第6話 死神、弟子と契約
エヴァン・ブライアンの提案はオスカーのみならず、シャーロットをも驚かせた。
「どういうこと? 弟子にするって、つまり──」
「死神の弟子にする。そういう形にすれば、オスカーは我々と関わりやすくなる」
シャーロットの指摘は正しい。しかしエヴァンは多くを語らないことにした。手を差し伸べ、少年の色よい返事を待った。母親のことを上手く人質にして。
「勿論、それだけじゃない。母君の肉体をフラットに持ち帰り、我々死神機関に譲渡すること」
「母さんに何をするの?!」
「検査だ。機関には魂に関する研究が日々行われている。そこでならもっと詳しく調べることができる。メスを無闇に入れるわけではない」
モルモットのように扱うわけではない、と表現を真綿に詰めた。
間違いではない。魂の探求は、太古、死祖に癒しの
「もう一つ、条件がある」
これが一番重要なことだ、と付け加える。
「私とシャーロットを君の自宅に居候させてほしい。そうすれば君が我々に、我々が君に会いに行く手間は省ける。多くの知識を君に与えることもできる」
大事なことだ。シャーロットのせいで追い出されたホテルに無事に再びチェックインなどできるなどないだろうし、今年でヴィクトリア大帝国となって丁度五百年経ったので、行事がこの社交期に敷き詰められている。しかも各国の観光客や重鎮が祝辞に訪れる。
一般の国民のために祭りもある。七月に公の場にヴィクトリア女帝が現れ、帝都ロンドンを女帝騎士の一人バーティ──女帝の息子──と馬車に乗って巡る。その後の夜に貴族たちで舞踏会が開催される。
とにかく人が密集しやすい時期なので再びホテルを予約するとなると難しい。ここでオスカーに拒まれるとなると、野宿か、支部に泊まることになる。支部に泊まるのは、手続きが面倒で、シャーロットのせいで追い出されたことが仲間の死神たちに広まってしまう。笑い者になるのはごめんだ。
「どうする、オスカー? このまま何もせずに母の復活を待つか、我々に協力して魔術師に一矢報いるか。選びたまえ」
オスカーの顔が歪んだ。狡い言い方だと自分でも思う。後者を選ぶしかないではないか。
白金色の手を少年の手が掴む。
「なる。なります──弟子にしてください」
交渉は上手くまとまった。明日オスカーが退院する時に迎えに来て、フラットへ向かうことになった。なので野宿はこの一日で済みそうだ。
夜、病院の屋根の上に死神二人が陣取る。深夜でありながら、日の沈まぬ国と言わしめたのは伊達ではない。街灯が、家が、遠くに並ぶフラットの群衆が、照明の輝きを放っている。目を凝らせば、帝都市警の制服の男たちが二人一組で巡回して、娼婦や路地に倒れる酔っ払いに声をかけていた。
流れる涼しい風をアーネストが遮断した。義手を広げてぼんやり見つめるエヴァンに、シャーロットが話しかける。
「良かったの?」
「──何が」
「あの子を弟子にして。まだ、子どもよ?」
「大丈夫だ。今度はあんな風にはならないさ」
呟き、シャーロットを見返す。ピーコックグリーンの瞳に映った彼の顔は、自信に満ち溢れていない。覇気のない、無気力な顔。
ひどい顔だ。片手で顔を覆う。
「大丈夫、大丈夫だ」
自分に言い聞かせる。膝に顔を埋め、体をアーネストに寄せた。まだ子どもなのは、エヴァンも、そうなのかもしれない。瞼を瞑れば、かつての親友が笑っている。
親友は、エヴァンが救えなかった人間のうちの一人だ。
深い記憶の奥をかき回せば、エヴァンはたくさんの人を救えなかったし、逆に踏みにじったりもした。
今度こそ、守ってみせる。義手を握りしめる。
アーネストの腹に体を預けたのは正解だった。柔らかな毛並みと、体温が心地よくエヴァンを包む。シャーロットが背中を合わせて寝転がる。今回は相棒がいる。それを再確認して、瞼を閉じた。
鈍色の空が見えた。爆撃の煙があちこちで立ち昇っている。目を巡らせると見えたのは大量の死体と瓦礫が転がる大地と全壊した建物、引火して燃え始める木々。
両手をついた床にも、赤い池が侵略し、体温の残り香を残す皮膚片が転がっている。気づいて両手を放し、立ち上がり、真っ直ぐに逃げた。覚束ない足取りで、朦朧とする視界で。
後ろから、助けを求める声がしたが、振り返る余裕など持っていない。ましてや助ける気力も勇気も、一切なかった。
耳をつんざくのは、爆撃と銃撃の音。それがだんだんと近づいて、とうとう間近で漆黒の果実が弾けた。体が前へ飛ばされて地面に叩きつけられた。あまりの痛さに、赤子の如く泣き叫ぶ。
「あ、ああああああああああっ!!」
痛い、痛い。
痛みの方へ見れば、自分の足が、あらぬ方向に千切れている。肉が裂け、骨が見えた。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
身体中を苦痛が巡った。今度は銃声がして腹を貫いた。
もうこんなのは、たくさんだ!
自分はこんなところで死ぬつもりはない。痛くとも、血が流れていこうとも、手を前に、出して腹を引きずりながら進む。心のなかではなんでこんな目に遭わなくてはいけないのか、という理不尽さに憤慨している。
千切れかけた足が、瓦礫に引っかかり、裂く感覚を再び与えた。溢れる悲鳴と懇願に応えてくれる者はいない。
意識が朦朧として、それでも前を見つめた。
視界に、可笑しなものが見えた。菫の花畑が見えた気がしたのだ。余りにも可笑しな状況に、目を凝らした。咲く季節でも、咲くような土地でもないくせに、菫の花が咲いているだなんて。菫の花畑は、瞬きするたびに近づいてきた。もう目の前に来た時に、見えたのは菫の花ではなかった。
菫色のドレスの夫人。顔は漆黒のベールで隠されており、見えない。
「たすけ、てっ……くれ……しにたく、ない……!」
思い返せば自分もここにいるのも場違いな人間なのだ。元々はヴァイオリニストを目指していた。この両手は、音楽を奏でるために使っているのであって、戦場で使うためのものではない。本来ならば。
「いいや、君は死ぬんだよ」
場違いな女は無残にも突き放した。
「おいで」
差し出されたのは、救いの手ではなかった。
「私の弟子になるのだ、エヴァン・ブライアン」
──君にはその資格がある。
気づけば女の手を掴んでいた。死への一歩は、他の誰よりも、未知に波乱に溢れていた。
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