第5話 少年、絶望と勧誘
アメジストとガーネット色の双眸が猛禽類の輝きを放った一瞬に、オスカーは思わず身震いする。逃げられないように、彼は細い肩をがっしりと──それでも傍目からは優しく包んでいるかのように──掴む。
「彼は?」
訝しげにマーガレット博士がエヴァンを見ながら、オスカーに確認を取る。その問いの返答をしたのは、オスカーではなく、エヴァンだった。
「私はオスカーの親戚のエヴァンです。そして隣にいるのは妹のシャーロット」
いつの間にか親戚になったエヴァンの隣に、綺麗な赤毛の少女がにこりと微笑んだ。マーガレット博士は二人の顔を真剣に見比べる。
「……似てないな、君たち」
思わずオスカーも博士の感想に頷いてしまう。髪の色、輪郭、肌、目。どれも違う。それでも二人は表情を崩さない。
「よく言われます。妹は父親似なんです。似通ってるのは、髪質ぐらいでしょうか」
「そうか……それで、君たちはどうしてここに?」
「実は、駅でオスカーが運ばれるところを見たので、もしやと思い、こちらに。まさか親戚が駅での事件に巻き込まれていたなんて……驚きました」
自然。まさしく自然。
オスカーは目の前の男の演技力に唖然となる。表情の眉の僅かな動きも繊細に心配げな表情を作っている。博士は気づいていないと思うが、後ろでシャーロットが俯き加減で笑っている。一見、心配のあまりに泣いていると思われるだろうが、オスカーは赤毛の隙間から口角が上がっているのを見てしまった。
悪戯で食堂車にて、義眼で驚かせた人物とは全く違う印象を与える。
「オスカー、おばさんにも、何かあったのか? おじさんには、私が伝えておこうか?」
「え、あ、ええと」
「ここだと、お医者さまの邪魔になってしまうね、別の場所に行こうか」
エヴァンは軽々とオスカーの体を横抱きにし、颯爽と病室をあとにした。
突然の行動に、オスカーは頭が困惑気味で上手く回らない。とにかく恥ずかしい気持ちが優っている。病室に着く間に多くの患者に、横抱きされている姿を見られた。
使っている病室に運ばれ、ベッドに降ろされる。
シャーロットという少女も勿論ついてきた。ドアをしっかりと閉めた瞬間、「ブフッ」と噴き出してエヴァンを指差した。さっきまで猫みたいに愛らしさを全面に押し出していたのが嘘みたいだ。
「あ、あんたっ……ぷっくくくっ……いい人ぶるの、スッゴク、気持ち悪っ……!」
「お前だって、気持ち悪かったぞ。いい子ちゃんぶるのは、ホテルのなかでも続いて欲しかったな」
「なっ……!」
「ネズミは言い訳にするなよ」
「ネズミ……?」
脈絡不明なネズミの単語に、首をかしげる。
「気にしない方が身のためだ。心の健康が損なわれる」
真剣な声音で諭され、静かに頷いた。エヴァンは見舞い人用の椅子に座り、シャーロットがベッドの淵に座り込んだ。
「さて、オスカー。君は今、とっても困っているはずだ」
一度咳払いをして、エヴァンがオスカーに向き直る。
母の入院費、自分の怪我の治療費、その後の生活。父の仕送りがあるにしろ、母の容態がどこまで保つかも分からない。その間に父に何か起こるかもしれないことも、あり得ない話でもないのだ。原因不明となるのなら、間違いなく多額の医療費が掛かるのは明白だ。
学校を辞めるのは嫌だ、しかし親が、母のことが一番大事だ。母が死ぬのであれば、ずっと大事にしていた宝物を全部手放したっていい。誕生日に両親から貰ったささやかな筆記具だって、喜んで差し出せる。
「君には是非、私たちに協力してほしい」
「え……?」
困惑の表情を隠せない。エヴァンは足と腕を組んで相対している。あまりにも横柄な態度に、いい気はしない。
「君は必ず私たちに協力を要請する」
彼の足元の影から、アーネストが顔を出した。巨体な体躯がオスカーの前に座り、じっとこちらを観察する。
「ビクトリア号での出来事を、覚えているか?」
「……勿論」
「それなら話が早いな。そこで君は私を魔法使いか、と聞いたな」
「はあ? 何それ。あんた失礼な子どもね」
さっきまで笑っていたシャーロットの猫目が鋭くなる。よくファンタジー小説を読んだことがあるから、魔法使いなのか、と思っただけなのに。不機嫌な態度を取られ、思わず、シャーロットから距離を取る。
「落ち着け。人間の世界では魔法使いは架空の存在で、活躍したりしている」
「はんっ。活躍させてるのね、あんたたちの魂を脅かして、モルモットみたいに扱われるかもしれないのに」反らされた横顔はとても綺麗な輪郭をしている。
「……ごめんなさい」
「オスカー、謝らなくていい。魔法使いは、我々にとっては脅威であり、悪だ。君はそれを知らないから、仕方ないことだ」
「いったい、何者なの?」
人ならざるもの。
魔法使いではない。
では、いったい?
首を傾げるも、答えが見つからない。考えても分からないので、素直に首を横に振る。
「我々は死神だ」
予想だにしなかった解答に驚きもしたが、よくよく考えれば合点がゆく。自分の魂を肉体から取り出し、形を変えさせた。
「でも、死神って」
「君の宗教は確か、死神は悪魔と同一視しているな」
「……違うんだ?」
「全く違うわよ!」
シャーロットが憤慨して立ち上がる。
「天使とか悪魔とか、同じにしないで頂戴。あいつらはいっつも勝手に魂を持っていこうとするのよ! 悪魔なんて食べようとする悪食だし!」
「お前には……言われたくないだろうな、悪魔も」
呆れたようにエヴァンが肩を竦める。悪魔と同一視してはいけないようだ。天使とも駄目らしい。
シャーロットが人差し指でオスカーを差す。失礼だぞ、と指摘するエヴァンを無視した。
「いい、オスカー・ビスマルク? 私たち死神はね、死者をあるべきところへ送ったり、迎えにいったりして、然るべき処理をして送り出すの。天使はそれを無視して気に入った人間たちを勝手に連れていこうとするのよ。悪魔もワルキューレも同じ! 神聖化されてるけど、横行されたら世界の均衡が崩れるのよ!」
自身の宗教観が崩れていく。日曜日に教会に行くのが恐ろしく感じた。少女の指先が、オスカーの心臓を捉える。
「コレクションみたいに扱われるの、嫌でしょ?」
収集物として置かれる。それを想像した。雲の上で、硝子ケースのなかに置かれている
血の気が引いていく。確かに嫌すぎる。力強くオスカーは頷いた。全力の返答に、シャーロットは満足気である。
「もっと大変な生き物がいるだろう」エヴァンがため息混じりに呟く。
そのため息がとても艶めかしく唇から漏れた。
「君の母君の体を調べたよ」
ドクン。
心臓が波打つ。緊張を孕んでエヴァンの言葉を待った。調べた結果、母がどうなってしまうのだろうか。死ぬ運命なのだろうか。怖くなってオスカーはエヴァンを見ることができない。白いシーツに皺をつくった。
「君の母君は魂を魔術師に盗まれている。このままだと、肉体は朽ちる」
魔術師に?
母の魂が盗まれた?
──そして朽ちる。つまりは、死ぬということだ。あのまま目覚めることもなく。
ならば、今の医療で治るわけがない。どうするかも分からない。
オスカーはエヴァンの服を掴んだ。ベッドから落ちそうになるのを、エヴァンが支えてくれる。なりふり構わずにオスカーは嗚咽をこぼして縋った。死神というならば、助けてほしい。
「エヴァン、エヴァンっ、おね、がっ……おねがいっ!」
泣きじゃくる自分を、エヴァンは静かに見つめ返した。何を思っているか、分からない。哀れんでいるのか、蔑んでいるかも。ただ自分を支える両腕は、しっかりとしていた。
「オスカー」
魔性のバリトンボイスに、ぴたりと涙が止まる。金属の指が頬を伝う水滴を掬った。
「助けたい?」
頷く。
「ならば、
君の母君を助ける機会を。
オスカーの体をベッドにもう一度乗せて、体を引く。凍えた体温が離れて、金属の手が差し出される。白金に輝く手に視線が吸い寄せられる。
「私の弟子になれ、オスカー。君にはその資格がある」
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