロットに詰め寄った。


「先に出るぞ。どうせいつかは解放される」


 うさぎの柄の布袋に借りた本を詰め込んだエヴァンがオスカーを図書室の外にエスコートする。何度も振り向きながら退出した。静粛なはずの空間が罵り合いに発展している二人の姿。ちょっと可哀想だな、と思わないでもないがシャーロットの自業自得だ。しかと反省してほしい。


 廊下に出るとちょうどカルディアが廊下の左側から現れた。白衣を翻し、駆け寄るとカルディアはオスカーの目の前に止まる。彼女はポケットから丸いバッジをポケットから取り出してオスカーの襟につけた。近づいた彼女からはチョコレートの匂いがした。

 天秤を模したバッジは小さいのであまり目立たない。


「うん、似合うな。素敵だ」

「えっと、これは、なんですか?」


「これは君の天秤だ。といっても魂に直接干渉して人生を見ることは出来ない。だが、補助魔法や放出機は使えるぞ。何せ君はまだ人間だからね。ただ本部以外だとエヴァンが力を行使する際、見えないのは不便だろうと思って急ピッチで作ってみたわけだ! 素晴らしいだろう。エヴァンの義手と似たような構造になっていてね、とても複雑で繊細なんだ!」


 これは話が長くなりそうだ。エヴァンが咳払いをする。


「その手に持っている万年筆はなんでしょうか、カルディアさま」

「よく聞いてくれた、弟よ! これがオスカーの放出機だ!」細い体の小さなそれを見せる。


 よくできた万年筆だ。真紅のボディに銀のペン先。手にとってオスカーは歪みのない輪郭を見つめた。これでエヴァンのように何かしらできると考えただけでも興奮した。小さい頃の旅行前日の夜に似ている。


 頰を紅潮させ、オスカーはカルディアを見上げた。乱れている長い前髪に溶けかけたチョコレートが見えたが、それどころではない。


「ありがとうございます! 大切にします!」

「うんうん。何かあったらすぐ来るといい。君の思うように使えるが、使用しすぎるには注意して。体に負担がかかる」

「分かりました、気をつけます」


 大事に、落とさないように両手で包み込む。エヴァンが優しげにオスカーの髪を撫でた。



 やっと解放されたシャーロットはぐったりした状態でオスカーたちと合流した。借りる予定だった本は没収され、貸し出しを禁止されてしまったらしい。当然といえば当然の処置だろう。


 本部の食堂で昼食を済ませ──ベーグルのサンドイッチは最高だった──帰った頃、白猫のカメリアが遊びに来た。カリカリと玄関の扉で爪を研いで、早く開けろと促していた。気づいて開けるとしなやかな素早い動きで部屋に入り込み、真っ直ぐ窓際の日向ごっこを楽しむアーネストのもとに駆け寄った。


「にー」


 一鳴きして床に伏せるアーネストの首に寄り添い、カメリアは転がった。

 微笑ましい光景に唇が緩む。そんなオスカーの肩を誰かが叩いた。エヴァンだ。彼はにっこりと笑っているが、その笑顔に見覚えがある。ビクトリア号で見た、義眼を取り出した時のあの顔だ。


「オスカー。学校は明日からだろう?」

「は、はい」

「宿題はできたか?」

「はい、ばっちりです」

「ならば今からラテン語と幻獣たちの勉強をしても構わないな?」


 構わないな、と聞きながら、否定させるつもりはなさそうだ。

 オスカーは項垂れて頷くしかなかった。和やかな空気のカメリアとアーネストを睨むが、同情や一瞥さえもくれなかった。

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