帝都ロンドン到着
第1話 死神、到着と合流
駅の外はロンドンの街並みが広がっている。野次馬根性の人垣をくぐり抜け、エヴァンはぶらぶらと彷徨った。
人のいない路地裏を適当に見つけて、そこで天秤の力を隠した。ぱん、と軽く手を叩けば、頭上に揺れていた天秤は霧のように消えた。アーネストも見えるようになった。
五百年経ったロンドンの街並みは、十九世紀の建物が補強や増築を施されながらも、デザインは当時のままでまだ残っていた。ビフレフト鉱石の産業革命に切り替えたロンドンは、スモッグの霧をもう発していない。
鉱石で走る自動車の普及が広がりながらも、馬車は消えていなかった。愛好家がまだいるようだ。エヴァンの目の前を通り過ぎていく馬車は、貴族所有のものだ。
冷めた瞳で馬車を見送る。
「ご苦労だった、アーネスト。あとはアイツと合流しよう」
アイツとは今回の仕事で相棒となる死神だ。魔法使いによる死神実験事件が多発したあと、死神機関は最低二人一組で活動するように体制を組み直した。一つの地域で大量に死亡する時や彷徨う亡霊回収時には十数人の死神が動員される。
今回の相棒とは以前から何度も組んだことがある。エヴァンは近くの喫茶店に入ってオレンジとアールグレイを頼んだ。アーネストの大きな体に驚きながら給仕はキッチンの奥へと逃げていった。
「エヴァン、この前ぶりね」鈴のような軽やかな声がした。
目の前の席に少女が座る。見た目の年齢はオスカーとは変わりないが、実際は六百歳は超えている。肩には機械仕掛けの梟アンネが首を回しながらエヴァンを凝視した。美しい赤毛に、ソバカスのある白い肌。瞳はピーコックグリーン。バッスルスタイルを模したフリルたっぷりのワンピースドレス。靴は少しでも背が高く見えるように高めの猫足のヒール。
シャーロット・ゼフィランサス。これが彼女の名前だ。
空を飛ぶという飛行船に、嬉々として乗り込んだ物好きである。
「空の旅は楽しかったか?」
喫茶店の外で、オスカーよりも幼い少年が印刷されたばかりの新聞を配っている。「号外! 号外! パリからロンドン行きの便の飛行船が事故を起こしたのに、奇跡的に死者は出なかったって!」という声が鮮明に聞こえた。
二人して少年を眺めているとアールグレイの紅茶がエヴァンの前に置かれた。ベルガモットの香りは鮮やかに鼻腔を擽る。シャーロットはココアを頼んだ。うんと甘いやつ。
「途中まではね。そしたら時計が反応しちゃって、事故よ、事故。私がいなかったら、皆死んでたわ」
「集団改竄か」
「ええ。急いで皆の魂調べたら、アレが出たの」
シャーロットは持っていた新品の旅行鞄から布袋を取り出してテーブルに置いた。音からして沢山、固いものが入っている。
「全部ビフレフト鉱石か」
「そ。生で見るまで信じられなかったけど、改竄のあとを見つけた同僚は、間違ってなかった」
「そうだな……」
「あとで本部に行くべきかしら?」
「当たり前だ。記憶が鮮明なうちに逐一報告した方がいい」
アールグレイの紅茶を一口含む。カップの琥珀色の波紋を、エヴァンは静かに見つめた。
「ねえ、エヴァン。この任務、受けて良かったの?」
シャーロットが珍しく弱気な顔でエヴァンを見つめた。
「上からの命令だ。逆らえない」
「でも」
彼女の視線はエヴァンの義手を捉えている。カップをソーサに戻し、義手を掴む。ないはずの腕が、痛みを訴えている。
《戻 四月二十九日午後二時三十二分》
死神機関は天と大地を結ぶ間に存在する。そこに入れるのは死神、または共にいることを許された者のみ。機関にアクセスするのは様々な方法でできる。
まず一つは世界中に存在する支部と呼ばれる建物で手続きをすれば入ることができる。昔は教会やカタコンベなどを模しており、人間界に上手く溶け込んでいたが、時代が進むにすれ、郵便社の支部が現れた。死神専用なので会員登録が必要な郵便社だ。支部課の死神が一つの郵便社支部に十数人配属されている。主な仕事は本部からの司令の手紙の配布、書類の送付、本部から給金──任務などに使用──の引き出しや預けができる。
そして本当の仕事は本部へ入る時の手続き。
エヴァンもその方法をとって機関本部にアクセスした。
任務地フランス=ルイ王国パリの郵便社は国一番の広さだ。大戦によってねじ曲げられたことで王政復古に成功してしまったこの国の郵便社支部ホールには、王政に媚を売るようにマリー・アントワネットの像が建っている。
受付には、紺のスペンサージャケットの下は薄紫のマーメードラインのワンピースドレスを身につけた受付嬢がいた。懐古趣味があるのか、付けぼくろが顎に一つある。木目が綺麗なカウンターに体を預け、ドリルに巻いた髪を弄んでいる。
「やあ」
エヴァンは彼女に、一枚の封筒を見せた。菫色の封蝋がされた手紙だ。澄ましたような彼女の顔が真剣味を帯び、カウンターから出て来てエヴァンを部屋の奥へと案内した。
「こちらです」
辿り着いた先にあったのは、大きな金庫の扉。ノブは変わっており、円形のそれのなかに真鍮の歯車がある。離れており、全く噛み合ってない。
この扉の向こうには人の目が眩むような大量の金貨や紙幣はない。死神機関本部への回廊があるのみ。
扉の前に立ち止まり、受付嬢はエヴァンに振り向いた。
「エヴァン・ブライアンさまでお間違いないでしょうか?」
「間違いない」
「では手続きをお願いします」
本部は結界という魔法で守られている。結界の第一の目的は人間に見られないため。稀に異形なる存在、人智を超えたものを視ることができる人間がいる。霊能力者や聖女に聖人、などと云った人物。見られるとなると何をされるか分からない。第二の目的は外敵から守るためだ。死神機関が出来立ての頃はほぼ毎日天界と獄界、北欧からの攻撃があった。
あまりにも面倒くさい手続きがあるのは、本部の防衛でもある。
しかし、分かっているのだが、やはり面倒くさい。天秤を出現させ、漆黒のヴァイオリンで奏でる。響いた音色に反応して、金庫の丸いノブが動いた。中心へと円が小さくなり、歯車が噛み合った。ぐるぐると動いて重たい扉が開いた。先にあったのは、空の見える回廊だった。
一歩踏み込むと扉は閉められる。
ゴシック調の回廊の手すりから外は、透き通った空が広がり、肌寒い。フロックコートを着込んだのは正解だった。数歩進んで手すりの手をかけて下を見る。さっきまでいたフランス=ルイ王国のシンボル、エッフェル塔が見えた。まだ観光しに行ってはいない。
長い回廊は空中に浮かぶ、中世を想い浮かばせる大きな城壁に繋がっている。この城の全容を実際には見たことはないが、死神全員を入れられる程の大きさを有する。そして世界中の支部に繋がるたくさんの回廊が横に、斜めに刺さっている。
正面入り口というものがあるが、皆、自分が用のあるところに近い回廊に繋いでもらう。そっちの方が楽だからだ。
回廊を渡りきり、エヴァンは入り組んだ城内の廊下を進んだ。
黙々と歩くと両開きの漆黒の扉が見えた。
「招集に馳せ参じました。エヴァン・ブライアンです」
右手を胸に添え、左足を僅かに後ろへ下げる。そして左手は緩やかに自然と指を伸ばしたまま斜めに。
「よく来た、エヴァン」
扉の向こうでくぐもった女の声がした。
綺麗な角度でお辞儀した頭をゆっくりと上げ、エヴァンは両開きの扉の取っ手に触れた。力強く開け放つ。部屋のなかは、ぼんやりとした光のみで照らされていた。
大きな書斎机の上にきのこの形をしたランプと英語にフランス語などのさまざまな語学で記された書類が詰まれ、見た目が様々の
拒否されたテーブルの上には白磁のティーセットが並べられ、一口サイズのデザートが出される。
「アッサムはどうかな、エヴァン」
部屋の主は紅茶の缶を手に現れた。ゆったりとした紫色のクリノリン・ドレスを着こなした、王の風格を溢れさせる女だ。しかし彼女の顔は見えない。真っ黒なレース編みのベールにぼんやりとした輪郭。辛うじて笑みを浮かべているということは分かった。
「──甘いのは好きではないのですが」
「ではキューカンバーサンドイッチ(キュウリのサンドイッチ)でもどうかな? 新鮮だ」
「それは素晴らしい。是非とも頂戴したく」
女は人形に目配せする。カーテシーを優雅に決めた人形たちが闇に搔き消える。それを横目で見た二人は顔を合わせた。
「
招集の手紙を懐から取り出す。女は笑ったまま涼やかにティーカップを手にした。
「いいや。緊急事態だ」
「いったい何です?」
エヴァンの顔には緊張と警戒が滲む。鼻で笑い、女は表情から微笑を消した。
「
死祖とは死神の始まりの者たちであり、機関の上層部である。生命を得た生き物が現れたと同時に、彼らは産まれたとされる。
死神全ての流転の
機関の頂点たるドミナからの招集というのは、重要な事案である。
「少し、五百年前の話をしよう。かつて、ヴィクトリア大帝国が大英帝国と呼ばれていた、あの頃の話だ」
復習は大事だ、エヴァン・ブライアン。
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