第12話 死神、救済と邂逅

「辛気臭い顔してるわよ。下僕くんはちょっと心配性が過ぎるんじゃない?」


 鼻で笑うシャーロットに、オスカーはほんの少し笑ってみせた。しかし困ったような顔になったので、彼女は彼の額を軽く弾く。


「あうっ」

「それじゃあ、もう一度確認するけど。私はテオっていう少年の魂に干渉してみるわ。エヴァンはどうするの」


 額を抑えるオスカーを無視して、こちらを見る。


吸血鬼ヴァンピーアの捕縛を最優先にする。そのあとは彼らの魂に干渉して、今回の自殺の因果関係を調べてみるつもりだ」

「了解」

「……あの、僕は、どうすればいいんでしょうか」

「校舎内で待機していてくれ。出来るだけ一人になるんじゃない」


 指示を与えるとオスカーは不満げに頷いた。学生という本分を全うするべきだというのに。はじめの弟子も少しばかり融通が利かない時があった。

 宥めるように肩を撫でる。


「初期症状でも人間だと抵抗できないんだ。大人など赤子に等しいのだから、子どもなんてひとたまりもない」

「……わかりました」


 不服な顔で残りのサンドイッチを平らげたオスカーは紅茶を飲み干して校舎へと走って行った。小さくなるオスカーの背中を見送っているとシャーロットが靴の先を小突いた。


「少しは遠回しに言えないの?」

「何を?」

「あの言い方じゃあ、お前は役立たずって言ってるようなものでしょ、この馬鹿」

「……」


 そう言われてみればそうかもしれない。エヴァンは己が失言したのだと理解した。義手が前髪をあげて、頭皮を掻いた。ボサボサの髪がまた鳥の巣に変わる。

 どうも子ども相手の対話は苦手だ。自分も幼ければよかったのだろうか。いや、それでも、エヴァンは不器用に酷くオスカーを傷つけただろう。家に帰れば改めてオスカーと話をしなければならない。考えるだけでも憂鬱だが、師弟ならばコミュニケーションはしっかりするべきだ。場合によってはひねくれた死神になりかねない。


 色々と考えていると男が二人、言い争いながら裏庭へと侵入してきた。全く姿が見えていないのか、堂々とエヴァンとシャーロットの目の前で罵り合っている。


 一人は身なりをしっかりしている。服装に皺や乱れもなく、几帳面だ。ただ目の下には隈ができており、青白い。げっそりとした痩せこけた頰が印象的だ。


 もう一人は服装はしっかりしているが、よく見れば繕った箇所が多い。口髭はボサボサに伸びており、手の爪には砂で汚れている。学校の手入れなどを任されているのかもしれない。校舎の正門に佇む花壇は特に美しかった。


「クレセント先生、もういい加減にしてくだせえ」


 口髭の男が眉間を寄せて抗議する。


「私は何も悪いことはしていない」


 頰の痩せこけた男──クレセント先生ということは教師だったようだ。彼も負けじと反論する。口髭の男よりも苛立っているようで右足が貧乏ゆすりで震えている。


「もう五度目ですぜ、あんたが教練近くの花をダメにしたのは!」

「それは場にそぐわないと思ったのだ。地味な花を私の使う教室に植えやがって」


 困惑した様子で口髭の男が絶句する。


「あんた、ほんとにクレセント先生かい? 昨日だって、楽器を壊しちまったっていうじゃねえか。音楽教師だっていうのに」


 いつものあんたはそんな人間ではなかったはずだと主張する男を振り払い、クレセントは早足で去っていく。残された口髭の男が悲しげに見送ったあと、俯き加減で裏庭の掃除をはじめた。


「あんな乱暴な人じゃあなかったのによぉ」困惑の愚痴が独り言となって消える。


 エヴァンはシャーロットと顔を見合わせる。クレセントのことを知らない二人は別の意味で困惑していた。


「随分と吸血されているな」

「性格が極端に変わるなんて、よほど吸われているわね」

「五月前に自殺した彼らが吸血したわけでもなさそうだ」

「……あんたの言う通り、きな臭い。吸血鬼ヴァンピーアなんて見つけ次第捕縛だから、そんなにうようよいるわけじゃないもの」

「全くだ。調査を開始しよう。もし手に負えないことがあったら機関に連絡しなければ」


 エヴァンは校舎の屋根にうろつく吸血鬼たちを見つめる。哀れな彼らは渇いた喉に苦しめられて獲物を品定めしている。

 一歩進んだあと、シャーロットもテオが入院したであろう病院へと足を向ける。


「やられるんじゃないわよ」

「お前もな」




 初期症状の吸血鬼は知性のない状態なので対処は簡単である。

 獲物を見つけた瞬間、蛆虫のごとく群がり、血を媒介にして魂を啜る。

 もし、その獲物が死神だとすれば。


 エヴァンは漆黒のヴァイオリンを手にして、校舎に走る。足を早めてだんだんと煉瓦の壁が近づき、ぶつかる寸前に大地を蹴り上げた。そのまま革靴の底を壁へと着地させ、重力に負ける前に空へと駆ける。屋根を目指す途中で騒がしい獣の呻きが聞こえた。

 どうやらエヴァンが近づいてくることに気づいたらしい。

 本能で彼らは死神が危険な存在だと感じているのだ。


「逃しはしない」


 ヴァイオリンの弦を弓が一本弾く。

 蔓が屋根の淵から溢れ出し、ドーム状の檻を作った。覆われてしまったそこから、吸血鬼は逃れられない。幼い影が三人、震えながら身を寄せ合い、エヴァンを出迎えた。

 眉を寄せ、エヴァンはヴァイオリンを構え直す。

 怯える彼らに、不器用に笑みを見せた。できるだけ優しく微笑んだつもりだ。


 凶暴でも、吸血鬼でも、死神にとっては守るべき存在で、管理すべき対象なのだ。傷つけることはない。が、時には要消滅命令と呼ばれる指名手配が施される場合がある。

 死亡したあと、生者を多く殺したり、死神に危害を加えたりすれば、滅びのパルテに仕える鉄槌卿ドミネ・マッレオ──魂を滅ぼす放出機を所持することが許された死神のこと──が容赦なく派遣される。

 派遣されれば、彼らによって魂は滅ぼされて終わりだ。


 例え善良であっても、死者が生者の魂に牙を向けてはいけない。逆も然り。


 だから、今の状況はまだ彼らには希望があるのだ。まだ生きたかっただろう。それを自分の手で止めてしまった。矛盾した行為を行った彼らにしてやれるのは、これぐらいしかないのだ。

 エヴァンは優しく宥めるようにヴァイオリンを奏でた。


「疲れたろう」


 渇望という苦しみに。

 緩やかな音楽は吸血鬼の耳を蕩けさせ、苦悶に穢れた表情を穏やかに変貌させた。怯えた震えは、寝息による揺れに変わり、胎児のように体を丸めた。


「抱擁せよ」


 エヴァンの一言で檻の役割を担っていた蔦が動き出した。三人をそれぞれ包み球体の緑の揺かごが完成した。これで機関へ譲渡すれば大丈夫だ。ヴァイオリンを下ろし、緑のそれを撫でる。これで彼らは苦しむことはない。それだけが吸血鬼に対するせめてもの救いだろう。

 ふぅと安堵した刹那、背後に気配を感じて振り向く。


 アメジストの瞳は驚愕と恐れに揺れた。


「──兄さん」


 金髪の少年が、白磁の笑みを讃えて立っていた。


「……ヨアン……?」


 最も会いたくなかった。

 右腕が痛みを訴える。一歩、また一歩下がりながら、エヴァンは少年を凝視する。


「兄さん、久しぶりだね……、相変わらずだね」

「違う」頭を横に振る。

「違う? 何が違うというの?」

「お前は、ヨアンじゃない」

「……」


 天使の微笑みを浮かべていた少年の表情が無機質に変わる。


「油彩の臭いがした。お前は、ヨアンじゃない」

「……だが恐れている」


 高かった声が低く変貌を遂げた。


「見えるぞ、お前の本質が。浮かべているのは恐怖だ。お前が視覚的に捉えているのは恐怖の対象。魂に刻まれた畏怖そのもの」

「なっ……?!」


 エヴァンの体が下へと落下する。漆黒のヴァイオリンを構えた瞬間、足元に暗闇が広がった。エヴァンの体を侵食し、あっという間に飲み込んでいく。


「さあ、我が実験室へ招待してあげよう。無事に逃げ出せるかな?」

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