第2話 死神、回想と受託

「とりあえず、もう少し昔から振り返ろうじゃないか。復習は大事だ」


 テーブルに到着した、新鮮なキューガンバーサンドイッチにエヴァンは誘惑された。


「私が知る限り、この世界は今までに二回の終末を迎えてきた」

「大洪水とラグナロク世界大戦のことですね」

「うむ」


 頷いてドミナは黒いレースの下にある口にソッと一口、クッキーを忍ばせた。しゃくりしゃくり。耳障りのいい食感の音が響く。


「最上位の神たちが引き起こした、大洪水を人間はノアの箱舟で種を残した。これを──」

「第一次終末と我々は呼称してます」

「よろしい。ではラグナロク世界大戦の復習に移行しよう」


 立ったままエヴァンはサンドイッチに手を出す。塩で水気を抜き取ったきゅうりのサンドイッチはとても美味しかった。

 テーブルの上に丁寧にカットされた七色に輝く宝石が置かれる。ドミナはそれを手にとって弄んだ。


「ビフレフト鉱石、ですね」

「うむ」


 成長し、自己修復をする無限に作られる鉱石が現れたのは、十九世紀。産業革命が起こり、貧富の差が明確に出てしまった時代。最初に発見したのは、宝石を発掘する名もなきインド人だった。地表のなか、適当に手に取った石の塊を叩いて割れば七色の鉱石。

 それから世界中で見つかり、人々は鉱石の使い道を競うように探求し始めた。


「このビフレフト鉱石は、我々死神機関でさえも知り得ぬ未知の領域だ。カルディアが筆頭となって研究を進めているが、難航している。最高位の神たちに問うても、作った覚えはないそうだ。獄界の魔王も知らぬの返答だけだった」

「しかし、人間たちはその鉱石が燃料になることを見つけましたね」

「尽きない資源だと分かった人間たちはすごいな」

「──ええ」歯切れの悪い相槌。


 資源である、という結論に至った人間たちは独り占めしようと考えた。特にヨーロッパでの鉱石の数は少なく、暖かい気候の他の大陸や地域に鉱石は大量に入手できた。焦ったヨーロッパ諸国は豊かになるために、自己中心的な願望のために、奪い合った。特に植民地が資源で独立してしまうことがあってはならない。

 俗に言う戦争が起こった。


「これが、第二次終末──俗に云うラグナロク世界大戦ですね」


 はじめは植民地の紛争、それから侵略戦争、世界中の国たちが滅茶苦茶に争う世界大戦へ。世界中の人間が、戦争で死んだ。銃撃で、爆撃で、それによる餓死で。あまりにも大量の死者数に、死神機関は第二次終末と判断した。しかし、人間によって引き起こされたものに、死神が介入する権限も資格もない。ただ黙って魂を守護するだけ。


 しかし二度目の終末は終わり、現在人類史は大戦から五百年続いてる。


 理由は勿論分かっている。終戦したということは、何処かの国が大戦に勝利したのだ。

 勝利したのは、ユーラシア大陸の西にある島国、ヴィクトリア大帝国。大魔術師ヴィクトリア女帝が統べる島国、当時その国はこう呼ばれていた。大英帝国、と。

 無意識にエヴァンは己の首筋をなぞっていた。じっとりとした汗が皮膚を湿らせた。


「ヴィクトリア女帝は当時、夫アルバート公を喪って王宮にこもりきりだったね」

「ええ。それで国民の人気は徐々に薄れていたはずです。議員たちもひどく焦ったことでしょう。王族の人気は政治的にとても重要ですから」


 仲睦まじかったアルバート公を失った彼女は、夫の部屋をそのままに閉じこもってしまった。表に出ることは一切なくなった。大戦がはじまって間もなく、政治家たちは女王のご機嫌とりどころではなくなった。


 大戦に参加するか、植民地を放棄するか、断固として防衛に徹するか。産業革命に成功したといっても、大英帝国は黄金期でありながら様々な問題を抱えていた。貧富の差から、環境の改善、政策に不満を持つ者たち。会議は踊る、されど進まず。まさにその表現の如く議会は迷走する。


 しかし、そこに突然の乱入者が現れる。夫の死に嘆き、こもりきりだったヴィクトリア女王だった。

 いったい何が彼女に起こったのだろうか。


 夫を亡くしたはずの彼女は何故か生気に満ち溢れて、堂々とした態度で参戦表明を支持した。女王の拒否を言わさぬ雰囲気に呑まれた大英帝国はラグナロク世界大戦に遅れて参戦することになった。ビフレフト鉱石を武器に使用できるように成功したのも大英帝国が最初だった。快進撃は止まらず、大英帝国は圧倒的力で勝利し、世界一の植民地を有する帝国になった。


 ヴィクトリア女王はヴィクトリア女帝に、大英帝国はヴィクトリア大帝国に生まれ変わった。


「ビフレフト鉱石、並びにラグナロク大戦の余波は計り知れないものだったな。本来の積まれるはずだった歴史を、大量の死者でいっきに崩してしまった。死ぬはずだった人間が生き、生きるはずだった人間が死に、生まれるはずだった人間が遅れて別の人間になった」

「……」

「ああ、君は、そうだったな。大戦の体験者だったな」

「そのことについてはあまり話したくないのですが」

「いいじゃないか、過ぎた話だ」

「だからです」

「だからこそだよ、エヴァン。君をヴィクトリア大帝国に長期赴任を言い渡す」


 全身が固まった。エヴァンは咄嗟に義手の腕を掴んだ。固い、金属の質感が布越しに伝わる。これを使いこなせるようになったのはつい最近だ。


「あの国に、私を──放り込むおつもりですか」


 声が震えていた。怯えと恐れが見え隠れしている。

 嘘だと言ってくれ、とエヴァンはドミナを見つめた。レース越しの彼女はぼんやりと微笑むだけだ。


「私の人生と経歴を鑑みれば、私はその赴任に異議を唱えたいのですが」

「決定事項だ、エヴァン。私は君こそが適任だと感じている。同郷のシャーロット・ゼフィランサスが今回の赴任の相棒だ。支部には伝達を済ませてあるし、帝国にいる死神たちにも連絡している」

「私とシャーロットに何をしろと言うのですか」


 もう諦めたエヴァンはようやくソファに座った。投げやりになっている。


「調査だ」


 ドミナは弄んでいたビフレフト鉱石の欠片をテーブルにそっと置いた。美しい、七色が魔性の輝きを放ち、エヴァンを品定めしているかのようだった。鉱石とドミナを交互に見る。


「これがどこで見つかったと思う?」

「カルディアさまの研究室から持ってきたものではなかったのですか?」


 死神機関の施設のなかでこの鉱石を拝めるのは、癒しの心臓カルディアのいる魔窟と化した研究室のみだと認識している。そこからドミナが拝借したと思っていた。


「これは、人間の魂のなかから見つかったんだよ」


──は?


 思考が完全に石化した。これも、彼女の冗談かと思ったが、雰囲気からしてそうではない。暫くして思考がやっと追いついた。


「一つの魂が改竄に遭っていた。機関内で調べたが、形跡もない。奇跡だとしても、やはり形跡が残るものだ。これは我々がよく知っている。それなのに、だ。その魂の持ち主は天命に反して早死。回収した死神が干渉したところ、内部にこれが巣食っていた。証言によると生き物のように動いて、攻撃してきたようだ」

「鉱石が攻撃を? 馬鹿な……いや、成長できる鉱石なのだからそれも可能だというのか」

「それを調査してほしい。情報によると魂の改竄が大帝国で多発している。もしやすると、魔術師たちが暗躍しているかもしれない」

「……」

「いいかい、エヴァン。これを放置するということは、我々の理念に反する。私は第三終末の予兆として事態を重く見ている」


 死神機関の理念は、魂の中立、生と死で成り立つ世界の均衡の保持。


「エヴァン・ブライアン。第三次終末の究明を命じる。五月までにはヴィクトリア大帝国に入国できるように今までの仕事を済ませてくれ。死はどこでもいつでも待たずに踊るものだ」


 是と言う他、ないではないか。


「……拝命しました、我が師よ」


 恭しく、それでも表情は晴れない歯切れの悪い返事で、エヴァンは任務を受け入れた。

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