第6話 死神、鉱石と羽化

 幽体離脱をしたオスカーの身に何が起きているか、本を見れば一目瞭然だ。


 七色の輝きを放つビフレフト鉱石。現在の人々の生活を豊かにしている燃料だ。この鉱石の最大の特徴は、必要以上に削らない限り絶対に尽きないこと。削れても自然と修復し、何を糧にするかは未だ解明されていないが、成長する。


 それが、少年の魂に干渉していた。


──まさか、これほどの事態とは。


「根をつけるつもりか」


 魂を糧にして。毒々しくも美しい花を咲かさんがために。エヴァンは唇を噛んで睨みつけた。ビフレフト鉱石が花を咲かす前に分離させなければならない。もし、放置してしまえば、オスカーは寿命を全うせずに死亡し、最悪魂自身がなくなるか鉱石に吸収されるかもしれない。これは死神として阻止せねばならぬ。


「修復に移行する! 解体せよ!」


 本を宙に浮かせるとまとまっていた本が一枚一枚バラバラになる。鉱石の根が張っているのは、ちょうど、オスカーがビクトリア号に乗っているところから。そこから鉱石が成長し、彼の天命を邪魔している。改竄しているのだ。


 エヴァンの足元の影からアーネストが飛び出して、スカーレットの瞳を爛々と輝かせた。獲物を狙う猛獣の双眸が、ビフレフト鉱石を睨んでいる。


 漆黒のヴァイオリンを持ち直し、構える。

 鉱石は己の危険を察知したのだろうか。七色の蔦が伸びて、ゆらゆらとエヴァンとアーネストを品定めするかのように固く揺れる。


「破壊されてもらうぞ」


 弓を激しくヴァイオリンの弦の上を滑らせる。腐敗、不気味さのある音色は数匹の虫を作り出した。長い肢体をもぞもぞと動かして花に群がる。まるで死体に蛆虫が群がるように。

 蔦が虫を払おうとする。アーネストが食らいつくが、簡単には砕けない。


「壊せ!」


 空中に数多の剣が生成された。形は様々であるが、よく見ると共通するものがある。鋭く、そして、破壊することに長けているということ。虫たちを避けるように剣が花に集中攻撃を開始した。


「流石は生きる鉱石といったところか……」


 ビフレフト鉱石に攻撃した剣の多くが、刃こぼれを起こして砕け、粉々になった剣の破片たちはスパンコールのように散って消えた。しかし、無傷とは言い難い。一本の剣が奥深くまで鉱石に食い込んでいた。このビフレフト鉱石には、ダイヤモンドと似た性質を持っている。固いが一点をつけば、簡単に砕けてしまう。これを見つけなければ、鉱石が燃料となることも、それによって大きな戦争が起きてしまうこともなかったろうに。


 落ち着いた音色を響かせると剣は跡形もなく鉱石から離れた。抉れてしまった傷口に虫たちが一斉に集った。きいきいと歓喜の声をあげて鉱石を喰らい尽くす。

 虫たちは小さくなっていく鉱石に比例して肥大し、ふっくらと丸々になって蛹へと変化する。それでも鉱石を吸収することは止まらず、七色の輝きは衰えた。修復するにはもう小さくなっている。


 今だ。


 エヴァンは演奏を止めて小さくなった鉱石を掴んだ。


「痛いと思うが我慢してくれ、オスカー」


 オスカーを見下ろして鉱石を引き剥がした。エヴァンの足元でオスカーが絶叫する。ぺりぺり。乾いた音を発しながら鉱石は引き剥がされた。

 手のひらの大きさにされた鉱石。それを赤い布袋に入れる。


 落ち着きを取り戻したオスカーは荒い呼吸を整えながらエヴァンを見上げた。鉱石を糧にした虫たちは、見事な羽根を広げた蝶になってオスカーの頭上を飛んでいる。


「再編せよ」


 バラバラの紙がまとまり、本に戻る。ヴァイオリンの弦を優しくつつけば、鉱石を引き剥がしたことで破れた紙がくっつく。あとは音符を書き直すだけだ。タタンと爪弾けば羽根ペンとインクを召喚した。羽根がページを撫でると破れた音符が本から放たれて消え、ペンが自在に動いて書き直す。


 これでオスカー・ビスマルクの天命はあるべきものへと戻った。

 異常がないか、本をめくっていく。激しい曲調でオスカーの人生は波乱に満ちており、そしてまた儚い。最期のページを開いてエヴァンは目を細めた。


「ふぅん?」


 これまた稀に見る魂の持ち主のようだ。最期のページには、死神の天秤が記されている。これがどういう意味であるか、エヴァンは分からない死神ではない。脳裏に濃い褐色の肌の男の姿が走り出す。太陽に愛されている微笑みを浮かべ、手を差し伸べる姿。それが、一瞬にして真っ赤な鮮血に濡れてしまった。


 苦しげに呻く、彼を、エヴァンは助けられなかった。

 パタン。

 オスカーの魂を閉じる。その表情は固く、苦悶に満ちている。


「……収束せよ」


 本の姿から心臓の形に戻る。それと同時に幽体離脱したオスカーの姿は黄金のオーラとなって魂に溶けた。


 どくん、どくん、どくん。


 鼓動する早さは元気になって生命の輝きをエヴァンに見せた。肉体に近づき、胸に手をかざす。硝子片をなんとか取り除いたマーガレット博士がオスカーの脈拍を確認している。


「開け。魂の蓄音機、生命の器」


 指が胸のなかに沈む。エヴァンはオスカーの胸に、魂をゆっくりと入れた。


「……うっ」オスカーの眉が、閉じていた瞼が震えた。


 マーガレット博士の表情に歓喜が宿る。


「良かった! 脈拍も安定している。頑張ったな、坊や!」


 周囲はマーガレット博士の言葉に拍手喝采を少年に浴びせた。奇跡だ、と涙ながらに神に感謝する者までいる。それを、冷めた表情でエヴァンは見渡した。オスカーが助かったことに喜びはある。けれども、これからの、最期のオスカーのことを知ってしまったエヴァンはあまり喜ばしくは思えなかった。


 エヴァンの後ろの瓦礫の壁が崩れる。救助隊がようやく彼らのところまで到着したようだ。


「アーネスト、このまま出よう」


 生者に姿を見られぬこのままで。


 エヴァンの申し出に、アーネストは従順に応えた。エヴァンが脱ぎ捨てたフロックコートを咥え、エヴァンに差し出す。


 ヴァイオリンと悪魔を入れた檻を旅行鞄に押し込めて立ち上がった。彼の頭上で天秤が浮きながらついてくる。アーネストが横を追随した。あと一歩外に出られるところで立ち止まり、オスカーへ振り返る。オスカーは弱々しく目を彷徨わせて周囲を見回す。エヴァンの姿を捜しているのだろう。一瞬、目が合ったが、エヴァンはそれから逃げるように背を向けて歩き出した。


「生きたまえ、少年」

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