第8話 少年、教会と協会
笑みの消えたまま紅茶を一口。
「それは確かか?」
「ええ。子猫ちゃんがベッドで教えて下さいましたわ」
「……」
フィナンシェを齧るルードスがうっとりと目を細めた。舌先が齧ったあとをなぞってまた口に咥える。それに全く咎めないドミナは話の先を促した。
「魔術協会の魔術師がヴィクトリア大帝国へと集結し始めたみたいですの。理由はわかりませんけど」
「……シャーロット」
ドミナが空いている片手をシャーロットに伸ばす。
「報告書を」
「かしこまりました」
頷いて旅行鞄を開けたシャーロットは、なかからたくさんの書類の束を取り出した。それをベンジャミンが持ち、ドミナの横に佇む。ドミナは束の上に手を乗せたかと思いきや、横に勢いよくスライドさせた。
宙に浮き、そこから虹のように半円形に広がり、ドミナの右手側へと流れた。書類は乱れることも折れることもなくすんなり動いてあっという間に報告書はベンジャミンの手からなくなった。
「ふぅん?」
書類の余韻に浸る。それでも菓子に手をつけることを止めない。
状況が読み込めないオスカーは首を傾げるばかりだ。魔術師がどうして死神の敵であるか、教えてもらった。実際、母が身勝手な状況に置かれている。その魔術師の話で何故教会が出てくるのだろう。
誰も教えてくれないまま話が進もうとした時、部屋の両扉が開いた。入ってきたのは師であるエヴァンだ。彼は手ぶらだ。
「ただ今参りま──……げっ」
ルードスの姿を見てあからさまに顔を歪める。師さえも彼女もしくは彼のことは苦手らしい。そそくさと絶対近づかないようにオスカーとシャーロットのもとに駆け寄った。
「皆さん、ひどいですわ……わたくし、体を張って、機関のために、うぅ……神父も悪魔も天使も骨抜きにしましたのにっ」
ハンカチーフを目に押し当てるルードス。知らぬ人間なら可憐な女性が泣いていて痛ましいと思うだろう。しかしながらその正体は両性具有の危険な死神。もしかして、こうして同情や憐憫を引き出してから事に及んだりしたのだろうか。
オスカーのもとに駆け寄ったエヴァンは、オスカーを守るように立って、シャーロットに抗議しはじめた。
「どうして聖職者殺しがいるんだ。オスカーの教育に悪いだろうが」
「向こうから来たのよ。避けられると思う? というか、さっきまでシリアスな雰囲気になってたの!」
「ふぅん?」訝しげに眉を寄せる。
「本当よ! ルードスさまは、教会の人間から、魔術協会が動き出したことを聞き出したの!」
エヴァンの顔つきが皆と同じ、神妙に変わる。
そろそろ分からなくなってきたオスカーはエヴァンの腕を軽く小突く。こちらを向いてくれたのにホッと安堵した。
「魔術協会の動きをどうして教会の神父さまや大司教さまがご存知なんですか?」
「それはだな、オスカー」
エヴァンは目線を合わせる。
「魔術協会と教会は金というパイプがあるからだ。信者の寄付金よりも、魔術師の多額の寄付金で成り立っているところが多く、魔術師は貴族とのパイプも持っている」
「え……」
では自分が行っている教会もその魔術師の寄付金で成り立っているのだろうか。
「人間社会にとって別に汚い金というわけではない。だからこそ、教会は魔術協会に強く出れない」
「本当は教会にとって魔術協会は異端なのよね。信者でも信仰心があるわけでもない集団なんだから。場合によっては聖遺物とか奇跡と認定するものを無闇に扱おうとする奴等だし」
一枚岩ではない。そのことにオスカーはホッとする。
フィナンシェを食べ終えたルードスがソファの背もたれに身を委ねた。
「ヴァチカン関係者も他の宗教団体もそりゃあもうお怒りでしてよ。あ、こちらの方々はベッドに連れ込んでませんのよ」
無言。
「もし連れ込んでたら今頃戦争だろうね」
ドミナが真剣な響きで返答する。でしょう、とルードスは微笑んだ。獲物を捕まえたことを主人に自慢する動物のようだ。瞳がもっと褒めることを望んでいる。しかし、ここの女主人は冷たい。ルードスは続きを急かされる。唇を真っ直ぐに引き締めたあと、口を開く。
「教会は現在魔術協会に対する態度で派閥ができていますわ。まずは魔術協会の味方をする魔術派。全く看過しない中立派。ヴァチカンが主にこちらですわね。魔術師との癒着を早急に断つことを願う離別派。この派閥はさらに二つに分かれてましてよ。穏便に離別する派と過激な行動で離別しようとする派。わたくしが寝た方は離別過激派の一味で、大陸横断蒸気機関ビクトリア号の駅舎を爆破させるよう手を回したみたいですの」
ビクトリア号駅舎の爆破は教会の内部分裂による事件だったのだ。そういえばこのことに関する記事は短い期間であまり掲載されることはなくなっている。あれほど大変な事件だったというのに、犯人探しも行われず、ただ駅舎とビクトリア号の修復を伝える記事で締めくくられ、あとは一切触れてもいない。
ルードスからの情報を鑑みると、離別過激派による
あんなに怖い思いをさせられたのも、魔術師が原因だったなんて。あの時の恐怖を思い出して自身の腕をさすった。
「ビクトリア号に女帝騎士がいらしたことも、爆破理由に入っていたみたいですわ」
「女帝騎士……マーガレット・アン・バックリー。なるほど……確かに、更に意味が深まるな」
もう一人の命の恩人も、原因だとは。白衣の女医の姿を思い出す。エヴァンを見ると彼もなるほど、と納得していた。
「先生」
どういうことですか、と問いかける。
「魔術師が貴族とのパイプがあることをさっき話しただろう?」
「はい。……もしかして、女帝騎士ともパイプが?」
「そうだ」
あの真摯な対応は演技だったのだろうか。治療が難しいと苦々しく言い放った顔の奥底で、実はオスカーの不幸に笑っていたのだろうか。心の違う色のモヤモヤが胸に宿る。それを感じ取ったのか、エヴァンの右手がオスカーの頭を軽く撫でて肩を抱いた。
「パイプがあるのは、女帝騎士の主人ヴィクトリア女帝だ。女帝に対する警告でもあったわけだ。噂では魔術師がそばにいると聞いた──」
「その情報も欲しかったのですけれど、警戒心が強いのか、姿を見たという教会の人間はいませんでしたわ。大帝国の教会の司教たちやヴァチカンの教皇さまでも、一切見ていないとのことですの。汚職した神父たちの名簿と証拠を対価にしましたら、快く教えてくださいましたわ」
「司教や教皇でさえも?」ドミナが潜める。
「ええ、そのようですわ」
帝国改名記念日という日に、女帝と女帝騎士が公衆の場に現れる。オスカーも母に連れられて拝謁に毎年行った。若々しい女帝、女帝と年の差が近しく見える実子バーティ皇太子、女帝に寄り添うインドの騎士アブドゥル、ナース服の騎士フローレンス、顔色が悪く女帝の背後に控える騎士ジョン。
あのなかに魔術師がいるのか、それとも、別に魔術師がいるのか。オスカーは記念日式典のことを考えてもそれらしき人物を見たことはない。
「下僕くんは見たことないの?」シャーロットがこちらを見て問いかける。
「式典でもそんな人は見たことがないです。すみません……」
「教会の上層部が知らないんですもの、一般人に顔を見せるはずがありませんわ」
一杯の紅茶を飲み干してルードスが立ち上がる。
ドミナも立ち上がり、書斎机の淵に手を置いてエヴァンたちを見つめた。
「我々の理念は原初から変わっていない。世界より託された魂の管理者として、魔術師が願う不老不死は阻止せねばならない。世界の均衡を守るために。皆、その使命を忘れてはならない。死よ、平等たれ──
「
ドミナに倣い、エヴァンたちが詠唱する。オスカーは突然のことに口が動かなかったが、誰も咎めるものはいなかった。頷いたドミナは書斎机に着席して書類と睨めっこをはじめた。ベンジャミンはお茶会の片付けに勤しむ。ルードスはいつの間にか姿を消していた。
こうなってしまえばお茶会は自然と解散となり、食後の運動として機関内の探検がはじまった。機関のなかに見事な薔薇の庭園へとまず案内される。季節などがごちゃ混ぜになった庭園は薔薇とクリスマスローズが仲良く飾られている。デルフィニュームの青空の花びらが風に揺られ、咲いた薔薇の芳香が揺蕩う。
中央には噴水があり、透明度の高い水が流れている。そこに薔薇や百合や椿、デルフィニュームの花びらが落ちて不可思議な情緒を醸し出す。その淵にオスカーとエヴァンは座る。白と赤の椿の迷路に向かったシャーロットを見送って二人は顔を見合わせた。
「母君の肉体の保護は無事に終わった。何が起こるか分からないから、体内にあった鉱石は破壊しないことになった。経過観察をこまめに行うそうだ」
「ありがとうございます」ひとまず母のことは少しばかり猶予ができたことにオスカーは安堵した。
「あとは見つけて奪還するだけだ」
エヴァンの声音が強く響く。
「先生」疑問を抱いてエヴァンを呼ぶ。
「なんだ」
「不老不死を阻止することが、世界の均衡を守ることにどう繋がるんですか?」
「いい質問だ、オスカー」アメジストの瞳が三日月に微笑む。「実は言うとどうなるかは分かっていない」
「え?」
「どうなるか分からないから阻止するんだ。この天界、獄界、地上を含んだこの世界がどうなってしまうのか、もしかすると他の世界にも何かしらの影響が起こるかもしれない」
「他の世界って?」
「私たちが今いる世界の他にも別の世界──宇宙があるんだ。多重世界、並行世界、異世界、とも呼ぶ。見知らぬ言語、種族、文化が存在したり、似通ったものが存在する世界もある」
この噴水に浮かぶ花びらのように。エヴァンに言われて噴水に目を向ける。一枚の薔薇の花びらをエヴァンが指差した。
「これが私たちのいる世界だ。この隣にある百合の花びら、他に浮かぶ花びらが異世界。別の宇宙とする」
手袋を外し、ゆらゆらと揺れる薔薇の花びらに軽く指を乗せた。一度オスカーを見たあと、エヴァンの指が花びらを水の奥へと押し込んだ。
「──このように、均衡が崩れたとする。そして波紋という形の影響が現れる。水の動きをご覧、オスカー」
もう一度押し込むと波紋が大きく揺れて別の花びらたちを揺らした。振動した花びら同士はぶつかり合い、重なり合う。そしてなかには水に沈むものまで現れた。
「これが影響力だ。並び合う世界に必ず何かしらの影響が起こる。軽いものかもしれない、だが、非常に重症な影響を受けてしまう世界もあるかもしれない。特に生命の源である魂というものは、世界にあらゆる影響を及ぼす」
「それは……確かに怖い、です」
「ああ、そうだな」
首肯して手を水から引っ張る。水気を適当に払ってそのまま自然乾燥させるつもりだ。細い指先から、ポタリと水滴が落ちた。白い石畳に染みができる。それをなんとなく、オスカーは見つめた。きっとこの小さな水滴ほどの波紋でも、とてつもない影響が起こってしまうのだろう。魔術師の本当の怖さを実感した。
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