第4話 少年、不幸と再会

 オスカー・ビスマルクはロンドン郊外の病院に運ばれていた。オスカーの緊急治療を施した、マーガレット・アン・バックリー博士がちょうどその病院に赴任することになっていたからである。


 運ばれた病室で、ボロボロになってしまった衣服を脱がされ、精密な検査が行われた。幸いにも、小さな体のなかには硝子片は全て取り除かれ、あとは傷の具合と経過を見守ることだけとなった。


 綺麗な包帯を巻かれた上に入院服が丁寧に着せられる。子どもに戻ったかのような雰囲気にオスカーは頰を赤らめた。それに気づいた若い看護婦がにこりと笑って、ボロボロの衣服を持って病室から出て行った。恥ずかしいものだ。

 看護婦とすれ違いに、恩人の一人マーガレット博士が部屋に入ってくる。


「君の荷物は救助隊が見つけてくれたようだよ」


 マーガレット博士がベッドの下に無事だった旅行鞄を忍ばせた。病院についた途端、彼女は看護婦たちに説得されてボロボロな服から清楚なズボンとシャツになって戻ってきた。最近ズボンを履く女性が増えてきたが、オスカーにはとても新鮮に見えた。家でも学校でも、女性といえば皆スカートかワンピースドレスを着ていたからだ。


「ありがとう、ございます」

「お礼は構わないよ。医師として行動しただけさ」


 見舞い人のための椅子に博士は座った。まるで男の人のように。もしかすると、周囲から侮られないための男らしさなのかもしれない、オスカーは博士の全身を見つめてしまう。

 この人は自分にとって何もかもが新鮮に映る。


 未だに男女平等を実現できないこの世界では、きっと苦労が耐えないだろう。男であるオスカーには計り知れないものだ。

 オスカーの考えを知らない博士は穏やかに、大らかに話しかけた。


「傷の具合はどう? 検査は他の医師がしたそうだから、知りたくてね」

「おかげさまで、破片はもうないみたいです」

「そうか」


 博士が、ホッと息を吐いた。


「不安だったが、そうか、うん。……無事に、排除できてたんだな。良かった」


 博士は立ち上がり、オスカーの頭を撫でた。母性のある、優しい手つきで。


「マーガレット博士!」


 部屋の外から、喧騒がいっきに押し寄せた。何事だ、と博士が眉を寄せる。駆け込んできたのは、オスカーの着替えを手伝った看護婦だった。とても焦ったその表情に、マーガレット博士の顔が緊張に引き締まる。


 看護婦が指し示した先には緊急に駆けつけた患者たちが運ばれる病室。耳を澄ませば、たくさんの人が忙しなく動いているのが分かった。


「駅からの患者はそれぞれの病院に分割したはずだが……」

「それが、その、べ、別の緊急の患者さんたちでっ!」


 落ち着いて、とマーガレット博士は看護婦の肩を力強く掴んだ。


「げ、原因不明の、昏睡に陥ってた人たちが、たく、さんっ! たくさん、来てるんです!」


 原因不明の昏睡。その言葉に、マーガレット博士は弾かれたように病室を出た。

 取り残されたオスカーは、好奇心で病室の外を覗く。野次馬として集まった患者たちを、別の看護婦たちが治療の邪魔にならないように宥めている。

 渡された松葉杖を駆使し、緊急外来の廊下を見つめた。


「何があったの……」


 目を凝らして運ばれる患者たちを観察した。年齢、性別、職種は皆バラバラの人たちが、顔を真っ青にして屈強な男たちに運ばれていく。なかにはオスカーと年齢が変わらない者までいた。


 まるで血を全て抜かれたかのようだ。つい最近、発表された、吸血鬼ドラキュラの話を思い出した。


──まさか、あれはフィクションだ。


 しかし、エヴァンのことを思い出してオスカーは背筋の肌が粟立つのを感じた。人ならざる彼がいるのだから、吸血鬼がいてもおかしくないのではないか。


 周囲も吸血鬼ドラキュラを手に取ったことがあったのか、吸血鬼にやられたのでは、とヒソヒソと噂を立てている。きっと次の日には多くの人の耳に届いているかもしれない。スクープとして同じフラットに住む、ゴシップ記者にとっては美味しいネタだ。


 そうしているうちにまた新しい緊急の患者が運ばれてくる。

 通り過ぎる、運ばれる女性たちのなかに、オスカーは自分の目を疑った。それでも、確信があり、唇が震えた。


「母さん!」


 オスカーの叫びに、周囲の人間たちの視線が一点に集中する。


「母さん!」


 間違えるはずがないのだ。

 オスカーは視線を振り切って松葉杖を放り投げて転んだ。看護婦が小さく悲鳴をあげて、オスカーを抱き起す。


「母さん! 母さん!」



 青ざめた顔で眠る、女性の横顔。それが一室に通されて遠くなる。慌てるオスカーに、看護婦は宥めていたが、あまりにも大きく騒ぐので根負けしてしまった。オスカーは看護婦の支えで母のいる病室に駆け込んだ。窓際のベッドに、母が寝かされている。何度呼びかけても蒼白の寝顔は、瞼を開けてオスカーに微笑むことはない。


 自分が助かった次に、訪れたのは、母の突然の昏睡。


 元気が取り柄で、朗らかに微笑む母に、オスカーは何度も助けられた。健康な体も、うまく遺伝してくれたのも有難いことだと思っていた。

 いつかその恩を大人になって返すのだと息巻いて、勉強をしていた。しかし、今、その未来への計画は不安定になっている。


「脈拍は安定している」


 マーガレット博士がオスカーの心配を出来るだけ軽くしようと診察を開始した。


「お母さまは生きているよ。外傷もない、健康体だ」

「……でも、でも」

「これ以上は分からない。原因不明だから入院させるしかない」

「入院……」


 その二文字にオスカーは現実を見る。入院でどれほど費用が掛かるのか。しかも原因不明の昏睡状態。例え、家に連れて戻しても面倒を見る時間はない。親切な人が集まっているフラットだが、母の昏睡がいつ回復するかも分からない。仕事に励む父はそう簡単には帰れない。


 学校を辞めるしかない。学費が母のために使われるならば、安いものだ。

 病院に入院させている方が家よりも安全で、もしもの時にすぐ対処できる。

 覚悟を決めた少年の肩を誰かが叩いた。


「オスカーじゃないか、体はもう大丈夫なのか?」


 フランクに話しかけられたオスカーはこの声に驚きを隠せなかった。振り向くと、もう一人の命の恩人が、優しい眼差しでオスカーを見下ろしていた。


「──エヴァン?」

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