第7話 少年、紅茶と遊び

 死神の本部という場所は、オスカー・ビスマルクを驚かせるのには充分な場所だ。前を歩くベンジャミンのあとを追う。後ろでは重たそうなトランクを平然と持ち上げるシャーロットが追随した。手伝おうか悩んだが、この前好奇心でエヴァンのトランクを持ってみたが、全く持ち上げることも叶わなかった。シャーロットの旅行鞄もそうなのだろう。


 階段前の廊下を通る際、檻を運ぶ死神たちが通った。なかにいるのは、青白い顔の人間たちが四人。


「出せ!!」

「出しなさいよ!」


 檻のなかの人たちが暴れまわる。しかし、運ぶ死神たちは全く無関心だ。なかには呆れたように笑っている者までいる。


 虫かごのなかを飛び回る虫たちを見るかのよう。

 視線が檻の人間たちと目が合う。慌てて目を逸らすも時すでに遅し。檻のなかの恰幅のいい女性が繕った笑みをオスカーに向けた。


「坊や、ねえ、坊や。この人たちを説得してくれる? 私は悪くないの、そうでしょう? ねえ」


 檻の隙間から腕を伸ばす。オスカーは後ずさり、ベンジャミンの服の裾にしがみついた。女性は手を伸ばし続けたが、オスカーに助けるつもりが一切もないのだと分かると凶悪に顔を歪めた。


「この役立たず!!」


 下品な言葉を投げかけられる。震えているとベンジャミンがにっこりと笑ってシルクハットを取った。そこに手を突っ込み、何かを引っ張り出す。

 漆黒のオブスキュラ。


「はいはい、そこまで」


 オスカー程の身長の写真機を檻に向けて、ベンジャミンはシャッターを切った。フラッシュが廊下を明るくし、一枚の写真をベンジャミンは手に取った。


「うんうん。綺麗に撮れたね!」


 檻のなかに女性は消えていた。いったいどこに行ったのか、周囲を見渡しても姿はない。見兼ねたシャーロットがオスカーの服の裾を軽く引っ張り、ベンジャミンの手にある写真を指差した。その一枚の写真のなかに、女性が立っている。


「魂を閉じ込めたのよ」


 写真を檻を運んでいた死神に渡し、ベンジャミンは人の好い笑みでオスカーを振り向く。


「さあ、行こうか。ちょっと耳障りな子は写して閉じ込めておくのが一番だ!」


 恐ろしい死神の魔法を見てしまい、この人は怒らせない方が良いのかもしれないと思った。少しだけ、鳥肌が立った。

 再び歩き、上階を目指す。


 長い階段に息切れが起こる。前後の死神は全く息を切らさずテンポに遅れはない。人間と死神の違いをなんとなくだが、分かった。漆黒の両扉の部屋の前に着く頃には、オスカーはもう歩くのがやっとだ。


昇降機エレベーターがあるのを忘れてたよ! はっはっは!」

「これぐらい男なんだから、鍛えなさいよ」

「おっとぉ、シャーロット、それは男女差別だぞっ?」

「うるさいわね。私は下僕くんのことを思って言ってるのよ」


 言い合いながら二人はそれぞれの扉を開けた。ぼんやりとしたキノコのランプに照らされた部屋の奥、黒のレースのベールをつけた女性が一人。肌を一切見せない淡いヴァイオレット色の上品なドレス。


「よく来た」


 玲瓏な声にうっとりする。

 ベンジャミンは帽子を取り、胸元に掲げて紳士の礼を、先程よりも深く仰々しく行った。シャーロットもトランクをわざわざ置いて淑女の礼をこれまた深々ととっている。慌てて礼を真似るも好奇心が強く、覗き見る。


 レースの女性は立ち上がり、書斎机前のソファに移動した。足音の立てない、優雅な足の運びだ。


──この人が、統括の女主人ドミナ


 死神機関の中枢、そして頂点。その人物が目の前にいる。背筋が自然と伸びて強張った。


「小さい子、座りなさい。ベンジャミン、君は紅茶と菓子を用意してくれ」


 ドミナの朧げなベールのなかが微笑む。背中をシャーロットに押され、オスカーはソファに腰掛けた。隣にシャーロットが座る。


 ベンジャミンは部屋のなかに備え付けられたキッチンへと向かった。ぼんやりとして見えなかったが、ベンジャミンがライトをつけると鮮明に見えた。コンロもシンクもつけられたオープンなキッチン。そこに立つと、ベンジャミンは手際よく紅茶を用意した。


「あの子は甘いものがダメだからお茶会ティー・パーティーが盛り上がらないんだ。紅茶とキューカンバーサンドイッチしか口にしない」

「……あの子?」

「エヴァンだよ」


 ドミナがほくそ笑む。

 卓上にデザートと紅茶が並べられる。一口サイズのチョコレート、彩りの豊かなケーキ、食感のいいラングドシャ。シャーロットがさっそく手を伸ばして甘さに蕩ける。マナーなど全くないお茶会のはじまりだ。


 マドレーヌを取ったドミナを、なんとなく見つめる。ベールに隠された顔を少しでも見たかった。しかし口元が見えただけでそれから上は鉄壁だ。薄い唇のなかにマドレーヌが消える。


「オスカー・ビスマルク。君のことは周囲の精霊たちから聞いているよ。驚いたね、あの子がまた弟子をつくるとは。君は私の二番目の孫弟子になる」

「えっ。……孫弟子ってことは」

「エヴァンは私のはじめての弟子さ」

「は、はじめての……弟子」


 咀嚼が早いドミナはまた菓子に手を伸ばした。次はフィナンシェだ。


 一番上の死神の弟子が自身の師であることに驚いた。そのようなことを、一言も教えてくれなかったのだ。モヤモヤした染みが心に一点残る。喉が渇いて一口紅茶を含む。温かいダージリン。隣で美味しい紅茶にシャーロットが砂糖を十杯注いでいたのが視界の隅で見えた。


「あの、二番目の孫弟子ってことは、僕に兄弟子がいるのですか?」


 恐る恐る聞くと、ドミナが驚いたように質問を返した。


「なんだ、エヴァンはあの弟子のことを話してないのか。ふぅん?」


 エヴァンに似た仕草でドミナは肩をすくめた。本当に驚いている、と言った感じだ。

 心のなかの染みが広がっていく。

 ドミナの弟子であったこと、もう一人エヴァンに弟子がいたことを、はじめて知った。何故教えてくれなかったのだろうか。


 まだ師弟としての日が浅いから? それともまだ自分が幼いから?


 それでも、オスカーのモヤモヤは広がっていく。これが嫉妬であることは分かっている。友達が聞いたら、恋慕だとからかわれるだろうが、恋慕ではない。例えるならば、兄が見知らぬ人と自分を放って親しげに長時間喋り通しという感じだろうか。


 はじめての親しみを持つ大人の男性の友人で師という存在は、オスカーの人生を劇的に変えた。母親の魂の奪還のためとはいえ、死の魔法、理念、法則は、宗教による考え方も綺麗に崩れてしまった。それが魅力的で、心を踊らせた。


「まあ、いいか、あの子なりの考え方があるだろうし。下らない考えだろうけど」


 いつの間にか卓上の菓子のほとんどがドミナとシャーロットによって無くなっている。女性の死神は甘党が多いのだろうか。空になった皿をベンジャミンが片付けて新しい菓子が並ぶ。ベリージャムとホイップクリームのミルクレープが出て、オスカーも釘付けになる。一皿確保して大事に食べる。酸味の甘さがモヤモヤを緩和した。


 ドミナは話題をヴィクトリア大帝国の現状にすり替えた。政治体制、女帝騎士、文学など。好奇心旺盛なのか、オスカーは返答の内容に気をつけた。できるだけ分かりやすく。


「女性進出が進んでいるようだね。最近はドレスも変わってきたと聞いたよ」

「はい。その象徴としてバッスルスタイルのドレスが無くなってきました。模したワンピースドレスが普段着として流行ってます。パンツスタイルも増えてきました」


 五百年弱までバッスルスタイルは当然のように女性国民の普段着だった。これにはヴィクトリア女帝並びに王家が原因である。王家のお洒落は国民にとっては流行の最先端。白いウェディングドレスもヴィクトリア女帝が着て流行したものだ。その女帝がバッスルドレスを愛用しているとなると当然女性たちはそれに倣う。


 バッスルスタイルのドレスとコルセットが無くなったのは、女性の社会進出もあるが、他にも様々な理由がある。まずコルセットが体に悪影響を及ぼすという論文が発表されたこと、女性下着の開発でブラジャーが産まれ、女帝を含む王家の女性たちが真っ先に使用してコルセットが消えた。


 バッスルスタイルを模した軽くて動きやすいワンピースドレスの登場。女帝騎士マーガレット博士がパンツスタイルの写真が新聞に載ったことで、バッスルスタイルのドレスはあっという間に消えた。


「ふむ。私もそろそろ服を新調しなくてはな。今度誰かに使いを寄越して買ってきてもらうとするか」


 誰を寄こそうか、とドミナが真剣に考える。その姿も絵になるほど、美しい。スミレの花が佇むかのよう。


 彼女も女性なのだな、とオスカーは一人頷く。女性がお洒落に励む姿は眩しくて可憐に昇華させる、という言葉を聞いたことがあるがまさしくその通りだ。勿論男性だってお洒落に敏感だ。昔は姿勢のラインを美しくさせるためのコルセットもあった。


 微笑ましくドミナを見ているとシャーロットに足を踏まれる。


「だらしない顔してるわよ、下僕くん」

「あ、す、すみません」

「子猫ちゃんたら、ヤキモチやいてますの?」


 背後から甘い声がした。軽やかで魔性の響き。シャーロットが肩を震わせたあと、借りてきた猫のように大人しくなって、ちょうど菓子の追加に現れたベンジャミンの背中に逃げ込んだ。盾にされたベンジャミンは微笑むが、目が全くわらっていない。むしろ氷河期の冷たさだ。


 空いてしまったオスカーの隣に、女性が一人、座った。ふんわりとした金髪を複雑な三つ編みと百合のバレッタが彩り、白のシャツ、シックな黒の長いスカート、細い肩を包む無地のストールは天鵞絨ビロード色で上品だ。見た目からして清楚な女性。香りはほとんどの人が好む柑橘系の香水。


「お茶会をしてましたのね。わたくしも混ぜてくださる?」

「え、あ、どうぞ……?」

「あっ、馬鹿!!」


 シャーロットがオスカーを睨んだ。どうして怒られるか分からないので、ベンジャミンを見上げると同情めいた視線を送られた。

 清楚な女性が、こちらを見て微笑んだ。エメラルドの美しい瞳が一瞬、貪欲に光った気がしてオスカーは震える。


「ありがとう、坊やは優しいですわ」

「は、はい」


 何故だろう、ちょっと怖いと感じる。


「やっと帰ったね。放蕩癖はまだ治らずか、またヴァチカンかい? それとも別世界に行ってそこの聖職者にでもちょっかいでも出してたのかな、ルードス?」

「……ひどいですわ、ドミナさま。わたくし、これまでずっと情報を集めてまいりましたのよ」


 ルードス。どこかで聞いた単語に首を傾げているとシャーロットがオスカーの腕を掴んで立たせられた。引きずられるままオスカーはベンジャミンのもとに連れて来られる。耳元でベンジャミンが苦虫を潰した顔で囁いた。


は死祖の一人、腐敗の遊びルードスさまだよ」

「彼……?!」


 思わず声を上げる。ドミナとルードスがこちらを見たが、なんでもないです、と首を横に振ると視線は剥がれた。


「語弊があったね。ルードスは死神のなかで唯一両性具有なんだ」


 つまり、女性器もあれば男性器もある。あのスカートの下に自分と同じあれがあると知って、絶句する。


「通称聖職者殺しのルードス。だいたい性行を禁ずる聖職者を狂わせるのが、彼女は上手いんだ。この前だって死神を排除しようとした教会の長である司教を骨抜きにしてしまった。……まあ、それで死神機関は事なきを得たんだけどね」


 悪魔より質が悪い。あの清楚な女性に見える人がまさか死神であるとは、誰も思うまい。いや、だからこそ、あの見た目なのかもしれない。


「十代の君に言うのもなんだけど、処女を守りたいなら近づかないのが身のためだ」

「……」


 言っている意味が分からなかったが、だんだんと理解して顔を赤くした。両手をお尻を守るように添える。当のルードスはドミナとの会話を楽しんでいた。


「そういえば、とある司祭がお話して下さいましたわ。魔術協会が動いたそうですわ」


 魔術協会。その言葉に場がシンと静まり、ドミナの笑みが消えた。

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