第13話 相棒、調査と濃霧

 シャーロット・ゼフィランサスはテオが入院した病院をなんとか割り出していた。学校から近く、急患を受け入れてくれる場所。


「ここね」


 ナイチンゲール・ロンドン病院と明記された門を通り、白い要塞に足を踏み入れた。内装は潔癖という圧力が全面的に出ており、一切の埃や汚れを嫌っている。


「テオはどこかしら? どんな奴か聞くのを忘れてたわ」


 肩に止まっていたアンネの頭を撫でる。

 死神のほとんどは妖精や幻獣をペットにしている。機関でいうペットは人間たちの愛玩や家族というものとは少しだけズレている。一人一人の死神の補助を担い、監視役でもある。

 シャーロットは生きた動物が苦手だ。これには幻獣も妖精も含まれる。だから機械の冷たい鳥にした。結構アンネのフォルムは気に入っている。


「アンネ、テオという子を捜して。私は一階から捜してみる」


 アンネは首を三六〇度回転させた後、翼を広げて天井ぎりぎりの高さを飛んでいく。

 シャーロットは右手を横にかざす。


「来なさい」


 右手の平にタイプライターが現れる。重力に負けることなく、それは浮いてシャーロットに追随した。事務用だけではなく、放出機としての役割を果たすこれを、シャーロットは気に入っている。癒しの心臓カルディアには感謝が絶えないものだ。

 実は言うと彼女とは甘党仲間として菓子の素晴らしさを死神内で宣伝する活動を行なっている。世界中の菓子や新商品は必ず情報が来るので素晴らしい活動である。


 帰ったらエヴァンにケーキ屋に行くように仕向けなければ。

 今にもワルツを踊りそうなスキップで廊下を急ぐ。天秤の力で誰も彼女を注意する者はいない。代わりに元気な子どもが看護婦にしこたま怒られて泣きべそをかいている。その横を過ぎ、病室を探す。


「人手はもう少し増やした方がいいかも」


 タイプライターを目の前に寄せて、両手をキーボードの上に構える。


 カタン。


 キーボードを打つ。打鍵された言葉の羅列は猫の生態だ。それを組み込んだカーボン紙をタイプライターから取り、床に落とす。


 素直に落下しない紙は床に触れた瞬間、一匹の猫となった。小さな愛らしい灰色の猫。生きている動物は苦手だが、アーネストと自分が作り出した動物はまだ大丈夫だ。まず聞き分けがいいし、言葉を理解してくれる。

 シャーロットは片膝をついて無機質な命にそっと語りかける。


「テオという少年の居場所を探しなさい。年齢はそうね……オスカーと同じぐらい。自殺未遂らしいから、ちょっと変わった血の匂いがするはずよ」


 シャーロットの命令に猫はすんなり受け入れて廊下をしなやかな動きで走り出した。これで時間は短縮されただろう。

 もう一匹猫を生成してテオを捜す。彼は意外と早く見つかった。猫が見つけてくれたのだ。病室にはぽっちゃりな体型の少年がベッドの上で静かに眠っている。そこに寄り添うように母親らしき女性が座っていた。編み物をしながら、時々手を休めてはテオの寝顔を切なく一瞥する。


「この子ね……」


 近づいて少年の顔を覗き込んだ。自殺をしたことで香る独特な血の匂いが鼻腔を擽ぐらせる。頭をぐるぐるに包帯が包まれている。どうやら彼は飛び降りをしたらしい。呼吸をゆっくりとしている。奇跡的に助かったのは着地点に繁っていた花壇の花たちがクッションとなって、衝撃を和らげてくれた。

 シャーロットは無表情で胸の上に手をかざす。


「開け。生命の真髄、人生の染料インク


 胸のなかへ沈んだ手は容易く魂を見つけ出した。赤い靄がまとわりつき、弱々しく鼓動を刻んでいる。


「邪魔よ、消えなさい」


 眉を寄せて振り払い、天秤に乗せ、懐から小さな木箱を取り出した。開くとなかには薄汚いハンカチーフに包まれたへその緒が入っている。それを片方の皿に乗せた。僅かに魂を乗せた皿が下へと下がる。自殺未遂という行為で業が深まったのだ。これが軽くなるには、それなりの善行を積まねばならない。

 心臓の形をした魂を手に取る。


「展開せよ」


 本の形になり、シャーロットはそれを捲って魂を読み始める。テオの母親が啜り泣いている。

 テオ・ダイアーの人生は平凡の一言に尽きた。ただゆっくりと長生きして、たくさんの孫に囲まれて死に至る。一頁ごとに鉱石がないか確認したが、見当たらなかった。


「エヴァンの気のせい、にしては変よね。三人の吸血鬼が今日に至るまで放置だなんておかしいもの」


 思考に耽る。本来ならば、おかしい事案なのだ。校舎に入り、姿を見るまで吸血鬼がいることに気づかないなど。独特の甘い血の匂いがすれば簡単に分かる。三人なら尚更気づかないはずがない。


「嫌な感じ」


 魔術師絡みであることは間違いないようだ。

 鉱石の有無を確かめたのち、改めて少年期の頁を捲る。自殺の原因を知るには良い機会だ。少年期の頁には、こう記されている。


『初恋の人ジゼル・クレセントのために、儀式を行う』


「儀式? まさか自殺のこと?」


 その頁には血の甘い匂い染みが縁を彩っている。間違いなく関係性はここだろう。


「失恋とか、人間関係の悪化だと思ったのだけど……」


 儀式、となると悪魔召喚や霊媒による交信といったところだろう。しかし基本その手の書物は魔女裁判の時期に、見兼ねた天使が回収したはずだ。残ってるといえば、魔法使いの紛い物ばかり。

 シャーロットは目を瞬かせる。


「ん? 待って? クレセント?」


 ジゼル・クレセント。そういえば、裏庭で口論していた男の片方もクレセントと呼ばれていた。捲る。過去へと捲る。


『音楽教員アントニオ・クレセントの紹介でジゼル・クレセントで出会う。彼女は余命幾ばくもない病を患っており、衰弱がひどく、移植手術ができるほど体力がないため絶望的。運命を感じた』


「……運命」


 シャーロットの胸の底が醒める。運命。この言葉に、シャーロットは何度も心を打ち砕かれた。

 本を閉じ、テオの体内へと魂を戻す。


「美しいものじゃないわよ、運命なんて」


 猫足の靴を鳴らし、テオの病室から退室する。母親が涙ぐんでテオの額を撫でていた姿を、シャーロットは、無表情で一瞥した。


 ジゼル・クレセントの病室はすぐに見つかった。時間は全くかかっていない。アンネが彼女の病室の前を通ったからだ。

 重病患者たちの区画に、彼女はいた。枝のように痩せ細った体が、ベッドの中心にポツンと横たわっている。窓際には酸素吸引機がどっしりと腰を据えており、ジゼルの命を繋ぎとめていた。


 儚い。もうあとは枯れるだけの命だ。憐憫と庇護欲が唆られる姿にシャーロットはひどくテオに同情した。彼女のために、彼は己の魂を穢したのだ。その気持ちは、痛いほど、理解できた。

 鈍い痛みに、シャーロットはそっと己の胸の上で手を握りしめる。


 知っている。


 自分を犠牲にしてまで救いたい人がいるということを。


「でも、変えてはダメよ。許さない」


 眠る彼女へと歩み寄る。己に何度も言い聞かせる。

 私は死神、だと。魂の管理者は淡々と命に向き合わなくてはいけない。情けも怒りも憐憫もかけてはいけない。心をかけた事で世界が歪む。生と死のバランスを保つことこそが死神の掟なのだ。


 浅い呼吸を繰り返す薄く、硝子のようなジゼルの胸の上に、手をかざす。魂の状態を確かめるために。


「開け──」


 シャーロットが魂を取り出すことはなかった。呪文を唱える唇は慄き、ベッドで眠る彼女の顔を凝視した。ピーコックグリーンの瞳は驚愕に見開かれている。


 ベッドにいたのは、ジゼルではなかった。白いネグリジェだった寝間着は破れて汚い黒のドレスに変わり、ジゼルの顔は老けて、皺だらけの女に変貌していた。栄養失調と精神的に可笑しくなった女がジゼルの代わりにベッドに横たわり、シャーロットを見上げていた。


「かあ、さ、ん」


 体が硬直する。

 母だ。間違いない。見間違えるはずなどない。

 シャーロットは己も気づかぬうちに女の手を握りしめた。薄い、青白い唇がシャーロットに微笑んだ。


「私よ、シャーロットよ。母さん」

「……シャーロット? まあ、可愛い子」


 愛しげに女は微笑んで空いている手をシャーロットの頰に伸ばして撫でた。一方でシャーロットはそれを振り払い、後ずさる。失望したような、確信したような、複雑な顔で女を睨んだ。

 放出機のタイプライターのキーボードに指を構える。


「シャーロット?」

「違う、あんたは母さんじゃないわ。騙すにはちょっとリサーチが足りないんじゃない?」


 教えてあげるわ、母さんはね。

 シャーロットは唇を噛み締めてキーボードを早打ちする。


 入力されたのは「形態解除」。


 するとタイプライターが泥のように溶けて、彼女の背丈ほどの大鎌を形成する。少女の手が慣れた手つきで大鎌を構えた。

 エヴァンが進んで三人の吸血鬼を捕縛しに向かったことには理由があり、シャーロットはそれが自分に関することだと知っている。立ち込める甘い血の匂いに顔をしかめた。この匂いを狩ることに特化した大鎌は、獲物を探すように妖しく輝きを放つ。

 大鎌の柄には、鉄槌卿の証である荊の紋章が施されている。


 相棒は、自身に鉄槌卿としての役目を負わせないがために自ら進んで吸血鬼の捕縛に向かったのだ。随分と甘い采配であるが、シャーロットはそれに少なからず安堵していた。いくら死神と言えども、魂を滅ぼすという行為は、とてもだが精神的に衰弱を来す。


 構えて吸血鬼の姿を捜す。建物内だというのに霧が立ち込め、一層匂いが濃くなった。噎せ返るほどの甘さに胃が逆流しそうになる。

 ベッドから立ち上がった母親はニコリと笑った。しかしシャーロットは警戒を解くことはない。目の前にいる女は本物ではない。おそらく幻覚だろう。


「母さんは私なんか見ない」


 母が自分を見ることなどあり得ないのだ。昔から、母親はそうだった。娘を見ているようで、別の人間を見つめていたし、その人のことばかりを想っていた。

 歯を食いしばり、シャーロットは叫ぶ。


「ふっざけんじゃないわ!!」


 近づいてくる母親の幻に、躊躇なく鎌を振り下ろす。幻は簡単に消えた。霧の一つだったのか、肉の感触がない。裂いたことで鮮明になった病室のベッドにはジゼル以外に、男がいた。

 無気力な猫背の男はジゼルの胸に小さなビフレフト鉱石を落としたかと思うと、再び足元から霧を立ち込めさせた。


「──スモッグ!」


 ただの霧ではない。この匂いは十九世紀のロンドンの汚らしい霧である。吸い込んだことで喉が痛みを訴えた。シャーロットは窓へと走り、一声。


「開放せよ!」


 ひとりでに窓は開き、シャーロットは足を勢いつけて床を蹴り、飛び込むように窓枠を越えた。病院の外に逃げ、ジゼルの病室から離れる。

 だというのにスモッグの霧はどこまでもシャーロットを追ってきた。とんでもない執着だ。耳元に獣の唾液が滴る音がして鎌で振り払う。

 浅い。


 相手に致命傷を与えることはできなかったようだ。歯噛みしてシャーロットは振り返る。

 目の前に先ほどの男がいた。鋭い牙を覗かせ、長い舌が薄い唇を撫でる。ギラギラと輝く瞳がシャーロットの顔から下へと降りた。そして一点の箇所を見つめて嗤う。


 全身が粟立ってシャーロットは硬直した。

 彼の狙いは、シャーロットの下腹部だ。鋭い牙が腹部にめり込んだ。痛みが走り、甲高い悲鳴が響く。それに人間たちは気づかないまま通り過ぎていく。

 アンネが遠くから男の頭へと嘴をねじ込む。嘴はちょうど左目を潰して怯ませた。その隙にシャーロットは大鎌を横に振り、肩を裂いた。


『アア……残念ダ……エリザ』


 男は大怪我を負いながらもカラカラと嗤ってスモッグの霧のなかに消えた。景色が晴れたロンドンの街並みに戻る。甘い香りは綺麗に去ってしまった。

 下腹部の傷に手を添え、シャーロットはフラットへと急いだ。大鎌をタイプライターに戻し、弱々しく打鍵する。カーボン紙を抜き取って地面へ投げて大きな鳥を形成した。それに乗り、荒い呼吸をしながらしがみついた。柔らかい羽毛にフッと意識が緩む。


「母さん……」


 もう母親の顔は完全には思い出せない。

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